ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

備後の歴史を歩くコミュの明王院 その2

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
先日、我が家の近所で発生した民家火災。その家は真新しいオール電化住宅で、出火は風呂近くの配電盤あたりか・・・?風呂から台所、そしてリビングルームを焼き、火は廊下へ出て階段を2階へ一気に駆け上がった。焼けた家を呆然と見上げる家人の姿は、法隆寺の昭和大修理が金堂に着手される直前の昭和24年1月26日に、焼損してしまった壁画を見て手を合わせる住職の姿と重なった。それは昭和15年から始まった壁画の模写作業は、途中戦争を挟み、それでも10年の歳月をかけ完成までもう少しのところで悲劇は起こった。模写作業は4人の班長にそれぞれ3人の助手が付き総勢16名の画家が行っていた。暖をを取るために使われていた電気座布団の消し忘れが出火原因とされたが、結局特定は出来なかった。後に昭和42年から再開され、今、金堂の内陣にはこの絵が収められている。法隆寺や、当時模写作業に従事していた画家にとって悲劇とも言える1月26日を文化財防火デーに定め、福山市でも福山城、常国寺、そして明王院の3カ所を持ち回り、毎年消防訓練が行われている。

 昭和34年から三年かけて行われた明王院国宝五重塔の解体大修理は、法隆寺の棟梁西岡常一氏の手によるものだ。この工事に山手町から大工として参加された高橋栄氏はすでに亡くなられている。西岡棟梁は1995年に、現場監督を務められた太田博太郎東京大学教授も今年一月に亡くなられた。この工事に携わった職人さん達のほとんどがもうこの世にはいない。福山市ではこの修復工事を詳細に記録し、次の修理時に役立つようにと一冊の本にして残している。また、この工事に併せて、明王院の傍らに別の作業所を建て、その中で五重塔の正確な1/10の模型を造らせていた。完成した模型は当時の文化庁へ運ばれ、今は千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館に制作者西岡常一として展示されている。この模型造りに携わられた高橋栄棟梁の息子さんの明敬氏から当時の話が聞けた。大工さんなら常識的なことが、私には難しい。そんな私に明敬氏はメモ用紙に絵を描きながら丁寧に説明をしてくれた。たとえば丸柱。正確に直角が出た角柱なら穴を開ける角度も位置も決まるから容易だが、丸柱はそうはいかない。丸く転がるから角度が出ないのだそうだ。さてどうするか・・・?まず、6角か8角の正確な角柱を作るのだそうだ。それなら狂いのない角度で穴があく。穴があいたら、あけた穴を一旦埋め戻してからロクロにかけて丸く削っていくのだそうだ。穴を埋め戻すのは、穴の角にロクロの刃が引っかかり柱に傷が付くからだ。社寺建築では当たり前のように丸柱が使われているが、それだけ手間が掛かっている。今はプレカット品が主流で、丸太に柱の墨を入れられる職人は少なくなったという。模型は初重、二重と三重から五重と二分割に造られた。瓦も木材で造る。割り箸のような屋根地に使う垂木も一本一本手作りされたそうだ。総ての部材が、また木組が正確に1/10で造られた。そうして出来上がった模型は明王院の本堂に運ばれ飾られた。その前で、西岡棟梁を真ん中に本工事の職人さんも揃って記念撮影された。写ったみなさんの顔はどなたも自信に満ちあふれいい顔をされている。いよいよ陸送し文化庁へ納入する日が来た。搬送時に破損したときのことも考えて、明敬氏は大工道具一式と、その場で補修するために必要な材料を手にし東京へ向かった。

 お話を色々伺って私は感じた。この人達のあとを継ぐ人材はいるのだろうか。丸太に柱を作るための墨を入れられる人はいるのだろうか。明王院五重塔は南北朝時代、貞和4年(1348年)に建てられた後、幾度となく補修されている。その補修の仕方がよかったからこそ今なお建っているのだ。歴史を受け継ぐことは、その技術を受け継がなければ意味がない。それが歴史を紡ぐということだ。この1/10の模型は、いつか必ず訪れる次回の修理の時は絶対に必要となる・・・そう確信した。

写真

左:五重塔の解体修理に携わった人達の集合写真

本堂の奥に完成された1/10の模型が収められている。
上段の中央が西岡常一棟梁。その向かって左側、一人置いて高橋明敬氏。中央の女性の左隣が高橋栄氏。高橋栄氏は本工事に、明敬氏は模型造りに従事された。

中:緊張感が伝わってきます。

右:木を丸く削って造った本瓦部分を取り付ける明敬氏

コメント(8)

写真

左:2分割で造られた。中を見れば複雑な木組も正確に再現されている。

中:屋根地部分

右:左が明敬氏
焼けた金堂で壁画に手を合わす住職

ネットで見つけた。
明王院?

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=14959755&comm_id=1818324

?はその続編です。
集合写真ですが西岡棟梁の左上。
中腰でメガネをかけたネクタイの人物が、現場監督を務められた太田博太郎東京大学教授だと思います。
重要文化財防火訓練

2011年1月23日(日)
午前9時30分発令

福山城・沼名前神社・吉備津神社など、福山市内各所で一斉に重要文化財防火訓練が実施された。私は明王院の防火訓練に参加してきました。
明王院の愛宕大祭へ行ってきました。

折りしも強風の日で、どうなることかとハラハラドキドキ。
でも、燃え上がる炎と五重塔がおそろしいほど美しかったです。

翌日、ご住職にたずねたら、
いつもは炎はまっすぐに立ち昇るとのこと。
昨日はちょっと心配しましたということです。

仏のご加護のせいか、
五重塔は全くへっちゃらいでしたけれど。

この後、火渡りの行が行われましたが、
その前に帰路につきました。
来年は火渡りも見たいかなーー。
確か1,000円で手ぬぐいを買って鉢巻きにし、火を踏みしめて愛宕社に上がると、鉢巻きの額の部分に朱印を押していただけますよ。

一昨年だったかソックスまで脱いだけど、渡る勇気がなかった・・・。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

備後の歴史を歩く 更新情報

備後の歴史を歩くのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。