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日記ロワイアルコミュの痛みと悲しみで愛が生まれて、愛が痛みと悲しみを作る。

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愛というものを知って、傷つき、傷つけ、喜び、悲しみ、笑い涙した人に捧げます。







ババ。(おばあちゃんという意味)
知ってるかい?
皆にババは皆に愛されています。
知ってるかい?
俺の友達からは「オクバー」と呼ばれ、奥村のばあちゃんは面白い。ナウい。メチャメチャイケてると評判だった事を。



俺はババのおかげでこんなに元気に生きてます。

ババは生まれたばかりの頃から傍に居てくれた。
俺の中で幼少の頃の思い出の中で、父親と母親が一緒に居た記憶はないのに、ババと遊んだ記憶はあるんだよ。


母親が俺を連れて飛び出して、父とババとジジと会えなくなってしまった期間もあったね。
母親はその期間でノイローゼになり、時折、俺に罰を与えました。
ケシゴムを無くしたり、学校に忘れ物をする度に俺に火のついた線香を押し当てました。
寒い冬でも裸足で外に出されました。


罪には罰。
そう納得した僕はぐっと堪える事にしたんだ。
ただ、隣に住んでる母の友人の家に母親に連れていかれ、何も悪い事してないのに火あぶりをされて、友人と笑う母親を見て、僕の中で何かが壊れました。



母親が精神的にも経済的にも俺を育てる事が出来なくなった時に、
俺は再びババと一緒に生活出来るようになったね。


ババの惜しみない愛を受け止め育ったはずの父親は僕に暴力を振るいました。
再婚相手の文句を言ったら、殴られ、顔をつま先で蹴られ、失明しそうになりました。
その時も、僕の中で何かが壊れました。

それを知った母親は涙し、再び僕と暮らしたいと言いました。




僕は断りました。




父親が再婚相手と共に暮らす為、実家を出る事になりました。
再婚相手は悪い人ではなかった。涙ながら、
『私たちと一緒に住もうね?』
と言ってくれました。父親も何か言ってましたが、それは覚えていません。




僕は断りました。




ババとジジとオマケ(姉)での生活が始まったね。

ババとジジは仲が悪かった。お互いの文句ばかり言ってるものだから、本当に憎しみ合ってるのか?と思う時もありました。
ババもジジも沢山遊んでくれました。
ババはよくデパートの屋上に連れてってくれました。
ジジは映画が大好きでよくSFやカンフー映画を観に連れて行ってくれました。

思春期になって万引きで捕まった俺をババは本気で怒ってくれました。そして言いました。
『次やったら仲間呼んでお前を徹底的にボコボコにしてもらう。』
ババは昔はと【ザキのおみつ】と呼ばれ、
※ザキとは、伊勢崎町の意味。おみつはババの名前のミツコの意味。
大変恐れられた存在だったと自分で暴露してたよね。しかも聞いてもないのに、
『あたしゃ、昔はシンナー吸いながら町を平気で歩いてた。』
と、勝手にカミングアウトしてたよね。

それ、それ聞いたら「自分の万引きなんて大した事じゃないんじゃないか・・?」
と、思ってしまったよ。

思い切り怒られ、脅され、わけのわからないカミングアウトを聞かされて困惑した僕に、それを聞いて駆けつけた父が、
『捕まっちまったか・・・残念だったな。もうするなよ?』
と、一言だけ言いました。なんだか心が楽になりました。



中学生になって、高校生になって、専門学校に通うようになって、
相変わらず、ババは、
『ジジとなんかと結婚しなければ、あたしゃもっと幸せになれたはず。』
だとか・・言ってるし。
『あ〜独りになりたい。独りでマンションでも借りて暮らしたいわよ!!仲間呼んでみんなやっつけてもらいたいわよ!』
なんて事も時折言っていたよね。

でもね、仲間って言っても、70過ぎのじいさんが沢山集まって脅されたりしたら、別の意味で怖いですからね。ババ。
しかも、そんな悪態はついてはみても、ババはいつでも家族を優先。食事もみんなが食べ終わってから独りで食べたり、どんなことでも自分以外を優先させてしまっていたのは、今でもしっかり俺、覚えてるよ。



専門学校を出てからは、
美容留学で海外に渡り、帰国後も独り暮らしをし始めました。


父、母、ババ、ジジ、オマケ(姉)
家族とはあまり会わないようになりました。



父親は俺に無関心。母親はお金を貸せという連絡だけをしてくるようになりました。
ババ?ババはあの日の直前まで俺を心配し、ヨレヨレの字で手紙を何通も送ってくれたり、
俺が留守だっていうのに、俺のマンションまで来て、これまたヨレヨレの字で、
【近くだったからきてみた。いつでも帰ってきなさい。ババ。】
という手紙を残してくれていたよね。
でもね、ドアに貼り付けたら他の人にも読まれてしまうからね・・

でも、ありがとう。
ババのヨレヨレの字の手紙を読む度に嗚咽が出るほど涙しました。


苦労の末、美容室を開業した後、俺はノイローゼになりました。
そして、また実家に戻りました。毎日死人みたいに帰ってきては洋服のまま寝て、話しかけられても言葉も笑顔も返さない、こんな恩知らずの孫を、ババはそっと見守ってくれたね。
『男なら死ぬ気で頑張りなさい。』
と、家を出る時はそう言ってくれたよね。


なのに、


俺ははっきり言って、ババの愛情を愛情を持って答えていなかったよね?
自分の事で精一杯で、自分が情けなくなりました。頭ではわかってはいたけど、正しい事は知ってはいたけど、それでも出来なくて、それでもどうしようも出来なくて、無力な自分に僕は涙しました。


明日は絶対気が狂うと本気で思っていた日々の中で僕の中で何かが壊れました。


一年経って、立ち直って、再び俺は家を出ました。
ババ?ババはあの日の直前まで俺を心配し、ヨレヨレ手紙がまた新しい家のドアに張り付いていて、僕はババの愛情の力に押し潰されそうに苦しく、涙が止まりませんでした。


そんなババも、

『私はジジやあんたたちを無理やり押し付けたあんたの母やバカ息子に殺されてしまう!独りになりたい!』

顔を合わせば度々そんな事を言っていたね。
それは多分本心だったと思うけど、でも、ババは矛盾していた。
ジジも父親も僕の事もしっかり愛していた。
僕はババから、愛は動詞だという事を学びました。
辛さから逃れるように自分の中から押し出されてしまう憎しみや、間違いや、嫌悪感がその人ではない。みんな辛いだけなんだ。本質はきっとみんな綺麗なはずなんだ。
そう、ババは思わせてくれました。




あの日は突然だった。
『いつかババを大好きなハワイに連れて行ってあげる。』
なんて、言葉や気持ちだけの僕のちっぽけな愛。
それさえもババに届くことなく、ババは脳梗塞で倒れてしまったよね。



あの日からババは笑わなくなったね。
いつものようにおどけた事を言ったり、ヒステリックに暴言を吐いたりもしなくなった。
すっかり無表情になってしまったね。





今はマンション型の老人ホームで独り暮らし。
昔によく言ってた夢が皮肉にも叶ったんだね。








あれから二年が経ちました。








歩くのもやっとで、秒速30センチメートルで歩くジジは、電車に乗って真夏の暑い日も、雪の日も毎日ババの元へ通っていた。そして俺が今までドラマの中でも現実でも見たことのないような愛情の篭った声で、『明日も来るからね?頑張るんだよ?』と必死に毎日励ましている。

そんなジジを必死で父親は支えていた。
そんな姿を見て、親父の両親に対する愛情がこれほどにまであったのかと驚かされた。

父親は再婚相手とも離婚。義弟や義妹は相手の実家で引き取られ、今は実家でジジとゆったり暮らしている。

母親は再婚相手の死後、病気を患ってしまい、現在独り暮らし。生活保護で暮らしています。



少しづつ元気を取り戻し回復した、ババは、
『どうせ来ても何もしやしないんだから!来なきゃいいのに!』
と、ジジを罵り返していたよね?アレちょっと酷いよね。

毎週毎週ババを笑顔にさせようと俺も通ってはいたけど、
ババがボケ初めてる事や、笑顔になってくれないのが辛くて、ババを笑顔にさせるはずが、老人ホームを出て関を切ったように涙した俺はまだまだ昔と変わらず弱かったね。

会いに行くのが辛くなって、一時期はあまり行かないようになってごめんね。



先週ババに会いにいって、相変わらず笑顔にならないババに手を振り、病室を出て、俺は気づいてしまったよ。

老人ホームで皆で作ったクリスマスの願い事を書いた紙が廊下に沢山張り出されていて、その中で見つけてしまったよ。


【主人が毎日来ますように。祐介がマンション買えますように。】

相変わらずヨレヨレの字で大きくそう綴ってありました。
そして物凄く遠慮したように小さい文字で最後に、

【歩けるようになりますように。】

僕はあなた達の愛に圧巻されました。
僕は自分の小ささを思い知りました。
その時も、僕の中で何かが壊れました。
たぶんきっと壊れたほうがいい物。










母に罰を与えられた。その母親の瞳の中に、
悲しみを見てしまったのだと思う。

父に殴られ蹴られた。その父親の瞳の中に、
行き場のない悲しみを見つけてしまったのだと思う。

そして、
笑わなくなってしまった、ババの瞳の中にも悲しみが溢れてる。



世界には悲しみが溢れているように思えてしまって苦しい時がある。
アメリカでは20秒に1人が発狂し、2分に1人が自殺する。

日本でも年間約3万5000人が悲しみの中で自らの命を絶っている。
イラク戦争では開戦から2005年3月までに約2万2000人。
阪神大震災では6433人。

災害や、戦争以上に悲しみが人を殺している。
そんな国で僕は悲しみを容易く見つけてしまう。

きっと時と場所は違っても誰にでも起きることなのかもしれない。
傷つける。傷つく。失う・・・
そういう悲しみは大きいけど、
それも人生の断片の一つなんだね。

悲しかったり、嬉しかったり、小さな事で心の中で何かが壊れて、
それが断片となって僕の心が出来上がっていく。新しくなっていく。

だけど僕は信じる。
人生は断片の総和より大きいものだと。
そして僕は信じる。
人生は断片の総和より大きいものだと。
それでも僕は信じる。
人生は断片の総和より大きいものだと。




ババ。
知ってるかい?
毎週ババのお見舞いした後、父とジジと一緒に蕎麦を食べに行ってるのは知ってるか?
父もそうだし、父親似の俺もそうだけど、無駄な会話は一切しないけどね。
だけど肩を並べて蕎麦をすすってるんだよ。

知ってるかい?
月に一度母親に贅沢な食事を奢っているんだよ。
『ありがとう。ありがとう。。』と必要以上にお礼を言いながら、喜びながら食事をする母を見ながら、交わす言葉は少ないけど、俺は幸せな気持ちになるんだよ。


ババが教えてくれたから
愛も憎しみも喜びも怒りもきっと同質なものなのだろう


間違えてしまう事は沢山ある。
傷つくことも、傷つけることも沢山ある。
自分の瞳から、悲しみが溢れ出てしまいそうな時も沢山ある。
だから、全ての過去を未来を、今消してしまいたい人の気持ちも少しはわかる。

きっと意味がある。そうなることの根拠がある。
人が傷つけるのにも、傷つくにも、愛す事や憎む事、悲しむ事や喜ぶ事の理由がどこかに。

たぶんリボンをかけられ記憶の片隅に埋められている。

でも何一つ、
怒りや、祈りや、涙でさえも、
起きたことは取り消せない。



誰の心にも善が潜んでいる。
心の奥深くで眠っている。

人は悪に怯えているけれど
本当は善を恐れているのかも

神がいなくても
人は自ら望んで善い行いをするだろう

悪い行いもそれを望むからする
または仕方なく

もしかして悪は善を確認するためにあるのかもあるのかもしれない。




傷つき耐えるその力で、憎しみ怒るその心を愛に変えて、傷つけてしまうその手をもって、
自分の手の届く範囲の人を抱擁するしかない。
そして、自分に、過去に、心に、価値を与えよう。

あなたがそうしたように。




皆がそうしたいように。



















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