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日記ロワイアルコミュの還暦を迎えた、母に送る手紙

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この6月20日、母が還暦を迎えました。

還暦のお祝いどころか、父、息子ともにその日はなんだかんだと忙しく、
誕生日に家に母一人残すという、全くとんでもないことをやってのけてしまったFumiki家。






思えばこれまで、母にはお世話になりっぱなしでした。

なのに、還暦の誕生日に家に帰らない。
あなたの目には、全くもってむちゃくちゃな息子に映っていることでしょう。














腹を痛めてまで生んだ子供が、まさかの奇形児で速攻手術、
しかも当時、正常な状態で助かった例がないという、絶望的な事態。
助かったとしても、脳への障害はほぼ確実。


そんな中、障害児を育てる決意をしてくれた母。

「二人目を生んだら、今度は大丈夫。」

なんて、医者に言われても、

「二人目は生みません、どんな状態であれ、この子を育てます。」

と言い切った母。




俺は今、奇跡的に五体満足で日常生活を送っているけれど、
腹の大きな手術傷を見るたびに、この奇跡を起こしたのは、あなたのそんな強い意志のおかげなんじゃないかと、最近になって思うのです。
















小学校の修学旅行、お昼の弁当箱を開いた時、フタの上に貼付けてあった手紙の内容を、俺は今でも覚えています。


手術の糸が毎日少しずつ出て来て、毎日病院に行って切ってもらっていたこと。
一才になるまで、絶対に風邪をひかしてはいけないと医者に言われ、ビクビクで子育てをしていたこと。
つい最近まで、完全に大丈夫とは言い切れない状態だったこと。
でも、そんな苦労を乗り越えて、普通に育ってくれて嬉しかったこと。

そしてその手紙には、生まれて間もない頃の、俺の手のひらがかたどってありました。



それにそっと自分の手を重ねた時、あなたの苦労が走馬灯のように全身に駆け巡ってくるような気がして、涙が出ました。



「胸がいっぱいになる」



なんて、国語の時間に事務的にしか理解していなかったコトバを、俺は身を持って体感しました。
胸にぐっと込み上げて、つかえるものがありました。

俺はこの時、生まれて初めて、あなたの弁当を残しました。












弁当の話が出ましたが、給食費未納なんてのが昨今、世間で評判を呼んでいますが、
俺は給食よりも、あなたの作る弁当が大好きでした。
ホントに、給食費納めるよりも毎日弁当にならんのかと、子供ながらに真剣に考えたことがあります。

母は当時から料理教室の先生をしていたので、ほんっとうに料理が上手いのです。

だから、たまに母の作る弁当が食べられる遠足は、一番の楽しみでした。
雨で延期になると、その日と、また振替日と、計二回弁当が食べられるということを知ったあとは、遠足の前日になると逆に雨乞いをしたくらいです。

全くもって、時代に逆行した小学生でした。



でも、その母の料理のおかげで今、非常に肥えた舌をもつことができています。
(困る事も多い)

大学時代、一人暮らしで欠かさずに料理を続けられたのも、日頃から料理に関心が持てる環境に身を置く事ができたからだと思います。













小学校一年の夏休み。
忘れもしない8月31日。

「アンタ、宿題とかなかったん?」

と言われ、そんなことすっかり忘れていた俺は、









タラリーーーーーーーーーー?!?!?!?!









状態で、
白紙の夏休みの友に必死でかじりつきました。


両親曰く、

「寝ないとオバケが出る」

リミットである午後10時をまわった頃、


母は手製のねじりハチマキと、夜食を持って来てくれました。
そして、自分も徹夜でつきあってくれました。

あの時のおにぎりの味は、どんな一流シェフの作る料理よりも美味く、

なぜか冷めても温かい。。。
いや、暖かいものでした。


ちなみに、俺の今の、この文章力は、
この時に7月1日から8月31日までの日記を、
あることないこと引っ掻き集めて編集したことに、端を発するような気がしてならない今日この頃です。














前飼っていた犬がノイローゼになり、毎日人に噛み付くようになりました。
尻尾はうなだれ、狼のような目つきになった愛犬にも、あなたは毎日きちんとエサをあげてましたね。

ある夕方、俺が犬の前を通るとき、傘を振り回しながら歩いていたため、それに反応して犬が突然襲いかかって来たことがありました。


「Fumiki、アンタ二階へ逃げな!!」


あなたは俺をかばって犬に注意を向けさせ、俺を逃がしてくれましたね。

結局母は身代わりになり、脚を二カ所噛まれ、なんとか二階へ逃げてきました。
本当の「強い女性」というのは、母のような存在をいうのでしょう。
俺の不注意で起こった事故なのに、当時小学生の俺は、男のクセに何もできませんでした。


結局苦渋の決断でしたが、保健所を呼んで、犬は麻酔で殺してしまうことになりました。

俺が、もうちょっと注意していればこんな惨事にはならなかったかも知れません。
あの時、あなたがケガを負ってしまったこと、俺はまだ謝れていません。

でもあのとき、心の中では「ゴメン、ゴメン、、、」と連呼してたんだけど、それじゃ伝わらないですよね?


いつかちゃんと謝ろうと思って、はや15年、、、。


でも俺はあの時のこと、今でも鮮明に覚えています。
そして俺を助けてくれたこと、本当に感謝しています。





















親指が膿を持って腫れてきて、病院で爪を割って膿を出してもらったことがありました。

麻酔が切れて、痛みに耐えかねて、
夜通し「痛い痛い」と泣く俺を、
ずっとそばに付き添って看病してくれましたね。

今でも少しいびつな、その親指の爪を見ると、あの時のことを思い出します。



















中学の頃、進研ゼミとかの勧誘の電話がよくかかってきましたが、
母にかかれば門前払いです。

「お子さんの苦手教科はなんですか?」

「体育」

「、、、、(笑いをこらえている)」


おかげで、同じ業者からは二度とかかってくることはありませんでした。

















高校の時、夏休みにアルバイトをしようとしましたが、うちの高校は進学校のため、当時は絶対に許可がおりませんでした。

しかし母は、

「学校の勉強より、社会勉強の方が大事!!
アンタがやりたいと思うんやったら、学校に言うたる。」

と言って、夏休み前の昼下がり、まさかの学校への母子直談判!!!!

二人で生徒指導室座り込みの、二時間に渡る攻防戦が繰り広げられました。


今思うとうちの母は、最近流行のモンスターペアレントの前身なのではないかと疑いたくもなりますが、れっきとした根拠を持って話し合いに臨んでいる点が、最近のものとは異なるはずです。




「夏休みは自主勉強するための期間」

と主張する先生に対し、

「勉強はきっちりやらせます。でも、プラスαで社会のことを学ばせるのは、普段の学校生活では不可能です。」

と反論する母。



戦いの火花は校長室にまで及び、
最終的には、生徒指導の先生が校長に判断をあおぎ、なんとか許可を得るという、学校全体を巻き込んだバトルになりました。



「勉強きっちりやらせるって約束したんやでな。宿題すぐ終わらせないな!!」
あの教訓以来、夏休みの宿題だけは瞬時に終わらせるクセがついていた俺は、
必死で三日で終わらせました。


思えば、そのまま黙ってやってりゃバレないような仕事でしたが、そんな卑怯な手は使わず、正当法でやりこめた母。(時々セコいけど)


こういう駆け引きを、側でいつも聴いていたということも、
俺がのちのち営業という仕事で、それなりの結果を残せた理由の一つなのかも知れません。


















こうして俺はあなたから、遺伝子以上に大切なものを、たくさん、たくさん受け継ぎました。

まだまだそれを生かしきれてないところのほうが多いですが、それは必ず今後、自分のものにしていきたいと思っています。

こっちに帰って来てから、実家に居候してしまってる俺。なんで払うと言ってるのに、お金をとってくれないのでしょうか?

介護するつもりは十分あるのに、「老後は心配するな」と言われて、何も言えない俺。

還暦の誕生日なのに、気の利いたプレゼントのひとつも準備できない俺。

そんな、どうしようもなく不器用な息子も、もうすぐあなたが俺を生んだ時と、同じ歳になります。

これからも努力して、あなたのような素晴らしい人生を歩んでいきたいと思います。

そして、これからは今まで受けた恩を、少しでも返していくつもりです。

そんな俺を、どうか今後も、陰ながら見守っていて下さい。

だから、どうか末永く、元気な姿でいて下さい。




誕生日、おめでとう。


息子より。

コメント(78)


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バイトの休憩中なのに
涙出そう
こんな素敵な母親になりたいです。
一票。

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