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日記ロワイアルコミュの「死ね」という言葉

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今回は「笑い」をとりません。

ちょっとしんみり日記を書きます。

「笑い」を期待している方、お引取り下さい。

最近、はまっているマンガがあります「少年マガジン」で連載している「あひるの空」です。

内容は「バスケマンガ」なんですが、地区予選「一回戦負け」のチームが「本気でインターハイを目指す」と言う内容です。

自分の高校生時代を振り返ってみると「バレー」しかありません。
そのほか「失恋」だったり色々「学生らしい悩み」は抱えていましたが基本的には部活少年でした。

僕が「一年生」の時は札幌でもある程度「強い」とされていましたが
「全道大会」には一度も出場したことがありません。

そして、三年生が引退した後の「一、二年生チーム」は決して「強いチーム」ではありませんでした。

それでも毎日毎日、練習に励み「全道大会出場」を目指して頑張っていました。

僕は三年生が引退した後は人数の兼ね合いもあり「レギュラー」でした。
しかし「実力あってのレギュラー」ではなかったので非常につらい思いをしました。

それから「後一勝で全道大会」と言うところで敗れたりして苦しい思いをしました。

そして「新一年生」が入学して僕が二年生の時。
一緒に練習してきた「三年生」の最後の大会が「国体」です。

新入学生は「マネージャー」も「三人」加入して結構な大所帯になりました。

高校生ですから、部活が終わった後に「駄菓子屋」にいって買い物をして公園でだべったりいているのがとても楽しかったのです。

そんなやり取りをしている中、「三年生の先輩」は「一年生のマネージャー」を好きになったりして、それを知っている上での「公園トーク」はとても楽しかったのです。

「国体」までは後2ヶ月。

手ごたえはある「このメンバーなら全道初出場も夢じゃない!!」と思えるほどの力はありました。

そして、いつものように「厳しい練習」を終え、いつもの「公園」に行き、いつものように「遊んで」ました。

そこで向かえた「ビックイベント」

なんと、いつもの「公園」で「三年生の先輩」は「一年生マネージャー」に「告る」という高校生では「ええやないか」より盛り上がる「祭り事」が起こりました!!

もう、僕は「ええやないか!ええやないか!!」と踊りだしそうな気分でいました。

しかし「一年生マネージャー」の出した「答え」は「一日時間を下さい」でした。

僕は「観客」として非常に「腹立たしい気分」になりました。

「なんじゃそりゃ!!」と思いました。

そして、その「マネージャー」は神妙な面持ちをしながら家路に着きました。

僕はマネージャーがいなくなってから
「なんだよ、祭り事を盛り下げやがって、、、。死ね!!」っと言いました。

告った「先輩」も気が気じゃなく「公園会」はその日は解散でした。

次の日「休日練習」だったので「一時頃」に体育館に行きました。

しかし、その「マネージャー」は練習に時間になっても来ませんでした。

「いや、いくらあんな嫌な感じになっても部活は来いや」と思いながら練習していました。

しかし、なんだか「先生」や「キャプテン」の様子がおかしい。

なんとなくザワザワした感じがしました。

そしてその「違和感」の意味が告げられた。

「マネージャーが死んだ」

「練習に来る途中交通事故にあった」

その日の練習はそこで「解散」になり「自宅待機」といわれた。
涙は一切ない。
「信じられない」とはまさにこのことだ。

僕はよくわからない状況の中、なぜか「パート」でレジを打っている「母」のところへ行った(日記でよく登場する「あの母」の元へ)。

「母」は驚いて「なした!?」と言います、僕の後ろには「レジ待ちの行列」出来ている。
僕はよく分からない気持ちで「いや、なんか今日部活いったら、、、」と「支離滅裂」な話を「母」に話、「マネージャーが死んだ」と言う「単語」を発した瞬間「涙」が止まらなくなり、その場で「泣き崩れた」

その後「店員」である母に「事務所」に連れて行かれました、、、「学生服」で。
はたから見れば「万引き」でもしたかのような状況です。

それから「状況」の掴めないまま「先輩達」と集まり「TV」を見ていました。

夕方の「ニュース」で「事故」のことを取り上げられて
「ニュースキャスターの人」が

「本日、12:30頃、学校へ向かう途中だった○○さんが、ダンプカーの左折に巻き込まれ死亡しました」

と、言う言葉を聞いて「本当なのか、、、、」と思い始めました。
信じられないとはまさにこのことです。

信じられない、そんなことあるわけないだろ、、、。
と、思いながら夜を迎えましたが

全く眠れない。

つい、先日まであんなに「楽しかった時間」が、どうしてこんな状態なのかが理解できない。

でも「ニュース」を見たときに、もう分かってました。
「マネージャーは死んだ」と言うことを。

「頭」では分かっていました。
でも「心」が認めたくないのです。

その夜は「涙」も出ませんでした。

ですが、明け方「ガチャン」という音がしました。
「新聞」です。

僕は「走って」新聞を取りにいきました。

そして「その記事」を目の当たりに見ました。
「活字」というのは「妙にリアル」で、「お悔やみ申し上げます」の文字で
一片の「希望」を、全て「無」に返されました。

明け方聞こえた「ガチャン」という音は、僕の心に今でも鳴り響いています。

「お悔やみ申し上げます」
その一言で「緊張感」が「虚無感」に変わり

一気に「眠り」に付きました。

そこで、今思えば「夢枕」とでも言うのでしょうか?

その「マネージャー」が「夢」に出てきました。

内容は「夢」ですので「掴みようのない」ものでしたが
「マネージャー」は僕にあうなり
「大きな毛布」で顔を隠すのです。

僕「どしたぁ??」
マネージャー「見ないで下さい」
僕「えぇ??こんな祭り事で楽しいときに、何かくれてんだよ!!」
マネージャー「、、、、」

僕「なんだよ〜!」と言いながら、その「毛布」を剥がしました。
すると、その娘の「右胸から、左耳にかけて、黒いアザ」がありました。

そこでマネージャーは僕に
「これ、、、、一生消えないんです、、、でも、忘れてください、、、」と言いました。

そこで、目が覚めました。

夢です。
そんな「夢」から覚め

僕は「線香」をあげに、その「マネージャー」の「自宅」に行きました。
前夜は「両親」も取り乱していたようですが、もう全てを「受け入れた」親がそこにいました。

「マネージャー」が「事故」にあったときの状況を「教えて」くれました。

その「両親」から
「即死だったのが、幸いだよ、苦しまないで死んだからね、、、」との言葉を聞いたとき、また「涙」が溢れてきました。

その後「棺桶」に入った「友達」を見て、泣いていると「両親」が

「キレイでしょ?」

僕「、、、、、。」

親「さっきね、化粧師さんがきてね、とってもキレイにしてくれたの」

僕「、、、、。」

親「本当はね、車の急ブレーキの跡がね、、、、、」
親「ここから(左胸)、ここまで(右耳)黒いタイヤの跡が残ってたのよ、、、」

親「でも、、、キレイでしょ??」

そう言うと、その「両親」も泣き崩れた。

僕が見たあの「夢」と同じだった。
「同じアザ」だった。

「怖い」

なんて「感情」は一つもなかった。

僕はそこで「もう出ないだろう」と思っていた「涙」が「溢れた」

それは「前日」に「公園会」で

「なんだよ、祭り事を盛り下げやがって、、、。死ね!!」

と、言ったことが「頭」から離れないのです。

どうして「死ね!!」という「言葉」を言ったか。
それだけが悔やみきれません。

今思えば「本当」にただの「冗談」です。
ですが

「死ね!!」

その「言葉」は僕の思っている以上に「重み」を持ち
僕の「魂」の「根っこ」のところに張り付いて離れません。

「死ね!!」

よく聞く「言葉」ですが、軽はずみに使えない「言葉」です。

この頃から僕は「言葉」というものを意識し始めました。

「言霊(コトダマ)」とは本当にあるのだと思いました。

「夢枕」の「忘れてください」

あの「夢」がなければ、「忘れてください」の「言葉」がなければ

僕は「潰れて」いました。

「忘れて下さい」

その言葉は僕の「独りよがりな勝手な勘違い」かもしれない。

でも、その「言葉」がなければ、僕は「潰れて」いました。

その2ヵ月後、僕たちは初めて「目標」だった「全道大会」に「出場」した。

もう、10年も前の話です。

「10年」経った今、「君」に思うことは「ありがとう」以外ありません。

「君」が本当はどう思ってたかは分からない。

僕は「自己都合」で勝手に良いように「解釈」してるかもしれない。

でも、ありがとう。

それ以上の言葉はありません。

ありがとう。

コメント(190)

笑いながら何の気なしに言う人多くて悲しいですよね。

一票
ことだま…こわいですね。
気をつけよう(๑•̀ㅁ•́ฅ✧

1票〜♪
「死ね」も「死ぬ」も、安易に使ったらダメですよ。

一票。

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