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備後の歴史を歩くコミュの『「海」の交流』

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古代から近世までの瀬戸内海・日本海

第1章 海と日本列島 森 浩一
第2章 瀬戸内海の交流

第1節 瀬戸内と平清盛の夢 元木泰雄
第2節 厳島神社と平清盛 三浦正幸
第3節 毛利水軍の育成と瀬戸内海海賊の終焉 宇田川武久
瀬戸内海の水軍と大山衹神社
瀬戸内海の製塩と造船
第4節 戦国武将たちの瀬戸内海 童門冬二
第5節 西廻り航路と瀬戸内海の海運
第6節 朝鮮通信使と世界的港町、鞆 毛利和雄
第7節 朝鮮通信使の道
第8節 瀬戸内海の魅力を「外」から見る フンク・カロリン
地域ブランド力を高める「瀬戸内 海の道構想」

第3章 日本海の交流
第1節 渤海使節と海のシルクロード
現代の渤海使節、国際定期貨客船
第2節 中世日本海の海運と交流 井上寛司
第3節 世界に広がる銀の道 仲野義文
第4節 西廻り航路と日本海の海運
たたら製鉄と日本海海運

中国総研・地域再発見BOOKS
「海」の交流

2012年12月31日 初版発行

編集・発行 公益社団法人 中国総合研究センター

コメント(1)

第2章 瀬戸内海の交流
第3節 毛利水軍の育成と瀬戸内海海賊の終焉

この項の執筆者・宇田川武久氏は、毛利元就が陶晴賢を討った厳島の戦いで、その名を今に知らしめた村上水軍に触れている。

村上水軍を正確に言えば、因島、能島、来島の三島村上氏を合わせた総称である。厳島の戦いでは、早くから小早川氏と繋がっていた因島村上氏は当然のごとく参戦し、村上武吉率いる能島村上氏も毛利方に与して参戦したことに違いないが、問題は来島村上氏は本当に参戦したのかというのである。

軍記や覚書などに、三島村上氏が揃って参戦大活躍し、村上水軍の名を馳せたことが記されており、それを踏襲して書かれた書物や記述は未だに多い。

2007年に『村上水軍全史』を発刊された福山在住の郷土史家・歴史作家である森本繁氏は、その著書の中でこの参戦問題をすでに取り上げられておられるが、今回宇田川武久氏は、「来島村上氏の参戦は無かった」ということが、「新たに発見された古文書で証明できた」と断言されている。天文24年(1555)に起こったこの戦いから1年後に至っても、まだ来島村上氏やそれを率いる河野氏は毛利氏に与しておらず、陶軍の残党狩りが続く弘治3年(1557)になってやっと加勢しているのである。

『「海」の交流』
おもしろく読ませていただいている。

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