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備後の歴史を歩くコミュの住吉神社(尾道市浦崎町)

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住吉神社(すみよし) 尾道市浦崎町に鎮座する。

かつて沼隈郡だった浦崎村は昭和32年(1957)1月1日、尾道市と合併した。
当社の宝物に平安時代後期に書かれたという尾道市指定重文の紺紙金字大般若経一巻が伝わる。備陽六郡志には「住吉大明神」として「大師筆紺紙金泥ノ大般若五百卅九一巻有、誰人ノ奉納ト云ヲ不知、巻首般若会上ノ書有」また、鐘楼もあったらしく梵鐘の鐘銘が記されている。それには「元禄三年三月十三日施主神原又左衛門重久、享保五年二月晦日庄屋神原助四郎喜明」と記されている。元禄三年(1690)に新造され享保五年(1720)に再鋳造されたものかも知れないが今は存在しない。明治の神仏分離にともなう廃仏毀釈で破棄されたのであろうか。廃仏毀釈を逃れ神社に残った鐘楼は府中市の南宮神社に備後では唯一現存する。

西備名区には「産社住吉神社」とし、「当社に弘法大師一夜書写の大般若とてあり。傳伝、弘法大師此処に来り給ひ、大般若書写あらんと或家に立ち入り一夜の宿りを乞ひ一間に入り給ひ、今宵必ず人伺ひ視る事なかれと書写にかかり給ひしに、適、人ありて一夜此経書写の事不思議に思ひ、密に戸の穴よりのぞき見しに数百人の異僧ありて書写し給ふ。彼僧達、人音のしけるに驚き、忽失て大師も見え給はす。書写半ばにして止みぬとそ。故に是を書きさしの般若と伝ふ。此般若、神主の家にあり。其後、年経て神主要用ありて松永に持行、質とす。質家價銀を出して庫内に納む。然るに夜な夜な庫内霊香薫し鳴動す。家主恐れて價銀を言はす神主にかへせと云」

この神社の縁起は神功皇后が難波から三韓征伐に出航したとき備前の沖を過ぎようとしたときに大きな牛のようなものが海上に現れて御船を転覆さそうとした。そこに住吉神が出現し追い払ったという。それから鞆の浦に着かれ、船幟を揃え兵食を積み備えて再出航したが折からの強風で船が進まず浦崎に待避。皇后が自ら住吉神に祈願すると霊験あらたか風が止み出航できたという。この話は柳津にも伝わる。吹き寄せられたのでとりあえず岸の柳の木に船を止めた。それが柳津の地名となった。

祭神の住吉三神はイザナギが禊をしたときに化生した底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)を言う。産まれた場所は川であったが神功皇后のこの伝説により、海神を代表する航海の神とあがめられた。港には必ずといっていいほど祀られている。神功皇后との繋がりは深い。

社殿は正面三間、背面二間の入母屋造本殿と拝殿、幣殿とで構成される。何れの屋根も本瓦葺きである。元禄十三年(1700)九月に建てられた石鳥居をはじめ、天保や嘉永年間に寄進された狛犬、石灯籠などが多く建つ。

写真
左:参道
中:狛犬
右:〃

地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.16.40.758N34.24.14.325&ZM=11

コメント(4)

住吉神社

写真
左:狛犬
中:〃
右:境内からの眺め
住吉神社

写真
左:本殿は明治32年に暴風により倒壊。大正5年に再建された。
中:本殿の背面
右:正面
住吉神社

写真
左:本殿前の狛犬
中:  〃
右:遠くには四国山脈がみえる
住吉神社

写真
左:境内社「若宮神社」
中:   〃
右:本殿の向拝 象鼻と手挟み

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