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日記ロワイアルコミュの交換小説10−8 masa→acn→*ゆき*

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【チーム名】 パックリハウス
【順   番】 masa→acn→*ゆき*

masa  http://mixi.jp/show_friend.pl?id=701984
acn   http://mixi.jp/show_friend.pl?id=1256251
*ゆき* http://mixi.jp/show_friend.pl?id=5727700

【タイトル】  それぞれの自転


★ masa

 私がまだ若かった頃の話。17歳だったかな。
あの頃の私はいつでも焦っていた。時代の輪の中で生きたがる臆病な子だったから。

 ・・・その日は、この地域で名が知られている、有名ボンボン男子校とのコンパだって聞いたから、特別気合も入ってた。前日の夜はパックをしたし、眉毛も綺麗に切りそろえて、腋の毛も血が出るくらい剃り込んだ。ヒリヒリして眠れなかった。鏡の前でアヒル口の練習もした。口角が痙攣した。二次会カラオケを想定したお風呂場(エコーが効くから)でのリハだってやっといた。家族に怒られた。翌日に顔がむくまないよう水分だってなるべく控えた。喉が乾いて夜中に何度も目が覚めた。
 ラーラーラーララーラー。
 言葉にできないくらい頑張った。私なりに。

 で、当日。
 「君、化粧濃いね」

 私の対面に座るコイツ。前髪だけが眉毛に達する長さで、残りは全頭が均一に刈り込まれている。タック入りジーンズに仕舞い込まれたハードロックカフェTシャツは首元がヨレヨレだし、なんでか知らないけど女子バレー選手みたく半袖の袖をたくし上げている。驚くべきはそこから猛烈に自己主張を叫ぶ、前方へ飛び出た針金みたいな腋毛。常に“小さく前へ倣え”をする格好でその場の空気を独占していたけれど、それに倣える者はもちろんいないし、尾崎だってそんな追悼の形は望んでないと思う。

 「ハァ?」

 怒り心頭に達し、喉元まで込み上げてくる罵声の数々をどうにかリバースして胃袋にねじ込んだら、吐き気がしてきてトイレに駆け込んだ。
 洗面台の鏡に映る自分の顔を見て思った。

 確かに濃いな。

 しっかし、アイツのキモさはどういうことだ。今すぐバイクを盗んで走り去りたかったけど、一緒に来ている女子に嫌われるのが怖いし、そんな技術も気合も持ち合わせてはいなかった。仕方がないから、とりあえず個室の扉を殴りつけて、大きく深呼吸を一回した後、トイレから出た。


★ acn

呼吸を整え、なるべくソイツを見ないようにしながら何事もなかったように席についた。
めいめい飲み物をオーダーしている会話に、とびきりの笑顔で途中参加するつもりが、ソイツの視線をものすごく感じる。ソイツのほうを見ていないのに、ソイツがこっちを見ていることだけがわかった。

もー、なんだよ、キメーなー…。

なんだか無視しているのも、意識している気がして、ソイツのほうを見てみた。
目が合った瞬間 、「ボクの言葉にものすごく気分を害したんだろ?」
両ほほを手で支えながら上目使いに話しかけてきた。

超、キモイ!!

「ハァ?」

馬鹿馬鹿しくって話しにならない、という風にメニューに目を向けようとしたら

「つまりは、図星ってところだね」

何が「つまりは」じゃ! しょーもないところを格好つけやがって!
今しがた壁を殴ってまで必死でこらえた怒りが再びこみ上げてきた。

「だって、怒っていなければそういう態度に出ないはずだからね。
君はなにがしかの怒りを抱いているからこそ、ボクの言葉に答えられない」

「ちょ、ちょっと待ってよ!あんたに私の何がわかるってのよ!
さっきから黙って聞いてりゃべらべらべらべらと精神科医みたいに、何様のつもり!?あんたこそキモイ服着てさ!彼女できたことあんの!?あんたなんかに言われたくないわよー!!」

ついヒートアップして立ち上がり声を荒らげてしまった。
はっと我に返ると、席が静まり返って皆がこっちを見ている。

「ち、ち、ち」

違うの!と言おうとしたとき

「今度はボクの見た目から自分の尺で【もてない】と決め付けて、ボクを下位において、自分を上位に保たせようとしているんだね。そういうやり方はよくないよ。
差別ってものは、そういう視点から始まるものだからね」

その論のもっともさに「おおー」なんて声まで上がっている。
悔しい!悔しいけれど、これはやばい。不利すぎる。

私は一気に脱力して席に座った。

場は何も無かったかのように、またにぎわっていたけど
私はその会話に入る気にもなれずに、ただジントニックを何度も口に流し込んだ。

何なのよ、何なのよ、何なのよ!
まるで私が悪者みたいじゃない!!

あまりの腹立たしさが一周して、今度は悲しくなってきた。
ジントニックのガブ飲みも手伝って、鼻の奥がツーンとする。
前髪をもぞもぞと触って、うつむいて涙を隠した。

「大丈夫?」

優しい声に一気に涙腺が緩む。
顔を上げると、ソイツだった。


★ *ゆき*

私の顔を覗きこむようにして見ている。
この男ってば、人のことを責めるだけ責めておいて、大丈夫もクソもないでしょ。
「気分悪いから帰る」
もう、女友達にどう思われようとどうでもよかった。早くこの場から立ち去りたかった。

有名ボンボン男子校とのコンパだっていうから気合いを入れてきたのに、あの男のせいで台無しじゃないの。でも、たいして、よさそうな男もいなかったし、まあいいか。
私は駅の構内を歩きながら、手に持ったバッグをぐるんぐるんと振り回した。
すると、なにかにバッグがごちんとあたり、同時に「いってぇ」という声がした。
「ご、ごめんなさい!」
謝りながら振り返ると、そこにいたのはさっきの憎らしい男だった。バッグが顔にあたったらしく、鼻を押さえている。
「ちょっと! なによ、あんた。まだ文句でもあるわけ?」
男は鼻を押さえて黙ったまま、ジーンズのポケットに手を突っ込んだ。まさかナイフを持っているなんてことないよね? 私は体をこわばらせた。
ポケットから取り出したものは、財布だった。うすいピンク色でラメが入っている。なんだコイツ。見かけによらず女の子チックな財布持ってるな。と思ったら、私の財布じゃん!
「これ、わすれもの」
少しは痛みがひいたのか、鼻を押さえていた手をはずして、男は言った。
私は「ありがとう」がうまく言えず、口をぱくぱくさせながら財布を受け取った。
「お前さ、そういうところ、昔とぜんぜん変わってないな」
「え?」
「素直じゃないところ」
男はバッグがあたって少し赤くなった鼻の下をこすりながら、にんまりと私を見つめる。あれ、このクセどこかで見たような? 
「あっ、もしかして、タケル?」
「やっと気付いたか。オレは最初からキナコだってこと分かってたぜ」

タケルと私は同級生で、団地のお隣さんだった。小学6年生になる春に、タケルたちが新築した家に引っ越すまでは、ほぼ毎日一緒に遊んでいた。でも引っ越してからは年賀状のやり取りを一度か二度しただけ。もう会うこともないと思っていた。
それがまさか、コンパで再会するなんて。というか、タケルが有名ボンボン男子校の生徒だなんて信じられない!
「オレさ、今日は人数合わせでコンパに参加したんだ。残念ながら、有名ボンボン男子校の生徒ではありません。『ボク』だの『キミ』だの、普段使わないから舌噛みそうだったぜ」
タケルが私の心を見透かすように言う。
「にしては、私にいろいろ言ってくれたじゃないの! 私、本気で頭にきたんだからね!」
「ごめんごめん。あんまり化粧が濃いからさ、ついからかいたくなってさ」
私はくちびるをぷうっととがらせた。
「あ、その顔! キナコのその顔も昔と変わんないな」
「どーせ、成長していませんよ!」
ふざけて殴りかかろうとしたけれど、タケルに腕をつかまれて、あっさりとかわされた。つかまれたところが、カーッと熱を帯びる。
「つーかさ、お前、高校生のくせに、酒飲みすぎだろーが。送ってくよ。今もあの団地に住んでるのか?」
「ううん。私んちも家を買って引っ越したんだ。中古だけどね」
「そうかぁ。あの団地、懐かしいな。引っ越してから一回も見てないや」
「私もだよ。今から行ってみる?」
思わず出た言葉に、自分自身が驚く。
「そういう無鉄砲さも、昔のままだ」とタケルは笑い、私たちは昔住んでいた団地に向かうことになった。

けれど、どこでどう間違えたのか、聞いたこともない駅名が続く路線に乗ってしまった。
「とりあえず降りようよ」と降りた駅は無人駅。周りは田んぼで人っ子ひとりいない。
「ごめん」と私は謝った。タケルは、大きな駅についたら降りようと言っていたのだ。どこに向かっているのかわからない不安から、私はつい降りることを優先してしまった。
「ま、いいさ。終点まで大きな駅がなかったかもしれないしな」
タケルはそう言いながら時刻表を見ると、朝になるまで戻れる電車がないことを教えてくれた。

夏とはいえ、夜遅くなってだいぶ気温が下がってきた。ひゅうひゅうと稲穂をゆらす風が冷たく感じる。薄いワンピース1枚では、涼しいを通りこして寒いくらいだ。
私が腕をこすり合わせていると、ホームのはじっこに行っていたタケルが戻ってきた。
「あそこに掘っ立て小屋がある。とりあえず行ってみよう」
タケルが指差すほうをみると、なるほど田んぼの中に小屋のようなものが見える。
私たちは暗いあぜ道を、どちらからともなく手をつないで歩いた。

小屋の戸は簡単に開いた。
暗がりの中を手探りで進むとヒモのようなものが触れたので、もしかして、と引っ張ってみると、裸電球が辺りをぼうっと白く照らした。
「キナコでかした!」とタケルに褒められ、小屋を見つけたあんたのほうがずっと偉いよ、と心の中でつぶやいた。
「風がないだけ駅にいるよりはましだな」
「そだね」
小屋の中には、農作業に使う道具がいくつか置いてあり、あんがいと片付いている。私は丸めて立てかけてあるものに気付いた。
「あ、ムシロがあるよ! これは、い草で編んだヤツかな? それともワラかな?」
自分で自分の目が輝いているのが分かる。なにを隠そう、私はかなりのムシロ通なのだ。
「キナコのムシロ好きも、昔と変わんないってとこか?」
タケルがムシロを敷きながら、がははと笑った。


★ masa

「ムシロ…、むしろ大好き…みたいな…」

「……」

 言った後、完全な静寂が訪れて、気温と逆に私は一人で体温が上昇していた。

 外壁であり内壁である、古い木の板の継ぎ目から、青白い月光が薄く差し込んで、タケルとその周辺をぼんやりと照らし出している。

 「Tシャツ、ヨレヨレだね」

 「…趣(おもむき)」

 「…どこでどう育ったらその前髪にたどり着くの?」

 「70年代ブリティッシュロック風味…。近所の理髪店でお願いしたら日本兵みたくなってしまった」

 「…美容室ヘ行カレタシ」

 そう言って敬礼したら、タケルが笑った。その笑い顔が郷愁を誘った。

 タケルとの昔話は、学校の友達とするお喋りとはまるで違う。私が私のままで過ごした日々の記憶に浸れて、妙に心地が良かった。

 二時間くらい経ったか、移動した月が光の入射角度を変えて、私を淡く照らす。

 「月って動くの意外と早いね」

 普段、言わない台詞が、この場所で似合ってた。

 「地球が動いてるわけです」

 そう言ったタケルは昔と同じ横顔で、前髪も見慣れた。

 学校、クラブ、コンパ。私を取り巻く日常が、目まぐるしい早さで、ひどく慌てるけど、その実それは、私自身が作り出した焦燥でもあるのかな。って、理科の教科書にある、天体を連続撮影した写真をイメージしながら思った。

 隣のタケルは、手を頭の後ろで組み、なんとも罪のない顔で、裸電球に群がる虫を見上げていた。
 あの日のままのタケルと、今の私。どこでどう育ってこうも違うのか。

 淡く滲む月光の下で、柄にない言葉が浮かんでは、やけに深く染み込んだ。


★ acn

虫の鳴く声だけが2人を包んでいた。
心地よい沈黙の時間だったのに、タケルが腕を組み替えた音に驚き体がビクンと反応してしまった。男女が1つ屋根の下にいるということが急にリアルに感じられる。
 
いやだ、私何考えてんの。

邪念を振り払い、また虫の音に耳を傾けようとしたとき、タケルの手が私の手を握った。急激に体が強ばってしまうのを感じて、隠そうとするあまりに呼吸までおかしくなってくる。この緊張と沈黙に耐えられず口を開いた。

「タケルってさ、経験済み?なわけないか」

ば、ば、ばかじゃないの私!!やぶへびってこのことじゃん!!
笑ったものの、この状況で何でこんなことを聞いてしまったのかと自分で自分を呪うような気持ちでいると、タケルが静かな声で話し始めた。

「残念ながらあるんだな、これが」

「うそ!?もしかして彼女いるの!?」

「残念ながらいないんだな、これが」

「じゃあ、なんで…?」

「高校の合格祝いに、いとこの兄ちゃんが風俗に連れていってくれたから」

「…ばかみたい」

「うん、ほんとそうだよな。これでもちょっとは後悔してたりします」

ちょっとショックだった。それはタケルが童貞じゃないということではなく、自分が処女だということに対しての。

「したかったら、いいよ」

自分が今、とんでもないことを口にしているのはわかったが、初体験の相手がタケルなら申し分ない気持ちでいたのも事実だった。

タケルは返事もせず勢いをつけて私に覆いかぶさってきた。
緊張で固まり目を瞑る私の両ほほを手で包んで、唇に触れるだけのキスをした。
そしてあっという間に体から離れて、「お前、ほんと馬鹿だな。自分をもっとたいせつにしろ」と言ったきり背を向けてしまった。
いつもの私なら「何が馬鹿なのよ!」なんてつっかかっていくのに、自分の馬鹿さ加減と、女としてのちっぽけなプライドが疼いて恥ずかしくて情けなくて涙が出てきた。
私はそのまま眠れずに、外が明るくなったと同時に、一人でこっそりと小屋を抜け出して電車を待った。

タケルは駅に現れず、それきりになった。

その後、私は大学へ進み、卒業後は外資系商社に就職をした。
そこで知り合ったのがイサオ。
イサオはかなりモテる男だ。そのイサオが私に付き合ってほしいと言ってきた。ぜんぜん私の好みではなかったけれど、イサオの押しの強さと、周囲の女性から私に向けられる羨望の眼差しが気持ちよくて、私はYESの返事をした。付き合って2年たった頃、プロポーズをされ、その半年後には婚約を済ませた。
イサオは政治家の父の三男で、いわゆる「金持ちのボンボン」。
たまに雑誌の読者モデルもしていて、友達にはいつも羨ましがられている。
そんなイサオが、どうして私を好きになったのかよくわからない。

「なぁ、お前さー、もっと胸でかくしたほうがよくね?」
ある日、私の胸を後ろから揉みながらイサオが言った。

「そ、そうよね、私ほんと貧相でさ。でかくって豊胸をするってこと?」

「せいかーい!金なら気にしなくていいからさ、Fカップにしようぜ、Fカップ!」

「やっぱり小さい胸はダメかな」

イサオは答えずに「豊胸手術」の検索をしていた。
そんなイサオの背中を見ていたら、私はなぜか17歳のあの夜の泣きたい気持ちを思い出していた。

「ねぇ、イサオ。このままの私じゃダメなのかな」

イサオは振り返り、ハァ?と小馬鹿にしたような顔をして、またパソコンに目をやった。そして、そのままの姿勢で、私のほうを見向きもせずに、「キナコは俺の言うことをはいはいってきいてればいいんだ。そういう女だと思ったから婚約したんだぜ。じゃなかったら、お前みたいな、見た目はいいけど平凡なサラリーマンの娘なんかと結婚するわけないだろ。もっと俺の女だってことを自覚してくれよ。キナコは胸さえでかくすれば完璧なんだからよ」と言った。

私は多分ずっとわかっていたのかもしれない。
イサオに大して想われていないって事実を。
見て見ないフリをするほうが生きていきやすくて。
浮気の容認、見合う女になるための表面磨き、機嫌をとるだけの会話……。
私だって、周囲の羨望を心地よく感じていたんだもの。同罪だわ。

「地球が動いているわけです」

タケルの言葉を思い出して、ぎゅうっと胸が潰れそうな気持ちになった。

きっと親は怒るだろうなぁなんて考えながら、私は指輪と鍵束から合鍵をはずしてテーブルに置き、「婚約を破棄します」と言った。イサオはきょとんとした顔で私を見ている。

「ありのままを愛してくれる人を探すわ。イサオも、Fカップの女を探してね」

そう言い捨てたくせに、部屋を出てゆっくりゆっくり歩いた。
もしかして追いかけてくるかなと思いながら。

私、馬鹿みたい。
あの夜も、今も、私、本当に馬鹿みたい。


★ *ゆき*

私はそこまで話すと、カップを手にした。
コーヒーはすっかり冷めてしまっている。私は熱いコーヒーを淹れるために立ち上がった。
「ちょっと、おかあさん! それでどうなったの? イサオは追いかけてきたの?」
「ううん、追って来なかった。そのまま婚約は解消されてイサオはすぐに別の人と結婚したの」
お湯を沸かしながら私はこたえた。
「ふうん、そっかあ。あたし、イサオって人が父親だったらよかったなあ。お金持ちなんでしょ。あ〜でも、おかあさんとイサオが結婚したら、あたしは生まれていないわけで。それに、やっぱりイサオみたいな父親はいやだな。イサオとタケルだったら、だんぜんタケルのほうがあたしの好み! タケルがおとうさんだったらよかったのになあ」

娘のアン子は今年17歳になる。今日は日曜だというのに早起きをしてきたなと思ったら、いきなり「おかあさんとおとうさんの馴れ初めを教えてよ」なんて言い出した。
「突然、どうしたの?」
アン子は私の問いにすぐには答えず、少し頬を赤らめてから「ちょっと気になっただけ」とぶっきらぼうに言った。
恋をしているのだろう、とピーンときた。そこで私は、母親としてではなく、女として自分が経験した恋をアン子に話そうと思いついたのだ。

「ていうかさ、いつになったら、おとうさんが出てくるの?」
「そうあわてないの」
私は熱いコーヒーをひとくち含んでから、ゆっくりと話し始めた。

イサオと別れてから私は仕事に熱中した。婚約解消は自分が言い出したものだったが、心に傷を負わなかったわけではない。目の前にある仕事に打ち込むことで、私は心の傷を癒していたのだ。その頑張りは思いがけず、異例の昇進につながり、私は責任のある立場になる。そうなると、いよいよ仕事が面白くなり、以前にも増して仕事に熱をいれるようになった。
けれども、心がすーすーと音をたてはじめた。仕事に打ち込めば打ち込むほど、その音は大きくなり、さみしい気持ちがわくようになった。
もう恋なんてしない、と心に決めていたわけではないけれど、どこか臆病になっていたのは確か。結婚退職をしていく同僚を見るたびに、心の隙間がひろがっていった。

そんなある日。私は会社の帰りに寄ったコンビニで、バッタリとタケルに会った。それはもう、「バッタリ」という言葉がピッタリの出会いだった。なにしろ、私が店内に入ろうとしたら、タケルが出てきたのだから。
「タケル?」
「キナコか?」
約10年ぶりの再会を私たちは喜び、一緒にお酒を飲んだ。タケルと過ごす時間はとても楽しかった。かわいた砂に水がしみるように、どんどん自分の心が潤っていくのを感じた。恋におちるのに時間はかからなかった。数時間後には、私は体も心もタケルに委ねていて、タケルはそんな私をしっかりと受け止めてくれた。
それからしばらくして、私はタケルの子を身ごもった。

「妊娠?」
アン子が大きく目を見開いた。
「そう。そのときの赤ちゃんが、アン子、あなたなのよ」
「ええっ! じゃあ、あたしのおとうさんはタケルってこと?」
「そういうことになるわねぇ」
「ちょっ、そんな大事なこと、どうして今まで教えてくれなかったの? ひどいじゃないっ! おとうさんは知ってるの? あたしが実の娘じゃないこと知ってるの?」
「知ってるもなにも……」
私は思わず、クスッと笑ってしまった。
アン子が、なに笑ってるのよと言わんばかりに睨みつける。
「昔ね、『マッハ・タケル』っていうヒーローアニメがあってね。その主人公になりきってる少年のことを周りが『タケル』と呼ぶようになったのよ。もちろん、おかあさんもそう呼んでいたわ。タケルの本名は、道明寺 月平(どうみょうじ げっぺい)。あなたのおとうさんよ」
アン子は一瞬、キョトンとした顔をしてから、「ええっ!」と大声を張り上げた。
「じゃあ、あたしはおとうさんの子どもじゃんっ! もうっ、おかあさんたらあたしを騙したのねっ! すっごくビックリしたんだから!」
ぷうっと尖らせたくちびるが、いつかの私のようだ。
「うふふ。ごめんね。騙したわけじゃないのよ」
「だけどさあ」と言いかけて、アン子は急に自分の部屋へ入ると、バックを持ってあわただしく出てきた。
「今日、マミちゃんと11時に約束してるんだった。出かけてくるね!」
「はいはい。いってらっしゃい」
本気で怒ってしまったのかな、と思っていた私は、内心ホッとした。
「おかあさん」
「うん?」
「タケルと結婚してよかったね。あたし、おとうさんとおかあさんの子どもでよかった。じゃ、いってきますっ!」
「いってらっしゃい」の言葉が、こみあげてきた熱いものでさえぎられた。

寝室のドアをそっとあけた。
連日、残業続きの夫は、まだ静かな寝息をたてている。この団地に住むのも、あと半年。念願のマイホームを新築することになったのだ。今度は別々でなく、一緒に団地を出て、同じ家に引っ越すのだと思うと、じわじわと心の中があたたかいもので満たされていく。

「地球が動いているわけです」

私は静かにつぶやくと、夫の頬にやさしいキスをした。

コメント(138)

これは秀逸。何度も読み返してしまう。
笑えるとこもあったけど
最後はジーンと心ほっこりなりました!
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