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ゴスペルハウスコミュの「受胎告知-アドベント第2週」 2024.12.07

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ゴスペルハウスメッセージ 2024.12.07
「受胎告知-アドベント第2週」ルカ1:26-38

26 さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。
27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。
28 御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
29 しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
30 すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。
31 見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
32 その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
34 マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」
35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。
36 見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。
37 神にとって不可能なことは何もありません。」
38 マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。

今週の聖書箇所は、「受胎告知」として有名な箇所です。
絵画や物語、絵本で知っている人もいるでしょうし、クリスチャンじゃなくてもよく知られている場面です。
これまで、ゴスペルハウス礼拝でも、アドベントの期間に何度も開いてきた箇所ですし、他の教会の礼拝説教で聞いたことがある人もいるでしょう。
「神さまに不可能はない」とか「マリアの謙遜」とかのテーマで。

今年のアドベントもこの箇所から、神様の御言葉を開いていきましょう。

ストーリーは次の通りです。
処女マリアのところに御使いガブリエルが訪れ、マリアが神様の子を生むと告げました。
マリアは、最初は戸惑いましたが、御使いの言葉を受け入れました。
そして御使いは、去って行ったのです。

先週の礼拝説教では、マタイの福音書第1章の冒頭を開きました。
今週の聖書箇所は、ルカの福音書第1章の後半です。
この章の前半には何が記されているか、ご存知ですか。
さっと答えられる人は、聖書をよく読んでいる人でしょうね。
ヒントは、「さて、その六か月目に」(26節)です。
さらにヒントを加えると、「不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。」(36節)です。
そう、正解は、ザカリヤへの受胎告知があったのです。
1-4節は、ルカの福音書の受け手であるテオフィロへの挨拶で、5-25節が、ザカリヤへの受胎告知なのです。
先々週の礼拝説教の箇所ですね。

ザカリヤ(と妻エリサベツ)への受胎告知とマリアへの受胎告知は、同じルカの福音書に連続して記されているのです。
同じ筆者であるため、記述方法も構成も、見比べるととても興味深いことがわかります。
2つの受胎告知を比較しやすくするために、表にしてみましたのでご覧ください(添付資料参照)。

まず、受胎告知を受けた、ザカリヤとエリサベツ、マリアの2組は、どんな人だったのでしょう。
ザカリヤとエリサベツ:「二人とも神の前に正しい人で、主のすべての命令と掟を落度なく行っていた。しかし、彼らには子がいなかった。エリサベツが不妊だったからである。また、二人ともすでに年をとっていた。」(6-7節)
マリア:「ガリラヤのナザレという町の一人の処女」(26節)

ルカが連続して記しているのに、ザカリヤとエリサベツは「正しい人」で、マリアは「一人の処女」なのです。
マリアはもちろん、悪い人ではありません。
とても良い娘さんだったことでしょう。
けれども「神の前に正しい人」とは記されていないのです。
このことが、これから比較していくときに、大事な鍵になります。

次に、御使いに出会ったときの反応を見ましょう。
ザカリヤ:「これを見たザカリヤは取り乱し、恐怖に襲われた。」(12節)
マリア:「マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。」(29節)

ザカリヤの反応は、正しい反応です。
当時、神様や御使いを直接見てしまうことは、死を意味したからです。
自分の死を思って、正しいザカリヤは「恐怖」したのです。
それに対して、マリアは純粋で寛容な反応を示しており、ある意味では鈍感ともいえるでしょう。
御使いは両者に、「恐れることはありません」(13,30節)と声をかけていることでも、ザカリヤの反応の正しさが伺えます。
ザカリヤとエリサベツは正しい人で、マリアは鈍感なほどの純粋な人なのです。

御使いの告知の理由を比較しましょう。
ザカリヤ:「あなたの願いが聞き入れられたのです。」(13節)
マリア:「あなたは神から恵みを受けたのです。」(30節)

ザカリヤは、神様の前に正しいからこそ、願いが聞き入れられたのです。
一方、マリアは、恵みを受けました。
恵みは、受け取る側の資格や条件は問われません。
恵みの雨という言葉がありますが、その雨は、よい人にも悪い人にも降るでしょう。
神様からの一方的なプレゼント、それが恵みなのです。
そしてどちらの子にも、名前が与えられています。

生まれる子の目的を、御使いは告げます。
ザカリヤ:「彼(バプテスマのヨハネ)はエリヤの霊と力で、主に先立って歩みます。」(17節)
マリア:「彼(イエスさま)はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」(33節)
聞いた両者の反応です。
ザカリヤ:「私はそのようなことを、何によって知ることができるでしょうか。」(18節)
マリア:「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」(34節)

正しいザカリヤは、いままでの知識や常識で反応しました。
自分は、何によってそれを知ることができるのかと、御使いに尋ねました。
御使いは、正しいザカリヤへ証拠のために、口がきけないようにしてくれました。
純粋で鈍感なマリアは、どうやってそのことが起こるのか、理由を尋ねました。
ザカリヤが自分が知ることに焦点をあてたのに対して、マリアは事柄がどのように起こるかに焦点をあてたのです。

正しいザカリヤと、純粋で鈍感なマリア。
あなたは、正しさと鈍感さ、どちらのタイプですか。
また、どちらのタイプになりたいですか。

どちらであっても、それはとても尊いことです。
また、それ以外であっても、それはとても尊いことです。
なぜなら、あなたのその個性を、神様は受け入れますし、神様は用いますし、神様は喜ぶからです。
ザカリヤは、その正しさによって、神様に用いられました。
マリアは、その鈍感さによって、神様に用いられました。
あなたは、そのあなたらしさによって、神様に用いられるのです。
ザカリヤは口がきけなくなり、マリアは不貞を疑われ、周囲の人の理解は得られなかったかも知れません。
あなたも、神様に用いられるとき、無理解や迫害を受けるかも知れません。
それでも、神様は、そんなあなたとともにいるのです。

あなたの、正しさ、鈍感さ、強さ、賢さ、謙遜、寛容などといった美点だけでなく、弱さ、愚かさ、病、過去の失敗、悲しさすら、神様は大切に用いるのです。
神様は、あなたの人生に、希望を、期待を、持っているのです。
人には理解できないかも知れませんが、あなたは神様に受け入れられているのです。
そして、神様は、あなたをそのまま用いようとしているのです。

それは、子を宿すということではないかも知れません。
しかし、あなたならではの受胎告知が、あなたのための受胎告知が、確かにあるのです。
あなただけのための、神様の計画に、期待しましょう。
あなたの人生に、神様の計画を咲かせるのです。

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