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備後の歴史を歩くコミュの三十番神社(草戸町)

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三十番神社(さんじゅうばん) 福山市草戸町に鎮座する。

芦田川にかかる草戸大橋や、遠く福山城を見渡す小高い山の頂上に鎮座する三十番神を祀った神社である。三十番神とは一ヶ月三十日を日替わりで国家や法華経を守る三十体のご神体をいい、特に日蓮宗で熱心に信仰される。創祀は天台宗比叡山延暦寺と伝えられている。備後では今のところ、熊野町常国寺、鞆町妙蓮寺、水呑町善住寺境内に現存し、神社では熊野町とここに三十番神社として鎮座している。神仏混合時代は日蓮宗の各寺に祀られていたはずだが、明治の神仏分離により一気に消滅し残っているのが珍しい。この草戸町半坂の三十番神社は広島県神社誌への記載はない。大正十二年編纂の広島県史社寺志にも取り上げられていない。よって縁起等は不明であるが、石鳥居には安政六年(1859)と彫られていた。拝殿と本殿が一緒になった社殿であるが、中に日蓮宗の曼荼羅が掲げられておりそれとわかる。境内に建てられている小林家の墓石が何かヒントにならないか・・・。

写真
左:参道は半坂の旧道である。右の石段が社殿へ続く。
中:安政六年の石鳥居
右:「番神社」と彫られた扁額

地図

https://yahoo.jp/P4DUf6


コメント(10)

三十番神社

写真
左:社殿
中:社殿の中の日蓮宗曼荼羅
右:草戸大橋を見下ろす
三十番神社

写真
左:遠く福山城がみえた
中:社殿
右:彦山方向の展望
拝殿の奥には三十体の三十番神があるはずだが、扉が閉ざされており目にすることは出来なかった・・・。

写真
拝殿の裏側は奥に伸ばされ本殿となっている。
『草戸今昔』より

半坂鳥越の北側山上に建立されている。
当番神社は草戸千軒町内に祭祀してあったものを、現在地に再建されたものである。
棟札によれば寛文13年(1673)丁亥歴五月吉祥日と記載されているが、暦の年代と一致しない。

とあります。
立派な三十番ご神像あり☆

常夜燈は文政二巳卯(1819)と刻まれているようです。
石鉢は軍配をつかさどってあるそうです。
備陽六郡志外編分郡之二「草戸村」の項に「寛文十三年癸丑洪水の節、下知而、青木かはなの向なる土手を切けれは、忽(たちまち)、水押入、千軒の町屋ともに押流しぬ。此時より山下に民家を建並、中嶋には家一軒もなし・・・」また、「当村と佐波村の境に、茶筌共居住する所を城山と云。是、日像上人開基の一乗山法華寺の跡なり。此所の茶筌共、往古より法華宗にて、今は悉、常国寺の檀那なり・・・」とあります。

この一乗山法華寺の番神堂だったのでしょうかね。

>5

備陽六郡志の本文中に差別的表現がありますが、そのまま引用しました。
2016年6月に発生した大雨による土砂被害がこの三十番神社にもおよんでいます。

社殿の足下が土砂崩れし崩落寸前だそうです。

今回の新聞報道により、持ち主は水呑の妙顕寺ということが判明しました。

社殿は寛文13年(1673)建立の棟札があるそうだが、それには「丁亥」と記され、寛文13年は「癸丑」であり時代が合わないらしい。

鳥居が安政6年己未(1859)、常夜燈は文政2巳卯(1819)の建立。

存続には5千万が必要で、地元では取り壊しが検討されているようです。

ついに取り壊しが決定しました。三十番神は妙顕寺に移されるそうです。明治の神仏分離や廃仏毀釈を生き延びた証が無くなります。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=1818324&id=49339086

番神堂について
水呑町妙顕寺に移された三十番神ですが、『備陽六郡志』を引いてみると、妙顕寺にも確かに三十番神の存在が記してありました。

妙顕寺の開基は日像菩薩とあり、草戸千軒が流失したときの一乗山法華寺も日像上人開基ですから、『草戸今昔』の記述もあわせて今後考えてみたい。

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