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日本再生倶楽部コミュの【沖縄集団自決に関する県民大会】

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 さる9月29日に沖縄において教科書から集団自決の記述に対し、「軍の命令」の記述が削除されたことに対する県民集会があった。この集会に関し、様々な意見や報道などネット上を賑わしている。

 主催者発表の11万人参加という数字に対する疑問や、教科書への政治介入という問題。また、根本的な「軍の命令」が本当にあったのかといった問題点が書かれている。参加人数に関しては、TVなどの映像や会場のキャパシティを考えると、疑わざるを得ない数字であろう。また、映像を見て感じたのだが、参加者の若い人々が一部ではあろうが、笑いながらTVに手を振ったり何のために参加しているのか疑問を感じた。

 今回、教科書から沖縄戦集団自決「軍の強制」記述が見直されたのは、昨年の教科書検定において高校の日本史で「日本軍に強いられた」とした教科書7点が「命令したかどうかは明らかと言えない」と指摘され、各社は「集団自決に追い込まれた」などと修正した。

 この判断基準の理由としては、
?「軍の命令があった」とする資料と否定する資料の双方がある
?慶良間諸島で自決を命じたと言われた元軍人やその遺族が2005年に名誉棄損の訴訟を起こした
?自決命令の有無より住民の精神状況が重視されている

 という上記3点からのものであり、学問上当たり前だと思う。

 軍命令説の起源は、戦後まもない時期に沖縄タイムスが刊行した『鉄の暴風』(昭和25年発行)で、それが様々な経緯を経て広まった。さらに梅沢裕守備隊長命による「住民の集団自決」は、家永三郎氏の『太平洋戦争』、中野好夫・新崎盛暉両氏の『沖縄問題二十年』、大江健三郎氏の『沖縄ノート』などによって喧伝され、「梅澤裕=集団自決命令=軍国主義の悪」の構図が強調された。

 ところが座間味島の場合、自決を指示したのは村の幹部で、そのための手榴弾をくれという要請を梅沢裕守備隊長は拒絶し、谷間で生きのびてくれと指示した事実が明確となり、沖縄県史もその線に沿った訂正をすませている。

 さらに渡嘉敷島の場合は、曽野綾子氏の『ある神話の背景』(昭和48年)によって全面否定され、赤松嘉次守備隊長はむしろ「自決するな」と制止した事情が明らかになった。

 真相の解明がおくれたのは、遺族が当時の厚生省から援護年金を受給するには、軍命令があったという形式を取る必要があり、両守備隊長も「お世話になった村のために」と了承し沈黙を守りつづけた。

 現在、「沖縄集団自決冤罪訴訟」が行われており、司法の場にて事実関係の係争中である。この訴訟に関しては、
沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会
http://blog.zaq.ne.jp/osjes/
をご参照願いたい。

 このような事実関係を調査中にもかかわらず、最初から「軍の命令」ありき!という感情論とも思える立場で、言論を封殺するようなデモ・集会を行うことに違和感を感じる。さらには、当日の参加人数に関する主催者側の発表に対し、マスコミ各社は何の疑いも持たず、11万人という数字を「米軍による強姦事件以上の盛り上がり」と報道している。

 物事の善悪はフェアに考えるべきであり、集団自決に「軍の命令」があったのかなかったのか、それは専門家の調査に任せればいい。その真実がどちらにあろうと、それは事実として受け止めるべきであろう。しかしながら、政治家が教科書の内容について圧力をかけるのはおかしい。普段は権力に対抗するジャーナリストまで、この件についての圧力は賛成とは完全なダブルスタンダードではないか。

 「日本軍に酷い事された」との被害者史観だけを盛り込ませ、「沖縄条項」という名の特権を得ようとし、異論は許さないとしたらそれはもはや「平和教育」でもなんでもない。ある種特定の思想の押しつけにすぎない。イデオロギーや感情論に囚われず、あらゆる角度からの検証が必要であろう。

 この一件は、「近隣諸国条項」の見直しにも影響してくる。日本の外交や内政もそうだが、声の大きな団体や圧力を執拗にかけられることに弱い。そのことにより、近隣諸国との関係は、良くなるどころか悪くなっていくことは今までの経緯で明らかである。国内における特定の団体に対する配慮?もそうだ。一つの突破口を与えれば、さらなる要求を声高にしてくる様はヤクザと一緒ではないか。与野党を問わず政治家には、毅然とした対応を望みたい。

 最後に、下記ブログを紹介したい。

櫻井よしこブログ
http://blog.yoshiko-sakurai.jp/2007/01/post_497.html
「 沖縄集団自決、梅澤隊長の濡れ衣 」

コメント(3)

 いつのまにか、作家のついた戯作が“真実”として一人歩きするという、好例である。これと同じ例が、従軍慰安婦の軍による強制連行でしょう。

今次事案での“参加者怒りの声”(毎日新聞)は、次のとおり。
「これから子供たちにうその教育は許されない」「日本兵に乳飲み子を奪い取られ殺された悲劇もあった。敵に殺される前に自分で死になさい、という教育そのものが始まり。なのに子供たちにまたうその教育をするのか」(「ヌチドゥタカラの家」館長、謝花悦子)

「(検定が)このままだと、あの時代がまた来るかもしれない。為政者は私たちの思いを受けとめるべきだ」(集団自決生存者、吉川嘉勝68)

「醜い戦争を美化しないでください。たとえ醜くても真実を知りたい。学びたい。そして伝えたい。」(高校生代表)

という、いずれも根拠希薄な感情論。いかに大江などの文字芸人と偏向メディアの影響が、一般的なものの見方にまで悪影響を与えていることかがわかる。

 さらに、参加者の感情的な発言からもわかるとおり、もともと沖縄県民には長く培われてきた「いつも本土の犠牲となっている」という被害者意識が通底しており、その琴線に触れたためにこうなったことも見逃せない。

いずれにしても、歴史的な事柄は一方の証言のみにより決めるべきものではないし、ましてや県民感情や、さらにはデモやシュプレヒコールで決まるものではない。
>もっちーさま

 野暮用が多く、レス出来ずに申し訳御座いませんでした。
この問題で今日の産経ニュースに、

<沖縄県民大会参加者「約1万8000人」 自民歴史教育議連>
http://sankei.jp.msn.com/life/education/071017/edc0710171145001-n1.htm

 上記の記事がありました。この他にも、どこかの大学で数えたところ、
さらに少ない数字だったとの記事も読みましたが、ソースは失念致しました。

 冷静さを欠き、声高に被害者意識のみを叫ぶさまは、まるで某国の
プロパガンダを見るようです。先ほど見ていましたテレ朝の「報道ステーション」
では、中国に日本軍が遺棄したとされる化学兵器のニュースをやって
おりましたが、何の検証もなく疑問も持たず報道する姿勢には呆れます。

 沖縄県民にも、疑問をお持ちの方々がいらっしゃいますが、その声を
封殺するようなマスコミや市民団体には猛省をして頂きたいと感じます。
両論併記ならまだしも、片方の意見のみを真に受けることの恐ろしさは、
戦前の日本を考えれば危険なのは判ると思うのですが・・・
どうということもない「地方紙」の話題ですが、北海道新聞が「検定審論議せず 「集団自決」軍強制削除 文科省(10/22 08:12)」という記事で、次のように述べています。
【以下引用】
 沖縄戦の集団自決での日本軍による強制や関与を示す高校教科書の記述が削除された問題で、文部科学省の教科書検定審議会がこの記述をめぐる論議をせず、同省の原案通りに検定意見をまとめたことが21日、関係者の証言で明らかになった。同省が教科書会社に検定意見を示す際「軍命令がなかったとの説が一般的になっている」と、定着している学説に反する説明をしたことも分かり、今回の検定のずさんさが浮き彫りになった。
【引用終わり】

> 「軍命令がなかったとの説が一般的になっている」と、定着している学説に反する説明

いつから「軍命令による集団自決」が“学説”となったのでしょう。酷すぎます。

本日(10月23日)付けの産経新聞「正論」欄で曾野綾子氏がまさに正論を述べられております。

【引用開始】
当時実際に、赤松元隊長と接触のあった村長、駐在巡査、島民、沖縄県人の副官、赤松隊員たちから、赤松元隊長が出したと世間が言う自決命令なるものを、書き付けの形であれ、口頭であれ、見た、読んだ、聞いた、伝えた、という人に一人も会わなかったのである。
【引用終わり】

ともあれ、すでに軍命令の有無などの事実関係などどうでもよくて。「沖縄の心を踏みにじるな」のシュプレヒコールで歴史が変えられようとしています。

 朝日新聞は10月12日の「声」欄で「「軍の強制」を認めたくない立場からすれば、「沖縄の怒り」をできるだけ過小評価したいのだろう。だが、そもそも参加者数をうんぬんすることに、どれほどの意味があるのか。」と大学生に投稿させ、沖縄県民大会の任ず水増し云々することにもはや意味はないなどと開き直っています。

 沖縄県民大会では「戦争の惨禍や悲惨さを後世に語り継ぐためには軍の命令という“事実”の隠蔽は許されない。」という言葉をよく耳にする。しかし、おかしな話だ。そうだろう。そもそも、軍が命令をしたことにすれば戦争の悲惨さが後世に語り継がれることができ、軍命令がなかったとすれば戦争の悲惨さが後世に語り継がれなくなるという“理屈”が通るのだろうか。

 沖縄では、もはや「軍命令ありき」に異論を唱えることは「村八分」覚悟らしいが、「異論を排除する」「気に入らないことは言わせない」ということこそ、ファシズムの到来ではないのか。今、歴史の真実に対して真摯に向き合うことが求められると考える。

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