ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

備後の歴史を歩くコミュの『広島県内における水害碑の碑文資料』

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
『広島県内における水害碑の碑文資料』という論文を目にした。
2016年12月25日、広島大学総合博物館研究報告に掲出されている。執筆者は藤本理志・小川耕平・熊原康博の三氏である。

要旨として、「広島県では1909(明治42)年から現在までに水害碑が少なくとも38基建立され、概して第二次世界大戦前までの石碑は、災害の様子、復興の課程に関する詳細な情報が記述されるものが多い。これらを読み解くことで被災地の一や被災等寺の様子を、地域の住民に伝えることができる防災教育に資する媒体であり、本稿はその一助となると期待される」と記されている。さて、福山の碑文が気になる所である。

福山市では1ヶ所が記載されているので紹介する。
場所は草戸町二丁目。「日親聖人小松原説法霊跡復興記念碑」漢字とカナで刻まれた1919年(大正8年)7月5日に発生した、死者17名という被害の出た洪水に関する物で、1927年(昭和2年)に建立された。以下、論文を引用する。

「石碑6 日親聖人小松原説法霊跡復興記念碑(福山市草戸)
1919(大正8)年に福山市内を流れる芦田川の洪水被害に関する碑文である。この石碑は、碑名からも明かなように、復興記念が一つの建立意図であるが、同時に災害によって犠牲となった17名を弔う慰霊の目的も含まれている。なお、1930年までに建立された石碑の中で唯一漢字とカタカナで記載されている」

碑文
大正八年七月五日芦田川堤防決壊
溺死者十七人並ニ弔法界萬霊
大正十五年十一月一日芦田川改修起工記念
昭和二年五月建立

場所 https://yahoo.jp/4hPL_P

大正八年の水害
7月1日から雨が降り始めた。豪雨となり4日午後には神辺方面が氾濫。川北、川南、千田、中津原、森脇が浸水する。5日には郷分の芦田川外堤、内堤とも決壊し山手沖一帯が浸水。草戸では鷹取橋下手と野上沖堤防が決壊。さらに鷹取橋下流約180m地点と洗谷橋付近が相次いで決壊し、福山市中が広く浸水した。総雨量は193mmで、水位は鷹取橋で4.1mが記録されている。川口村では全784戸中、流失7戸、全壊93戸、半壊103戸、床上浸水568戸であった。この豪雨による広島県の被害は、死者23名、全半壊家屋416戸、浸水家屋6,238戸。そして、大正12年から河川改修工事が始まり、碑文の通り大正15年11月1日に完成した。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

備後の歴史を歩く 更新情報

備後の歴史を歩くのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。