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備後の歴史を歩くコミュの橋本荒神社 神辺町平野「砂」

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橋本荒神社(はしもとこう) 神辺町平野に鎮座する。

 石鳥居の扁額には「砂荒神社」と記されている。なぜ「砂荒神」から「橋本荒神」に改称して登記されたのかわからない。高屋川左岸を本陣辺りから東進すると、右手土手下の田の中に見えてくる。行程記にもこの辺りに「荒神」として描かれており、この荒神社に間違いないと思う。広島県神社誌に記された祭神は「火之加具土」であるが、それ以上は不詳と紹介されている。備陽六郡誌「神社仏閣除地」の「平野村」の項に「砂 一、同(荒神) 除地 貳(二)畝 社司 長迫」とある。また「外編安那郡之一 平野村」には「砂の橋 街道に有。長八間八尺、巾貳間 土橋なり」とある。また「四ッ堂 名越 地蔵 砂 同 古市 同 石田 同 足永 同」とあり、「砂」という所に荒神と地蔵菩薩を祀った四ッ堂があったことがわかる。福山志料には「砂橋」として「高屋川ニワタス九州街道ニアリ ムカシハ板橋ナリシヲ明和八年(1771)石橋トス 石欄干アリ 長八間二尺 六郡誌ニ板橋ノ前ハ土橋ナリシヨシミユ」また「憩亭五 古市 菅野 竹正 砂 石堂」とある。この橋は行程記には「板橋 長十間」とあり、この橋の下流に「荒神」が描かれる。六郡誌のころは土橋が行程記のころは板橋となり、福山志料では石橋に変わっているところ、また六郡誌の「四ッ堂」が福山史料では「憩亭」と変化しているのが面白い。

 今、行ってみると砂荒神社本殿の隣に小祀があり、なかに地蔵が祀られており、これが砂の四ッ堂に違いない。

写真

左:石鳥居
中:扁額は「砂荒神社」
右:社殿

地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.23.32.187N34.32.42.902&ZM=9

コメント(2)

橋本荒神社

写真

左:荒神社の本殿
中:向かって左 これが「砂の四ッ堂」に違いない
右:行程記(抜粋) 高屋川にかかる橋が「砂橋」 左に一里塚と「古市荒神社」が描かれて、中央のが「砂荒神社」
備陽六郡誌や福山史料に記載された「砂橋」は、現在は「橋本橋」とよばれ、そのたもとにある荒神が「橋本荒神」ということです。

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