ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

備後の歴史を歩くコミュの浅野神社 三次市

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
浅野神社(あさの) 三次市三次町

 浅野神社は三次市尾関山公園内に鎮座する。境内に建てらた由緒書は次のように記されていた。「由緒 此の社は 寛永九壬申年 三次藩祖浅野長治公 農本安民を請願 稲荷社を勧進 延宝三乙卯年家中 公の遺徳を顕彰し浅野様(神社)と称 以来時に盛衰有るも町民克く護持す 平成の期 神域を整え神威を発揚し郷里の発展を祈念する 平成四壬申年四月 三次浅野会」

 浅野長治は寛永9(1632)年11月2日、三次藩主となり、延宝3(1675)1月19日、62才の時、参勤交代中江戸で没した。墓所は後に「稲生物怪録」で全国に名を馳せることになる三次市鳳源寺の裏山となる比熊山城跡山麓に建てられた。

 盆地である三次には江の川、西城川、馬洗川などが流れ込み、江の川と合流し日本海に向けて流れ出る。ひとたび雨が降り出すと、三次盆地に向けて雨水は四方八方から一斉に流れ込む。今では馬洗川水系には灰塚ダム、神野瀬川には高暮ダムなどが造られ水害は減ったが、浅野長治の三次での最初の仕事は治水事業だったのかも知れない。

 鎮座地の尾関山公園はもとは小丸積山といい、天正年間(1573-91)三吉氏の家臣、上里越後守が居城していた。慶長6年(1601)、福島正則の重臣、尾関石見守正勝がここに入城してから尾関山と称するようになり、福島正則改易後の寛永9年(1632)、初代三次藩主として浅野長治が入封すると、尾関山に下屋敷が置かれたという。

 浅野長治の娘に阿久利姫がいる。14才で赤穂藩主浅野内匠頭長矩に嫁いだ。有名な赤穂浪士討ち入りの原因となる刃傷事件を起こした人物である。阿久利姫はこの事件後落飾し瑤泉院と称し、切腹した長矩や赤穂浪士の菩提を弔った。正徳4年(1714)、江戸の三次浅野家下屋敷で死去(45才)し、長矩が眠る高輪泉岳寺に葬られた。生まれ故郷の三次には、鳳源寺に遺髪塔が建てられた。鳳源寺は阿久利姫の父、浅野長治が建立した寺である。まさに波瀾万丈の人生である。

 平成4年に整備された境内には石鳥居、一対の石灯籠、狛犬、そして玉垣内に袴腰に積まれた石垣上に本殿が置かれている。一間社妻入り入母屋造で屋根は銅板葺。前方に軒唐破風の向拝が造られる。向拝は角柱、身舎は円柱という、小社ではあるが正規の本殿だ。向拝の蟇股や箱棟は浅野氏の家紋「丸に違い鷹の羽」で飾られている。本殿の三方に縁を巡らせ奥は脇障子で止める。身舎柱に長押を打ち、上部は頭貫で固定。その上に台輪を乗せている。身舎と向拝は海老虹梁で繋ぎ、中備には蟇股を置いている。

地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E132.50.31.515N34.48.45.833&ZM=10

コメント(1)

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

備後の歴史を歩く 更新情報

備後の歴史を歩くのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。