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キンキーブーツ    (2005)

KINKY BOOTS
107分
製作国 アメリカ/イギリス

監督: ジュリアン・ジャロルド

出演:
ジョエル・エドガートン      チャーリー・プライス
キウェテル・イジョフォー     ローラ
サラ=ジェーン・ポッツ      ローレン
ジェミマ・ルーパー         ニコラ
リンダ・バセット           メル
ニック・フロスト           ドン
ユアン・フーパー          ジョージ
ロバート・パフ            ハロルド・プライス

父親の急死で倒産目前の靴工場を相続した優柔不断な男が、ひょんなことからドラッグクイーンと二人三脚で工場の再生に奮闘する姿を描いた英国産ハートフル・コメディ。ノーサンプトンに実在する靴工場での実話が基になっているという。監督は英国のTV畑で活躍するジュリアン・ジャロルド。

田舎町ノーサンプトンの伝統ある靴工場の跡取り息子チャーリー・プライス。優柔不断な彼は、婚約者のロンドン転勤を機に、田舎を飛び出して羽を伸ばそうと考えていた。ところが、ロンドンに到着早々、父親の訃報が届く。4代目社長としてあまりにも突然に工場を引き継ぐこととなったチャーリーだったが、工場の実情は倒産寸前と判明、嫌々ながらも従業員の首切りを開始することに。どうにか工場を救おうと悪戦苦闘するチャーリーは、ひょんなことから知り合ったドラッグクイーンのローラの悩みをヒントに、男性向けセクシーブーツの開発に活路を見出すのだった…。

上記が映画データーベースの記述なのだがこれを見るのは二度目だ。 前回はテレビをザップしていてたまたま目に入ったのを観始めたら話は中盤をすぎていただろうか、ほぼ主人公チャーリーの靴工場でミラノショー出展の準備が終わったところだった。 今回は最初から観るとなぜミラノのショーで成功したのか、またその動機などが分かる仕組みになっていて、というよりそれが話のまっとうな進め方でもあるのだから当然だ。 田舎町の靴工場の四代目、というのがいい。 慢性的な経済縮小、不況に旧東欧諸国に中国から低コスト低品質の製品輸出攻勢で何もかも安手で済ますのが現代なのだからここでのシステム疲労をかかえた企業問題は特別ではない。 とくにイギリスの地方都市などを歩けばこのような100年もそのままか、というような工場があちこちにみられ、比較的ハイテクに基礎を置く企業などが町外れなどに新興企業団地として緑の中にそれらしい建物群として見られるのに対照すればその「寂れ方」を認めざるを得ないだろう。 売れなければやっていけないのだ。 

ただ、ここでの救いは技術を持った地元の社員(ここではほとんどが工員なのだから中、大企業のような事務職の首をきるような簡単なことにもできずにいる如何にも地元のオジサン、オバサンたち)をそのまま今まで蓄積してきた旧技術を使って男性向けセクシーブーツという一般消費財としてより数量は少なくとも比較的付加価値の高いところの「市場の穴」で成功した、というところにあるのだろう。 ある意味ではシンデレラ譚である。大抵がここでのフィアンセの言動にみる見込みのない企業であり、それらは現実的には売り払われる結末になりそれがわれわれが世界のあちこちの年代を重ねた生産工場に見る寂れた姿なのだ。

シンデレラは苦労しながらアンダードッグの地位に甘んじながらも仲間の動物に助けられミラノの舞踏会で彼女の女性性を王子様に認められ彼女がお城に残したキンキーな靴を媒介としてめでたしめでたしとなるのだった。 さすがに中世の御伽噺では性の錯綜は認められないものの現代である。 現代ではそれぞれが自分を探し、先天的、後天的な男性、女性性をあるべき居場所として単純な性別のなかに探せないものたちがいることはだれでも認めることだろう。 現代は、と書いたがそれは古今いづれにもあることだ。 ただ、それが表に出るかどうかという点では、宗教、文化、歴史的に目隠し、抑圧されてきたことのなかでは奇妙な、クイアー、異なもの、として扱われてきていることの現実は認められるだろう。 同性愛者、その周縁に属するものたちに対する偏見と抑圧というのは日常のこととしてある。

本作の中でも説明のあるようにドラッグクイーン、トランスベスタイト、それにゲイの区別はあるものの田舎の粗野な男たち、はてはパブ裏のフーリガンとも文化を共有する若者たちには本作の糸口になるドラッグクイーンの黒人男のサイモン(ローラ)は唾棄する存在であり生理的な嫌悪を誘う「おかま野郎」なのである。 マッチョの男たちの深部にある無意識な女性性を逆撫でするからなのだとも説明される。 そのように疎外された自己の存在は性の境を越えて社会の中でさまざまな形に錯綜し存在するのだが、ローラ(サイモン)の場合にはそれを日常の中で逆にその性を武器に、自分を体現する男用のセクシーなブーツで起死回生をはかるプロセスが一石二鳥のいけいけコメディーの体裁をとってそのテンポが見るものを浮き立たせる。

それにゲイクラブでのショーでローラの歌唱力はともかくもそれぞれの歌詞がその場で話の中に意味を持たせ、とりわけエラ・フィッツジェラルドが歌う「My Heart Begongs To Daddy」を長年愛聴していたものにはここでサイモン(ローラ)が靴工場の隅で一人うたうこの歌は心に沁みるものだ。 それに何回もあるドラッグ・クイーンたちをバックに歌うショーの部分は楽しませるものだ。 とりわけ、工員たちのなかではおばさんたち女性にはすんなり受け入れられるもののローラに抗う世間の偏見と冷たさを体現するマッチョなアームレスリングチャンピオンのドンとのやり取りは興味深いものである。

いづれにしてもここでわれわれは教訓として古くからの謂れを引く事ができるだろう。 それは「芸、ゲイは身を救う」ということだ。 真性ゲイではないようなもののドラッグ・クイーンの業界知識、デザインの芸、工員の古くから蓄積された技術、芸があいまっての成功譚、シンデレラの話である。

本作で大詰めを迎えるミラノのショーに映る場所には思い出がある。 オランダやイギリスに住んでいるとミラノの中心街ではその華やかなファッションに目を奪われる。 道行く若者から年配までの装いが日差しに映えて、それに大聖堂、ドモ内部の床の石組みの意匠と美しさに驚き広場からそこに続く豪華な屋根つきのクラシックな豪華ショッピングモールともいうべきギャラリア ヴィットリオ エマニュエル llのテラスに腰をかけて道行く人々を眺めるといまさらながらイギリスの田舎の工場からもたらされる靴の華やかさと対照されて性の区別をも忖度しないようなミラノ、パリもしくはファッション業界にも多く見られるという同性愛者、その周辺の人々にも性のファッション性において賛同を得やすいのだろうと忖度する。

本作とは赴きは多少違うもののイギリス映画で言えば労働者階級メンバーがリーダー的な主人公(群)のもと、ある種の現状打破に音楽と性のアイデンティーをも絡めてコメディータッチの作品となり、映画のリズム、フローの質が共通するのが、アラン・パーカー作、1991年のザ・コミットメンツ(THE COMMITMENTS)であり、ピーター・カッタネオ作、1997年のフル・モンティ(THE FULL MONTY)だといえるのではないか。 それに主人公の少年はゲイではないが労働者階級の町の中からゲイの友人をもち、親からボクシングジムに通わせられたのを「女のする」バレーをひそかに習い、親たちからの偏見を自分の秀でた芸で認めさせ、援助をうけ王立バレーアカデミーに入り、出世、ついには花形となる成功譚、スティーヴン・ダルドリー作、2000年の、リトル・ダンサー(BILLY ELLIOT)もこの系統に入るのかもしれない。

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