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備後の歴史を歩くコミュの山野鉱泉

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中国新聞文化欄の緑地帯というコラムに『学者の「本文」』と題して広島大学大学院教授川西英通氏が連載執筆されている。

本日、5月17日は連載第七回目で、1940年3月に出版された『温泉案内』を紹介されていた。全国版の温泉ガイドで、中国地方では島根県が玉造温泉を筆頭に12カ所と一番多く、次いで鳥取県は三朝温泉など11カ所、以下岡山県が7カ所、山口県は5カ所、そして広島県は1カ所のみ紹介されている。

広島県内の温泉で唯一紹介されていたのは福山市山野に在する「山野鉱泉」だった。『温泉案内』によると「この鉱泉の発見は明治初年で藤井という漢方医が薬草を尋ねて山に分け入り発見したもので広島県唯一の鉱泉である」と紹介されている。

鉱泉の定義は、地下からの湧水で、医学的見地から治癒成分を含んだ水のことで、水温が25度以上を温泉、それ以下を鉱泉という。

温泉ナビによると「山野温泉」として次のように紹介されている。

 福山市内にある温泉で、市の最北部に位置し岡山県との県境に近い山野峡県立自然公園に湧出している温泉。温泉施設は古谷川のすぐ傍に建てられ、矢川川へ注ぐ支流・古谷川に点在し、200mほど歩いた上流に、落差30mの龍頭の滝がある。温泉は福山市内でもあまり知られていないが、刺激が強く血液循環がよくなると云われている。日帰りも可能。近くには龍頭の滝や四段の滝、猿鳴峡など見どころが多く、秋の紅葉が素晴らしい。温泉の泉質は単純硫黄泉。温泉の効能は神経痛、皮膚病、慢性婦人病、動脈硬化、高血圧、糖尿病etc。

温泉と紹介しているから湯温は25度以上あるのでしょうか。

また、発見者の藤井という漢方医が興味深い。

藤井という漢方医でまず最初に思い当たるのは『片山記』を記した漢方医、藤井好直医師である。
福山市神辺町片山周辺に発生した風土病「片山病」を初めて世に問うた福山市山手町在住の医師である。

山野には藤井姓が多く、藤井好直医師とは断定できないが、明治初年に広島県内唯一という「山野鉱泉」について少し調べてみましょう。

どなたか情報をお持ちの方はお知らせください。

よろしくお願いします。


 


コメント(6)

山野鉱泉について

 『備後史談』第二巻十号(大正15年(1926)10月15日発行)に「名勝と史跡を尋ねて 山野村の二日」と題された次の一文を見つけた。著者は沼隈郡の野田宥勝。

 「龍頭の滝の下流に鷹の湯という鉱泉がふき出している。昔、傷ついた鷹がここに飛んできてこの鉱泉をつけたら全治したという。また今から七、八十年前、この付近に孝子があった。年老いた祖母へ毎日この鉱泉を汲んで入浴させていたところ、時の阿部伊勢守からその親孝行が表彰された」という内容の紀行文であった。

 山野鉱泉とはこの鷹の湯のことだろうか。「噴き出している」とあるから水量は豊富なのであろう。『温泉案内』では藤井という漢方医が明治初年に発見したことになっているが、親孝行者が表彰された文書が残っていたようで、それによると表彰の日付は安政二年(1855)五月十九日であるから、江戸時代の末にはすでに発見されていたことになる。大正十五年当時は福山から山野に行くのに加茂町からの道はなかったようで、午前8時30分福山駅発井原行きのバスに乗り、井原から山野行きに乗り換え、吉井、天神峡を経て山野橋に着いたのは二時間後の10時30分であった。

 山野公民館に電話で確認したところ、確かに山野鉱泉は存在したが、現在では湯治場は消滅しているとのことであった。そして場所は上記文章にある「竜頭の滝の下流」ではないらしく、電話でのやりとりでは場所がはっきりしなかったが、鷹の湯とは別の場所である。

 さらに調査をしてみたい。
「鷹の湯」とは龍頭山荘のことですね。
山野まで行ってきました。そして「山野鉱泉」についてほぼ解明できました。

まず、「山野鉱泉」は「熊ノ湯鉱泉堂」と改称されていましたが、現在は廃業されています。源泉は水量が減ったものの未だに湧き出しており、自家用のお風呂に引いておられました。

次に藤井という漢方医ですが、現在のご主人の曾祖父の方でした。明治初年頃に曾祖父が発見した鉱泉の源泉から近いところに「山野鉱泉」として湯治場を営業され、戦後、現在のご主人が「熊ノ湯鉱泉堂」と改称されたということでした。

広島県内で唯一と昭和15年(1940)の『温泉案内』に紹介された「山野鉱泉」ですが、歴史から消えようとしていました。

写真を数枚撮らせていただきましたので、後ほど紹介します。


帰り道、道路に沿った川を大きな鹿が泳いでいました。あわてて車を止めカメラを構えましたが、撮る間もなくあっという間に消え去りました。
江戸後期に記された[『西備名区』の山野村の項に「涌泉」として場所は特定できないが「此に一箇の涌泉あり。むかしより金気ありとて、人汲みて温湯とし、沐浴すれば諸の病を治すとて、所の人汲み用いしが、何時となく世上に聞こえて、遠近人尋ね来て・・・小屋をしつらえ食事の料などなで世話する人ありて・・・追々行きかう人多くなりて、山野温湯とて近国に聞こえけり」とある。ただ水量は少なかったようで一夜に一、二箇の湯風呂しか出来なかったとある。

恐らくこれが鷹の湯であろう。
熊ノ湯鉱泉堂さん

川向こうの井戸のような囲いが源泉です。
水量が少なくなったと言われてました。
http://yahoo.jp/haHO8K

yahoo!mapでの熊ノ湯鉱泉堂です。

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