「はね踊り」について 天野公士郎(山手町)
福山市近郊では、神社の祭りなどで「はね踊り」が年中行事として行われている地域がある。その起源について、文献史料や山手町に伝わる太鼓の墨書などから探ってみた。
＜定説＞
「はね踊り」について、大正12年に編纂された『沼隈郡誌』は、次のように記している。
「はね踊は古来沼隈の特有名物にして其起原は頗る古く、柳津村を元祖とすと傳ふれど審らかならず、元和五年水野日向守福山城主となりし当時、此の踊の活気ありて士気鼓舞に適し、軍鼓陣鉦に似たるを愛し、大いに之を奨励し、沼隈諸邑に新調鉦鼓を給与し、藩命を以て雨乞い、虫送り、神祭、報賽などに行はしめたるより、神社に祈願する場合には必ず神慮を慰むべく此の踊りを恒例となすに至り、以来年々盛大に趨き農村娯楽の主要なるものとなり、以て今日に至る」
この記述により、水野勝成奨励説が「はね踊り」起源の定説となった。しかし、これを裏付ける史料は不明である。「はね踊り」の起原を特定することは難しく、各地に伝わる伝承などを丹念に探っていくしかないようである。田尻町には水野勝成の「島原出陣時では戦勝祈願し、また参勤交代では、旅路の平安を祈願し盛大に踊った」という伝承がある。勝成の御座船大転輪丸は田尻に碇泊されていたし、晩年には風呂が鼻の崖下に風呂を設けて湯治に利用したなど、田尻と勝成との繋がりは深い。田尻には昭和20年頃まで水野家から拝領したという鉦が在ったらしいが、残念ながら現在は所在不明である。大戦時に供出されたのかもしれないが、たとえこれが現存していたとしても、鉦は仏具でもあり「はね踊り」が専用していたという証明にはならない。
現在、福山近郊で「はね踊り」が行われている地域を挙げれば、沼隈地域・松永地域・浦崎・田尻・赤坂・津之郷・山手・郷分・駅家町万能倉・神辺地域・加茂・蔵王・春日・坪生・大門などである。大門は田尻から伝わったといい、井原市大江町梶草地区にも神辺上御領から伝わったという「はね踊り」がある。駅家町服部の「打上げ」や、芦田町柞麿の「鉦太鼓踊り」また、府中地域にも同様の「太鼓踊り」があるが、これらも「はね踊り」といえよう。こう見ると、江戸時代初期から行われた新田開発により、新しく誕生した村々にはまったく伝わっておらず、もっと古い時代から行われていた可能性も否定できない。
＜文献史料＞
「はね踊り」という言葉を確実に記述した文献史料は、菅茶山の『備後福山藩風俗御問状答書』であろう。江戸幕府の屋代弘賢(やしろひろかた)は文化年間(1804-1818)末頃、諸国における風習など131項目にもおよぶ質問状『諸国風俗問状』を、諸国の儒学者などに送付し回答を求めた。福山藩には文化15年(1818)3月頃、廉塾の菅茶山にこの問状が届いた。茶山は藩内各村の庄屋などに問状を送り回答を求めた。同年4月9日付けで下御領横山家『御用状控帳』に「町方・村方の風俗尋問につき精細な書上げを求める書付」が遺されており、それによると「何を申し上げ候てもこの事にてお叱り之事決して無し候」と、あるがままを書くようにとの通達であった。それに応じて提出された回答書は、沼隈郡では今津村、浦崎村(現尾道市)、山手村、深津郡本庄村、品治郡、そして府中地域では府川村、栗柄村が確認できた。山手村庄屋三谷家は、茶山の要請に応じて回答書を書き上げ提出した。「文化十五年(1818)分郡御尋ニ付村中風俗書上帳 寅 五月 山手村」という書き出しで三谷家文書に遺されている。茶山はそれらの回答書をまとめ『備後福山藩風俗御問状答書』として屋代弘賢に提出した。弘賢は天保13年(1842)編纂途中に没し、残念ながらその完成を見ることはなかったが、諸国各村に伝わる風俗伝承が詳細に記されており、貴重な史料となった。山手に遺された『村中風俗書上帳』に「はね踊り」が行われていたことがはっきりと記述されているのである。勝成の時代からは200年ほど後である。
『備後福山藩風俗御問状答書』
「六月 此月末に虫送りと申事有之。村役人集まり酒を出し扨寺より物かきたる旗のこときものを受来り、笹につけて是を施餓鬼と名つけ、又木綿を竹に巻きつけ幟のことくし、数は定ある村も又勝手次第なるも有之。村田のうちを持ち廻り、鉦・太鼓にてはやし、稲の虫も送れと唱へ(中略)五月五日に仕候村も稀に御座候」と虫送りの風習を記し、また、「此の時節、乞雨・祷晴、還願等、有司より出来候も、村郡にて役人・百姓申し合わせ仕候も有之。社僧・禰宜の態は申すに不及、百姓はね踊りなと申事を仕候村とも御座候(中略)沼隈郡本郷と申村の雨乞いは、八幡宮或いは龍王社に、百姓群集し、鉦・太鼓をもち、竹竿に木綿或いは紙をつけて幟のことくし、踊りを仕候事、乞候時も降り候も同時に御座候。就中鬼と申して、其面をかふり、紅しほりの襦袢なと着し、黒き股引を仕り、四尺計の女竹に赤青の紙を巻き、これを棒ととなへ、團扇に色紙を付けてひらめかし、脇指をさし、鉦・太鼓の拍子にあわせ踊り候」と、沼隈郡本郷の「はね踊り」が紹介されている。この本郷とはどこだろうか。松永の本郷がすぐに思いつくが、ここは「ひんよう踊り」が有名で「はね踊り」は伝わっていない。私は、田尻町本郷を指しているのではないかと思っている。「はね踊り」の記述内容は田尻をよく表しているからである。
また、「中山南と申すには、八大龍王の左右に神燈を明かし、前に神酒、御飯なとそなへ、社人は廣前にて終日祓をよみ、氏子ははね踊り仕候(中略)同郡には右二村の類多く候。其外他郡はかの幟めんなる物を持て、多人数神祠へ参り、社人祓をよみ候なと、大抵同様に候」とあり、中山南(なかさんな)では四人一組で「凡そ十五組或いは二十組」と60名から80名ほどで盛大に「はね踊り」が行われていた。また、「同郡には右二村の類多く候」とあるように、本郷(田尻)と中山南以外にも、沼隈郡内からは同様の「はね踊り」が多く報告されていたことがわかる。一方、沼隈郡以外では「はね踊り」の報告はなかったようである。
『深津郡本庄村風俗問状答』
「六月虫送り 同月十四日 村内祗園社祭礼に付き、神前へ神酒・御供を備へ、社人神楽を上げ、氏子参詣仕候」また「此時分雨乞」は「旱魃続き候節は上へ願いを差し上げ、村方氏宮或いは龍王社にて、三日三夜程社人或いは山伏等頼み雩（あまごい）仕候。感応の雨澤等も御座候得は、一組合に五本程つつ氏子幟を持ち、又は踊り等仕候て願解休み等仕、少々の入用等も御座候得は、村入用に仕候」とあり、虫送りは神楽を、雨乞いでは踊りの記述はあるものの鉦・太鼓を用いたという記述はなかった。
『備後国品治郡風俗問状答』
「六月 此時分雨乞」として「万能倉に龍王社あり」と紹介しているが「はね踊り」の記述はない。しかし、九月「此の月神送り」の項に「廿八日、神職の者宮々にて神拝み執行仕候。是等神送りにて御座候やらん。神事此の月は郷々神祭り多く御座候。何れも御輿渡御、鉦太鼓打ち囃子、若者荒々敷□走り候」とあり、これは「はね踊り」とみてよかろう。
『備後国沼隈郡浦崎村風俗問状答』
五月の田植えが終わった頃から六月の上旬の頃までに虫送りを行い、「組々より鉦・太鼓を其組の役人纏ひ(中略)村なかの小川に行、双方の土手にて鉦・太鼓を打、暫くして川中に入り、組順に氏神へ行、鉦・太鼓を打ち踊り申候」また、雨乞いにも「一日休日にして、幟或いは紙幟、鉦・太鼓にて賑々しく祭仕候」とあり、「はね踊り」がはっきりと記述してある。
『文化十五年御問状書上帳 控 寅五月 府川村』
「此月(六月)廿五日、当村天満宮祭礼、御輿御幸仕候事、尤加輿丁之もの都而ゆかた、はたし、鉦・太鼓ニ而はやし申候」加輿丁（かよちょう・御輿を担ぐ人たち）までもが、ゆかた、裸足姿で踊ったと記されており、また「此時分、雨乞之事(中略)村中一日休み、幟・鉦・太鼓にて（氏神へ）参詣仕候事御座候」「此月、虫送りと申」にも鉦・太鼓で村中を廻ったとあり、これが現在の太鼓踊りとして伝承されている。
『文化十五年村方風俗書上帳 寅五月 栗柄村』
「六月 虫祈祷は氏神へ」また「雨乞いは龍王社にて神職祈念」とあるが、鉦・太鼓の記述は見られなかった。現在、南宮神社の夏祭では、虫送りの「太鼓踊り」が盛んに行われている。
『土屋家日記』
蔵王では『土屋家日記』が「はね踊り」の貴重な文献史料となっている。雨乞いの記述は文化2年(1805)から見えるが、それに「はね」や「鉦・太鼓」の文字は出てこない。「はね踊り」がはっきりと記されているのは「安政六年(1859)巳未歳八月六日の事」に「急病流行に付 於氏神八幡宮に 急病除御祈祷有に一日休に也 はね躍等いたし候 当方えも押しかけてはね躍参り賑し候」の一文である。また当地には嘉永の年号が書かれた大太鼓が現存しており、雨乞いでも「はね踊り」が行われていた可能性は十分に考えられる。
＜山手村『村中風俗書上帳』＞
「六月 雨乞之事 通例之通御供散米・御酒備へ、社人・役人・惣代等多ク二夜三日参籠仕候、き願したかい鉦・太鼓・幟ニてはねを踊り、又近辺寄角力抔執行いたし願解仕候」また、「作毛虫送りと申、鉦・太鼓をうち、そより〜と稲葉もそよと申歌をうたい、おとりはやし、村役場よりはしめ村境を廻り申候、木綿幟十八本、又寺院祈祷のはたを先に立申候」と、雨乞い・虫送りに「はね踊り」を行っていたことが記されている。この時点で200年近い歴史が確認できた。『広島県史近世資料編�后抻庵�家文書『御用状願書控帳』の「稲作害虫被の手火による駆除を聞届ける廻達 嘉永六年(1853)九月三日」に、ウンカの被害について、手火にて焼却処分のことが記されている。6月に虫送り祈願したにもかかわらず、その甲斐なく9月にウンカが発生すると、収穫を目前にして被害拡散防止のために焼いたのである。「はね踊り」に抑止力はないということがわかっていても、6月になると虫送りを行い「はね」を踊った。『沼隈郡誌』に記述されているように、すでにこの時代の「はね踊り」は「農村娯楽の主要なるもの」であり、欠かすことの出来ない年中行事となっていたのである。
＜山手町のはね踊り＞
現在山手町では、山手八幡神社秋季大祭の本祭が10月の第2日曜日に、また前日土曜日に前夜祭が開催されている。この祭に山手町はね踊り保存会は、「はね踊り」を奉納している。保存会は矢田・泉・前奥・江良坊・小田・杢原の6支部で構成され、大人子ども合わせて総勢300名が参加して毎年奉納される。戦時中一時中断したが昭和23年に復活。昭和55年(1980)に保存会を発足させ今日に至る。平成21年(2009)9月29日、シンクロナイズドスイミングで北京オリンピック銅メダリストの原田早穂さんが、ＮＨＫの番組「街道てくてく旅 山陽道」で山手八幡神社を訪れた。番組は生放送で、リハーサルは当日早朝から行われた。平日にもかかわらず学校の協力を得て多くの小学生が参加してくれ、限られた時間ではあったが山手町「はね踊り」が全国に紹介された。その年の秋祭りは放映の影響か境内は多くの参拝者であふれ、盛大に披露することができた。その時の様子がYouTubeにアップされているのでurlを紹介しておく。
http://
＜太鼓内部の墨書＞
山手町前奥地区に大小の古そうな太鼓があり、今回締めヒモを解いて内部を確認してみたら、次のような墨書があった。
�‖臑生�(破損・曲物 墨書は次の3ヵ所)
(ｱ)辛嘉永四年 亥八月吉日 備後尾道匠屋市右衛門作
(ｲ)嘉永四年亥八月十三日 神邑山中 細工人 忠兵衛張 代銀百拾匁
(ｳ)明治十二年卯九月吉日 葦田郡相方村 細工人 桑□（原？）利右衛門 同 小三□ ※□は不明文字
�⊂�太鼓(現役使用・曲物)
文久三年 亥ノ 八月吉日 葦田郡相方村 理助 世話人 沖 伊助
�Ｂ臑生�(現役使用・結物)
文久三 亥 八月吉日 葦田郡相方村 細工人 利助 沖 世話人 伊助
�ぞ�太鼓(破損・曲物)
明治＊拾五年 三吉＊ 藤＊ ＊(広島)縣備後国 芦田郡相方村 細工人�鼻� 伜 禮＊ ※＊は部材喪失
�‖臑生櫃�(ｱ)嘉永4年(1851)、尾道の匠屋市右衛門に注文し、八月吉日に納品された。(ｲ)革張りは神村山中の忠兵衛が、同年8月13日に代銀百拾匁で仕上げた。(ｳ)明治12年(1879)のは修理記録であろう。
�⊂�太鼓は150年経った今でも現役で使われている。文久3年(1863)、沖の伊助が相方村の理助に製作依頼した。�Ｂ臑生櫃汎韻言屬ぅ戰鵐�ラ塗りで、大小で胴の作りに結物、曲物の違いはあるが、同時に2個セットで注文したのであろう。理助の漢字表記が�Ｂ臑生櫃任詫�助と違っているが、同一人物だと思う。
�ぞ�太鼓は激しく破損しており、�‖臑生歹瑛予ね�もかなわない。蔵王町に「明治廿二年 細工人 �標桐�助 同倅 禮治郎」という大太鼓が存在しており、これと同一工房と思われる。�“�道匠屋については橋本家文書富浜塩田の惣勘定帳に、富浜匠屋七三郎という人物が登場する。塩田経営と太鼓製作を結びつけることはできないが、なにか関係があるのかもしれない。富浜は尾道向島である。
＜奇跡＞
平成6年(1994)10月2日、第12回アジア競技大会が広島県で開催され、福山市では芦田川河口湖がボート競技会場となった。しかし、水道の時間断水が45日間も続くという大旱魃に見舞われ、河口湖は底が現れた。このまま雨が降らなければ競技の開催は不可能である。給水車で補水を試みたが、それは慰めにもならなかった。三好福山市長(当時)は田尻の「はね踊り」に雨乞い祈願を依頼した。田尻は龍王社の神前ではねを踊った。その結果、9月末に台風26号が発生し雨が降り出した。ボート競技開会に間に合わせ水位は上がり、無事に開催することが出来た。
＜まとめ＞
沼隈町「はね踊り」は昭和34年10月30日、田尻町「はね踊り」は昭和46年4月30日、蔵王町「はね踊り」は平成20年2月28日に広島県指定重要無形民俗文化財となった。今回の調査で山手町「はね踊り」も、江戸時代後期の文化年間(1804-1818)には、すでに農村娯楽の年中行事として行われていたことがわかった。残念ながらそれ以前は不明であるが、水野時代よりも前に行われていたのではないかということは、伝承地域をみれば推測できる。とするならば、踊り念仏を農民が取り入れ、独自に変化させたものではないかと私は考えるのである。現役使用している文久3年(1863)の太鼓などは今後いっそう大切に扱い、壊れている嘉永4年(1851)の太鼓も、現状のまま出来る限り保存していかなければならない。次世代への引き継ぎはさらに重要である。小・中学生を積極的に参加させ、歴史や所作など手を抜くことなく教えていかなければならない。福山各地に伝わった「はね踊り」は、それぞれの地域で互いに影響しあい、変化し発展してきた。残念ながら消滅してしまった地域もあるだろう。未来に向け、それらを一括して「福山のはね踊り」として保存していくべきと私は考える。
＜最後に＞
元和8年（1622）に落成した福山城は、2022年に築城400年を迎える。色々な記念行事が計画されるだろう。福山各地に伝わる「はね踊り」が一堂に会して多くの市民に披露できれば、さぞや水野勝成公もお喜びになるのではないだろうか。その時、たとえ雨が降ったとしても悪しからずである。
参考資料
『日本庶民生活史料集成 第九巻』三一書房 1973年
備後福山藩風俗御問状答書・深津郡本庄村風俗問状答・備後国品治郡風俗問状答・備後国沼隈郡浦崎村風俗問状答
『大門の歴史 大津野はね踊り』福山市教育委員会 1976年
『金崎芸能保存会 はね踊りの歩み』田尻芸能保存会 1994年
『蔵王のはね踊り』蔵王はね踊り保存会 2009年
『沼隈郡誌』『広島県史 近世資料編�后�
『福山市史近世資料編�機拌蔀翩�俗書上帳寅五月山手村
『府中市史史料編�乎六鑛圈抔飜箴�書上帳控寅五月府川村・村方風俗書上帳寅五月栗柄村
福山市近郊では、神社の祭りなどで「はね踊り」が年中行事として行われている地域がある。その起源について、文献史料や山手町に伝わる太鼓の墨書などから探ってみた。
＜定説＞
「はね踊り」について、大正12年に編纂された『沼隈郡誌』は、次のように記している。
「はね踊は古来沼隈の特有名物にして其起原は頗る古く、柳津村を元祖とすと傳ふれど審らかならず、元和五年水野日向守福山城主となりし当時、此の踊の活気ありて士気鼓舞に適し、軍鼓陣鉦に似たるを愛し、大いに之を奨励し、沼隈諸邑に新調鉦鼓を給与し、藩命を以て雨乞い、虫送り、神祭、報賽などに行はしめたるより、神社に祈願する場合には必ず神慮を慰むべく此の踊りを恒例となすに至り、以来年々盛大に趨き農村娯楽の主要なるものとなり、以て今日に至る」
この記述により、水野勝成奨励説が「はね踊り」起源の定説となった。しかし、これを裏付ける史料は不明である。「はね踊り」の起原を特定することは難しく、各地に伝わる伝承などを丹念に探っていくしかないようである。田尻町には水野勝成の「島原出陣時では戦勝祈願し、また参勤交代では、旅路の平安を祈願し盛大に踊った」という伝承がある。勝成の御座船大転輪丸は田尻に碇泊されていたし、晩年には風呂が鼻の崖下に風呂を設けて湯治に利用したなど、田尻と勝成との繋がりは深い。田尻には昭和20年頃まで水野家から拝領したという鉦が在ったらしいが、残念ながら現在は所在不明である。大戦時に供出されたのかもしれないが、たとえこれが現存していたとしても、鉦は仏具でもあり「はね踊り」が専用していたという証明にはならない。
現在、福山近郊で「はね踊り」が行われている地域を挙げれば、沼隈地域・松永地域・浦崎・田尻・赤坂・津之郷・山手・郷分・駅家町万能倉・神辺地域・加茂・蔵王・春日・坪生・大門などである。大門は田尻から伝わったといい、井原市大江町梶草地区にも神辺上御領から伝わったという「はね踊り」がある。駅家町服部の「打上げ」や、芦田町柞麿の「鉦太鼓踊り」また、府中地域にも同様の「太鼓踊り」があるが、これらも「はね踊り」といえよう。こう見ると、江戸時代初期から行われた新田開発により、新しく誕生した村々にはまったく伝わっておらず、もっと古い時代から行われていた可能性も否定できない。
＜文献史料＞
「はね踊り」という言葉を確実に記述した文献史料は、菅茶山の『備後福山藩風俗御問状答書』であろう。江戸幕府の屋代弘賢(やしろひろかた)は文化年間(1804-1818)末頃、諸国における風習など131項目にもおよぶ質問状『諸国風俗問状』を、諸国の儒学者などに送付し回答を求めた。福山藩には文化15年(1818)3月頃、廉塾の菅茶山にこの問状が届いた。茶山は藩内各村の庄屋などに問状を送り回答を求めた。同年4月9日付けで下御領横山家『御用状控帳』に「町方・村方の風俗尋問につき精細な書上げを求める書付」が遺されており、それによると「何を申し上げ候てもこの事にてお叱り之事決して無し候」と、あるがままを書くようにとの通達であった。それに応じて提出された回答書は、沼隈郡では今津村、浦崎村(現尾道市)、山手村、深津郡本庄村、品治郡、そして府中地域では府川村、栗柄村が確認できた。山手村庄屋三谷家は、茶山の要請に応じて回答書を書き上げ提出した。「文化十五年(1818)分郡御尋ニ付村中風俗書上帳 寅 五月 山手村」という書き出しで三谷家文書に遺されている。茶山はそれらの回答書をまとめ『備後福山藩風俗御問状答書』として屋代弘賢に提出した。弘賢は天保13年(1842)編纂途中に没し、残念ながらその完成を見ることはなかったが、諸国各村に伝わる風俗伝承が詳細に記されており、貴重な史料となった。山手に遺された『村中風俗書上帳』に「はね踊り」が行われていたことがはっきりと記述されているのである。勝成の時代からは200年ほど後である。
『備後福山藩風俗御問状答書』
「六月 此月末に虫送りと申事有之。村役人集まり酒を出し扨寺より物かきたる旗のこときものを受来り、笹につけて是を施餓鬼と名つけ、又木綿を竹に巻きつけ幟のことくし、数は定ある村も又勝手次第なるも有之。村田のうちを持ち廻り、鉦・太鼓にてはやし、稲の虫も送れと唱へ(中略)五月五日に仕候村も稀に御座候」と虫送りの風習を記し、また、「此の時節、乞雨・祷晴、還願等、有司より出来候も、村郡にて役人・百姓申し合わせ仕候も有之。社僧・禰宜の態は申すに不及、百姓はね踊りなと申事を仕候村とも御座候(中略)沼隈郡本郷と申村の雨乞いは、八幡宮或いは龍王社に、百姓群集し、鉦・太鼓をもち、竹竿に木綿或いは紙をつけて幟のことくし、踊りを仕候事、乞候時も降り候も同時に御座候。就中鬼と申して、其面をかふり、紅しほりの襦袢なと着し、黒き股引を仕り、四尺計の女竹に赤青の紙を巻き、これを棒ととなへ、團扇に色紙を付けてひらめかし、脇指をさし、鉦・太鼓の拍子にあわせ踊り候」と、沼隈郡本郷の「はね踊り」が紹介されている。この本郷とはどこだろうか。松永の本郷がすぐに思いつくが、ここは「ひんよう踊り」が有名で「はね踊り」は伝わっていない。私は、田尻町本郷を指しているのではないかと思っている。「はね踊り」の記述内容は田尻をよく表しているからである。
また、「中山南と申すには、八大龍王の左右に神燈を明かし、前に神酒、御飯なとそなへ、社人は廣前にて終日祓をよみ、氏子ははね踊り仕候(中略)同郡には右二村の類多く候。其外他郡はかの幟めんなる物を持て、多人数神祠へ参り、社人祓をよみ候なと、大抵同様に候」とあり、中山南(なかさんな)では四人一組で「凡そ十五組或いは二十組」と60名から80名ほどで盛大に「はね踊り」が行われていた。また、「同郡には右二村の類多く候」とあるように、本郷(田尻)と中山南以外にも、沼隈郡内からは同様の「はね踊り」が多く報告されていたことがわかる。一方、沼隈郡以外では「はね踊り」の報告はなかったようである。
『深津郡本庄村風俗問状答』
「六月虫送り 同月十四日 村内祗園社祭礼に付き、神前へ神酒・御供を備へ、社人神楽を上げ、氏子参詣仕候」また「此時分雨乞」は「旱魃続き候節は上へ願いを差し上げ、村方氏宮或いは龍王社にて、三日三夜程社人或いは山伏等頼み雩（あまごい）仕候。感応の雨澤等も御座候得は、一組合に五本程つつ氏子幟を持ち、又は踊り等仕候て願解休み等仕、少々の入用等も御座候得は、村入用に仕候」とあり、虫送りは神楽を、雨乞いでは踊りの記述はあるものの鉦・太鼓を用いたという記述はなかった。
『備後国品治郡風俗問状答』
「六月 此時分雨乞」として「万能倉に龍王社あり」と紹介しているが「はね踊り」の記述はない。しかし、九月「此の月神送り」の項に「廿八日、神職の者宮々にて神拝み執行仕候。是等神送りにて御座候やらん。神事此の月は郷々神祭り多く御座候。何れも御輿渡御、鉦太鼓打ち囃子、若者荒々敷□走り候」とあり、これは「はね踊り」とみてよかろう。
『備後国沼隈郡浦崎村風俗問状答』
五月の田植えが終わった頃から六月の上旬の頃までに虫送りを行い、「組々より鉦・太鼓を其組の役人纏ひ(中略)村なかの小川に行、双方の土手にて鉦・太鼓を打、暫くして川中に入り、組順に氏神へ行、鉦・太鼓を打ち踊り申候」また、雨乞いにも「一日休日にして、幟或いは紙幟、鉦・太鼓にて賑々しく祭仕候」とあり、「はね踊り」がはっきりと記述してある。
『文化十五年御問状書上帳 控 寅五月 府川村』
「此月(六月)廿五日、当村天満宮祭礼、御輿御幸仕候事、尤加輿丁之もの都而ゆかた、はたし、鉦・太鼓ニ而はやし申候」加輿丁（かよちょう・御輿を担ぐ人たち）までもが、ゆかた、裸足姿で踊ったと記されており、また「此時分、雨乞之事(中略)村中一日休み、幟・鉦・太鼓にて（氏神へ）参詣仕候事御座候」「此月、虫送りと申」にも鉦・太鼓で村中を廻ったとあり、これが現在の太鼓踊りとして伝承されている。
『文化十五年村方風俗書上帳 寅五月 栗柄村』
「六月 虫祈祷は氏神へ」また「雨乞いは龍王社にて神職祈念」とあるが、鉦・太鼓の記述は見られなかった。現在、南宮神社の夏祭では、虫送りの「太鼓踊り」が盛んに行われている。
『土屋家日記』
蔵王では『土屋家日記』が「はね踊り」の貴重な文献史料となっている。雨乞いの記述は文化2年(1805)から見えるが、それに「はね」や「鉦・太鼓」の文字は出てこない。「はね踊り」がはっきりと記されているのは「安政六年(1859)巳未歳八月六日の事」に「急病流行に付 於氏神八幡宮に 急病除御祈祷有に一日休に也 はね躍等いたし候 当方えも押しかけてはね躍参り賑し候」の一文である。また当地には嘉永の年号が書かれた大太鼓が現存しており、雨乞いでも「はね踊り」が行われていた可能性は十分に考えられる。
＜山手村『村中風俗書上帳』＞
「六月 雨乞之事 通例之通御供散米・御酒備へ、社人・役人・惣代等多ク二夜三日参籠仕候、き願したかい鉦・太鼓・幟ニてはねを踊り、又近辺寄角力抔執行いたし願解仕候」また、「作毛虫送りと申、鉦・太鼓をうち、そより〜と稲葉もそよと申歌をうたい、おとりはやし、村役場よりはしめ村境を廻り申候、木綿幟十八本、又寺院祈祷のはたを先に立申候」と、雨乞い・虫送りに「はね踊り」を行っていたことが記されている。この時点で200年近い歴史が確認できた。『広島県史近世資料編�后抻庵�家文書『御用状願書控帳』の「稲作害虫被の手火による駆除を聞届ける廻達 嘉永六年(1853)九月三日」に、ウンカの被害について、手火にて焼却処分のことが記されている。6月に虫送り祈願したにもかかわらず、その甲斐なく9月にウンカが発生すると、収穫を目前にして被害拡散防止のために焼いたのである。「はね踊り」に抑止力はないということがわかっていても、6月になると虫送りを行い「はね」を踊った。『沼隈郡誌』に記述されているように、すでにこの時代の「はね踊り」は「農村娯楽の主要なるもの」であり、欠かすことの出来ない年中行事となっていたのである。
＜山手町のはね踊り＞
現在山手町では、山手八幡神社秋季大祭の本祭が10月の第2日曜日に、また前日土曜日に前夜祭が開催されている。この祭に山手町はね踊り保存会は、「はね踊り」を奉納している。保存会は矢田・泉・前奥・江良坊・小田・杢原の6支部で構成され、大人子ども合わせて総勢300名が参加して毎年奉納される。戦時中一時中断したが昭和23年に復活。昭和55年(1980)に保存会を発足させ今日に至る。平成21年(2009)9月29日、シンクロナイズドスイミングで北京オリンピック銅メダリストの原田早穂さんが、ＮＨＫの番組「街道てくてく旅 山陽道」で山手八幡神社を訪れた。番組は生放送で、リハーサルは当日早朝から行われた。平日にもかかわらず学校の協力を得て多くの小学生が参加してくれ、限られた時間ではあったが山手町「はね踊り」が全国に紹介された。その年の秋祭りは放映の影響か境内は多くの参拝者であふれ、盛大に披露することができた。その時の様子がYouTubeにアップされているのでurlを紹介しておく。
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＜太鼓内部の墨書＞
山手町前奥地区に大小の古そうな太鼓があり、今回締めヒモを解いて内部を確認してみたら、次のような墨書があった。
�‖臑生�(破損・曲物 墨書は次の3ヵ所)
(ｱ)辛嘉永四年 亥八月吉日 備後尾道匠屋市右衛門作
(ｲ)嘉永四年亥八月十三日 神邑山中 細工人 忠兵衛張 代銀百拾匁
(ｳ)明治十二年卯九月吉日 葦田郡相方村 細工人 桑□（原？）利右衛門 同 小三□ ※□は不明文字
�⊂�太鼓(現役使用・曲物)
文久三年 亥ノ 八月吉日 葦田郡相方村 理助 世話人 沖 伊助
�Ｂ臑生�(現役使用・結物)
文久三 亥 八月吉日 葦田郡相方村 細工人 利助 沖 世話人 伊助
�ぞ�太鼓(破損・曲物)
明治＊拾五年 三吉＊ 藤＊ ＊(広島)縣備後国 芦田郡相方村 細工人�鼻� 伜 禮＊ ※＊は部材喪失
�‖臑生櫃�(ｱ)嘉永4年(1851)、尾道の匠屋市右衛門に注文し、八月吉日に納品された。(ｲ)革張りは神村山中の忠兵衛が、同年8月13日に代銀百拾匁で仕上げた。(ｳ)明治12年(1879)のは修理記録であろう。
�⊂�太鼓は150年経った今でも現役で使われている。文久3年(1863)、沖の伊助が相方村の理助に製作依頼した。�Ｂ臑生櫃汎韻言屬ぅ戰鵐�ラ塗りで、大小で胴の作りに結物、曲物の違いはあるが、同時に2個セットで注文したのであろう。理助の漢字表記が�Ｂ臑生櫃任詫�助と違っているが、同一人物だと思う。
�ぞ�太鼓は激しく破損しており、�‖臑生歹瑛予ね�もかなわない。蔵王町に「明治廿二年 細工人 �標桐�助 同倅 禮治郎」という大太鼓が存在しており、これと同一工房と思われる。�“�道匠屋については橋本家文書富浜塩田の惣勘定帳に、富浜匠屋七三郎という人物が登場する。塩田経営と太鼓製作を結びつけることはできないが、なにか関係があるのかもしれない。富浜は尾道向島である。
＜奇跡＞
平成6年(1994)10月2日、第12回アジア競技大会が広島県で開催され、福山市では芦田川河口湖がボート競技会場となった。しかし、水道の時間断水が45日間も続くという大旱魃に見舞われ、河口湖は底が現れた。このまま雨が降らなければ競技の開催は不可能である。給水車で補水を試みたが、それは慰めにもならなかった。三好福山市長(当時)は田尻の「はね踊り」に雨乞い祈願を依頼した。田尻は龍王社の神前ではねを踊った。その結果、9月末に台風26号が発生し雨が降り出した。ボート競技開会に間に合わせ水位は上がり、無事に開催することが出来た。
＜まとめ＞
沼隈町「はね踊り」は昭和34年10月30日、田尻町「はね踊り」は昭和46年4月30日、蔵王町「はね踊り」は平成20年2月28日に広島県指定重要無形民俗文化財となった。今回の調査で山手町「はね踊り」も、江戸時代後期の文化年間(1804-1818)には、すでに農村娯楽の年中行事として行われていたことがわかった。残念ながらそれ以前は不明であるが、水野時代よりも前に行われていたのではないかということは、伝承地域をみれば推測できる。とするならば、踊り念仏を農民が取り入れ、独自に変化させたものではないかと私は考えるのである。現役使用している文久3年(1863)の太鼓などは今後いっそう大切に扱い、壊れている嘉永4年(1851)の太鼓も、現状のまま出来る限り保存していかなければならない。次世代への引き継ぎはさらに重要である。小・中学生を積極的に参加させ、歴史や所作など手を抜くことなく教えていかなければならない。福山各地に伝わった「はね踊り」は、それぞれの地域で互いに影響しあい、変化し発展してきた。残念ながら消滅してしまった地域もあるだろう。未来に向け、それらを一括して「福山のはね踊り」として保存していくべきと私は考える。
＜最後に＞
元和8年（1622）に落成した福山城は、2022年に築城400年を迎える。色々な記念行事が計画されるだろう。福山各地に伝わる「はね踊り」が一堂に会して多くの市民に披露できれば、さぞや水野勝成公もお喜びになるのではないだろうか。その時、たとえ雨が降ったとしても悪しからずである。
参考資料
『日本庶民生活史料集成 第九巻』三一書房 1973年
備後福山藩風俗御問状答書・深津郡本庄村風俗問状答・備後国品治郡風俗問状答・備後国沼隈郡浦崎村風俗問状答
『大門の歴史 大津野はね踊り』福山市教育委員会 1976年
『金崎芸能保存会 はね踊りの歩み』田尻芸能保存会 1994年
『蔵王のはね踊り』蔵王はね踊り保存会 2009年
『沼隈郡誌』『広島県史 近世資料編�后�
『福山市史近世資料編�機拌蔀翩�俗書上帳寅五月山手村
『府中市史史料編�乎六鑛圈抔飜箴�書上帳控寅五月府川村・村方風俗書上帳寅五月栗柄村
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コメント(7)
『備後福山藩風俗御問状答書』 文中「沼隈郡本郷と申村の雨乞いは」について、福山市本郷町には「はね踊り」は伝わっておらず、本郷は松永ではなく田尻町字本郷ではないかと私は書いた。本郷に伝わっていない根拠は、本郷公民館に電話で「はね踊り」について尋ね回答を得たものである。
2017年3月に『福山市史 原始から現代まで』が発刊された。市史編纂事業の最終刊である。コラムに「はねおどり」の記述があった。執筆者は岡田彩さんである。『備後福山藩風俗御問状答書』を引用して中山南と本郷の「はねおどり」を紹介されている。
実は、福山市生涯学習プラザ（まなびの館ローズコム）３階 歴史資料室で『福山市史 原始から現代まで』を購入したが、このときに対応していただいた女性が岡田彩さんだった。
そこで歴史資料室に電話し岡田さん本人に「コラムに書かれていた本郷とはどちらの本郷ですか」と質問すると「松永の本郷です」との回答だった。上記した事情を説明すると再調査してみるとのことでした。
松永の本郷に「はね踊り」はあったのかなかったのか、少なくとも現在は行われていないことは確実であるが、こちらも再調査が必要と思った。
どなたか情報があれば提供をお願いしたい。
2017年3月に『福山市史 原始から現代まで』が発刊された。市史編纂事業の最終刊である。コラムに「はねおどり」の記述があった。執筆者は岡田彩さんである。『備後福山藩風俗御問状答書』を引用して中山南と本郷の「はねおどり」を紹介されている。
実は、福山市生涯学習プラザ（まなびの館ローズコム）３階 歴史資料室で『福山市史 原始から現代まで』を購入したが、このときに対応していただいた女性が岡田彩さんだった。
そこで歴史資料室に電話し岡田さん本人に「コラムに書かれていた本郷とはどちらの本郷ですか」と質問すると「松永の本郷です」との回答だった。上記した事情を説明すると再調査してみるとのことでした。
松永の本郷に「はね踊り」はあったのかなかったのか、少なくとも現在は行われていないことは確実であるが、こちらも再調査が必要と思った。
どなたか情報があれば提供をお願いしたい。
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