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日記ロワイアルコミュの猫のハナの話

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 僕が小学生のころだから、今からもう20年以上前のことになる。そのころはまだ、普通に飼い主のいない猫だの犬だのが町なかそこら中に溢れていた。いわゆる「ノラ」だ。今となってはほとんど「ノラ」を見ることはなくなってしまったが、あのころ小学生だった僕たちは「ノラ」を頻繁に見かけては、かわいいから飼ってやろう、だとか、汚いから近づかないようにしよう、だとか、子供ながらにいろいろと判断をして、受け容れていた。
 小学校3年のときだったと思う。僕の家のまわりに一匹の「ノラ」が住みついた。「ノラ」といってもそんじょそこらの「ノラ」ではない。目の青いきれいなシャム猫。チリンチリンと鳴る首輪の鈴と、まったく人間を怖がることのない様子からして、おそらくどこかの飼い猫が迷い込んだのか、はたまた捨てられたのか、近所ではそんな噂だった。



 作文の授業が嫌いだった。原稿用紙に文章を書き込むことが好きではなかった。授業中に書く作文や、夏休みや冬休みに宿題に出される作文。僕は、どの作文も嫌いだった。いつも書いた作文をあとから読み返すとぼくは恥ずかしくなった。原稿用紙に自分の心の奥を映し出しているようで、恥ずかしくなった。だからぼくは書き終えた作文を読み終えてからすべて消しゴムで消し、いつもまた一から書き直していたのだ。二度目に書く作文は出来るだけ感情をこめず、できるだけ平坦な文章にした。先生からいつも赤字で指摘されたのは「もっと自分の感情を出すといいですよ」の決まり文句だった。



 その日は咲いている花々の匂いが一面に立ち込めていそうな春の真ん中の日だったと思う。3年生になったばかりの僕が学校から帰ると、ふたつ年下の妹が玄関先に腰をかけるようにして一匹のシャム猫をひざに抱いていた。「どうしたの?」と僕が訊くと「ノラ猫みたい」と妹は答えた。
 父はそれほどでもなかったが、母が、犬にしろ猫にしろ、動物というものすべてをひどく嫌った。小さかった僕と妹は犬や猫を飼いたがっていたが、そのたびに母から拒絶をされた。だから僕と妹はそのノラ猫を飼い猫のようにかわいがり始めた。メスだったその猫には妹が「ハナ」と名づけた。


 今ほど「ノラ」が珍しくなかったその時代。今とは違い誰も保健所に通報などはしなかった。ただみゃあみゃあと近所をうろつくハナを大人たちは、ほっておけばいつもの「ノラ」のようにいなくなるだろう、とそのままにしておいた。だが、えさをあげてしまうと「ノラ」はその場所に住み着いてしまうので誰も絶対にえさを与えなかった。僕たちも、絶対にえさを与えないように、と強く言われた。ハナはゴミ捨て場の残飯をあさったり、近くにあった浅い小さな川で魚を追ったりして飢えを凌いでいたのであろう。今まではどこかの家庭で暖かく飼われていた猫が急に「ノラ」になり、はじめて見たときのどこか高貴な上品さは日に日に薄れていった。それでも人を怖がらないハナを、僕と妹を含めた近所の子供たちはたいそうかわいがった。


 母の猫嫌いは相変わらずだった。夜みゃあみゃあと鳴くハナの声を聞いては気持ち悪いと毛嫌いをしていた。だが、母もいつしか「ハナが今日・・・」だの「ハナ最近いない・・・」だのハナの話をすることが増えていた。1ヶ月ぐらい近所に住みついたハナは、僕の生活に組み込まれていた。ハナを1日でも見かけないと、僕は心配で夜も眠れなかった。
 ハナの青い目がきれいだった。高いところから飛び降りる俊敏な動きがかっこよかった。みゃあみゃあとすり寄るその仕草がかわいかった。僕と妹は毎日ハナの話ばかりをした。
 でもハナは最初に出会ったときよりも、ずいぶんと痩せていた。


 雨の日曜日だった。雨音の隙間にハナの鳴き声がみゃあみゃあと聞こえていた。その日のハナの鳴き声はいつもよりも大きくて、鳴いている時間もいつもよりも長かった。僕と妹は僕の家の玄関先に寝転びながら鳴き続けるハナを何度も見に行った。
 「お母さん、なんかつらそうだよ、ハナ」
 妹が心配そうに言う。
 「どれどれ、ほんとだねえ」
 このころになるとハナにすっかり慣れてしまった母が、鳴き声を訊いて以前のように気持ち悪いなどということはなかった。
 「きっと、おなかすいてるんだよ。ハナ痩せ痩せだもん」
 僕が言う。
 「なんかほんとしんどそうだな」
 父も心配そうにハナを見て言った。
 苦しそうに目を閉じるハナ。僕たち家族4人は玄関先で横に並んで見守る。雨がざあざあと降りそそぎ、ハナの声を掻き消す。そのときである。閉じられていたハナの目がゆっくりと開き、僕たち4人をじっと見つめたのである。見つめる青い目の美しさに僕は一瞬身動きが出来なくなった。その一瞬を打ち消したのは父の声だった。
 「おい、ごはんあるだろ。ハナにあげるぞ」
 「だって、あげたら住み着いちゃうでしょ」
 「しょうがないだろ、ハナ死にそうなんだから」
 僕と妹は顔を見合わせる。そしてどちらからともなく炊飯ジャーの元へと走り出した。


 発泡スチロールのトレイに乗せられたごはんをハナは一瞬で平らげた。そして食べ終わると、雨の中どこかに消えていった。本当におなかがすいていただけのようだ。その日から1日2回、母がハナにえさを与えるようになった。決まった時間になるとハナはうちの玄関先でみゃあみゃあと鳴き声をあげるようになった。



 僕たちの小学校では毎年作文コンクールたるものが開かれていた。あるテーマに沿って、全員が作文を書き、優秀作がいくつか選ばれて、それだけを集めた文集が作られるのだ。作文が嫌いだったぼくが、それまで優秀作にえらばれたことなど一度もなかった。
 5年生の作文コンクール。そのときのテーマは「動物」。3年生のときの思い出について作文を書いた。作文の題は「猫のハナ」にした。



 僕と妹は毎日ハナと遊んだ。学校から帰るとどこからともなくハナの鳴き声が聴こえる。「ハナ、ハナ」と呼ぶと颯爽と身軽な体を操って僕の前に現れる。えさを食べるハナをしゃがみこんでずっと見ていた。家に遊びにくる友達にハナを見せびらかした。毎日、ハナを抱いた。僕の服はハナの毛にまみれていたに違いない。
 そんなハナが突然姿を消したのは、夏休みも間もない暑い日のことだった。



 原稿用紙4枚に書かれた「猫のハナ」。僕は読み返して恥ずかしくなった。自分の思ったことを書くということはどうしてこんなにも恥ずかしいのだろう。ぼくは途中の一行を消しゴムで消した。その一行を消して、少しだけ恥ずかしさが薄れた。



 ハナが突然戻ってきた。1ヶ月以上前に姿を消したハナが戻ってきたと訊いたのは、2学期が開けてすぐの9月のことだ。ハナがいなくなってしばらくは、ぼくはたいそうふさぎこんで過ごした。夏休みもハナのことをずっと思った。「暑さにやられたのかもな」そんな風に言った父に食って掛かった事もある。その日学校から帰ると、母が待ってましたとばかりに教えてくれた。
 「ハナ帰って来たよ!」
 「ほんとに!」
 僕は叫ぶように言う。
 「それがね、びっくりするよ」
 母が続ける。
 「ハナね、子供3匹連れてるの」


 げっそりと痩せたハナにすがるように3匹の小さな子猫が身を寄せる。久しぶりに見たハナは以前とは別人(別猫)のように弱っていた。1ヶ月どこで暮らしていたのかは分からない。ただ、子供を産んだハナは、どこかで3匹の子猫とともに暮らしていたのであろう。でもハナのくたびれた体を見ると、その暮らしの大変さが有り余るほどわかった。庭先でハナのおっぱいを吸う子猫。でも母乳は出ないようだ。母がミルクをそっと置くと、3匹の子猫は舐め始めた。その横で身を横たえるハナの頭を僕は撫でる。みゃあと鳴いたハナは、僕の手にすり寄った。
 その日の晩、僕は弱りきったハナに少しショックを受けたてはいたものの、これからまたハナと一緒に遊ぶことが出来ると思うと胸が弾んだ。弾んだまま眠りについた。
 次に日の朝、ぼくは母にこう告げて出かけた。
 「今日帰ってきたら、ハナと子猫と遊ぶからね」
 朝、ハナは、探してもどこにもいなかった。声も聞こえなかった。
 僕がハナと会うことは、もう2度となかった。



 職員室に呼ばれたぼくは、先日書いた作文を目の前にして先生にたずねられた。
 「ねえ、この一行なんて書いてあったの?」
 先生は僕が消した一行のことについてしつこく訊いた。
 「だって不自然じゃない。この一行。どうしてここだけ一行抜けてるの?」
 僕は思う。そんなこと答えられるわけないじゃなんか。だって恥ずかしいもん。恥ずかしいから消したんだよ。
 うつむく僕に先生は笑いかけながら言った。
 「まあ、でもなんて書いてあったかはだいたい分かるけどね。
 これ、消さないほうがいいと思うけどな。
 もう一度これ渡すから、その一行を本当に消すかどうか考えてごらん
 それでも本当に消したいなら、先生何も言わないから」



 ハナと遊ぶのを楽しみにして学校から帰ってきた僕はランドセルを脱ぎ捨て、外へ出た。「ハナ、ハナ」あたりを探してもどこにもハナは見当たらない。しばらく探したであろうか。母が何人かの近所の人たちと立ち話をしていた。その足元では妹がしゃがみこんでぐずっている。近づく僕に気づくと妹が僕に言った。
 ハナ、死んじゃったんだって。


 隣の家の松崎さんが、朝、ハナの死体を見つけたらしい。草むらに横たわっていたハナに3匹の子猫が寄り添いながらみゃあみゃあと鳴いていたそうだ。保健所に電話をすると、すぐに2人の男がやってきて、ハナの死体と3匹の子猫を連れて帰ったとのことだ。昨日、ハナは死にそうだったのだ。死にそうなほどつらかったのだ。死にそうなほどつらい体で、僕の家のそばまで帰ってきてくれたんだ。
 その日、ぼくはハナのことを考えて寝た。
 昨日触れたハナの頭の感触を思い出して、泣きながら寝た。



 手渡された文集の目次の5年生の欄には、こう書かれていた。
 最優秀作 猫のハナ
 結局先生から渡された原稿用紙に、ぼくは消した一行をまた書いて提出をした。書いた「猫のハナ」を読みかえしていくうちに、ハナと過ごしたときのことをいろいろと思い出して、懐かしくて、そして悲しくなってしまった。でも、悲しくなると同時に僕はこうとも思った。ハナが死んじゃったことは悲しいけれど、ハナと出会えたことは悲しいことじゃない。だから、ぼくは消してしまった一行を、また書き戻すことにしたんだ。それは、一度消えてしまったハナが3匹の子猫を連れて戻ってきたところの一行だ。ハナへの思いが詰まっていると思ったから、だから僕は書き戻した。最後に、作文「猫のハナ」のその部分を披露して、長いこの話を終えたいと思う。消した一行は今となって読み返すと何も恥ずかしくなんかない。


作文「猫のハナ」からの抜粋

 学校から帰ってくると、お母さんが言いました。
 「ハナが帰って来たよ。子猫を連れて」
 ぼくは、「ええっ」とおどろきながら、くつをはいてハナのもとへと急ぎました。ねころんだハナと子供たちがみゃあみゃあと鳴いていました。ぼくはハナの頭をなでました。ハナがぼくのほうを見ました。
 ぼくはハナがもどって来てくれて、本当に本当にうれしく思いました。


 ハナと出会ったことが、僕に喜びをくれた。ハナが戻ってきて、僕は本当に嬉しかった。あのころは、幼くて「嬉しい」なんてことを文字にすることが単純に恥ずかしかった。でも、今この文集を読み返して、抜けていた一行「ぼくはハナがもどって来てくれて、本当に本当にうれしく思いました。」を書き戻したからこそ、この作文が最優秀作に選ばれたんだと思う。
 あれから20年以上がたった今でも、僕は時折ハナの青い目とみゃあみゃあと鳴くやさしい鳴き声を思い出すことがある。そして「ハナ、ハナ」と「ノラ」を追いかける幼き自分を思い浮かべることがある。





※この話は幼いころの実話を思い出しながら書いたものです。
 実際に記憶が薄れかかっているところも多数あり、
 そのために矛盾が生じていることもあるかもしれません。
 その点はご容赦ください。







 


コメント(156)

素直に心を出すのは難しいですね

一票です
我が家で20年間暮らした猫のハッピーも
青い目がきれいな猫でした。
工業地帯のゴミカートンに捨てられていた生まれたての子猫、
拾ってきたのは父でした。
一票♪
捨て猫ばかり飼っています。泣いてしまいました。
一票です。
私も子供の頃から野良猫チャンを拾って飼ってました。
亡くなる前に、家族一人一人に挨拶して、どっかに消えてしまった猫ちゃん達を思い出しました…。


一票です。

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