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備後の歴史を歩くコミュの専法寺 三次市三次町

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専法寺 三次市三次町
浄土真宗本願寺派「梵行山」

 大正12年に編纂された広島県史第2編社寺志には「専法寺由緒」が次のように記されている。
「誓徳(上布野福泉坊二男)開基、天正三年(1575)三吉隆亮、三吉築城のとき、中所より五日市に移転、もと赤名西蔵寺末」

専法寺ホームページにはもっと詳しく紹介されている。
http://www.senpouji.com/senpouji/Welcome.html

「永正年間(1504-1521)に真言宗寺院として建立、開起 梵 誓徳法師の時、浄土真宗に改宗し、時の三次式部少輔藤原隆亮公が比熊山築城の際、三次町中所椿原より現在地の三次町に移転。昭和四十五年(1970年)七月二十三日、午後十一時五十分頃に発生した不慮の災禍により、本堂及び庫裡を瞬く間に焼失。昭和四十七年(1972年)四月二十二日、再建落成。昭和四十七年(1972年)七月十日からの集中豪雨により、多くの三次町住民(約七十名)が続々本堂へ避難する。水防活動むなしく西城川より境内へ激しい水が押し寄せ、本堂会館も床上浸水となり、畳、備品、衣類など全てが未曾有の水渦に飲み込まれる。落成を見たばかりの本堂及び門徒会館の惨状に一同茫然となる」


 専法寺の門前に建てられた寺銘石柱の裏には「昭和六十二年十月 第十六世 梵 寶英」と刻字されている。「梵」はなんと読むかご存じだろうか。この辺りは社寺が多い。卯建(ウダツ)の似合う商店街は石畳が施され趣がある。通りに面す店先には必ず「梵英心」を応援する張り紙が貼ってある。「梵」は「そよぎ」と読む。専法寺はカープの背番号6「梵英心」選手の実家である。

 境内に車を入れカメラを片手に散策していると、庭の手入れをされている人がいた。そのお顔をよく見ると、見間違うほど「梵」選手に似ていて驚いた。聞けばご住職だという。そして「梵」選手の実兄であることが判明した。昨年は全試合に出場し盗塁王に輝いた。ゴールデングラブ賞も獲得し大活躍の一年であった。カープファンならば今年も「梵」選手の活躍を熱望する所であるが、それは実兄も同じで、昨年だけで終わらぬようにと心配されていた。話題は永川投手の話にもおよび、永川選手の実家は川向こうであること、同じリトルリーグチームに所属していたために永川選手が当寺まで英心を迎えに来てくれていたことなど色々お話ししていただいた。本堂にあがらせていただくと東北関東大震災の義援金箱が置かれていたので気持ちばかりを入れた。

 石畳商店街の玩具屋さんと洋品店には、いろんなカープグッズが展示してあるから行かれて見てはと勧められたので早速行ってみた。三次人形を扱うお店にはカープグッズもさることながら江戸期からの三次人形が多数展示してあり、こちらも見応えがあった。仕事中にもかかわらずみなさん気さくに応じてくださり感激した。4月末からは三次歴史民俗資料館で「梵英心」フェアが開催されるという。これにも行ってみたい。同商店街には「明鏡山照林坊」という浄土真宗のどでかい本堂の寺がある。この寺は備後ともなじみが深い。

 「古今まちなみ、歴史、商人と出会うまち」と称された「みよし本通り商店街」はなんとも魅力的である。


写真

左:参道
中:山門は一間一戸の鐘楼門
右:本堂

地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E132.50.59.965N34.48.41.653&ZM=11

コメント(4)

専法寺

写真

左:「梵」は「そよぎ」と読む。「凡」を風に見立て林の中を風が「そよぐ」という意味らしい。

中:梵英心ガンバレ!!
右:梵英心が昨年使ったバット。
今年3月6日、尾道しまなみ球場で行われたオープン戦での梵英心選手
今気がつきました。

本堂の写真
階段下で鉢植えの手入れをされている(お尻しか写っていない・・・)人が梵英心選手のお兄さんです。
2011年5月9日の中国新聞朝刊に、梵英心選手のお兄さんが顔写真入りで紹介されていました。

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