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日記ロワイアルコミュのジェンガ

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 月子がおれを拾ったのは赤い太陽が綺麗な夕暮れ時のことだった。月子はそのとき、男にふられてヤケクソになっていた。昼間から父親の焼酎をあおって完全に酔っ払った月子は、大声で歌いながらふらふらと河原を歩いていた。
 そこで躓いて転んだ箱の中におれが入っていたというわけだ。
 月子の第一声は「なんでおまえこんなとこにいるの?」だったと記憶している。
 高校生の癖に、月子はアルコールと煙草の匂いをぷんぷんさせておれに頬ずりした。
 その頃のことはまだおれも小さかったから、よくは覚えていないけれど、そのときの匂いはよく覚えている。
 絶望の中の希望の匂いがした。

 それからまず月子はおれに名前をくれた。
「おまえ、顔がつぶれてるから、ブッチャノ助ね」
 というわけでブッチャノ助というのが正式なおれの名前だ。
 月子の名前のセンスについてはおれに聞かないで欲しい。ただ、さすがに呼びにくいと思ったのか、その後月子はおれのことをブッチと呼ぶようになった。
 父親は酔っ払って帰ってきた月子に説教をしたが、おれの顔を見るなり母親が「かわいい」を連発したため、叱責はそれっきりになった。
 父親は言った。
「こいつ、足がでかいから大きくなるぞ」
「ちゃんと世話するよ」月子は言った。
 父親はそれ以上何も言わなかった。

 そしておれは月子の家の庭の片隅に場所を与えられた。

 月子はそれから毎日おれを散歩に連れて行った。
 学校に行く前、いつもより30分早く起きて、月子はおれを連れ出した。
 散歩の間ずっと、月子はおれに話しかけながら歩く。おれはそれに相槌をうつ。もちろんおれの声は、月子に届くわけではない。だが、月子はおれの目や尻尾の動きから、おれの気持ちを感じ取り、それに対して必ずリアクションを返してくれる。たとえばこんな風だ。

「ブッチ」
 なんですか。
「梅が咲いているねえ」
 梅ですか。
「梅干食べたい」
 話、そこに行きますか。
「あーなんか唾出てきた」
 不味いっすよあれ。
「梅干食べたくない?」
 いや、別に。
「そうか、ブッチは食べなかったもんね」
 つか、思いつきでおれのメシに変なもの入れるの、やめて欲しいんですけど。
「こないだはごめんね」
 いや、わかればいいんです。

 周りの人から見れば月子はひとり言を言っている変な女に見えただろう。
 だがおれはちゃんと月子と会話しているつもりだし、月子もおれと話をしているつもりなんだと思う。
 それはそれなりに、ちゃんと成立している。

 冬は苦手だ。
 寒い場所は本当に苦手だ。
 粉雪のちらつく真冬の日には、月子の情けで部屋の中に入れてもらう。
 月子は自分の部屋がないので、居間のコタツで受験勉強をしながら、せんべいなど食っている。
 おれはそれを横目で見ながらコタツの中でまどろむ。
「ブッチ」月子が笑う。「おまえ、爺さんみたいだよ」
 月子の笑った顔がオレは好きだ。
 尻尾を振って喜ぶほどではないが、本当に好きだ。

 月子が勉強をしているときはおれは決して邪魔をしないが、月子が息抜きをしているときは話は別だ。
 月子は勉強に疲れると、机の上にプラスチックの玩具をぶちまけて、それを長方形の塔の形に組み上げて、一本づつ抜いていく。

 なんすかそれ。
「ジェンガよ」
 面白いんすか。
「一本づつ抜いていくの」
 はぁ。
「で、崩しちゃったほうが負け」
 難しそうですね・・・。
「けっこう面白いよ。本当は二人でやるんだけどね」
 こうっすかね。
「あっこら!」

 おれがそれを抜こうとすると、必ず塔は崩れるのだった。

 そうして月子は地元の大学に合格し、電車で30分ほどのそこに通うようになったが、そうなってからも毎日おれを散歩に連れて行った。
 友達と遊んで帰ってきても、必ずおれを散歩に連れて行く。
「なんだろうねぇ、あんたは。いいんだよあたしが連れて行くから」母親が呆れて言うが、月子は、
「いいの。ブッチもあたしと一緒に行くほうがいいっしょ」と言った。
 まぁ、それは、そうだ。
 そんなわけだから、大学の4年間も月子はほとんど欠かさずおれを散歩に連れて行った。
 月子が卒業旅行に行ったときも、月子は毎日電話をかけてきて、父親と母親におれの散歩コースを指示することを忘れなかった。
「友達に、彼氏に電話してるの?って言われた」と後で月子は笑った。
 そして月子は帰ってくるなり、おれの首に抱きついて、首輪に何かをぶらさげた。
「お土産」
 わけのわからない小さな木彫り細工をぶらさげたおれは、たぶん困った顔をしていたと思う。
 木彫り細工はわけのわからない動物の足の裏のような匂いがした。
 おれはくしゃみをした。
 それを見て月子は爆笑した。

 たぶんおれの中でそれが一番の記憶だ。
 一番きれいな月子の笑顔だ。

 大学を卒業して、月子はやはり地元の銀行でOLになった。
 職場は少し遠くなったようだったが、それでも月子がおれを散歩に連れて行くことは変わりはなかった。
 月子はおれに、仕事のキツいことや、客のことについて愚痴をこぼした。
 ほとんどの話は理解できなかったが、とりあえずおれは相槌をうつ。
 月子はそれを理解する。
 たとえば、月子が支店長について愚痴るとき。

「意味もなく肩揉んで来るんだよねアイツ」
 ほう。セクハラですか。
「なんか、気持ち悪くってさ」
 とりあえず、そのハゲを一発ぶっとばしとくというのはどうですか。  「それができたらねぇ」

 おれたちは言葉を交わさない。
 月子が一方的に話すだけだ。
 だが、おれと月子の間で、会話は成立している。
 それはとても奇妙なことだが、本当のことだ。
 父親がなくなったのはそれからまもなくのことだった。

   父親はたまに、月子が風邪をひいたときなど、おれを散歩に連れて行ってくれた。
 おれにとっては遠くはないが近くもない存在だったが、
 月子の悲しみようったらそれはなかった。
 月子はおれを抱きしめてわんわん泣いた。
 おれも悲しかった。月子が泣いていたからだ。
 人間のことはよくわからないが、月子の感情は理解できた。
 月子の悲しみはおれには理解できた。
 おれも泣いた。泣いているように見えなかったと思うが。

 父親の遺品の整理が終わり、父親の書斎が月子の部屋になった。
 月子は元通り元気になった。
 時々月子はおれを部屋に入れてくれた。
 最初にその部屋に入ったときは、父親の匂いと月子の匂いが混ざりあっていて変な気分だったが、すぐになれた。
 月子の煙草の匂い。
 だんだん部屋は月子の匂いがするもので埋まっていった。

 やがて、月日がすぎた。

 異変に気がついたのはおれだった。
 まず月子が散歩の時に、あまり喋らなくなった。
 おれは月子の声に耳を澄ます。
 だが、月子は黙って歩くだけだった。
 おれは悲しくなって、用を済ますとさっさと家に帰る。  当然だが散歩の時間も短くなった。
 散歩に行くとき、おれがリードを引っ張っても、動かないことさえあった。

 そしてとうとう、朝の散歩が途絶えた。

 ある朝、月子は起きて来なかった。
 母親がおれを散歩に連れていった。
 月子は病気なのだ、とおれは直感した。
 母親はおれを繋いで、階上に声をかけ、仕事に出かけていった。

 昼過ぎ、月子は縁側に降りてきた。
 ぼんやりとした表情で縁側に座る。
 おれは恐る恐る月子に近づき、手の匂いをかいだ。
 見たところ傷も負ってないし、熱もない。
 おれは月子の顔を見上げた。
 月子はおれの顔を見ないで、すっと家の中に引っ込んだ。

 月子の体はどこも悪くない。
 だが、月子からは病気の匂いがした。
 
 とうとう月子は2階の自分の部屋に閉じこもって、降りてこなくなった。
 毎日のように、母親と月子の口論の声が聞こえるようになった。
 母親が硬い顔で、おれを散歩に連れて行く。
 ため息をつきながら、おれにエサをくれる。
 月子の部屋は閉ざされたままだ。
 そこに母親が食事を運ぶ。
 時々階上で物音がする。
 おれは聞き耳を立てる。
 だが月子の声は聞こえない。
 おれは、不安になった。

 ある日、母親が散歩からおれを連れて帰ったとき、雨が降ってきた。
 母親は、おれを家の中に入れたまま出かけた。
 おれは階段を上がり、月子の部屋の前に行った。
 中をうかがう。
 扉の中からは何も聞こえない。
 そっと鼻を近づけてみるが、何も感じることができなかった。
 おれは吠えた。
 滅多に吠えることのないおれだが、吠えるときのやり方くらいはわかっている。
 おれは吠えた。
 部屋の中で物音がした。
「何」
 月子が出てきた。
 いや。
 月子は月子のように見えるけれど、その人影は月子とは別のものだった。
 おれは悲しくなって、また吠えた。
「うるさいよ」
 月子が顔をしかめた。
「散歩は行ったでしょ」
 おれは月子の目を見た。
 月子は視線をそらした。
 おれは吠えた。
「うるさいよ!」
 月子が持っていた何かをおれに向かって投げた。
 おれの目の前に火花が散った。
 おれはキャウン、という悲鳴を上げた。我ながら情けない声が出たと思う。
 月子が投げたのは、木彫りのライターだった。
 おれの首にかかっているものとおそろいの、よくわからないセンスのヤツだ。
 それがおれの眉間に命中したのだ。
 眉間が切れたのが感じられた。
 血が滲んだ。
 月子が立ちすくんだ。
 おれは後ずさって、月子を見上げた。

 おかしなことだが、
 そのとき月子が、わけのわからない動物から、月子に戻ったような気がした。

「ブッチ!」月子は叫んだ。
 月子がおれの体をかかえた。
「ブッチ・・・」
 月子が泣いた。
「ブッチ、ごめんね・・・」
 いいって。別に。
 ちょっと痛かったけどな。
 月子がおれを抱えて泣いた。
 ちょっと、おれは暖かくなった。

 慌てて月子は雨の中、おれを獣医に連れて行った。
 まぁ、ケガ自体はたいしたことがなかったのだが、おれの眉間には三日月型の小さな傷が残った。
 月子はそれから、何か憑物が落ちたみたいよくなった、なんてことはまるでない。そんな都合のいいことはない。月子は相変わらず部屋にこもることは多かったし、仕事に行くこともなかった。
 だが、明らかに変わったのは、月子がまた、昔のようにおれを毎日散歩に連れて行くようになったということだ。
 そのうち、月子は夜、階下に下りてきて、居間でごそごそ何かやるようになった。受験勉強のようにも見えるが、どうもそうではないらしい。うーとかあーとか唸りながら、文字の書かれたプラスチックの板(パソコンというらしい)に向かって何かしら打ち込んでいる。
 そして、飽きるとジェンガを持ってきて、崩れるまで柱を抜くのだった。
 おれもたまに、それを居間で、手伝った。おれが触ると一瞬で崩れるのだが。
「あーもう、邪魔」
 そのたび月子は、笑いながら怒るのだった。

 そうこうしているうち月日は流れた。

 いつの間にか、月子は仕事を見つけたらしい。というのは、月子が書いたものに対し、金を払う人間が現れたからだ。家にはいろんな人間が現れて、月子と打ち合わせをしたり、月子から書いたもののコピーが入っているらしい板(なんと呼ぶのかはよく知らない)を貰ったり、電話がかかってきたりするようになった。
 月子の仕事は、どうやら「作家」というらしい。
 月子は時々、いらいらしたり煙草の量が増えるようになったが、暴れたり閉じこもったりするようなことはなかった。煮詰まったら昼だろうが夜だろうがおかまいなしに外へ出た。おれはその度に月子と一緒に出かけた。

「あんたはいいねぇ」
 何が。
「散歩と食事以外にすることないじゃん」
 いや、そうでもないっすよ。
「生まれ変わったら犬になりたいよ」
 猫のほうがいいんじゃないっすか。
「猫のほうがいいか」
 気楽そうでいいっすよ。
「でもまぁ、そうはいかないしね」
 そうっすね。
「頑張るか」 がんばってくださいよ。

 そうして1周して帰ってくると、不思議と月子は仕事がはかどるらしかった。

 そしてまたのたりと月日が流れた。

 月子の母親がなくなったときは少し大変だった。
 月子は人目もはばからず泣いた。
 おれはまた、胸が痛むほど悲しくなった。
 それからしばらく月子は仕事を休んで、ぼんやりとしていた。
 一人になってしまった、と月子は言った。

 おれがいるっすよ。

 そうか、ブッチがいたか。

 月子はまた、仕事に戻っていった。

 こたつが何度も出たりしまわれたりした。
 月子の顔もふけてきた。
 おれにも変化が、間違いなくおとずれていた。
 おれの毛皮の艶は失われ、足にも踏ん張りが利かなくなってきた。
 散歩コースの電柱に、ついと小便をひっかけようとしたそのとき、
 おれは転んだ。
 明らかになにか変だ。
 屈辱だが、おれはしゃがんで小便をするようになった。
 月子がおれに語りかける。

「ブッチ」
 なんですか。
「無理しないで、しゃがんですればいいよ」
 ・・・そうね。
「大きいほうのときも、支えててあげるからさ」
 それはいいっすよ、悪いから。
「遠慮することはないんだよ」
 するっすよ。

 散歩も短くなり、一日のほとんどを寝て暮らすようになった。

 松原がやってきたのはそういう頃だ。
 松原は月子の担当編集者の1人らしかった。年は月子より若干若い。
 松原は最初おれを見つけて驚いた。
「うわ、犬、いるんですね」
「うん、最近は中に入れてるの」茶を入れながら月子が言った。
「犬、苦手?」
「ええ、まぁ・・・」
 おっかなびっくりおれに近づく。
 吠えてやろうかという悪戯心が湧き上がったが、やめた。
「おとなしい犬ですね」
 おれの頭を撫でながら松原は言った。
「もうおじいちゃんだから」月子が言った。
 おれは松原を見上げた。
 犬が苦手だというオーラを出している人間は特にそうだが、おれの頭を撫でた編集者はいない。
 一生懸命おれが苦手でないふりをしようとしているのがおかしかった。
 こいつ、月子に惚れてるな。
 なんとなくそう思った。おかしかった。

 その夜、ついにおれは失禁してしまった。
 やっちまった、と思ったが、どうすることもできなかった。
 犬にとって、自分の意思に反してその場で用を足してしまうということは、屈辱以外の何者でもない。
 翌朝、情けなさそうに顔を見るおれに、月子は微笑んだ。
 おれが今まで見た月子の笑顔の中で、一番悲しそうな顔だった。

 来るべきときが来てしまった。
 なんとなく覚悟はしていたが、
 実際それが来ると、なんとまぁ、寂しくて悲しいものよな。
 おれは月子の掌を舐めた。
 月子が泣きそうな気がしたからだ。


 それから毎日、まどろみと目覚めを繰り返す日常が始まった。
 月子は紙おむつを買ってきて、それを毎日換えてくれた。
 もう散歩に行くこともできなくなってしまった。

 冬の足音が聞こえてくるようになった。
 ここのところこたつの中でうずくまってうとうとしている。
 カチャカチャ音がするので、顔をあげると、月子がひさしぶりに、こたつに例のプラスチックの塔を作っていた。

 なつかしいっすねそれ。
「覚えてる?」
 ・・・恥ずかしながら。
「ジェンガ」
 ああ、そう。
「あんたこれ好きだったよね」
 そうでしたっけ。
「あたしがこれ作っていると、崩しに来たよねいつも」
 そんなことありましたっけ。
「うん、いつも」
 そう言われればそうね。
「ねぇ」
 なに。
「もしかしたら、これ」
 なに。
「これ作ってたら、またはしゃいで、崩しにくるかなって」
 うん。
「元気になるかなって、ちょっと考えた」
 うん。ありがとう。
「バカだね」
 いいや。
「そんなこと、ないのにね」
 月子。
「・・・」
 泣くなよ。

 頭が重い。
「どうですか」松原の声がした。
「来てくれる事ないのに」
「家、離れられないでしょ今」松原が真面目な声で言った。「家族が大変なときに」
 松原は何か資料を届けにきたらしかった。
 松原はおれのほうを覗きこんだ。
 おれは松原を見た。
 松原さんよ。
「ん?」松原がおれを覗き込んだ。
 頼みがあるんだ。
 松原はおれの声が聞こえたような顔で、神妙におれを見た。

 月子が泣いたら、一緒に泣いてやってくれ。
 おれがいなくなったら、月子は泣くからさ。

 松原はわかった、というようにおれの頭を撫でた。



 いよいよ息が苦しくなってきた。
 空気の漏れる音がする。
 みっともないと思うが、しょうがない。
 月子はおれの頭を膝に乗せた。

 月子は泣きながら神様に祈ってる。
 何を祈ってるのかは知ってる。

 神様お願いだからもうブッチをつれていって。

 そう祈ってくれているんだ。
 おれがこれ以上苦しまないでいいように。
 おれがもう安らかに眠れるように祈ってくれている。

 思えばおれはずっとあんたが好きだった。

 月子の手を舐めた。
 月子の煙草のにおい。

 絶望の中の希望の匂いがした。


 なんとなく体が軽くなった。

コメント(790)

ブッチー!!
通勤中に涙腺緩みました。。

一票!!
横で寛いでる犬達とも
こう言う暖かい関係になれてたらいいな‥(/_・、)
一票
泣いたぁ。・゜・(ノД`)・゜・。
一票です。
最初から最後まで流れてる空気が好きです。一票

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