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日本人として生きるコミュの新時代をリードする日本人の感性(1)

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【私の日記「平和の東洋哲学と宇宙論・量子論の最先端」より】
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1133687585&owner_id=8490293


アービン・ラズロー博士の「CosMos」全部読み終わりました。

私がどこまで理解しているのか、全く判らないのですが、私が受けた啓示は
非常に大きいものでした。何と説明したらよいか、判らないのです。

読んだ後も頭の整理をしていました。その中で、学んだことは判りやすい言葉と
内容で伝える事を厳選した方が良いと思いました。

受けた、啓示はまとめて言うと下記のようなものです、が、後述するように
言葉は全てを伝えないと言う事も判りましたので、言葉の定義が私と貴方では
「クオリア」が違うと言うことで、(貴方が思う)不適切発言も許して下さい。

【受けた啓示】

・西欧思想より、(仏教含めた)東洋哲学の優位性を確認したこと。
・宗教的な、経済活動的な言葉は、人の警戒心を生み、伝わらないこと。
・ラズロー博士の論より、脳科学者の茂木健一郎氏の紹介をした方が良いこと。
・人間の脳は周りの状況の変化に対応するように、DNAが伝えていること。
・人間の人間性とは、外界の刺激に対応するパターン(個性)であること。
・人間の脳は、現実に存在しないものでも作り出す能力があること。
・創造性・独創性は脳の「無いものを作り出す能力」と深く関係する事。
・自分という意識は、多くの人が誤解しているが、脳科学で説明できる事。


と、言うことで茂木健一郎氏の引用からはじめます。私の日記も御参照ください。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
茂木健一郎 SPECIALトーク(1)日本の感性に寄り添う生き方
 http://wedge.ismedia.jp/articles/-/127

 私はこの15年くらい、「クオリア」ということばをキーワードに研究を続けてきました。クオリアというのは、ごく簡単にいえばものごとの質感のことです。たとえばわたしたちが鮮やかな赤や空の青、楽器の美しい音色を感じたりすることも、クオリア問題に関わる。だから、この「クオリア」というのは、生命力、生命感、つまり生きているという感じにすごく結びついているんです。路傍の花の色を美しいと思ったり、「水が冷たい」とか、「ぐっとくる感じ」、「切ない感じ」とか。そういうクオリアを解明するというのが私のライフワークなんです。

 日本という国についても、クオリアを通して考えてみると、この国で一度しかない人生を送る私たちにとっての生命哲学が見えてきます。日本人は、四季折々の変化に恵まれる中できめ細やかな文物を育み、愛でてきました。私たちは、心の中に生まれるクオリアのニュアンスに敏感です。夏の夜の闇を飛ぶ蛍(ほたる)の淡い光に生命のあり方の本質を見る日本の感性。鮮度の良い魚の美味しさを、その種類や産地、旬によって区別して活かすことを知っている。人の行き交いの機微を心を動かす物語にすることを知っている。世界のさまざまな地域、文化で生み出されたものを受け入れ、自分たちのものとすることを知っている。命を愛し、大切にするその気持ちさえあれば、何が起こるかわからないこの世の中を生きていく上での尽きないエネルギーを得ることができるはずです。

 いま、クオリアを通して生命哲学を考えることが大切だと申し上げました。しかし、現代はまさにインターネットの時代でさまざまな情報が溢れ、そして世の中に溢れているものというのはすぐに陳腐化する。こうした移り変わりの早い時代です。人々の欲求はすぐ変わり、突出したオリジナリティがなければすぐに真似されコピーされてしまって、自分じゃなくても他の人がつくればいいということになってしまいます。こういう時代だからこそ、私たちは断片の知識ではなく、もっと体系性をもった生きた情報に接さなくてはならない。

 私は、よくある「日本の文化はこうだ」とか、大上段からものを言う雑誌や本にはずっと違和感をもっていました。単純に「和のものがいい」とか、ああいうものに何が欠けていたかが、ごく最近になってよくわかるんです。それはまさに生命なんです。

 先日、建築家・安藤忠雄さんと対談しました。安藤忠雄さんは独学で勉強し、世界的な建築家になった方です。独学で大成することは、一般にはとてもむずかしい。例えば、私は脳の研究をしているのですが、いろいろな人が、「画期的な心理論を考えました」とか、「意識の問題はこれで解けると思います」という手紙やメールを送ってきます。でも、そういう人は専門家の立場からすると、どうしても詰めが甘い。独学で何かを学ぶというのは、とても難しいことなんです。なぜかといえば、凛とした美しい学問の姿というか、学問の体系性が身につきにくい。

 それでは、なぜ安藤さんは世界的な建築家になりえたのでしょうか。彼自身は大学へ行かなかったのですが、京都大学に行った自分の同級生に、「京大の建築学科では、どんな本を教科書にしているか」というのを全部教えてもらったというんです。それで教科書に即した勉強を、一日十六時間、一年間続けた。つまり、京都大学の建築学科の体系的な教科書のシステムを学んだからなのでしょう。体系性って大事だなとそこで思ったわけです。

 私も、脳科学に興味を持つ人に対して、「脳科学のことを知りたかったら、我々が読むような論文はネット上にもありますよ」と言います。ただ、この学問の体系性を伝えるということまでは難しい。論文という「点」は存在しても、それを体系的に線でつなぐということが難しいわけです。

 要するに、ある何かについての情報をいくら集めても、誰かが生きているという生き生きとした感じというのは絶対に再現できないんですよ。

 私は従来の日本論というのはそのようになっていたという感じがするんです。雑誌などで行われてきた従来の日本の特集というのは、何か残骸となったような日本です。日本を語ることは、海外向けのお土産みたいに、富士山や芸者をカタログ化することではないって言いたくなります。

 最新の脳科学理論によれば、心のなかでクオリアを感じるためには、脳のなかに「鏡」のような働きが必要らしいのです。自己を認識することが他人を理解することにつながるという人間の脳のすばらしいパラドックス。クオリアという鏡を通してみれば、日本人や日本文化には、さまざまな可能性が見えてきます。

 たとえば、食文化のひとつである「おまかせ」。これはすばらしい文化です。飲み屋さんに入って、お客さんが「まかせるよ」と主人にひとこと言えば、主人はその客の年齢や好みなどを考慮しつつ、料理を出していくわけです。こうしたサービスは、日本独特のものであると思います。

 これが欧米であれば、イニシアティブは客にある。ホテルもレストランも、客が何かを要求しないと何もサービスは受けられません。ところが日本の場合には、客が望んでいるであろうことを想像し、先回りしてサービスを提供する文化をもっているのです。これは、日本流「おもてなし」の美学であると言ってもよいでしょう。

 また店の側に立ってみても、「おまかせ」文化は非常に合理的なものです。メニュー方式であれば、メニューに掲載されている料理はすべて出せるように準備しておかなくてはなりません。そうすれば、食材を無駄にすることになるかもしれない。しかしこれが「おまかせ」料理であれば、無駄がなくなります。

 また「おまかせ」にすることで、その日の料理の仕込みに集中することができます。あれもこれも準備するのではなく、今日の料理にだけ神経を行き届かせることができる。それが日本料理の骨頂にもなっているのです。この「おまかせ文化」ということが、いかにすばらしいか、私たちはよくわかっていない。

 脳科学の立場から言っても、あらかじめ何が出てくるかわかっていて、それを順に追っていく経験よりも、次に何が出るかわからないまま待っているほうが、出てきたときのサプライズは大きい。喜びを感じたときに出る「ドーパミン」という脳内物質だって多く出るんです。 このように我々にとってはごくごく当たり前のことのなかに、日本のクオリア、我々が生きるということを支えてくれるさまざまな知恵があるんです。だから我々はもっと自分のことを鏡に映して見てみなければいけないのではないでしょうか。

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