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ゴスペルハウスコミュの「気前のいい主人」2024.10.19

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ゴスペルハウスメッセージ 2024.10.19
「気前のいい主人」マタイ20:1-16

1 天の御国は、自分のぶどう園で働く者を雇うために朝早く出かけた、家の主人のようなものです。
2 彼は労働者たちと一日一デナリの約束をすると、彼らをぶどう園に送った。
3 彼はまた、九時ごろ出て行き、別の人たちが市場で何もしないで立っているのを見た。
4 そこで、その人たちに言った。『あなたがたもぶどう園に行きなさい。相当の賃金を払うから。』
5 彼らは出かけて行った。主人はまた十二時ごろと三時ごろにも出て行って同じようにした。
6 また、五時ごろ出て行き、別の人たちが立っているのを見つけた。そこで、彼らに言った。『なぜ一日中何もしないでここに立っているのですか。』
7 彼らは言った。『だれも雇ってくれないからです。』主人は言った。『あなたがたもぶどう園に行きなさい。』
8 夕方になったので、ぶどう園の主人は監督に言った。『労働者たちを呼んで、最後に来た者たちから始めて、最初に来た者たちにまで賃金を払ってやりなさい。』
9 そこで、五時ごろに雇われた者たちが来て、それぞれ一デナリずつ受け取った。
10 最初の者たちが来て、もっと多くもらえるだろうと思ったが、彼らが受け取ったのも一デナリずつであった。
11 彼らはそれを受け取ると、主人に不満をもらした。
12 『最後に来たこの者たちが働いたのは、一時間だけです。それなのにあなたは、一日の労苦と焼けるような暑さを辛抱した私たちと、同じように扱いました。』
13 しかし、主人はその一人に答えた。『友よ、私はあなたに不当なことはしていません。あなたは私と、一デナリで同意したではありませんか。
14 あなたの分を取って帰りなさい。私はこの最後の人にも、あなたと同じだけ与えたいのです。
15 自分のもので自分のしたいことをしてはいけませんか。それとも、私が気前がいいので、あなたはねたんでいるのですか。』
16 このように、後の者が先になり、先の者が後になります。」

今週の聖書箇所は、皆さんもよく知っている、ぶどう園をテーマにした、イエスさまのたとえ話です。
ぶどうの収穫の時期は、ぶどう園は大忙しでした。
現在のようなぶどう棚での栽培方法ではなく、もちろん機械もビニールハウスも冷蔵技術もありません。
ですから、もたもたすると、熟しているぶどうが腐ってしまって、大損害になるのです。
現代の日本でも、田植えや稲刈りに臨時の助け手が必要です。
当時なら、なおさらのことでしょう。

話の内容は、当時としてはありふれた風景でした。
早朝から1日1デナリという契約も、労働者の給料としては適切な額です。
早朝に集めた人だけでは足りないと感じたのか、ぶどう園の主人は、9時、12時、そして午後になって3時、5時と、市場で労働者を集めました。
日没がおよそ6時だと考えると、5時に雇い入れるのはあまり効率的とは思えません。
とはいえ、よほど切羽詰まっているなら、ありえない話ではありません。

午後から働きに来た人たちは、早朝から働いていた人たちと比べて、明らかに何か足りない人たちです。
彼らは、ぶどうの収穫時期には雇い入れ先が十分にあることを知っていたにもかかわらず、早朝に市場にいなかったのです。
能力、状況、意欲、様々な事情があるのでしょうけども、やはり何か足りてない人々だったと考えられます。

さあ、仕事が終わりました。
ここから、このたとえ話は、ありふれた光景ではなく、不思議な光景が展開していきます。
午後5時から1時間だけ働いた人たちに、主人は1デナリを支払ったのです。
彼らは、自他共に認める、不十分な働き手です。
にもかかわらず、主人は一人前の十分な働き手としての給料を与えたのです。

早朝から働いていた人たちは、午後5時から働いた人に比べて、10倍以上たくさん働いていたはずです。
ですから、その労働には10倍以上の価値があり、10倍以上の努力があり、10倍以上の成果がありました。
彼らは、10倍以上働いたのだから、10デナリは多いかもしれないけど、最低でも3デナリ、うまく行けば5デナリもらえるかもと、期待を持っていたことでしょう。
しかし、主人は、彼らにも1デナリだけ払ったのです。
1デナリは、不十分な価格ではありません。
一人前の労働者として正当な評価を受けた額です。
けれども、彼らは、どうしても納得がいかないのです。
これが天の御国なのです。

先月、盛大な宴会のたとえ(ルカ14章)からメッセージしましたね。
最初に宴会に招かれていたゲストたちが、失礼なことに、次々と当日ドタキャンしました。
宴会の主人は、なりふり構わず人々を集めました。
では、なりふり構わず集められた人々の宴会の料理は、酒は、接待は、もともと呼ばれていたゲストと比べて、ランクが下がっていたでしょうか。
聖書には、そのことについては書かれていません。
でも、わかりますね。
最初のゲストと同じ料理、同じ酒、まったく同じ扱いだったはずです。

「イエスさまを救い主と信じるだけではダメなんだ。」
「イエスさまの言葉に従い、イエスさまのその戒めを守り、信仰がぶれないことが必要なんだ。」
「それが、救いの条件、御国への条件なのだ」
という人たちが、信仰者の中にも、わりと多くいます。
また、彼らの声は大きいので、力があるように感じます。
きっと彼らは、立派な信仰者なのでしょう。
でも、天の御国、神様の御国、神様の大宴会は、彼らには理解しきれないかもしれません。
彼らは、ぶどう園のたとえの中の、「早朝に働いた人々」なのです。

神様の愛は、「気前がいい」(15節)と書かれている通りの愛なのです。
イエスさまの十字架の救いは、「気前がいい」と書かれている通りの救いなのです。
それは、「後の者が先になり、先の者が後になり」(16節)と書かれている愛なのです。

そしてそれは、イエスさまが十字架にかかった日に、2つの形で現実のものとなりました。
1つ目は、ルカ23章39-43節です。
39 十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言った。
40 すると、もう一人が彼をたしなめて言った。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
41 おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」
42 そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」
43 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

この男の人こそ、クリスチャン第1号です。
イエスさまの十字架の死で救われて、御国に行くことを約束されたのが、クリスチャンですから。
彼はイエスさまに対して、何もいいことができませんでした。
十字架についているのですから、何もできっこないのです。
ただ、彼はイエスさまを信じ、イエスさまにすがっただけです。
彼の信仰告白は、イエスさまの地上での生涯の中の、最も遅い信仰告白です。
しかも、理解も不十分な信仰告白です。
彼は完全な「後の者」です。
しかし、その日、パラダイスに行ったのですから、完全な「先の者」となったのです。
この男の人は午後5時どころか、午後6時に仕事が終わるというのに、午後5時59分48秒に雇われた人のレベルなのです。
なのに、クリスチャン第1号として記され、イエスさまとともに御国へ行ったのです。

そして、2つ目です。
天地創造の時から、イエスさまは神様とともに存在しました。
イエスさまは、とてつもなく「先の者」なのです。
ヨハネ福音書1章1-3節にある通りです。
しかし、私たちの身代わりとなって十字架にかかり、神様からの呪いを一身に受け、最も「後の者」になったのです。
しかし、3日目によみがえり、永遠のいのちのために、また「先の者」になってくれたのです。
「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」(一コリント15:20)

すべての場面に、あなたへの愛があります。
ぶどう園の主人は、「気前のいい主人」です。
あなたを愛する神様は、「気前のいい神様」です。
そして、その愛を実現するために、イエスさまは十字架にかかったのです。
イエスさまは、神様の気前のいい愛を受け入れて、徹底的に従ったのです。

不十分なままのあなたに、足りないままのあなたに、ふさわしくないままのあなたに、注がれた愛。
そして、あなたの周りの人々まで、その愛は注がれています。
それどころか、あなたが憎む人、あなたが蔑む人、あなたが許せない人にさえ、注がれた愛がここにあるのです。

気前のいい神様と、あなたの思いを、一致させましょう。
もう、だれのことも責めなくていいのです。
イエスさまの十字架の愛は、その人のことを赦しているのですから。
もう、だれに対しても威張らなくていいのです。
すべては、気前のいい神様の愛が、完成したものなのですから。
神様の愛、御国の愛、気前のいい愛に、癒され、生かされましょう。


【参考聖書箇所】
☆ 盛大な宴会
ルカ
14:21 しもべは帰って来て、このことを主人に報告した。すると、家の主人は怒って、そのしもべに言った。『急いで町の大通りや路地に出て行って、貧しい人たち、からだの不自由な人たち、目の見えない人たち、足の不自由な人たちをここに連れて来なさい。』
14:22 しもべは言った。『ご主人様、お命じになったとおりにいたしました。でも、まだ席があります。』
14:23 すると主人はしもべに言った。『街道や垣根のところに出て行き、無理にでも人々を連れて来て、私の家をいっぱいにしなさい。
14:24 言っておくが、あの招待されていた人たちの中で、私の食事を味わう者は一人もいません。』」

☆ たとえの実現(クリスチャン第1号)
ルカ
23:39 十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言った。
23:40 すると、もう一人が彼をたしなめて言った。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
23:41 おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」
23:42 そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」
23:43 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

☆ 先の者としてのイエスさま
ヨハネ
1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。

☆ 再び先の者としてのイエスさま
1コリント
15:20 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。

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