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ダンテス・ダイジコミュの皆様にご意見をお伺いします。

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ダーツさんと鬼雷さんの論争以下のけなし合いについて、以後、お二人だけでメッセージ上でやってくださいとお願いしたにも関わらず、公の場でまだ続けていることについて、管理人の権利を行使して、強制退会を含む、書き込みの削除等、やむを得ぬ処置について、反対の方はいますか?

お二人のやり取りをやめさせてくださいという参加者からのメッセージを複数いただいています。

コメント(83)

>>[43]

いらっしゃいませ。管理人です。ご意見ありがとうございます。

いつもこんな感じというわけではないんですよ。すいません。

エブリスィング is OK!は、確かに究極的にはそうなのかも知れませんが、それは最後の切り札で、この現世では、そう簡単にも行かない…、まあ、それも私の制限だと言われればその通りかも知れませんが。

何でもOK!ということになると、政治も警察も無くなっちゃう。そのとき私たちはそれを望んでいるかと言うと…、どう思います?

神としては何でもOK!でも、人間としてはそうでもない、その極と極を行ったり来りたりという気がします。

まあ、何にも分からないんですけどね、私は。分からないなりに、基準も無く、そのときそのときの判断で管理人をやってます。
>>[33]

普段ここまで踏み込みません

機雷さんが危ないと思ったので
心配で、書いたまでです
先に何も無いので

そして、
機雷さん
本来の機雷さん自身について
なんら批判もありません

こういう場で出たこともまた
良いかなと思います

繰り返しますが、
機雷さんを攻撃してません

危険な殻に
打ち込まざるを得ない
と思ったからです


>>[36]

あぁ、よかった

下は、余計ですが

途中の22の書き込みかな

それは、
機雷さんが入った枠
自分自身の告白です

威を借りる前の自分で
瞑想せねば

正直さ は、無いでしょう

でも、
よかったです
>>[46] 、
多くの大人は、天の才を虫する。

ダイジの元には、ダイジの瞑想大国を体現される存在は、皆無てした。ちづをが、唯一の国と見入り、瞑想を指導されたのは、永遠の真実でございます。

知っていますか。ダイジの志は、真なる瞑想国を造ることであったのです。
>>[47]

「虫する」は、「無視する」ですか?

「ちづお」は麻原彰晃のことですね?

すいません、多くの人が見ています。もう少し分かり易くお願いします。
>>[46]

岩永さんも同様です。

「あぁ、よかった」は、何に対しての「よかった」ですか?

単なる個人的感想の吐露だけでは読んでいる方には分かりません。自分に向けた日記ではないので、もう少し分かり易くお願いします。
>>[49]

誰かに理解してもらおうと
思ってませんし
他の受け手が受け取るものは
きっと違うと思っているので
なんとも、、、

安堵したからです

大丈夫かなと

やっと生身の機雷さんと
はじめまして出来たからで

本心で、今いる場所の
ところに触れたかもと
思えたからです

本当は、もうちょっと
違いますが 感覚的なことなので



>>[47]

はい、冥想を基盤の基とした
ところは、存じています

個人的には、
純粋冥想を基準とした
文明の真ん中に置いた

そつない個人というか
あるがままの人々が
それぞれの役割をする

それぞれが
純粋冥想であるために

けれど、、
なかなか難しかったと
思います

ダイジは、正直さの
度合いが足りないと
確か書いてたと思いますが

まさに、その正直さ
は、その人の本当に今いる場所から
始まる 話とは思いますが

そこに至っていないと

多くが真理酔いして
今いる場所から
ズレているように思えます

それが、
悪影響としての1つと
思いますが

「すべてが無いんだ」

「すべてが全てなんだ」

ということを語る覚者たちの
言葉は、

その人たちにとっては、
そうですが

分離した自己を社とする
自我にとっては
違うものですが

結果、喧伝することと
なったかもしれません


なので、
「本当のその人らしさ
本当のその人の今足のあるところ」

からズレてしまうかも
しれません。

個人的には、
ダイジは、悟りを
メインテーマとは語っておらず

「自分らしさ」

をテーマにしていると
思います

それこそが、
純粋冥想に通じた後にも
歩むこととなる

自分自身の道であるから
ではなかったかと
思うからです

ちょっと脱線
したかもしれません。

>>[50]

誰かに理解してもらおうと思って書いているのでなければ、こういう場で書くことの理由は?

安堵したのであれば、「ああ、安堵したな。」と感じれば良いのであって、「あぁ、よかった」と書く以上、読み手を前提しているわけです。読み手を前提しておきながら、「別に理解してもらわなくても良い。」というのはどうかと思います。書く以上は何かを伝えたいんだと思います。であるならば、伝わるように書く努力をするものだと思いますよ。

受け手が違ったものに受け取るというのはその通りです。
ですが、だから説明する必要は無い、ではなくて、説明を尽くして、それでも違って取られるのは仕方ない、と、そこで初めて言うことだと思います。

みんながみんな、ただ、しゃべりたいことをしゃべって、「別に理解してくれなくてもいいよ。」では、ここがただの個人的感情や鬱憤の吐き溜めの場所になるだけです。
>[52] じみーさんへ

ボク自身の感想としては、「ソフトに荒れているコミュ」という表現になります。

まぁ、メンバーさんの意見を集約して、総合判断されるしかないという、当たり障りのない言葉を言うしかなくなりますが。

2ちゃん、5ちゃんでもタイトルから外れて、特定の少人数が罵り合っている姿はよくありますが、ここがスピ系だから余計にややこしいのか、ネットでよくあることの一つなのかはまだ見抜けないところです。

「管理人権限での削除等」は必要かもですね。
>>[53]

コメント52への返信になっていますけど、特にそういうわけではないですよね?その前のやり取りへの返信でしょうか。

2ちゃんねるは、検索でたまたま出て来ちゃったとき以外には絶対に見ませんが、あそこは主に、ケンカをすることが好きな人が初めからケンカ目的で参戦するとこじゃないんですか?それは論外ですよね。

こういうスピリチュアル系が荒れるのは、やはりスピリチュアル系だからこそで、スピリチュアル系に限らず、哲学・思想系も同じですよね。あるいは、政治も、とにかく、「思想」とつくものは。
何故それが荒れるかと言うと、それは世界観だからで、私たちはみな、何かしらの世界観の上に立って生きていて、それが、生きる上での指針、基盤となるので、それが否定されると、自我が揺さぶられて不安定になる。最終的には世界観喪失、それは、自我がそのよって立つ基盤を喪失するということ、つまり、自我喪失、あるいは自我崩壊、これを自我はもっとも恐れるわけで、何としてもこれを死守したい、何故なら、自分は安泰でいたいからで、だから、否定して来る相手を激しく攻撃し、自分の自我の生存を守るわけですよね。ですから、思想系は荒れるわけです。

自分の基盤を脅かされたくない、守りたいのであれば、わざわざこういう危険な(笑)場所に出て来ず、誰とも話さなければ良いのに、自分の立っている基盤が正しいことを証明するために、自分の世界観を正しいと言って賛同してくれる人を求めて、自分の世界観を披露し、称賛されれば、「やっぱりこれでいいんだ。」と安心し、否定されれば反撃に転ずるわけです。それは、自分の立っている基盤が本当に正しいかどうか確信が持てないからです。つまり、全ては不安だからです。

哲学者と言われる人たちが、自分の著書を出して、自分の世界観を世に問うのも、世界中の人たちに「あなたの世界観は正しいですよ!」と言って欲しいがためかも知れませんね。全ての哲学者がそうというわけでもないでしょうが。


何が始まりだったかを気にする事なく、今回のこのコミュニティでの一件は何だか僕の内側で波立って揺すぶりをかけてくれました。

思いもよらぬ方向へと進む話にエキサイティングな感覚すら覚え、それぞれの人の多様なあり方とそれぞれの現在のありように見とれるようでもありました。

自分の足元をもう一度確認しようと思えた出来事でした。

読み手として、僕の意見です。

ダイジの講話の中に本には客観性がないと言う部分がありましたが、書き出されたあらゆる文章を通して揺さぶられる僕のエゴやら何やらが鏡写しのように見えた気がします。

ありがとう御座います。
>>[54]

「このトピックに対する書き込みという意味で、外れた内容が多いという印象受けた」
というのを、(皆さんに見える以上は全員ですが、)じみーさん宛に書いたつもりでした。

じみーさんがズレたことを書いていると思ったりとかではありません。
言葉足らずですみません。
>>[56]

あ、「タイトルから外れて」というところに重きがあったんですね、荒れているというところではなく。勘違いしました。

では全然見当外れな返信になっちゃいましたね。

私が言われたと思ったのではなくて、コメント52への返信になっていますけど、52との直接の関連性が見えなかったので、52への返信ではないですよね?とお聞きしただけでしたのでお気になさらず。
>>[51] 、なるほど、あなたの言の葉には、すこし、長めでありますが、真理を追求されておられると、あなたの友が言っておられましたが、然り。
>>[52]

鬱憤の掃き溜めには
なってないと思います

言論的な理解の場ではなく、
例えば、禅の世界もそうですが、

あの話を理解できますか?
わけわからなくないですか?

そこには、
理解なんて関係ないものが
応酬されています

禅の世界では、
師が触れさせたい 位相があり
弟子に、その層に近接させようと
するかもしれません

そこには、一般的な
言論的なやりとりにはない
ナニカがあり
一般的な理解に落とすと
逆にわけわからなくなります

そのようなものと
理解してます

確かに、一 対 多
の語り合いの場でオープンに
話すことではないので
わかりにかったのであれば
すみません

だけれど、わかりうるものでも
なかったのかもしれません。
>>[59]

僕も、コミュニケーション
できて良かったです

失礼な面があれば
すみません

それでも、ありがとう
ございました(^○^)ノ

今回の地球にこれて
良かったです(^○^)
>>[55]

なんだか、素晴らしいですね!

シェアをありがとうございます(^○^)
>>[60]

うーん、非常にがっかりですよ、私は。

ご自身言っているように、禅の世界は初めから言論的な理解の場ではないじゃないですか。
そういう世界で理解とは関係の無いやり取り、応酬がされているのは当たり前の話で。

でも、ここは、そして、岩永さんが鬼雷さんに投げかけた「あぁ、よかった」という言葉は、言論的な理解の場…、いや、そんな難しい言葉を使うまでも無い、日常的な会話の世界のことでしょう?

そもそも分野や目的、場の違う世界のことを持って来て、「ほら、あの世界でもそうだけど…、」っていうのは、違うレベルや違う世界のものを同一のものとして扱えるものとして論じるっていう、言うなれば、まあ、気を悪くする言い方で申し訳ないですが、こういうのを屁理屈って言うんですよね。

がっかりというのは、覚醒体験をされた岩永さんのような人が、このような、私からすれば、見え見えの、反論のためでしかない次元の低い屁理屈を言うということが、がっかりだってことです。

次元の低いっていう表現も次元の低い表現ですが、そんな自己欺瞞にも気付かないのかな?残念、ってことです。

禅には確かに、一般的な言論的なやり取りには無い「ナニカ」があるのでしょうが、岩永さんの「ああ、よかった」に、その「ナニカ」があったんでしょうか?

一対多の場だから、他の人にも分かるように書くべきだってことじゃなくて、岩永さんと鬼雷さんの二人の会話だったとしても話は同じだと思います。
まあ、鬼雷さんが「それ、どういう意味?」と聞き返さなかったので、鬼雷さんにはそれで良かったのかもですけどね。

>>[64]

がっかりなら
がっかりでいいんじゃないですか?

どうとらえられようといいし

それは、個人の自由だし

2人にしかわからないこともあるし

失礼ですが、
はっきり言って

みんなでワイワイ会話
してたわけじゃなく

僕なりに
真剣に、本気で
鬼雷さんとやりとりしてた
わけです

そちらこそ、
2人にしかわからないものが
仮にあるとするなら
野暮ってものじゃないですか?

そして、会話のキャッチボール
してたわけでもなく

真剣にボールを投げた

なぜなら、危険な場所に
入る人が大勢いるからです

危険を知らないのなら、
何を回避できたかもわからない

そして、日常的な世界の
中の話ではないです

なので、日常的な世界の解釈を
されたら、そうなるかもしれません。


>>[66]

なるほど、岩永さんの中で、「日常的な会話」という表現は、「ワイワイした会話」であり、真剣さとか本気さとか、そういう重みの無い、他愛ない軽い会話、といった意味合いになっちゃうんですね。

「日常的な会話」という、ただこれだけの言葉に、そういう意味合いを付与して人の文章を読んでいるとすると、かなり主観の強い方だな、という気が私にはします。

そうすると、言葉というのは色々な取られ方をするので、説明しても…、と言う意味が分かる気がしますよ。

岩永さんがものすごく主観的に人の言葉を捉えるので、他者も同様であるというふうに思うんじゃないかと思います。

誤解しないでいただきたいんですが、あなたはものすごく主観的な人だ、と、批判しているんじゃないんですよ。もしそうなら、それに気付けば、それはある程度、変わって来得るのだと思います。ただ、そういう自覚が無いと、変わり様も無いので、私が気付いたことを指摘させてもらっただけのことなので。

「日常的な会話」と言ったのは、文章全体の中で意味を捉えてもらいたいんですが、禅のような非日常的な世界での会話との対比で使っているわけです。

日常的な会話だからと言って、そこに真剣さや本気さが無いとは限らず、話されている対象の種類の違いを言っているわけです。

良い例かどうか分かりませんが、例えば、恋愛の話題は日常的な話題だと思います。が、そこに、真剣さや本気さが無いわけではないですよね。しかし、禅の対話のような、宇宙とか世界の本質とか、真実とか、そういう話なら、必ずしも説明して分かることじゃない、というの分かりますが、「あぁ、よかった」は、そのレベルの話と同等に並べられるレベルの話じゃないんじゃないですか?ということですよ。

二人にしか分からないものがある、つまり、岩永さんと鬼雷さんのあいだにしか分からないものがある…、確かにあるかも知れませんね。
それは、岩永さんが覚醒体験をされており、鬼雷さんも長く瞑想や修行をされており、スピリチュアルに深いところにまで踏み込んでいるから、我々二人にしかおそらく分からないものがある、っていう意味ですか?

だとすると、それって、すご〜く失礼な発言ですよ。(笑)

非常に、優越意識のある排他的な考えです。

それに、万が一、そうであったとして、まあ、そうであっても良いですが、鬼雷さんの発言に対して、「あぁ、よかった」ということが、そんなに深くまで踏み込んだ人間にしか分からないことを言っているとは思えないです。実際、私が分からないと言ったので、「厳密には正しく表現出来ていないけど」と注釈した上で、どういう意味だったかを説明してもらっていますけど、それを読んでも、覚醒者や瞑想の熟練者同士にとか分かり得ない内容だったでしょうか?違ったと思います。

ただ、一般論として、覚醒者とか瞑想の達人とかに関係無く、上手く言葉では表現出来ない、複雑な心理、感情、想い、そういったものがあることは言うまでもなく、確かですよ。
そう言ったものに関して、言葉では上手く表現し難い、それを敢えて言葉で言ってしまうと、逆に真実と違うものになっちゃう、あるいは、意図したものと違うものに取られてしまうリスクが生じる…、そういうことはもちろんあると思いますし、そのことは全く否定しませんよ。

また、内容によっては、人が違う意味に解釈し、それが危険を生む、そういったことがある、それも分かります。
しかし、ここの文脈で、「あぁ、よかった」の「よかった」の内容が、取り手によっては危険に入り込むこともある、そういう内容のものとは全くもって思えないです。なので、またしても、私には屁理屈にしか聞こえないです。残念ながら。

まあしかし、「いいじゃないですか、それで。」と言うのであれば、話はここで終わりです。終わりでもいいですが、多分、このやり取りを続けても同じことが言葉を変えて返って来ると思いますが、岩永さんが、本当に正直に、自己弁護や屁理屈でなく、真剣な思いでそう言っていると言うのであれば、ここまでで良いです。

また、「そう思うならそう思えば良いじゃないですか。」というのも私はあんまり好きじゃないです。それは、一見、大人の対応のようで、争わない姿勢を見せているようですが、また一面、それは、分かり合えることや、例え分かり合えなくても、自分の思いを相手に伝えようとすることへの、安易な諦めであるし、また、それは多くの場合、本心ではないからです。
かくしゃとは 自我ありて無し 不思議かな

めいそう示すは

己の生命。

岩ちゃんの慈愛も善き。ナっちいの真理の探求も善き。じみいさんの、心の真奥を臨むも善きかな。

諦念も、エゴの意志の統一不可も、あり。それは、人の派生した流れ。島国の者と大陸の者の相違あり。

しかし、めいそうってさあ、普遍性に繋がる。普遍性とは、地球軸であり、地球意識。私もグズグズ言いますが、

共にその意識、心、氣、魂に感合したら、おじゃん。お仕舞い。終わりでは、無く、真釣り、祭り。

まつりあわせれば、そこに尊敬する人が、在るだけ。

皆、大好き。


僕には、鬼雷さんに真っ正面から切り込んでった大和くんの意思は充分感じ取れました。
それは言語の応酬ではなく、彼の視線をその文章の流れに垣間見る事が出来たから。

本気だと思った。

僕自身はそれ程多くの語彙を持ってはいないので、それをどう言葉で表現して良いか判らないのですが、確かにそう感じました。

これは彼の弁護ではなく、感じた事を書きたいと思って書きました。
>>[70]

話の流れから、私への反論、あるいは異論であるようにも読めたので、そうではないかも知れないですが、一応言っておくと、私も、岩永さんが、鬼雷さんに対して正面から切り込んでないとか、本気で言ってない、接してないとかは全く思っていませんし、書いてもいないです。
ああ、そうか
わかりはじめました

確かに、主観的に
見えるかもですね

道元系
ダンティス系??の
やり方は、基本的には
降りてきません

戯れの中の座すべき座に
座って、ここだよ
ってやります
少なくとも、そういった傾向が
あるかもしれません

ダンテスの詩で
地獄に落ちろくそばばあ
という詩がありますが

色々な観点があるでしょうが
あれは、おばあさんがなっている
それ自身の枠に向けて投げかけた
言葉ですが、荒っぽいですが

見方によっては
ある意味優しさです

出られない外へと
誘導していると思ってみると
強烈な一撃ですね
かといって、どうかとも思うけど 笑

それでも、優しさになります
ある意味ですね

ダンティス系は、
直接的かつ体現として示すので
多くの人が惹かれると
思いますが

ある意味、
普通のコミュニケーション
ではない部分が
あると思います

それは、普段のやりとり
と違うし

確かにそれを
個人的な別の場所に見ると
主観的でしかないように
見えるかもしれません

違うけれども、
道元系がとるような座だったので
>>[72]

そういうところがダメです。

「アイデンティティ」と言う言葉は、辞書を引けばその意味は出て来ますが、ここではあなたはかなりご自分の独特な(個人的なという意味です)理解や世界観を裏に持った、岩永さんの個人的な世界観を背景にした言葉であると思います。

おそらく、瞑想などを通じて理解出来る、より普遍的な意識との対比で、いわゆる、この世的なルールに乗っ取った、自我(エゴ)レベルでの意識の世界、暗黙のルールの世界、そういう世界での意識、そういうことを指しているのだろうと、一応私は理解出来ます。(違うのであれば説明してもらえれば良いことですが、一応、私が読んで理解した意味です。)

一般的にもよく使われ、特に難しい言葉でもなければ専門用語でもないですが(かつては哲学あるいは心理学用語だったかも知れませんが、今では普通の日常会話でも使われる語ですよね。)、このコミュで、この文脈で、そして、岩永さんの話しているこの文脈の中でこの言葉を使われているのは、一般的な、辞書で引けば出て来る意味以上の意味ですよね。

私も、最初に目を通したときはこの言葉のここでの意味が分からず、「いきなりアイデンティティ?どういう意味で使ってんの?」と思ったんですが、読み返すうちに分かっては来ました。

しかし、この独特な意味合いを含んだ言葉を、何の説明も無く、いきなり、「アイデンティティ」とさらりと言ってしまって、それだけという、こういう手抜きのことを言っているわけです。「あぁ、よかった」は、たまたま今回取り上げた例のひとつであって、これは岩永さんの文章の随所、ほとんど全てに見られることです。

これでは、「誤読して欲しい、誤読してください。」と自ら言っているようなものですね。

内容的に難しいことを言っていて、読む側が難しいと思うのはいいですよ。それは当たり前ですね。
しかし、説明すればある程度の誤読を避けることが出来るところで、説明する手を抜いて理解を難しくさせるのは、それは内容の難しさとは別のものです。


「門外漢」?

言葉に気を付けましょう。

私の本音を引き出すための意識的な挑発で言っているのかも知れませんが、失礼です。

>>[74]


受け取り手の自由を
奪わないように
基本的には、濁してあります

そして、門外漢は
門外漢です

そちらこそ失礼です
余計な口出しです
まるで、見当はずれです。
見当はずれすぎて
しかも、見当はずれのまま
手を伸ばしたのも知らず

自分に都合のいい解釈で
一気に終点まで
話を進めて、結論づけて

いきなり目の前に
主観的すぎる人間が
出現した と

ゲームに付き合う気は
ありません。




そして・・・
ここまで反応でるのは、、、

岩永大和に見てる
欠点が、もしかしたら
自分の一部に
あるのかもしれないです
>>[76]

了解です。検討外れですね。ではここまでにしましょう。

ところで、以前、別のトピックで、岩永さんが私のことを、ある境涯に陥っていると理解し、そこから救い出そうという目的で、私の陥っている状況を説明してくれました。そのとき私は、「まるで見当外れで、誰か私ではない別の人のことを言っているみたいです。」と言いましたが、それにはどう思いましたか?

と言うか、その後、実際にお会いしたときに、「あのときは、じみーさんが危険なところに陥っていると思ったんで、引っ張り出そうとしたんです。」と言ってましたね。つまり、私が、「全くの検討外れです。」と言ったことには耳も貸さなかったわけです。
>>[77]

こっちが、見当はずれ
のこともありますね

けれども、
違う方向へ行く人たちは、
知らずにそこに行き
穴に落ちることもあると思います

それは、危険について
詳しくないとわからないと
思います

そして、いままで出くわした
スピリチャルな枠に入り込んだ人は、
それを知りませんでした

なので
本人が気づかずとも
そうだということも
あると思います
書き足しです

間違ってたら
ごめんなさいですが

基本的には、
変な方向に
いかないように
事前予防的に書いてます

精神障害になるくらい
手遅れになる人も
いると思うので
世に矛盾は在る。

縦と横。

当然、覚者にも。

そこに問題は、無い。

瞑想とは、真の自己に還る道。


>>[79]

あらら。岩ちゃんの部屋も千、仙に達しましたか。大したもんだあ。善きかな。良きかな。佳きかな。好きかな。プレゼントとして、マイミク申請させて、頂きます。拒否権もありでございます。
>>[81]

無事に終わりました 笑

もう、あれだけ書くのは終わりかとw
でも、楽しかったです

色々ありましたが、
ありがとうございます!

よろしくお願い致しますわーい(嬉しい顔)
誤解を生むかもしれないと
気になったので、
1つだけ書かせてもらいますと

僕が、危険な方向に
行っていたと書くとき
もちろん、
狂気の世界に行くかも!
というような不安を感じて
の時もありますが

その人の探究が
灰色の何も無い
頭の中のある考えだけで
一生を使い果たしてしまう

それだけの繰り返しに
なってしまう!と感じた
時に、そう書いたりしています

しかし、

必ずしも、狂人になる方向に
いくってことでもないし

必ずしも、だから自分の
言ってることを信じなければ
と言うわけではありません。

わかりにくくて
すみません、
ちょっと気になったもので
m(_ _)m

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