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”出会う人みな、仕事の先生”コミュの【教訓】今の時代に、自分たちの生きてきた爪跡を残したい/「出会う人みな仕事の先生」より

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(☆掲載文章の無断転写、無断掲載はご遠慮ください)
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この文章を紹介するたびの、ここに登場する真田哲弥さんは「内海さん。いつまでも天才学生起業家」というのは止めてください。もう40のおじさんですから・・・」と笑っていますが、私の中には20才頃のピチピチした彼らの姿しかありません。

私が中華料理店を辞めて株式会社テンポラリーセンター(現株式会社パソナ)に勤め始めた頃、大阪のベンチャー企業の学生社長と出会いました。

私にとっては衝撃の出会いでした。昭和60年の話です。
第一印象は「よくしゃべる学生だな・・・」でした。

とにかく、しゃべり続けていました。

大阪の西中島南方(にしなかじまみなみかた)という地下鉄の駅があります。そこに彼の事務所がありました。

この大学生社長を真田哲弥(さなだてつや)さんといいます。


ライオンズマンションの一室のワンルームが事務所です。

事務所には、彼以外にも二人の学生がいました。

この二人の大学生とも、これをきっかけに長い付き合いが始まります。

一人を西山裕之(にしやまひろゆき)さん、もう一人を加藤順彦(かとうのりひこ)さんといいます。

ここに登場する三人は17年後、日本のネットベンチャーの世界で一世風靡するとは、当時私は夢にも思いませんでした。

時々、彼らの会社に訪問し、その仕事ぶりを見学していました。

私の仕事は営業担当でしたが、生まれて初めての営業職で、何をどうやればよいのか判らず、迷っていました。

そんな時に出会った、彼らはとても興味深く見えたのです。

まだ二十歳そこそこで、立派にオートロック付きの高級マンションを事務所に持ち、自分達のアイデアで事業を興していました。しかも現役大学生。

私には信じられませんでした。

この学生起業家「真田哲弥」さんのお話をします。

彼は、関西学院大学の経済学部の学生でした。私は地元ですが、関学の経済学部は非常に優秀です。高校は奈良県の進学校だったようです。

彼の高校生時代の話を大変面白く聞かせてくれました。

彼の高校は制服があったそうですが、学校の行事の時に着るくらいです、普段は私服です。

それなのに、毎年新入生は高い制服を買わなければなりません。

彼は、「これは変だ」と思いました。そして、そう思っただけではなく、ある行動します。

卒業間近の3年生の先輩から、中古の制服を譲り受けることにしたのです。

ほとんど着ていませんから新品同様です。

入学式後の新入生の制服購入の日、彼は手前の教室で待ちうけ、先輩から譲り受けた中古の制服を格安で売って行きました。

その後、この事は学校に知れる事となり大きな問題となります。「高校生が校内で商売をするなんてとんでもない!」

しかし、PTA側は、こんな良いリサイクルシステムを反対するのは理解できないと反論が出て、結局翌年から学校側でこのシステムを導入する事になったそうです。

また、彼がゴルフ練習場にアルバイトに行った時の話です。

ゴルフボールを集めてくるアルバイトです。同じ仕事をするアルバイトは3人いました。

彼は、他のアルバイトがなんとなくダラダラ仕事をするのを見て、社長に言いました。

「私以外のアルバイトを辞めさせて下さい。

そして、私が3人分の仕事をしますので、給料を2倍にして下さい。」

おそらく、そのゴルフ場の社長は驚いたと思います。

彼はどうしたかと言うと、家庭菜園用のプランターという白い箱を練習場の手前の溝にはめ込み、運動場の整備に使う「トンボ」というT字型の木の道具を使って、上からゴルフボールを掻き出し、下のプランターに溜めて行きました。

そうすると、今まで長い時間かけて集めていたものが、アッという間に終わってしまったのです。

それを見ていた社長は思わず、社員にならないかと勧誘したといいます。

そんな、事業家としての素質を持った彼が始めた事業・・・それは「合宿運転免許」の生徒募集事業でした。

私が彼らと会った時、この事業が軌道に乗りつつあるところでした。

彼が運転免許を取りに合宿に行った時の事です。毎日のカリキュラムは決まっていて、学科は一日何時間、実習は何時間と決まっていました。

一日のカリキュラムが済むと、何もする事がなく退屈で退屈でつまらないものでした。

彼は考えました。この暇な時間帯を何か別のことで楽しめるメニューをつくれば退屈せずに済むはずだ。

彼は、実習そっちのけで、合宿が楽しくなるようなテニス場やカルチャー教室、英会話教室等々に営業して回ったのです。

彼は「テニスのレッスンを受講しませんか?

同時に運転免許もついてきます。」というような学生の心をくすぐる営業方法を考えました。

全国の合宿免許学校に営業し、その周辺の文化教室の情報を集めました。その合宿運転免許学校の生徒募集の営業を高校生や大学生相手に始めました。

このアイデアは大当たりし、事業として順調に伸ばしました。

私が彼らと出会った時は、すでにその事業は億の単位まで成長していました。

その後、彼はこの事業を人に譲り自ら東京に進出し、通信分野の事業を始めます。

この事業も急成長し、創業わずか一年で年商10億円の規模まで拡大してゆきます。

しかし、この通信事業は失敗し、数億の負債を抱えて失敗してしまいます。

その後、彼は地下に潜ってしまい音信不通になってしまいます。

それから10年後再び颯爽と登場する事となります。

携帯電話のi−modeのコンテンツ会社である、株式会社サイバードの副社長として戻ってきました。

サイバードは平成12年に上場を果たします。

現在は、株式会社クラブという携帯電話用のOS開発会社の社長として大活躍しています。

携帯電話のマイクロソフトを目指すと、彼の鼻息は荒いです。

17年前に大阪のワンルームマンションで会った、もう二人の大学生はその後どうなったのでしょうか?

その一人の西山裕之さんは、現在、株式会社まぐクリックというインターネットを利用したのマーケティング会社の社長です。

彼もまたナスダックジャパンに上場を果たしました。

一方の加藤順彦さんは、現在「株式会社日広」というインターネット広告の代理店を経営する社長です。

そして、この日広もインターネット広告代理業では電通を抜いて日本一の企業となりました。

私は、17年前に、初めて彼らと会った時の事を忘れません。本当に澄み切った瞳と、夢と希望に満ちた彼らから教わったものは何だったのでしょうか。

私も中華料理店を辞めて、生まれて初めてのサラリーマン生活。私も少々出遅れましたが同じ新人でした。彼らは、私にとって師匠だったのかも知れません。

真田さんが大阪で経営していた会社の社名は「株式会社リョーマ」という社名でした。

リョーマ・・・それは坂本竜馬です。

自分たちが、時代を変えてゆく・・・そんな心意気をもった大学生たちでした。

設立日は11月15日。坂本竜馬の誕生日であり命日でもあります。

彼らと話をしていていつも思うことは・・・

どれだけ儲かったとかではない。

どれだけ有名になったではない。

どれだけ働いたかではない。

自分たちが時代を変えて行く・・・ということでした。

自分たちがいなければ、この世の中がだめになる。

そのために自分たちは生まれてきた・・・

そんな連中でした。

私が彼らから教わったもの・・・それは、「自分達の人生は自分達のもの。自分の人生を楽しもう」という事でした。

彼らは、大企業の社員でもありません。

誰かに経営や帝王学を学んだ訳でもありません。

また通信関係の技術者でもありませんし、マーケティングのプロでもありません。

そして、大金持ちの子息でもありません。

彼らには、何もありませんでした。

しかし彼らは、その何も無い事が一番の武器なのかもしれません。

彼らと話をしていて、思う事があります。

何も無いので、先入観もなく自由奔放な発想ができるのです。

そして、何もないので夢をもって行動を起こせるのだと思います。

「何も無い事」は、以外と偉大な「財産」なのかも知れません。

なぜなら「何もない事」からこそ、すべてが「生み出す事」にエネルギーが集中してゆくのだと思います。

そして、「何もない」ということは、「なんでも出来る」ということでもあります。

「なんでも出来る」という自分たちの力を、今の時代に自分たちの生きてきた爪跡を残すという大儀につながりました。

今、他との比較でしか自分の価値を想像できない時代のなかで、損得ではない自分の意気を世に問うという生き方に感動したものです。

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