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古代〜近代迄の戦術・兵器・軍装コミュの十字軍時代

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コメント(11)

サラディンが十字軍撤退時に
キリスト教の市民を
解放したと言う意見も有るが


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%83%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3
弟が解放を進言しなかったら
身代金を払えない市民は或いは殺されていたと言う
可能性も有るかも知れぬが


http://www.kaho.biz/planta/c.html
>サラディンの弟マリク・エル・ア
>ーディルなどはリチャードの乗馬
>が疲れきっているのをみて、激戦
>の最中わざわざ極上のアラビア馬
>2頭を送り届けるほどであったと
>いう。

サラディンの弟はリチャードに
馬まで与えている
訳だろうか
http://www.geocities.com/Heartland/Acres/7288/England/richard.htm
>リチャードは、包囲されたエイカ
>ーの指導者が、降伏の合意条件の
>履行に手間取っていると、城壁に
>向かって急げと合図するため、250
>0人の回教徒の首をはねた。サラデ
>ィンはこの一件を知ると。以後イ
>ングランド王との戦闘で捕らえら
>れた捕虜を、残らず処刑するよう
>に命令した。

まあしかし身代金を払える者は
処刑していたのかどうかだが


http://www.geocities.com/Heartland/Acres/7288/England/richard.htm
>弟に全権を与えて、リチャードと
>の和平に当たらせた。当時キリス
>ト教が支配していたすべての沿岸
>諸都市と、エルサレムの半分を譲
>渡するというもので、リチャード
>は大いに喜び、1192年、わざわざ
>儀式を行って、その回教徒の使節
>の息子に騎士の称号を与えた。

弟は可也十字軍側にも
人望は有ったと言う事なのだろうか



>名高いデンマークの戦斧を振り回
>し、敵をなぎ倒し、軍を町に引き
>入れ、回教徒を一掃した。
http://en.wikipedia.org/wiki/Danish_axe
http://www.armor.com/pole024.html
http://images.google.co.jp/images?source=ig&hl=ja&q=danish%20axe&lr=&ie=UTF-8&oe=UTF-8&um=1&sa=N&tab=wi
此れは要はバイキングの斧である
訳だろうか


http://www.keesn.nl/mac/mac_en.htm
http://www1.tip.nl/~t401243/mac/mac41rB.jpg
上の13世紀の絵を見る限り
馬上で両手斧が
使用される例も
有った訳だろうか



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%82%BF%E3%83%9A%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC
http://www.asahi-net.or.jp/~cn2k-oosg/tapestry.html
十字軍直前に作られたバイユーのタペストリーにも
一応大斧は出て来るが
馬上で此れを振るっている絵は
有るのかどうかだが
http://www.geocities.com/Heartland/Acres/7288/England/richard.htm
>だが、翌日になるとサラディン側
>に援軍が来た。リチャードはまた
>病にかかったし、エイカーとティ
>ルスの騎士たちは駆けつけなかっ
>たので、彼は仕方なく和平を要請
>した。リチャードは熱にうなさ
>れ、果物や冷たい飲み物を求め
>た。サラディンはナシ、モモ、そ
>れに雪や自分の侍医まで送り込ん
>だ。1192年、9月に2人の英雄は3年
>間の休戦に調印し、パレスチナを
>分割しあった。

キリスト教徒同士の戦争で
此所迄相手を歓待すると言う事が
有ったのかだろうし
イスラム医学が無ければリチャードは
キリスト教の変な治療を受けて
死んでいたと言う事は無いのかどうかだが
(リチャードが死ねばサラディンが
 長期に中東を支配する事も
 可能だった訳だろうが)


>和平を祝って、宴会や馬上試合な
>どが催された。リチャードは帰国
>の船の乗り込むと、サラディンに
>最後の挑戦状を送り、3年後には舞
>い戻って、必ずエルサレムを取り
>戻すと約束した。サラディンは、
>もし手中の領土を失わなければな
>らないとしたら、誰よりもリチャ
>ードに奪われたいと答えている。

リチャード対サラディンの馬上試合等は
行われたのかどうかだが
http://www.geocities.com/Heartland/Acres/7288/England/richard.htm
>1194年、国民の多額の税金を身代
>金に、ようやく釈放、自由の身に
>なると、リチャードは急遽イング
>ランドに戻り、資金と兵士を徴発
>し、フィリップに対する私怨とイ
>ギリスの復讐のために、軍を率い
>てフランスに渡った。そして、フ
>ィリップに奪われた領土をことご
>とく取り返し、和平を結んで、フ
>ィリップの命を助けた。

フィリップを助けたのは
中東に戻ってサラディンと
再戦する為だった故と言う事は
無いのかだろうし
そうで無ければ仏は英に
支配されていたかも知れぬし
独も捕虜と成った報復で
やられていたと言う可能性も
有るかも知れぬが
(中東で勝利した後で
 独仏は倒す予定だったと言う事かも
 知れぬが
 焦土戦術を続けるサラディンには
 勝てたのかどうかだが
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%83%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%B3
 サラディンは1193には死んで
居る訳だろうし
 サラディン死後ならリチャードが
 優勢と成った可能性も
 有る訳だろうし
 短期で勝利して欧州に戻り
 独仏も倒し欧州全土を支配したと言う可能性も
 有るかも知れぬが
 欧州・エルサレム支配後は何処かを更に
 狙うと言う事は有ったのかだが
 彼の寿命や後継者と言う問題も有る訳だろうか)
>弟は可也十字軍側にも
>人望は有ったと言う事なのだろうか

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%AB
>第三回十字軍の総司令官・リチャ
>ード1世と交渉して、和睦を成立さ
>せたのはアーディルの手腕による
>ものである。しかしそのため、兄
>からその有能さを警戒されて、兄
>の存命中はあまり重用されなかっ
>たと言われている。

サラディンも彼の有能さを
警戒していたと言う事なのだろうか


>兄の死後、兄の遺児たちによる権
>力闘争が始まると、アーディルは
>これに巧みに介入して兄の長男で
>あるアル・アフダルを追放したう
>えで、1202年にスルタンとして即
>位した。即位後は西欧諸国との融
>和や十字軍との休戦協定の延長、
>ベネチア共和国との交易による経
>済交流など、アイユーブ朝の平和
>と発展に尽力した。

>しかし1218年、第五回十字軍の侵
>攻によって平和は破られた。そし
>てアーディルは、ダミエッタでの
>アイユーブ軍の敗報を聞いたショ
>ックから心臓発作を起こして、ま
>もなく死去したと言われている。

軍事能力は余り高くは無かったと言う
事かも知れぬが
発作を起こしたのは年齢的な問題も
有った訳だろうか
>これに巧みに介入して兄の長男で
>あるアル・アフダルを追放したう
>えで、

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%95%E3%83%80%E3%83%AB
>1193年、父が死去するとその遺領
>は他の兄弟たちによって分割相続
>されることとなり、アフダルはダ
>マスカスを相続した。しかしアフ
>ダルは暗愚で、政治を家臣に任せ
>て自身は酒に溺れたと言われてい
>る。

サラディンの長男と言うのは
無能だった訳だろうか


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%BA
弟のアジーズがスルタンに成ったのは
サラディンがアフダルを無能と見ていた故と言う
事かも知れぬが
アジーズはサラディンの弟の
アーディルに暗殺されたと言う事は
無いのかだが
http://mphot.exblog.jp/i21
>シリアでは、サラーフッディーン
>の没後800年を記念して、ダマ
>スカスの旧市街の城壁の外に騎馬
>姿のサラディン像を建造した。

>雄々しきサラディンはダマスカスの
>城門の前でイスラームの人々を守るかのようにたつ。また、身体は南
>に向きながら顔の向きと視線はやや西にそれていて、彼が生涯をかけ
>て守ったアル・クドゥス(エルサレム)を見据えているかのように私
>の目には見えた

英のネルソンの像が仏方向を向いて居ると言う様な
事も有っただろうが
西欧に向いているのでは無く
エルサレムに向いているというのは
西欧よりイスラエルを敵視していると言う
事なのだろうか
(矢張りエルサレムをイスラエルから
 奪還したいと言う
 シリアの思いの現われなのか
 どうかだが)


>また、以前にイスラーム都市カイ
>ロのテレビでの扱いについて紹介
>をした。その中でサダカにより病
>院や学校・モスクの運営費にあて
>たという話が出てきた。
> 実はサラディンはアイユーブ朝
>を作ったところで無料の病院など
>のしくみを作り始めている。。十
>字軍との戦いで本拠地のカイロを
>離れていることが多く、墓もシリ
>アにあるわけだが、彼はカイロと
>いう街に頑丈なシタデルとモス
>ク、そして人々の間にはサダカの
>精神を残したということになる。

この無料の病院と言うのは今は
有るのかどうかだが
サラディン以前には有ったのか
どうかだが


>サラディン廟にヴィルヘルム2世
>が大理石の棺とシャンデリアと金
>属製の花輪を贈っている。これ
>は、当時のパン=ゲルマン主義に
>関係する政治的な動きの一環と考
>えられる。しかし、民族主義のヴ
>ィルヘルム2世がここまで手の込
>んだ重い贈り物を持ち込んだ真意
>は何だったのだろう。不可解な気
>がする。

サラディンはアーリア人であるから
花輪を贈ったと言う
事なのだろうか


>だが、ロレンスはこの時、ヴィル
>ヘルム2世が置いていった金属の
>花輪を持ち去っている。


> 歴史資料としてなのか、戦利品
>としてなのか?アラブの英雄サラ
>ディンにドイツの贈り物がふさわ
>しくないと考えたのだろうか?ド
>イツ・トルコを敵として戦ってい
>た第一次世界大戦のときである。
>ロレンスは何を考えていたのか興
>味深い。

此れは矢張り後者と言う
事なのだろうか
http://mphot.exblog.jp/i21
> ・・・・しかし、これほどの勝
>利・成功にかかわらず、サラディ
>ンはやつれていった。諸侯に対す
>る権威も衰えがちになり、身体も
>ますます弱っていった。じつはサ
>ラディンはフランクとの困難な苦
>渋に満ちた闘いの日々において
>も、しばしばマラリアの発作に襲
>われていた。

サラディンもマラリアでやられたと言う
事の様だが
リチャードの罹った熱病と言うのも
マラリアだったと言う可能性も
有る訳だろうか


> この大理石の方は1898年に
>ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世から贈
>られた棺である。

棺迄ウィルヘルム2世は
贈っていた訳だろうか
(木の棺を見て此れでは
 余りに質素とでも
 考えたのだろうか)


> 「この世には金が砂粒ほどにも
>大切でないと考えている人間もお
>るのだ」とサラディンはいい、富
>と贅沢を避けていた。サラディン
>を知るものならこの木棺のほうが
>より彼にふさわしいことに気づく
>だろう。

>そして、生涯自らはとうとうスル
>ターンを名乗らなかったサラディ
>ンの木棺に現代の人々は
>「スルターン、サラーフ・アル・
>ディーン・アイユーブ の墓 1
>193年」と解説をつけている。

まあしかし子供には
スルタンを名乗らせたと言うのは
無能ゆえに権威が無いと
国を纏められぬと考えた故なのか
どうかだが
サラディンは子供をスルタンにする意向は
有ったのかどうかだが
http://mphot.exblog.jp/i21
>エルサレム陥落後、命を補償され
>た兵はどうしたのか?
>あるものはティールやアッカーに
>いき、そこで立て籠もり、あるも
>のは、ヨーロッパの故国へと帰っ
>ていく。こうして帰還した兵およ
>び一般の市民は、公平で寛大なサ
>ラディンという人物について伝
>え、それは騎士道の精神に満ちた
>人物像として伝説化していったの
>である。

騎士道と言うのはイスラムの模倣と言う
意見も有っただろうが
サラディンの影響と言うのも
有ったのだろうか


>さらに、ドイツ皇帝フリードリッ
>ヒ・バルバロッサが20万人以上
>の軍を引き連れてやってくる。サ
>ラディンは身構える。

まあしかしバルバロッサでも
サラディンには
勝てたのかどうかだが



>このリチャードはサラディンの弟
>アル・アーディルを使ってサラデ
>ィンに接触を試みたり、アルアー
>ディルの野心をくすぐり、サラデ
>ィンと対立させようとはかった。

アーディルもリチャードと組んで
サラディンから権力を奪う事を
考えて居たから
キリスト教の捕虜を殺さない事を
進言したり
リチャードに馬を送ったと言う事は
無いのかどうかだが



>フランクの戦士たちは平和条約
>後、サラディンから許可証をもら
>い、キリストの墓に詣でて帰って
>いった。サラディンはその中の主
>だったるものを丁重に迎え、食事
>にも招いて、『信仰の自由を守る
>固い意思』を彼らに請け合う。た
>だし、リチャードは征服者として
>ではなく客として聖地に行くこと
>を良しとせず、聖墳墓教会にもお
>もむかずサラディンにもとうとう
>会うこともなくこの地を去ってい
>った。

征服者としての態度を
リチャードは崩さなかったと言う
事なのだろうか
http://mphot.exblog.jp/i21
> 町の住民はサラディンがこれま
>でそうであったように、自分たち
>の命を救ってくれると期待してい
>る。それがかなわぬなら、町に火
>をかけ、モスクを破壊し、捕虜を
>血祭りに上げ、徹底抗戦するとバ
>リアンはいいつつ、やはり住民の
>命乞いをする。

まあバリアンも
高位の騎士だけ助かれば
良しとは考えなかったのかだろうし
金を払える者迄サラディンは
最初から処刑しようと
考えて居たのかどうかだが


>バリアンはヒッティーンの戦いの
>際、敗北直前にヒッティーンを去
>って、ティールに難を逃れてい
>た。しかし、エルサレムに残した
>妻の安否が心配で、なんとサラデ
>ィンのもとを訪ねて、妻を捜すた
>め町に入ることを願い出たのだ。
>?武器を持たない、?エルサレム
>で一夜しか過ごさない・・・とい
>う誓約をしてそれは認められた。


>これも、サラディンが寛容な人物
>であることが広く知られていたか
>らに他ならない。

まあ矢張り他の人物にこの様な事等
願い出る事自体無い訳だろうか
今日はちと疲れたし
量も多く成ったので
一旦切るとしたいが
一週間以内には
再度書き込みを
始めたいと思うが

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