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たのしい特別支援教育研究室コミュの【教育論】「子供の可能性を引き出す授業はどうあればよいかについて」

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この 「子供の可能性を引き出す授業はどうあればよいかについて」(富山・島百合子)という文章は私が1992年当時に全国の仮説実験授業研究会内部の障害児教育に関心の深い方々と共に共同研究を積み上げる場として私が編集・発行していた『第?期障害児学級での楽しい授業研究?8』(1992.2.18)に発表されたものです。

島百合子さんは『おやつだホイ』(仮説社)の著者としても有名な方で「あっという間にできるコーヒーゼリー作り」をはじめとして誰でも簡単に楽しく作ることができるお菓子やお料理などをたくさん紹介して下さっています。興味のある方は『おやつだホイ』をご参照下さい。

さて、その島さんが1991年から2年間障害児学級を担当された時に学校の要請でまとめられ町に提出された論文の「はじめに」の部分と「おわりに」の部分を紹介したいと思います。
これを読んで「全文を読みたい」と思われた方はメッセージでご連絡頂ければ、最近復刻した研究交流紙の在庫が若干残っていますので入手方法についてお伝えすることができます。勇気りんりんまでお気軽にご連絡下さい。



「子供の可能性を引き出す授業はどうあればよいかについて」
富山県・島百合子(1992年)

はじめに

昨年度から障害児学級を担任している。辞令を受けて最初に心に浮かんだのは「不安」であった。未知のものに対する不安である。しかし、未知のものは同時に、自分でも気がつかなかった自己の新しい側面を引き出してくれることが多い。自分にないものの体験は自己を成長させてくれる。そういった意味で、同時に「期待」もあった。

受け持った当初のクラスのメンバーは、4年生の知的障害の男子2名、3年生の自閉症の女子1名だった。(今年度より男子が1名転出)それまで「どう接したらいいのかよく分からない」という理由から、言わば避けるようにしてきた障害児との付き合いがスタートした。
すべてが試行錯誤の毎日、それでも1学期の終わり頃になると自分なりに子ども達の姿が見え始め、体験的に子ども達とのつきあい方がなんとなく分かってきた。そして、「障害」と呼ばれるのは、この子ども達のほんの一部分であり、彼らは本質的には健常児と呼ばれる子ども達と同じであると感じられた。障害とはその子の中にあるものではなく、子供と私との間、人と人との間にあるものらしいということが分かってきた。

大分慣れてくると、私はおそるおそるではあるが、前担任の追試を離れて、子ども達に対して新しい試みを始めた。その根底にあるのは「どうしたらこの子ども達の可能性を引き出してやることができるのだろうか」という思いだった。一口に「可能性を引き出す」といっても精神面や身体面から見たり、生活面や学習面から見たりと、様々である。研究範囲をあまり広げ過ぎると、結局は何も研究しなかったのと同じようになる恐れがある。何にでも効く薬は結局は何にも効かないように。

ではどこに的を絞るか?人によって様々だろうが、私は子供たちの学校生活の大半を占める「授業」に目を向けることにした。楽しくて、子供の意欲をかきたてるような、後から誰でも追試できるような、そんな授業がしたいと考えた。

今、目の前にいるこの子ども達は温室とも言える学校生活を終えた後、自らの力で生きて行かねばならない。その時に必要な力、能力的・技術的なこと全ての土台には「意欲」があり、それは「楽しさ」から生まれると考えられる。人間は楽しいことは自然と頑張ってしまうものだ。人からやめるように言われても、好きなことはついついやってしまう。だから「世の中には興味深くて学ぶ意欲をかきたてる楽しいことがいかに沢山あるか」を、子ども達に対して授業の中で提示していきたいと考えた。

障害児であれ健常児であれ、学習の基本と考えられるのは日常生活していく上で困らないような「読み」「書き」「計算」の能力を育てる学習と、色々な事を学びたいという「意欲」を呼び起こす学習である。少なくとも「学校を卒業したら、もう絶対○○の教科書は見たくない」というような学習は好ましくないと考えられる。子供の意欲を引き出す授業は、同時に子供の未知の可能性を引き出す授業であるとも考えられる。

以下、自らの研究仮説と共に、障害児学級において、この1年半ほどの間に、具体的にどのような実践をしてきたかと述べたい。


1 研究仮説

2 研究の方法

3 研究の実践
 島さんの考えられた「カルピスゼリー作り」「キミ子方式の絵の授業」「仮説実験授業〈ものとその重さ〉〈空気と水〉」「算数〈水道方式〉を使った指導の取り組み」などが具体的に述べられています。

4 研究のまとめ


おわりに

先日、授業情報を交換している大阪の障害児学級の先生から、次のような便りをもらった。このクラスの子供もF児と同様に自閉症である。

〔前略〕
ハッとする言葉に出会いました。連絡帳に書いてあったお母さんの言葉です。
「自閉症はコミュニケーションが取りにくいのではなく、人とコミュニケーションの取り方が違うのです」
〔後略〕

私もこの先生と同様、このお母さんの言葉にハッとさせられた。
教師に限らず、とかく人間というのは自分を基準にして他人を計りたがるものである。しかし、相手が自分とかなり異質である場合、測定しきれないことがままある。この自閉症の例にしても、私の頭の中には、自分を基本として「自閉症の一番の問題点は他人とコミュニケーションが取れなかったり、取りにくかったりすることである」という情報がインプットされていた。しかし、逆に自閉症の人間の立場に立ってみれば、、「世間一般の人間というのはどうしてああ騒がしいコミュニケーションの取り方をするのだろう」という思いがあるかもしれないのだ。

子供の可能性というのは、教師側にも見えない部分がたいへん多い。しかし日々の学校生活の中で、今まで見えなかった子供の可能性が見えてくることがある。それは、言い換えれば、教師自身にも新しい見え方・考え方が加わったということであり、教師の可能性も引き出されたということになるであろう。
これからも、子供と共に自らも成長していきたい。


〔以下 参考文献の紹介があります〕

コメント(1)

仮説実験授業研究会の仲間である島百合子さんの教育論です。
この文章が書かれたのも約25年前になります。
今読んでも新鮮です。

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