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日記ロワイアルコミュのシャンディ・ガフの溜め息

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「ほらっ。またですか?」と肩を軽く突つかれた。

「溜め息をつくと…」

「ああ…『幸せが逃げていく』だっけ?」と、僕は苦笑して続けた。

隣りの藤崎ヨウコが、「そうですよ」と得意気に鼻先を上げて答えた。
PCに向けたままの横顔に小さな笑みが浮かんでいる。
知らず知らずのうちに、何度目かの溜め息を洩らしていたようだった。

「グラフ化しなきゃいけないのはあと2つですよ。もうすぐ終わりますって」

そうだ。あと少しで、明日のプレゼンテーション用の資料作りが終わる。
この2ヶ月、藤崎と二人でこなしてきたこの作業がもうすぐ終わるのだ。

最初に、この仕事のヘルプ要員として異動してきた藤崎を見た時、
8つ年下のこの社員が果たして戦力になるのか、正直、疑問だった。
だが、毎日深夜まで二人で作業をしていく中で、僕は考えを改めることになった。
藤崎の、予想以上の理解力と事務処理能力は、確実に僕の作業負荷を軽減したのだ。

それに、何より励まされたのが、その明るさと前向きさだった。

2ヶ月の中で、僕はたくさんの藤崎を見てきた。

こんなに厳しいスケジュールの中でも、口先で文句を言いながらも
楽し気に仕事をこなしていく表情。
ミスをした時の本当に済まなそうな表情。
差し入れの100円ケーキ一つに弾けるように喜んでいた表情。

そのひとつひとつが僕のカンフル剤になっていたように思えた。

(短かったな…)

僕の溜め息が、疲労感でも安堵感でもないことを、たぶん藤崎は知らない。


いつのまにか、出社するのが楽しみだったこの2ヶ月がもうすぐ終わる。



「終わったあ!」と大きな声で、両手を上げて伸びをした後、
藤崎は縁なしフレームのメガネを外して、僕のほうを見た。

何日目かの深夜作業の時に、藤崎は、「もう限界です」と言ったかと思うと、
「ホントは、会社では絶対かけないんですけどね」と照れながら、
コンタクトからメガネに替えた。
それ以来、会社での深夜のメガネ姿の藤崎も、僕しか知らない。

「チーフのほうはどうですか?終わりました?」

藤崎が、子供のように無邪気に僕のPCを覗き込んでくる。
少し遅れて、藤崎の髪の香りが僕に届く。
僕の中で何かがチクリと痛む。
僕は思わず、少し椅子を後ろに引いた。

「あ…」

「どうした?どこか違ってたか?」

最後の資料は、藤崎のことを考えながら作っていたのだ。
気づかずにどこか間違いがあったのかもしれない。

藤崎にそんな間違いを指摘されることは、何となくその時の僕の気持ちを
そのまま指摘されるようで、僕は慌てて、藤崎の横に顔を列べてPCを覗く。

「いえ…メガネ…」

「メガネ?」

「メガネ外してたの忘れてて……。見えませんでした」

そう言うと藤崎は可笑しそうに、おなかを抱えて笑った。

「お前なぁ…」

藤崎はそれでも、「すみません」と言いながら、「私、バカだ」と言って、
涙を流して笑い続けた。そして、笑いながら、
「そうだ。ちょっといいもの持ってきますね」と言って、フロアを飛び出していった。

呆気にとられた。でも、最後まで藤崎らしい行動に、僕も笑いがこみあげてきた。

昼休みを知らせるはずのメロディが、フロアに小さく響いた。

午前0時だった。

僕は今、藤崎が好きになった。

違う…

今、気づいた。

ずっと好きだったことに。


************************************************************************

今日で終わりだ。

私は、宮本チーフに見つからないように、その横顔を何度も覗く。

チーフは、私が新人研修の時に、講義に来た先輩だった。
判りやすく的を射た説明と、優しい話し振りが印象に残っていた。

一緒に仕事をしたこの2ヶ月は本当に楽しかった。

仕事指示は簡単で的確だったし、複雑そうな資料には必ず
「いつでも質問していいからな」という言葉を添えながら、
同時に重要なポイントだけは細かいレクチャーをしてくれた。

私がミスをしても、「ミスはみんなするからいいんだよ」と言って、
「但し、同じミスは2回までな」と笑いながら私の頭を叩いた。
その上で、ミスをした原因を分析して説明してくれた。


いつからだろう。
『どのくらい一緒に過ごしたか』ではなく、
『どんな風に一緒に過ごしたか』で、気持ちは動くんだ、と気づいたのは。


「貰い物だけど…。よかったら誰かと行っておいで」
と、以前、2枚の映画チケットを渡された時、いつもあんなに冗談を
言い合っていたのに、どうして、「じゃあ、チーフ、一緒に行きます?」と
言えなかったのか、急に今、思い出して後悔する。


チーフが好きだった。

今日で終わりだ。
そう思い返すたびに苦しくなった。
隣りから溜め息が聞こえるたびにたまらくなって、思わず、自分まで
溜め息を洩らしそうになった。

チーフが洩らす溜め息と、私が落としそうな溜め息…その意味はきっと違う。
その違いに切なくなって、チーフを突ついた。


私の思いは全く置き去りのまま、最後の日の仕事は順調に進んだ。
来週からは、私は18階のフロアに戻り、この7階には来ない。

踏ん切りをつける為に、「終わったぁ!」と大袈裟に口に出してみた。

チーフのPCを覗き込むと、チーフの資料も終わっていた。
それはメガネがなくてもわかった。

(終わっちゃった…)

そう思ったら、急に涙が出てきた。

チーフの顔がすぐ横に並んだ。
チーフの頬の熱が微かに伝わってくる。
でも、それ以上に、私の頬の熱がチーフに気づかれそうで、
そして、浮かびかけた涙も気づかれそうで、私は笑い転げるふりをして、
慌てて給湯室に走っていった。


************************************************************************

「打ち上げ、しませんか?」

紙袋を手に、フロアに戻ってきた藤崎は言った。

「打ち上げ…って…これからか?」

「ここで、ちょっとだけですから」と紙袋を軽く掲げて、
へへん、と威張るように胸を張った。

袋からガラスのコップとスクリューキャップのビールが出てきた。

「冷えてるぞ、これ」

「はい。給湯室の冷蔵庫にしまっておきましたから」

事もなげに言う藤崎に驚きながら、同時に、これを用意していた藤崎に、
僕の胸が小さく疼いた。

「私には…これも入れてもらえます?」

藤崎は、紙袋からジンジャーエールを出して差し出してきた。

「…覚えてますか?チーフ」

ジンジャーエールのボトルを受け取ろうとする僕の指先が止まる。

(……覚えてますか?)

************************************************************************

新人研修の最終日に、講師陣を招いた立食パーティーが行われた。

ビールが飲めない私が、注がれたグラスを手にぼんやりとしていると、
講師の宮本さんが笑いながら声をかけてきた。

「どうした?飲んでないのかい?」

「いえ…実はビールはちょっと苦手で…」

「何だ?それならジュースでも貰おうか?」

「あ、でも、せっかくさっき専務に注いで頂いたし…」

「バカだなぁ。そんなこと気にしなくていいんだよ」

「飲めれば飲みたいんですけど…やっぱり苦くて…」

宮本さんは呆れた顔で私を見て、「じゃあ…」とグラスを取りあげた後、
ちょっと待ってな、と言って、すぐに新しいグラスにビールを注いできた。

「これならどうかな?」

「え…」

「いや、ビールに見えるけど甘いから」

恐る恐る口に含んだ。

「あ…」

口当たりよく飲める。

宮本さんはニッコリと笑って言った。

「シャンディ・ガフだよ」

「…シャンディ・ガフ?」

「今、ジンジャーエールを貰ってビールに混ぜてきたんだ」

「へえ…」

「飲みやすいだろ?」

「はい」

「でも、1杯で止めときな。飲み過ぎちゃうからね」
と言うと、私の頭を軽く叩いた。

「宮本さん!」とどこかから声をかけられ、「じゃあね」と私に小さく
敬礼して、宮本さんは呼ばれた先へ歩いていった。

甘くて、後味にほんのりとした苦味を残したシャンディ・ガフは
そのまま、宮本さんみたいだった。

************************************************************************

「あの時の新人、藤崎だったのか?」

「はい。だから今日はそれを飲みたくて」

「そっか。何故だか判らないけど、よく覚えてるよ、あの時のことは」

「誰だったかは忘れたけど、ですか?」

藤崎は、小首を傾げながら、嬉しそうに僕を覗き込んだ。

「僕もシャンディ・ガフにしよう」

藤崎の視線にうろたえて、慌てて2つのグラスにジンジャーエールを注いだ。

「お疲れさま。乾杯」

「はい…お疲れさまでした」

グラスの当たる音が、終演のベルに思えた。

藤崎は黙って一気に飲み干した。
僕も同じように一気に飲み干した。
甘くほろ苦い香りが鼻孔を抜けた。

藤崎がひっそり息を落とした。

「…ほら。溜め息」と僕は藤崎を指さして、茶化すように口を尖らせた。
藤崎は曖昧に笑って、グラスを置いた。

「…いいんですよ、もう」

シャンディ・ガフの気泡のように、細かい泡が僕の中で浮かんで弾けた。

「なあ…藤崎」

「はい?」

「来週…もう一回、ちゃんと打ち上げしないか?二人で」

藤崎は目を丸くして僕を見返した。

「いや、忙しそうなら別に構わないけど、もし、よかったら…さ」

(答えが怖くてあたふたするなんて、まるで中学生だな)と、
我ながら情けなくなるほど、傾いた心が跳ねた。

「はい!大丈夫です。忙しくありません。絶対忙しくしません」

藤崎は大きな声で言うと何度も何度も頷いた。

その後すぐに、背を向けてデスクの電話を手に取り、
「そろそろ、帰りのタクシー2台、呼びますね」と言った。

僕は、「ああ、そうだな」と言いながら、藤崎の「絶対忙しくしません」に
心を揺らされて、溜め息を止めた。

************************************************************************

手渡されたグラスの中では、細かい泡が頼りなく揺れていた。

「お疲れさまでした」とグラスキッスすると、囁くような音とともに気泡が散った。

2ヶ月の時間と、それ以上の思いを一気に飲み干したら、溜め息が洩れた。
ずっと我慢していたのに、本当に微かに溜め息が洩れてしまった。

チーフに指摘されて、狼狽した。

(いいんですよ。もう。幸せは今日で逃げちゃうんだから…)

口に出さないまま、私は曖昧に笑った。





来週の打ち上げ…

チーフの言葉に、信じられないくらい驚いた。

また、涙が出そうになって、急いで背中を向けて、デスクの電話を取った。
電話を置いた後もすぐ振り返れなくて、息を吸い込んだ。

溜め息が出そうになって、幸せを逃がしたくなくて、息を止めた。



昼休みを終えるはずのメロディが、フロアに小さく響いた。

午前1時だった。




私はずっと、チーフが好きだった。


コメント(91)

おーシャンディガフいいですねー 

一票です。
今日家帰ったらシャンディ・ガフ飲む。絶対。
タイトルの時点で一票入れたくなって、読んでさらに一票入れたくなりました。
シャンディガフを飲みたくなったのですが、飲んだ後にもう一票入れたくなるんでしょうね。
一票しか入れられないのが残念ですが、

一票です。

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