ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

備後の歴史を歩くコミュの妙法寺 (番神堂)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
長昌山 妙法寺 日蓮宗
岡山県津山市西寺町

 妙法寺は美作における日蓮宗最大の寺院であり、境内も広い。山名美作守忠政が室町時代後期1440年頃、鶴山柳の段に妙王院を創建し開山したという。戦国時代の元亀年間に法恩院日充上人が妙王院を妙法寺に改称し、これを中興とする。関ヶ原合戦後の慶長8年(1603)、美作国津山藩の初代藩主として森忠政が入封。津山城の築城地を鶴山に決め、妙法寺は南新座へ移された。元和3年(1617)、現在地に寺が集められ西寺町が造られると妙法寺も移され現在に至る。本堂は鬼瓦の刻字により承応2年(1653)の建立と推定され、岡山県指定重要文化財である。桁行五間・梁間六間という身舎の周囲一間通りに側柱を立てた巨大な入母屋造の本堂で、正面の二間分は壁板を張らず吹き放ちとなっている。粽をつけた円柱を立て、飛貫や頭貫で固定し台輪を置くのは禅宗様であるが、長押や中備に間斗束や蟇股を立てるなど和様も見られる。

 境内の北側に三十番神堂がある。創建は擬宝珠の刻字から嘉永2年(1849)であることがわかる。一間社宝形造の正面に向拝を造る。三方に縁を廻し奥は脇障子で止める。身舎柱は円柱で頭貫で固定し台輪を置き、さらに長押を打つ。扉は桟唐戸で両脇は龍の彫刻を施す。組物は三手先、軒は二軒繁垂木である。身舎と向拝柱を繋ぐ海老虹梁や向拝の虹梁型頭貫、また、木鼻や尾垂木、手挟等、各所に彫刻が施された見事な番神堂だ。神仏分離令により明治政府から建立が特筆されて固く禁じられたこれら番神堂は、特に岡山県内でいかにして多く遺されたのかを探ることは今後の研究課題である。

写真

左:番神堂
中:扁額
右:派手な彫刻

地図
http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.59.34.961N35.3.25.521&ZM=10

コメント(3)

妙法寺 番神堂

写真

左:尾垂木の彫刻
中:背面
右:三手先の組物
妙法寺

写真
左:本堂(岡山県指定重文)
中:本堂の側面
右:側面の軒や組物
妙法寺

鐘楼(津山市指定重文)
梵鐘に刻字された「元禄五年(1692)」からその頃の建立と推定されている。袴腰が付けられた正規の鐘楼だ。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

備後の歴史を歩く 更新情報

備後の歴史を歩くのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。