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日記ロワイアルコミュの変色のベル――青色

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 里美の携帯電話が鳴ったのは笑っていいともの曲がテレビから流れてきたのとほぼ同時だった。二ヶ月ぶりに聞く着信メロディー。心臓がとくんと跳ね上がった。

 幸い、営業の人たちは出払っていて事務所には里美しかいない。誰に気兼ねすることなく電話に出ることはできる。

 ――でも……。

 里美は、出社する前に買ってきたコンビニ弁当をテーブルに置き、灰皿の横で鳴っている携帯電話に目をやった。裏返しになっているそれは、メロディ連動のバイブ機能に設定してあり、細かい音を立てながら震えている。お気に入りの曲はまだ止まらない。だが、躊躇する里美を置き去りにするかのように、振動で遠ざかっていく。そのまま行けば、テーブルの向こう側へ落下するだろう。それなのに、いつの間にか胸の前で握り締めていた右手は、固まったまま動こうとしなかった。

 ――どうしよう……。

 久しぶりにあの声を聞きたい気はする。でも、心の準備が出来ていない。
逡巡の後、里美はごくりと喉を上下させ、思い切って手を伸ばした。尻尾を捕まえるように携帯電話のストラップを掴む。音楽はまだ鳴っていた。

「もしも――」

 通話ボタンを押したのにスピーカーから声は聞こえてこず、プー、という無味な機械音が聞こえるだけだった。変だ、彼はこんなに気が短かっただろうか。そう訝りながらモニター画面を見ると、「新着メールあり」という文字が里美をばかにするように浮かんでいた。

 ――なーんだ。

 思わず吐息が出た。久しぶり過ぎて忘れていたのか、動揺していたのか、よく考えてみると先ほどの着信音はメールを受信したとき用の音楽だった。もちろん、彼専用には違いないのだが、そんなことも失念するほど平静を失ってしまったのか思うと、里美は力なく苦笑した。

「どうしよっかなあ」

 ひとりでは広すぎる応接室で、ふかふかのソファーにもたれ掛かりながら呟いた。手元で携帯電話を弄ぶ。けれど、状況は変わらない。メールがあったことを知らせるパイロットランプが細々と明滅していた。

 テレビではオープニングのゲームがすでに始まっていた。笑い声が飛び交っている。新コーナーなのか初めて見るセットだった。しかし、ゲームの説明を聞き逃してしまったせいでさっぱり意味が判らない。ぎゃーぎゃーと騒いでいるだけのように見える。

 けれど、メールのことを一旦保留するにはちょうどいいかもしれない。そう思い、里美は携帯電話を横に置き、テレビに意識を向けた。肩からプレートを下げた一般人が横に並び、マイクを向けられて何やら答えている。それぞれの地元の特産品を言っているらしかった。特異なキャラクターが登場するたび、みんながからかって笑い声が発生した。

 全く集中が出来なかった。タレントの声が耳の横を通り過ぎていく。楽しそうに笑い声を上げる観客のひとりに同化しようと思うのに、異国の言葉を聞いているように理解できない。

 時折思い出したように光るパイロットランプに意識が反応してしまう。それだけがこの応接室で動いている唯一の物に思えてしまう。

 すうっと息を吸い込み、ゆっくりと吐いた。それから三度、発色したのを数えた。四度目が光る前に、里美は携帯電話をとった。姿勢を正し、それを両手で包み、腿の上に構えてみる。

「今更連絡を寄越すなんて、不謹慎よね」

 待ち受け画面に向かって呟いた。返事は「新着メールあり」。無性に腹が立った。

「はいはい、見ればいいんでしょ」

 ひとりごともここまで続ければ滑稽かもしれない。けれど、最近は癖のようになっていた。自分に言い訳したいとき、それは駄目だと半ば理解しているとき、そして自分を慰めたくなったとき、自身の背中を押すように里美はひとりごとを呟いていた。

 言葉とは裏腹に躊躇いを見せる親指を動かしながら受信フォルダを開いた。どんな用件なのか――軽いのか重いのか――本文を読まなくても題名の雰囲気からそれを読み取れないかと思ったが、新着メールは「無題」になっていた。やはり本文を見なければならないのだと、気持ちが不安定になりかける。けれど、相変わらず愛想がないなあという懐かしい感情が湧いて、つい微笑んでしまった。彼はいつもそうだった。二十代半ばのくせに、喋ったほうが早いと中年のようなことを言って、メールをしたがらない人だった。こちらからメールを送っても、その返事が長くなりそうになると彼は迷わず電話をかけてきたし、彼からの連絡は十中八九、電話だった。

 そんな彼からメールが来たこともあった。印象的なのは、別々の地元で過ごしていた今年のお正月だ。年越しすぐの電話は混みあってつながらないだろうからと、後からでも受信できるようにメールを送ってくれたのだ。それは電波が安定した午前一時ころ、他のメールと共に届いたのだが、彼の送信時刻はきっかり十二時だった。『おめでとう』と『今年もよろしく』の絵文字も入らない二行だけの内容だったが、妙に嬉しかったのを覚えている。

 そう考えると今回電話ではなくメールが来たのは珍しいことだったが、どんな要件にしても、仕事中だから気を遣ったのかもしれなかった。

 思い出に胸が柔らかくなり、指が素直に動きそうになっている勢いで本文を開いてみると『電話いいか?』という無駄のない一文が現れた。これまた彼らしいと口元に笑みがにじみ、だが次の瞬間には消えていった。

 未練が霧散し、ようやく前を向けそうになっていたときに彼の声を再び耳に刻むのは、どうだろう……。文字を見つめたまま里美は悩んだ。不安と希望が胸の中で錯綜する。どちらの想像も良い結果に辿り着かないのが虚しい。だが、このまま無視することも出来ない。里美はゆっくりと目を閉じて、息を吐いた。

「まあ、今、ひとりだしね。電話してても怒られないし」

 呟いた後、里美は静かに親指を動かした。『大丈夫だよ』と短く打ち、音符マークをつけて送信ボタンを押す。携帯電話をお弁当の横に置き、気を取り直して箸を持った。

 テレビはテレフォンショッキングにうつっていた。昨日紹介を受けたゲストが登場し、歓迎に沸く拍手がようやく収まるところだった。そのゲストが、大きな袋からポスターを取り出し、この秋公開されるという映画の宣伝をしている。観た瞬間、里美は、ああ、と思った。

 ――予告でやってたやつだ。

 彼と期せずして最後になってしまった映画鑑賞のとき、「カミングスーン」と予告で流れて、面白そうじゃない? とふたりで楽しみにしていた作品だった。里美の二十四歳の誕生日だった。その日に観た映画はいまいちで、その後に行った居酒屋で、ふたりの話題は予告に流れた作品についてばかりだった気がする。観に行こうと約束したわけではなかったが、観に行くものだと思っていた――。

 里美はテレビのリモコンを持ち上げると画面を消した。黒一色になり、それまでの映像が弾けるように消えた。途端に静かになり、開けっ放しのドアの向こうからパソコンやコピー機などの唸りが聞こえてくる。空気の入れ替えをしようと思って開けている窓から車の行き交う音が聞こえ、いわし雲の漂う秋空から舞い降りた風が薄いカーテンをそっと揺らした。

 携帯電話はなりをひそめていた。彼とつながる気配はまだ感じられない。
 
 手持ち無沙汰になり、里美は卵焼きをいじってみた。形のいいそれを、何となく半分に割り、小さい方を口に運ぶ。卵焼きは電子レンジをかけたにも関わらず、すっかり冷たくなっていた。もそもそと味気ない甘味が口の中に広がった。

 それを飲み込む前に携帯電話が鳴った。さっきと違うお気に入りの着信音。ケツメイシの「夏の思い出」。パイロットランプが鮮やかに光り、画面に「尚人」という文字と、彼の仏頂顔が久しぶりに映し出された。里美が機種交換をし、設定した画像が着信時に出る機能がついたから写させろと言ったのに、恥かしいから嫌だと十分くらい抵抗された後に写したものだった。後から隠し撮りを試みたが、結局、最初のままにしておいた。カメラ目線の写真が、やっぱり良かった。軽い天然パーマの黒髪に、眠たそうな二重まぶた。久ぶりだが鮮明に覚えている画像に、里美の心臓はどきんと鳴った。

 里美は慌て、淹れておいた緑茶で卵焼きを喉の奥に流し込んだ。緑茶も温くなっていた。

「やっほー」

 少しむせたあと、呼吸を整え、ごく自然を装って、あの頃と同じような受け方をしてみた。心構えが出来ていたせいか、我ながら上手に声が出せた気がする。しかし、空いている手を胸に当てると、動悸がいつもより速いことは容易に判った。緊張が電波に乗らないことを、里美は祈った。

「おれ」

 低く、落ち着いた声が聞こえて来た。半ば無愛想に聞こえる言い方も変わっていない。

「オレオレ詐欺?」

 笑いながら言ってみた。無反応。相変わらずだ。

「どうしたのぉ? 久しぶりだねえ」

 血が身体中を駆け巡っているのを感じる。ごうごうと耳の奥で聞こえるようだ。窓から入ってくる秋風が部屋を若干涼しくしているのに、握っている手や腋にじんわりと汗を覚えた。里美は、事務服のスカートで手の平を拭うと、携帯電話を素早く持ち替えた。

「お前のところに、おれのボールペン、ないかな?」

「ボールペン?」

「ブルガリの。知らないか?」

 ああ、と思った。確か、彼が最初のボーナスで自分に買ったという、これから社会人としてしっかり生きていくことを誓ったボールペンだと言っていた。あまり自慢することのない彼が微笑みながら雄弁に語る唯一のものだった。そういえば一緒に住んでいたとき、冗談で化粧箱の中に隠したら大目玉を食らったことがあったっけ――。

 だが、そんなものが家にあっただろうか。彼が出て行ってから何度か掃除はしたけれど、はたして見た記憶はなかった。

 里美がそう伝えると、だが、尚人は台本でも読むように「そこだと思うんだ」と言った。

「悪いんだけど大事なものだから、ちょっと探しに行きたいんだ」

「えっ、どこへ?」

「お前の家だよ」と彼は少し苛立った声を出した。「出来れば今日行きたいんだ。早いうちに」

「ああ、でも――」

「用事あるのか?」

「ううん、今日はプールもない日だけど」

「じゃあ、行くから。七時に。じゃあな」

 そう言うと、尚人は一方的に電話を切った。強張っていた身体がすとんと落ちる。それでもまだ余っていた緊張の残滓を解くように里美はため息を吐き、そっと携帯電話の画面を眺めた。一泊置いて通話時間の表示が消え、待ち受け画面にしている暮れなずむ海辺が姿を現す。ふたりで沖縄旅行をしたときに尚人が撮影したものだ。見たこともないような大きな入道雲が水平線の彼方でみかん色に染まり、水面に映る太陽がこちらへ手を伸ばすように長くなっている。ふたりで泳いだ真夏の海。彼の後ろを追いかけた足跡の点在する砂浜。目をつむれば思い出す。

 あれ以来、里美はこの待ち受け画面をずっと使っているが、彼の待ち受けは今どうなっているだろうか。あのとき一緒に設定したこの画面を、彼も今、どこか同じ空の下で見つめているのだろうか。

 想像しながら、里美は冷えた唐揚げに手をつけた。



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 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1746297122&owner_id=1154484

コメント(122)

先が気になって読むのが楽しかったです。
色んなジャンルのお話が書ける方なんですねえ。
一票。
KANさんの「まゆみ」
名曲ですよね。
一票。
陽だまりに話しかける姿が切なかったので、素敵な終わり方で良かったです。
一票です。

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