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日記ロワイアルコミュの琥珀の月

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「悲しい事じゃないからね」

自分に言い聞かせたのか、相手に言ったのかは分からないまま電話を切った。





右も左も分からない、東京の端っこの方に勢いだけで引っ越してきたのはもう5年も前になる。
多摩川の河川敷をふらふらと、ただ漠然と憧れていた『とーきょう』に知り合いも居ないまま来た事を、 正解だったのかと自問しながら歩く。

形だけで入った専門学校でパティシエとしての最低限の基礎を学び、 当然ながらケーキ屋さんに就職出来るものだと思っていた。
小さい頃にケーキ屋さんになりたいの。なんてかわいい夢レベルの私とは違い、周りの生徒は必至だった。
ただ被ってただけの長い帽子は、私以外の人にはプライドを表す何かだったに違いない。

当然といえば当然だが、私はケーキ屋さんになれなかった。
なんの取り得もない20歳の女が就職する事は並大抵の苦労では利かなかった。
なんとなくケーキ屋でパティシエとして働けると思ってたから、
会社員という事が酷く非現実的に思えたし、他人事に感じていた。

なんとか専門学校の人脈を使って3月も末になった週末に出版社に就職が決まった。
かなり大きな会社だったが名前を聞いてもピンと来るはずもなく、
ただただお茶を汲むキカイのようなOLになるもんだと確信していた。


『佐藤健太です。佐藤は多いから健太でいいよ』
私より、2個上の先輩だった。新人の面倒をみるトレーナーと言う制度があり、
私のトレーナーは健太さんということだった。

『まぁ取材に行って、原稿起こして、みたいな流れだからすぐ覚えるよ』

「・・・え?あたし内勤じゃないんですか?」

『いや。営業職だよ。配属ウチでしょ?』

無理だ。営業職なんて無理だ。そういう社交性スキルが皆無だからバイトだって苦労したのに。
暑い中走り回ってなんかられない。ペコペコしてられない。取材なんて行きたくない。

『コラコラ。あからさまに嫌な顔しないの。誰だって好んで営業なんてやらないから。出来る事だけしっかりやろう』

ブスな顔がますますブスになる。

『えーと、桐生さんでいいんだっけ?』

「・・・葵です。桐生葵です・・・桐生は多いから葵でいいです」

『そんだけ冗談言えれば充分だ』

簡単な女と思われそうだが、心の拠り所がない女にとって健太さんは魅力的だった。
何よりも私に気を遣ってくれたし、仕事も出来てよく笑う、絵に描いたような好青年だった。

あまり私と背が変わらないのも、話易い要因だったかも知れないし、
惹かれていく要因一つだったかも知れない。

健太さんの「さん」が取れるまでそうは時間かからなかった。
ただ、会社には内緒。いつも一緒に出掛ける二人が付き合ってるなんてバレたら大問題だ。
その秘め事のような付き合い方が、屈折した性格の私にはたまらなく刺激的だった。

健太とのデートも楽しかったし、仕事も充実してきた。
1年が過ぎた頃、健太はトレーナーを卒業、私はまた一人になった。

『今度は桐生君がトレーナーをやる側になるんだからしっかりね』
上司に言われてモヤモヤが心のなかで暴れる。
私はきっと健太がトレーナーだったから頑張れた。一年間ずっと一緒だった。
それを新入社員の男の子と過ごすなんて嫌だ。そうなんだ。私はわがままなんだ。社交性なんて持ち合わせていないんだ。


それとほぼ同時に、少しずつ心に変化が芽生えてきていた。
健太とデート中によるケーキ屋さん。ショウケース内のケーキ達。
テレビの特集で画面に踊る煌びやかなスウィーツ達。
私だったらもっと生クリームを乗せて苺は小ぶりなものにして・・・等と考えるようになった。
こんな性格だから、今の状況が辛くなったからって、また楽な方にって考えが頭を支配したのかも知れない。


健太が大好きな映画を見に行った。世間では超話題作として大きく取り上げられていた。
でも私は何処か上の空で、ケーキ作りの事を考えていた。
『葵、あんま観てなかったっしょ?』
ドキっとした。「そんな事ないよ、おもしろかったじゃん」『だったらいいけど』
健太は鋭い。ちょっとした表情で見抜かれてしまっていた。



ちょうどクリスマス時期に健太とデートしている時、ある有名店でケーキフェアがやっていた。
『覗いて行こうか?』健太がアゴでくいくいと店を指す。
私は子どもみたいに、健太の手を引きながら店内に駆け込んだ。


翌日、健太が言う。
『葵、これちょっと早いけどクリスマスプレゼント』
小さな封筒だった。
もしかして婚姻届?なんて思ったけど、中に入ってたのはある有名店への紹介状だった。
「え・・・これ・・・」
『出版業界なんて興味ないのわかってるから、ちゃんともう一回自分の限界まで納得するまで挑戦して来いよ』

きっと今までの仕事でのコネを何とか駆使して、紹介状を貰ってくれたんだ。
もう一度パティシエに挑戦出来るように。
健太は最高の彼氏だ。


年明けから転職した。
有名店と言えど、小さな小さなお店なので従業員は私入れても5人しかいなかった。
早朝の仕込みから店舗での販売まで作業は夜まで続く。
夢が叶った形にはなったけれど体がきつかった。毎日家に帰って寝るだけの生活が続く。
それを知ってか知らずか、健太は最低限の連絡しかしてこなかった。

『頑張れてるか?大丈夫か?』

私は疲れ果てていて『うん』とか『大丈夫』とか、簡単な言葉で返すのが精一杯だった。

段々と雑用や仕込み以外の仕事も増え始め、小さいケーキならデザインも任せてもらえる様になった。
初めは東京に出てくる為の口実でしかなかったパティシエが、今となっては堂々と夢と思えるまでになっていた。

健太は順調に出世していった。メールが来ない日は無かったが、数は激減した。
健太は社内で大抜擢され、あるプロジェクトのリーダーになったようだった。
私がパティシエの夢を追いかけていて、苦労しながらも充実した日々を過ごし、また、健太も順調に社会人としてのステップアップに成功していた。

あの人なら当然だと思いながらも、どこかで順調過ぎる彼の社会生活を恨んでいる自分が恥ずかしかった。

『たまには息抜きにご飯でも行こうよ』
彼の気遣いが、やがて哀れみの様な言葉に感じ始めた時、私は自分の心が荒んでる事に気づく。
まだまだ、パティシエとして認めてもらっている訳でもなく、
ケーキが好きな女の子レベルに見られているのは否めない。
職人として生計が立てられているわけでもない。

私の忙しさに感けて、もう健太とは3ヶ月も会っていなかった。

夏の間に1度は海に行って花火しようと約束したのに、
出勤する電車には、日焼けした高校生達が群をなしていた。

夏から秋に向けて、スウィーツ業界は一気に忙しくなる。
『桐生さん』
チーフに呼び出される。

『秋の新作ケーキを3品考えてる。その内の1つを桐生さんに考えてもらいたい』
「え?」と言葉に出したつもりが出ていなかった。
『出来る?桐生さん入れて3人とコンペにするからね』
「やります!やらせて下さい!」

ふと、健太の顔が浮かぶ。
何故かライバルは健太だと勝手に考えてしまった。

経緯を説明し、健太にしばらく会えないかもとメールする。
直ぐに返事があった。
『俺も葵の作ったケーキ食べたいから楽しみにしてるよ。がんばれ!がんばれ葵!』
会いたいとかないのかなぁと天邪鬼が顔を覗かせた。
また連絡するとそっけない返信をして、早速新作を考えた。

経験値も実績もある先輩達と争えるのは嬉しいけど、どうやって勝ったらいいの。
様々な雑誌やネット。またはお店に行って自分なりの方向性を決める。
9月末の発売に間に合わせないといけない。
残り2週間。どうしたものか。

子どものころに好きだったケーキや、お菓子を思い浮かべる。
奇妙な事に、そう考えると頭に和菓子が多く浮かんだ。
「いやいや、ケーキ屋だってのに」
だからこそ、か。何かが頭の中で弾けて様々な思考が駆け巡る。

勤務時間を越えていたのに、キッチンを貸して下さいとチーフに頼み込む。

9月末は中秋の名月。季節ものならばそれに合わせようと。
不思議と作業に取り掛かると何の迷いもなく一つの作品が出来上がった。

『おい!桐生まだいたのかよ!』
先輩がドアを開ける。
「え?先輩こそまだいたんですか?」
『バカ。時計見てみろ』

もう開店2時間前だった。

寝てないのも手伝って、その日はミスを連発。大目玉を食らった。
それでもまた夜にキッチンに向かう。
何故か執着心が芽生え、自分の最高の作品にしたいと拘りをもって改良を重ねた。


家に帰ったのは2日後だった。
携帯を開くと健太からメールが数件と着信が。
そりゃあ心配するか。
けど、そう思ったままベッドにのめり込んだ。
15時間ほど意識を失った。


試食会を迎えた。
3人が渾身のスウィーツを発表する。
私以外の2人は秋らしくマロンをあしらったケーキ。
みるからに美味そうだ。
チーフや代表の評価も上々。
足がすくむ。
私がここにいていいのかもわからなくなる。

『じゃあ、桐生さんのもらおうか』

はい、とかすれそうな返事をして作品を出す。

『テーマは?』

想い入れが強い作品だったのですんなりと説明したかったが、
緊張して言葉が上手く出ない。

「あの・・小さい頃からおばあちゃんと月を見ながら・・和菓子を食べるのが・・好きで・・」

『あ、だからキレイな黄色のケーキなんだ?』

「はい・・中秋の名月はうっすら白身がかった黄色なので、それをヒントに・・」

『うん。いいんじゃない季節感出てるし、何よりも和風っぽいのが今までになくていいと思う』

全員が皿に乗った、小さな名月を口に運ぶ。

『んー・・・・んん?』

みんなが微笑みながら食べてくれた。
本当に嬉しかった。

『桐生さん、この黄色い部分はエッグタルトみたいで分かるけど、生地に何か入ってるでしょ?』

「あ。あの・・・こしあんを生地に練りこんであります。縁側で食べる団子みたいな和のイメージ・・です」

へぇ。とお互いの顔を見合わせて笑う。

『ネーミングは?』


「こ・・琥珀の月です」


ダメだったかな。
和風過ぎたかな・・・。



後でチーフに呼ばれる。
『正直、どのスウィーツが選ばれるか分からない。これからコストと生産効率計算してから決めるから』
「はい。わかりました」
『ただ』
「ただ?」
『俺は桐生さんのが一番美味かったよ。アイデアも』


えへへへと笑いながら泣いた。


3日後の正式発表まで、店は休みだった。
仕入れと準備で忙しいから店舗は開けないとの事だった。

『コンペどうだった?』
健太からメールだ。
メール打つのが億劫だったのと、正直健太にかける時間を最小限にしたかったから電話した。

「もしもーし」
『久しぶりじゃん。体は大丈夫か?』
「うん。疲れきってるけど」
少し言葉が尖る。

『ああ、疲れてるもんな。いいよ落ち着いたら飯行こう』
それを想像したら面倒臭くなった。
「また連絡する」

なんて性格悪い女なんだろう。
あんなに世話になった人なのに。
あんなに良くしてくれてるのに。

3日後に迫った発表の事で頭が一杯で、私は他の事に目が向かなかったのかもしれない。



発表の朝。

『じゃあ発表します』

全員に心音が聞こえちゃんじゃないかってくらいドキドキした。
自分の子どもが評価されるような、今までにない気持ちだった。


残念ながら落選だった。
理由はコストが掛かりすぎている為。
しょうがない。
しょうがないけどしょうがなくない。

なんだろう。ほっとしたけど残念すぎて。
走って店の裏に行ってひとしきり泣いてしまった。

『桐生ー!!』

チーフが探してる。

「すいません。気持ちの整理が・・・」

『話は最後まで聞けバカ。おまえの琥珀の月は1ヶ月限定で販売するからな』

「・・・え!?」

『正直コストパフォーマンスは良くないから長期的には難しいかもだけど改良したら名物になるかもよ。マジで』

泣きっつらの私に向けてチーフは更に言う。

『いっそがしくなるよー。自分の店もてるようにがんばれ』


それから一週間は改良と製作に明け暮れた。
ちょうど琥珀の月が発売になった頃、健太から連絡が来た。

『まだ忙しいか?ちょっとでも会えないか?』

いいきっかけだと思った。


直ぐに電話した。

「あたしも健太に話あったから」
『おう。俺もだよ』
「たぶん、思ってる事一緒かな」
『うん。そう思う』

「別れ話って寂しいから嫌だね」
『じゃあ、どうしようか』

「友達になる計画!」

『それで行こう』



「悲しい事じゃないからね」

自分に言い聞かせたのか、相手に言ったのかは分からないまま電話を切った。







夜は少し冷える時期になった。

1年前に着てたコートを引っ張り出して、よく健太と歩いた欅並木で待ち合わせする。

5ヶ月も会ってなかった。
でも寂しくなかった。
ほんとに?
自問自答しながら待ち合わせ場所に。

凄く落ち着いてたのに、健太が来たら何故か緊張した。

『待たせた?ゴメンね』

一緒に買いに行ったティンバーランドのブーツを履いていた。
すごく可愛くて、飽きたら頂戴って言ってたのを思い出した。

「ねぇ、まだそれ飽きないの?」

『飽きねぇよ』
ほっぺたをぎゅうとつねられた。
すっごいブスな顔になって健太に笑われた。
彼はケラケラ笑ってたけど、久しぶりの健太の温もりに心が動くのがはっきりとわかる。

普通どおりに話してるのに、声は上ずって視線も落ち着かない。
健太は仕事が順調で、昇格するって話を聞いた。
すごく羨ましかった。でも私の夢も大きく膨らんでいた。
なんか無理して別れてくれてる感じがして、
あたしもメールが来なくなったりするのが怖くなった。
「ねぇ・・・」って話だしたら健太は前を歩いて振り向きながら大きく手を振った。

言葉は無かったけど、それ以上に辛かった。
これから2人は別の道を行く。

あたしはピースサインを健太に向けた。

あたしが作った琥珀の月と同じ月が夜空に浮かぶ。

健太のブーツの色とそっくり。

コートに手を突っ込むと、まだ一緒の出版社時代に観た映画の半券が出てきた。

それをぎゅうっと掴んだまま欅の落ち葉を踏み鳴らす。


あたしは間違ってないのかな。
健太を傷つけてないかな。

滲む琥珀の月に健太のブーツが閉じ込められていた。




翌週。ついに秋メニューがお披露目となった。

初日から見たことない程の来客があり、予想以上のケーキが捌けた。

「こんなに人が来るんですか?」
目を白黒させてチーフに訊いた。

『一応有名店だからな。いろいろメディアにも露出したみたいだし』

でも嬉しかった。

あたしの琥珀の月も売れている。
予定販売数を大きく超えている。



『スゲーじゃん桐生。多分一番売れてんじゃねーか』
チーフも喜んでくれていた。


翌日も相変わらずの盛況だった。



店先で並んでれているお客さんのオーダーを取りに外へ出た。

『すいませーん』
「はい、なんですか」

『これ、まだありますか?』
お客さんが持ってたのは都内で有名な情報誌だった。

一瞬、鼓動が速くなる。



スウィーツ特集が組まれたページの巻頭に【琥珀の月】が載っていた。

「え!・・・ああ。まだありますよ!大丈夫です」
『よかったー。すごい美味しいって聞いたからもうないかと思って』


あたしが働いてた出版社の本だった。




記稿の欄に【佐藤健太】の文字を見つけた。


鼻がツンとして、視界がぼやけた。


あたしはもっとがんばろう。もっともっとがんばろう。

いつしか店を持って。








今度は健太の雑誌の売上げを伸ばせるように。

コメント(229)

一票です。暖かいのと切ないのと…ありがと…
作品の面白さと、古い作品が上がってくるコミュニティのさみしさに
一票

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