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備後の歴史を歩くコミュの塩川神社(境外社)

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塩川神社(しおかわ) 福山市山野町矢川264番地に鎮座する。

創建は第75代崇徳天皇の天治年中(1124〜1126年)に勧請されたとされる古社だ。広島県神社誌によると奥州塩竃神社から勧請し創祀されたとあるが、深安二十六社めぐりには「これは定かではない」と記されている。祭神は味耜高彦根命(アジスキタカヒコネ)、経津主命(フツヌシ)、猿田彦命(サルタヒコ)、武甕槌命(タケミカヅチ)そして瀬織津比売(セオリツヒメ)の五柱が祀られている。奥州陸奥国の一宮塩竃神社の祭神は塩土老翁神(シオツチノオジ)を主祭神とし、武甕槌命、経津主神を祀っている。主祭神が外れているのでやはり定かではないのだろう。アジスキタカヒコネであるが農業の神、雷の神、不動産業の神として信仰されており、古事記では大国主と宗像三女神のタキリビメの間の子とされ、妹にシタテルヒメがいる。シタテルヒメはアマテラスとタカミムスビが出雲を手に入れようと送り込んだアメノワカヒコと結婚した。アメノワカヒコが何年経っても帰ってこないをの不審に思ったアマテラスは、様子見にキジを放った。アメノワカヒコはこのキジを持たされていた矢で射抜いてしまう。その矢はキジを貫通し高天原にいるタカミムスビにまで届いた。血の付いた矢を見たタカミムスビは、出雲では戦闘していてこの矢が必要だろうと投げ返したら、それがアメノワカヒコに刺さり死んでしまう。義理の兄であるアジスキタカヒコネとアメワカヒコはよく似ていたらしく、葬式にやってきたアメワカヒコの父アマツクニタマはアジスキタカヒコネを見て息子は生きていたと勘違いし喜び抱きついた。これに驚いたアジスキタカヒコネはアマツクニタマを切り殺したのだ。これが発端となったのかは知らないが、この後、タケミカヅチとフツヌシという強力な二神が出雲に送り込まれ、ついに出雲はアマテラスの手中に収まったのだ。サルタヒコは道祖神で天孫降臨してきたニニギらの一行を道案内した。そして問題はセオリツヒメである。古事記、日本書紀等の日本神話には一切登場しない。これは神話から抹殺されたと女神といえる。というのは神主さんが祭祀の始めにとなえる祝詞(のりと)があるが、これは延喜式で定められたものだ。中でも、六月、十二月末の大晦日にのみ唱えられる最も重要とされる大祓詞(おおはらえのことば)にのみ祓戸四神としてその名前が唯一登場する。何故抹消されたかであるが、アマテラスは弟であるスサノオとウケイをし五男三女神をもうけたことは何処かで書いた。これは近親相姦ではあるが、アマテラスが女性であるならば別におかしくはない。ところが陰陽説でいうと、太陽神であるアマテラスは絶対に男性でなければならない。日本書紀ではアマテラスには大日孁貴神 (オオヒルメノムチ)という別名が記されている。このオオヒルメは太陽神である男神アマテラスに仕えた巫女。すなわち「オオヒに仕えるミコ」だとする説がある。「オオヒミコ」・・・ここで邪馬台国の女王の名を思い出して欲しい。これを日本書紀の編纂者は同一人物として書いた・・・いや書かされたのかもしれない。男同士ではどうやっても子供は生まれない。「ホツマツタヘ」では(ここではこれが真書か偽書は問わない)セオリツヒメなる女神が明確に登場している。そしてそれはアマテラスの皇后として登場するのだ。それならばつじつまが合う。ホツマツタヘについては諸説色々あるが下記ページを一度目を通されてはいかがかと思う。
http://www.hotsuma.gr.jp/index.html

社殿であるが本社は天明二年、神社誌では天明三年(1783年)に再建され、天保元年(1830年)に分祀された分社は昭和28年5月に再建されている。また油木町李にも分祀されているが現在は天神社へ合祀されているとある。多種の奉納物やおびただしい祈願以来の書面、その他古記録は現存していて、その中には山陰、四国、大阪や江戸表からの祈願文も含まれている。また、浅野三原城主、広島城代家老上田氏、岡山藩家老池田氏もこの神社に度々参拝されている。この神に何を祈ったのか・・・?神社誌には伝染病が流行った時に、病気の平癒を祈りご神徳があったと記されている。本社の住所が矢川町492で境外社は矢川264とあり、地図では塩川神社は分社の方の264番地を指す。さらに本殿は一間社流れ造りとあるが、タカさんが撮られた写真では三間社くらいの入母屋造りとなっている。先週の日曜日にコミュ仲間と行きたかったのだが時間が無く行きそびれてしまった。これについては近いうちに確認に行ってこようと思ってます。

写真と文(タカさん)
山野町の矢川沿いの谷奥にある塩川神社です。
毎年5月には、カラスアゲハの採集によく訪れます。
庭には美しいツツジがいっぱいの神社です。

地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.20.19.121N34.38.56.830&ZM=9

コメント(3)

塩川神社(境外社)

本社はここから西の山中約1.3kmの所へ鎮座していた。天保元年(1830年)に分祀され境外社が創建されたが、この社地は代々の神主家佐藤氏が寄進されたものだ。広く、また綺麗に整備されていた。

写真
左:江戸時代後半に起こった一揆で、加茂町北山菅地区に近い鳥居場というところに、福山藩家老下宮三郎右衛門が奉納したとされる鳥居が壊された。現在でも谷底に落とされた鳥居の残骸が残っているらしい。塩川神社境内入り口には、明治になって矢川の三島安太郎他が倒れていた鳥居の笠石で灯籠を再建されたものが建っている。

中:トリカブトだって・・・。
右:石垣に咲く花。何という花だろうか・・・? 
塩川神社(境外社)

写真
左:備前焼? 狛犬
中:拝殿
右:本殿
この花は「ゆきのした」だそうです。

なんでも、葉っぱは、火傷の貼り薬とか、絞り汁を熱冷ましに利用したり薬草として、また天ぷら等の食材にもなるそうです。

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