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シュタイナー言語造形ことばの家コミュの根気 〜『いかにして人が高い世を知るにいたるか』 実践的な観点その1

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日々、仕事をしていて、生活をしていて、いろいろなことが起こり、
そのたびごとに、様々にこころが動きますし、動かされもします。

シュタイナーが書き残してくれた本は日本語になっているものだけでも、
おそらく百冊は超えていると思うのですが、
良かれ悪しかれ、こころが動いてしまってどうしようもない時、
そういう時こそ、
わたしはこの『いかにして人が高い世を知るにいたるか』(鈴木一博訳)を開きます。
http://www.seikodo-print.co.jp/products/sub_36.html

特に、「実践的な観点」という章は、
瞑想のための特別な時間の中で取り組む事柄が書かれてあるというよりも、
日常のどの時間でも気がついたときに思い起こしたい、思いを深めたい事柄について書かれてあります。

特に、外的な生活からの影響でこころが揺れ動いている時こそ、
わたしはこの章の文章に繰り返し戻っていきます。



大阪の水曜講座でその章をこの7月に読み終えました。

ここに、順に、その章にいかなる事柄が書かれているかを述べていきたいと思います。

お付き合い下されば、嬉しいです。


******************************************


そこには、
育みたいおのれのこころのありようについて、
12の小さな教則が述べられているのですが、
そのすべてに通底する根本のことは、
【根気】を育むということです。

この本で述べられている「密(ひめ)やかな学び」に、
もしあなたが取り組んでみたいのなら、
何はなくとも、安らかに学びを続けること、
待つということそのことを学ぶこと、
そのことがあなたを根底において養い、育むだろう。

まず、そのように述べられています。

ここに言う「密やかな学び」とは、
情、考え、気分、そのような内なるものにおける養いのことです。

そしてこの学びは、みずからがみずからに重ねてする養い、育み、行為です。
他の誰からも勧められませんし、
当たり前のことですが、代わってやってくれもしません。
いつ始めるか、やめるかは、その人の自由に任されています。

つまり、ひたすら、
「わたし」はこれを本当にしたいのかどうかを、
常にみずから問いながらする意識的な行為です。

「密やかな学び」の最も根本において、
そのように自分の意志から始める(イニシアティブ)ことが大切なのですが、
それと共に大事なこととして、
【根気】を持つことがまずはじめに挙げられています。

   わたしはこころと精神の養いに向けてすべてをする必要がある。(p.123)

もし、あなたが、そう考えているなら、
少なくとも、そう感じる質(たち)ならば、
次のような考えにみずからを沿わせてほしいとあります。
 
   わたしはまったく安らかに待とう。
   わたしが高い力によって、定かな照らしにふさわしいと見出されるまで。(p.123)

安らかに続けていくこと。
急くこころからは、実は、何も得られないこと。

このように、
自分からすべてを始めていくということと、
なおかつ、安らかに待つということとが、
「密やかな学び」における根本の大切な両面なのです。

このふたつの行為が、わたしの「わたし」を強めてくれます。

このふたつのこころの行為によって、
わたしのまなざしが安らかになるでしょうか。

わたしの動きが確かになるでしょうか。

こころを決めることが定かになされるでしょうか。

神経質と呼ばれるところが、わたしからおもむろに退いていくでしょうか。

これらのことを、
日常の生活の中で、ことあるごとに、確かめていきたいのです。



倦まず弛まず、長期間をかけて、励むこと。

何事もそれがすべてではないですか。

それ以外のどんな方法があるのでしょうか。

コメント(7)

自分からすべてを始めていくということと、
なおかつ、安らかに待つということとが、
「密やかな学び」における根本の大切な両面なのです。

このふたつの行為が、わたしの「わたし」を強めてくれます。

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わたしは、常に自分からすべてを始めてきた。これにはいささか、自信があります、、、

しかし、わたしの心はやすらかでなく、待つことは苦手です、、、

やすらかに待つことと、自分からすべてをはじめる情熱、、、

これをどうやって、持ち合わせるのか?

炎のような自分と、水のような自分が共に自分であるために、どんな方法があるのでしょうか?


わたしの「わたし」、、、ですね、、、
>C62 hikaruさん

hikaruさんもそうですか。やはり同じく辰年の射手座生まれ・・・ダッシュ(走り出す様)

わたしも常に自分から始めてきました、というよりか、
自分から始めたものしかものにならなかった、と言いますか・・・。

わたしの場合なんですが、
言語造形という芸術にたずさわることを通して、
その炎のような自分に、
水のようなある種の冷ややかな目を持つことを学んでこられているような気がします。
17年経っているんですが・・・あせあせ(飛び散る汗)

どんな種類でも当てはまるのではないかと思うのですが、
芸術というもの(仕事という仕事)こそが人に、
そのような人としてふさわしい両面性・バランスをもたらしてくれるのではないかと・・・。

「やすらかに待つことと、自分からすべてをはじめる情熱」

おそらく、現代人にとってある程度共通するテーマではないでしょうか。

hikaruさん、コメント、どうもありがとうございます!
そして、C62 hikaruさん が、

「やすらかに待つことと、自分からすべてをはじめる情熱、、、
 これをどうやって、持ち合わせるのか?
 炎のような自分と、水のような自分が共に自分であるために、どんな方法があるのでしょうか? 」

と問いを立ててくださったことに関しまして、もう少しだけ述べさせてください。

その問いに対してこそ、
シュタイナーは『いかにして人が高い世を知るにいたるか』という一冊の本を書いたのだと思うのです。

本を読むことと、瞑想を続けること。
そしてそのために日々、こころの準備を重ねていくこと。
(その準備につきましては、この「実践的な観点」で述べられています)

これらの行為を続けることによって、
高い世を知るにいたるのだと。

高い世を知るとは、すなわち、おのれを知ることなのだと。

いずれにしましても、
根気を要する長い道のりだなぁと思います。

前の文章にも書きましたが、
長期間をかけて打ち込んだものしか、
人のものにはならない、そう確信します。
>おたかさん

コメント、ありがとうございます。

C62 hikaruさんは、ひとりの人として、誠実な問いを立てておられます。

人は高いところから我がありようを見渡せる時もあれば、

どうあがいても地を這いずり回らざるをえないような時もあり、

人であるかぎり、誠実であり続けるならば、

両方の状態を持ち、両方の状態を行き来しながら、

どうにかバランスをとって生きていく存在だと愚考します。

だからこそ、みずからという存在にこそ、

いつも問いを立て続けていくこと、

そのことがアントロポゾフィーの学びの核心であります。

「今生の意味」

それを徹見しましても、

人は、それでも、それでも、時に、迷うものでして、

何度でも、問いを立て直し、そのたびごとにみずからに問うことが、

人としての誠実なあり方に思われてしようがありません。

C62 hikaruさんは、悩んでおられるのではなく、

誠実に問いを立てられたということだと直感しています。
そっ、そーっすね、、、

「わかった!」、と思って嬉々とすることもあり、、、

まったくわからなくなった、と落胆に暮れることもあり、、、




でも、思うのですよ、、、

確かに、長い時間をかけて何かを変容させることが道であることと同時に、、、

一瞬にしてすべてが変わってしまう、奇蹟のような瞬間もある、、、

外側は何も変わっていなくとも、自分でも気づかないうちにものすごい変化が、地底のマグマがうごめくようにして起こっていることもある、ような気もして、、、

たとえば、こうして今、パソコンに向かって活字を打ち込んでいる、という行為、、、

何かわけのわからん思いを、どうにかして形にしようとしていること、、、

これが、実は、この宇宙全体が変わってしまうくらいすごいことなんじゃないか、と、、、



わたしの「わたし」は、そのようにして、宇宙に働きかけているような気がします、、、
>C62 hikaruさん

  「でも、思うのですよ、、、
   確かに、長い時間をかけて何かを変容させることが道であることと同時に、、、
   一瞬にしてすべてが変わってしまう、奇蹟のような瞬間もある、、、 」

ほんと、そんな瞬間こそ、恩寵だし、奇跡だ。
そう思います。
自力よりも遥か奥底で大きな他力が働いてくれていることを感じることができる貴重な時間。

また同時にこうも感じます。
一瞬にすべてが変わる、この奇跡のような時間のうしろに、
自力を尽くす長い時間の積み重ねがあること。

人は誰しも、意識する、しないに拘らず、一生懸命自分の人生を生きていて、
この人生の時間そのものが、修行の時間であること。

誰に知られなくてもいい、
どんなことでもいい、
自分のやりたいことをひとつ、
安らかにやりつづけること。
(ここでは、そのひとつを読書もしくは瞑想として、シュタイナーは提示しています)

その積み重ねが、ひとつの奇跡の時間を生むような気がするのです。

C62 hikaruさん、ありがとうございます!

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