ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

備後の歴史を歩くコミュの中興寺 福山市新市町宮内

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
中興寺 福山市新市町宮内
曹洞宗 山号:定光山 本尊:釈迦如来

 大正12年に編纂された広島県史第二編社寺志によると、創建は鎌倉時代嘉元3年(1305)仏国應供廣済国師開山とある。備陽六郡誌に仏国禅師は鎌倉建長寺二世という。貞享元年(1684)、龍興寺三世通岩禅師により中興。元は亀寿山城主宮氏の檀那寺で吉備津宮の別当であったと記す。宮氏一族の季照中明(きしょうちゅうみん)が中興寺で修行し、後に京都五山一位天龍寺の住持を勤めている。中興寺は五山制の中で諸山(しょざん)という寺格を与えられた臨済宗の大寺であった。しかし、江戸時代、福島正則により寺領を没収され廃滅するが、承応2年(1653)斧山和尚が曹洞宗に改宗して再興したという。水野記には福島正則による寺領没収で「釈迦堂、金龍院、正覚院悉く破壊ス」とある。中興寺が吉備津宮の別当とあるが、備陽六郡誌には「宮氏が滅亡したために別当職を放された」とある。この後、吉備津神社は「虎睡山神宮寺」を境内に持つことになる。この「虎睡山」という山号はいまでも吉備津神社本殿の扁額に掲げられている。中興寺位牌堂に通岩禅師と桜山慈俊の木造と位牌が祀られている。その位牌に記された桜山慈俊の没年は元弘元年(1331)九月二十二日という。桜山慈俊は南朝後醍醐天皇に与した楠木正成に呼応して備後から挙兵。後醍醐天皇の敗北により吉備津宮に火を放って一家もろとも自刃したと太平記に記されている。

写真

左:定光山中興寺の石柱
中:山門は薬医門である。
右:本堂

地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.16.22.464N34.33.44.620&ZM=9

コメント(1)

写真

左:宮氏の家紋が施された棟瓦
中:ここにも
右:ここにも

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

備後の歴史を歩く 更新情報

備後の歴史を歩くのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。