ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

日記ロワイアルコミュのいつかあの世で一緒にチキンを食べよう。

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

夕飯の買い物の時間、子供連れで賑わうスーパーマーケット。


「お母さん、これ牛のお肉?」

「そうだよー、牛の…背中かな?」

「牛さん死なせたの?」

「うん、そう。えいっ!って」

「これは?」

「これは鳥さんの羽のあたりだよ、今日は鳥さんにしようか♪」

「うん♪」


一組の親子が何やら穏やかじゃない内容を楽しげに話していて、近くの子供連れのお母さんが驚いた顔で非難めいた目を向ける。

多分、ちょっと変わった親子なのだ。











小さい頃、うちに変なお婆ちゃんが居た。

血の繋がりの薄い遠い親戚なんだけど、上野でホームレスをしていると知った私の母が、うちで面倒みる!と言い出してしまった。
ちゃんと部屋も用意したのに、お婆ちゃんは何故かキッチンを気に入って、その一角に段ボールとガムテープの城を建てて暮らし始めてしまった。
母は、本人の居心地が良いのが一番いいのよ、と言っていた。謎だった。

私はその変わったお婆ちゃんを、A子オバサンと呼んでいた。

A子オバサンは、とある職業に女性として初めて就いた人。教科書に出てくる有名なアメリカ人と仕事を介して知り合い、めでたく結ばれた。
美人で才女で、豊かな暮らしをしていたんだけれど、日本とアメリカを奔放に往き来するうちに、家庭の安定を失い、精神の均衡も崩してしまったのだ。

母が無理に部屋を勧めず、キッチンの城で謎の詩や二種類のきな粉のg単価を比べる長い計算式を、いつも指なし手袋をして、そしてなぜかいつもトイレットペーパーにそれらを書き込んでいくA子オバサンを、黙って、ただただ優しく見守っていた理由を理解したのは、随分あとになってからだった。


A子オバサンは、電話に「Hello!」と出てしまう。相手は間違い電話だと思って切ってしまう。電話は出なくていいと言ってもおかまいなしだ。
A子オバサンは、うちで飼っていたセキセイインコが人の言葉を真似るのを見て、controlled birdと呼んだ。なんだかお互い怖がっていた。
お手洗いのflashが変よ!squeezeがstopしたわ!と、英語と日本語をごちゃ混ぜにして話すのに、ちょっと都合が悪くなると日本語が全く分からなくなるお茶目なところもあった。

何もかもとんちんかんだったけど、英語を教えてくれたし、ユーモアが有って明るいA子オバサンが、私は割と好きだったんだと思う。


でも、ひとつだけ問題が有った。

A子オバサンには、摂食障害があった。そしてそれを、確信犯的に私に刷り込んだのだ。

もともと食が細く、食べるのが苦手な痩せっぽっちの私がご飯を食べる時、オバサンは必ず私に囁いた。

「これはね、豚さんなの、殺したの」
「お魚さんは広い海でまだ泳いでいたかった筈よ」
「milkは牛さんのbabyのものだわ、貴方が横取りしちゃいけないわ」

誰かにたしなめられると、今度は周りの目を盗んで言った。

「eggも命なのよ」
「海藻はお魚さん達のおうちなの」

日に日に私は食欲を失っていって、次第に食べる事は罪深い事だと感じるようになった。
何を食べたら良いのか分からなくなって、何も食べたくなくなった。

食べさせようとすると嫌がって泣いて拒んだ。
どんどん痩せていく私に家族は困り果て、肉と分からないよう調理し、彼女の居ない所で食事をさせたし、彼女と私を二人きりにしないように配慮もした。

A子オバサンが来てから初めての冬を迎える頃には、私は肉類や魚類を完全に食べなくなり、家族も万策尽きていた。
けれど、A子オバサンが突如として「私、寒いのは嫌なの!Hawaiiに行くわ!」と言い出したので、お人好しの母は心配も有っただろうが、皆が内心どれだけホッとしたかは言い知れないものがあったと思う。

幼い私がオバサンの本当のメッセージに気付けないまま別れ、オバサンが非業の死を遂げ、残された手紙で真意を知る…なんていう劇的な後日談が欲しいところだけど、実際は何の事はない。

「3ってとっても良い数字なのよ」という有り難そうな言葉と300円のお小遣いを残して、A子オバサンはキッチン城から常夏の国へと旅立っていった。


それから、私が肉類を元気良く食べられるようになるまでには、長い月日と、ある漫画との出会いが必要だった。


30代以上の女性なら「ぼくの地球を守って」という少女漫画を知っている人は割と少なくないんじゃないだろうか。
輪廻転生を軸にした恋愛漫画で、主人公の少女の前世は、動植物と対話が出来る能力を持って生まれた稀有な存在で、それ故、幼い頃、命を奪って食べて生きていく事に苦悩するのだ。
その幼い娘に、かつて同じ能力を持っていた父が説く。

食べていいんだよ。
食べた命は、君の中で生きるんだ。
感謝をしなさい。

…みたいな感じだったかな。
台詞は細かく憶えてないんだけど、凄く涙がいっぱい出たのはよく覚えてる。

命あるものを「食べる」事が害悪なのは勿論、「今までも食べてきた」事、そしてそうして育まれた自分の身体さえ忌むべき存在のような意識を植え付けられた私には、その数頁に綴られた言葉は、何もかもを許して包み込む柔かな真綿のようだった。

食べてもいい。
食べて生きていっていいんだ。

私の軽い摂食障害は、家族の努力と、あの漫画のお陰で克服できたのだ。







「ほらぁ!お魚残さず食べて!」

「う〜ん…だってぇ」

「これはお魚さんの大切な命でしょ?残して捨てたらどう?」

「可哀想…」

「じゃあちゃんと食べたらどう?」

「あたしのお肉になって、あたしと一緒に遊んだり幼稚園いったり…できる?」

「そう!だから有難うって思って残さずいただこうねっ♪」

「…はぁい」



私と、三歳の娘の会話だ。


いつか子供が出来たら、必ずそう教えようと思ってた。
何も感じない訳でもなく、ごめんなさいと思うのでもなく、ありがとう、の気持で命を食べられる子供にしようと誓ったのだ。

「君の体には、たくさんたくさん、頂いた命が一緒に在るんだよ、だからね、怪我をしたり、病気にならないように、頂いた命の分も自分の体や命を大切にしてね」

スーパーマーケットでの会話を断片的に聞くと、変な子育てをしてると思われるのかも知れない。
そこまで話すのは早いんじゃない?と、ママ友に怪訝な顔をされる事も少なくない。

でも「食べる」という、ごく基本的で日常的な行為に躓いてしまう怖さを幼い頃に体験し、乗り越えてきた私には、この教育に自信と誇りがある。
愛しい我が子に躓いてほしくない。何より、命に感謝が出来る人に、自分を慈しむ事が出来る人に、なってほしい。

幸い我が子は小さいながらにそんな意識を持ってるようで、水族館で「お魚おいしそう…」と言ってしまうほどたくましく育っているし、あたしの命は宝物なんだよ♪とニコニコしながら話す姿を見れば、今のところ成功だったと言っていいと思う。





A子オバサンとはあれ以来会ってない。
晩年は綺麗な老人ホームでそれなりに楽しく生活して、2年ほど前にピンピンコロリと天に召されたらしい。

最近、別の親戚と彼女の思い出話をしていた時に、私は衝撃的な話を聞いてしまった。

そう、実は後日談が有るのだ。


「A子サンさ、ベジタリアンなスパンと、肉ばっかり食べるスパンが有るのよね〜、肉食の時は毎日毎日、KFCに行きたいの!って言って馬鹿みたいにフライドチキンばっかり食べるんだ〜」





おーまいぐっどねす!!だ。A子オバサン風に言えば。

たまたまA子オバサンとの同居が、草食系ばあさんモードの時に当たった、という不運。
そのタイミングじゃなければしなくても良かった苦悩。

絶句した後に、ふざけんなよーあのばばー!って、愛情を込めて爆笑した。

愛情を込められるのは、きっと全ては今の私の人間的な深みになってる筈だから。


thanx 4 my odd friend.
そう、いつかあの世で一緒にチキンを食べましょうね。

コメント(66)

わたしもぼく地球大好きでした!一票!
心から ありがとう って言えるの 素敵な事ですよねほっとした顔 一票です(о^∇^о)

ログインすると、残り34件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

日記ロワイアル 更新情報

日記ロワイアルのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。