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備後の歴史を歩くコミュの沼隈町の辻堂

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(参考文献:沼隈町史)

出典の調査年が不明です。
全16宇(堂内に賽の神を祀るもの、お大師さんを祀った堂は除く、この他に以前堂があったが今はなくなっているものも数箇所ある)

現在、狂ちゃんさんの調査により14宇が発見されました。
不明なのは中山南中横倉と下山南大迫の辻堂です。

○観音さん/中山南中横倉(不明)
 (平成元年(1989)移転/石仏1体)
 場所的には赤旗神社の近くの街道沿いにあるはずなのですが、どこに移転されたかはわかりません)
○地蔵堂/中山南上八日谷
 (敷地内にあるお大師の接待行事をする/石仏3体)
○新堂/下山南岩竹
 (八朔の網引きと盆踊りをする。昭和53年(1978)再建/石仏6体)
○大迫の堂/下山南大迫(不明)
 (1体は19番と刻む、敷地内に地神あり/石仏6体)
 資料によればコンクリートブロック造り、陸屋根、三方囲いとなっています、ほとんど倉庫みたい?)
○矢操の地蔵堂/下山南矢操
 (地蔵盆に接待、集会所として利用された、敷地内に地神あり/石仏4体)
○上林の堂/下山南小坂
 (8戸で管理、地蔵盆の行事をする、集会所・道具置き場として利用、明治22年(1889)・平成4年(1992)再建/石仏1体)
○小坂の堂/下山南小坂
 (地蔵盆の接待、昭和57年(1982)道路工事で撤去、平成6年(1994)再建、敷地内に常夜燈あり石仏1体)
○宮迫の堂/下山南宮迫
 (地蔵盆に接待、秋に地蔵講/石仏1体)
○防地の堂/下山南宮迫
 (昭和51年(1976)再建/石仏1体)
○菅野の堂/下山南池尻
 (だべおとしにうどん講をする、昭和49年(1974)再建/石仏2体)
○土居の地蔵さん/草深土居
 (地蔵盆をする/石仏2体)
○州の端地蔵/草深阿引
 (地蔵盆に接待と盆踊り/石仏1体)
○桶の上の地蔵さん/草深桶の上
 (地蔵盆に接待と盆踊り/石仏1体)
○大越の堂/常石大越
 (地蔵盆に接待と盆踊り、集会所としても利用、昭和51年再建、安政と嘉永の棟札あり/石仏2体)
○桜のお地蔵さん/能登原桜
 (毎月21日菓子などの接待、地蔵盆や慰霊祭の行事を行う、道具置き場としても利用/石仏1体)
○お地蔵さん/能登原下組
 (地蔵盆に握り飯・煮しめ・菓子の接待、読経と講和をする、石仏に享保乙巳年(1725)と刻む/石仏1体)

コメント(20)

狂ちゃん(写真・文)

沼隈町下山南


これはもしかして辻堂跡なのか?
地蔵堂の後なのか??

それとも全然関係ないか・・・

http://www.chizumaru.com/maplink.asp?SER=all&D=all&X=479927.644&Y=123860.782&SCL=1000


※辻堂跡に一票!
狂ちゃん(写真・文)

沼隈町能登原

これは何?
神社?
辻堂に入れても良いような感じ・・・

http://www.chizumaru.com/maplink.asp?SER=all&D=all&X=480092.873&Y=123759.755&SCL=500


(あまのさん)
神社だな・・・。
中の本殿には注連縄と御幣も確認できる。
(狂ちゃん)
やっぱりか・・・
神社を辻堂に入れた?っとかじゃないよな
(あまのさん)
その可能性もある・・・。
地図を確認してみます。
(あまのさん)
場所は本谷集会所の隣ですか?
だとすると、住宅地図では鳥居マークで神社ですね。
手前の橋は「大明神橋」となってます・・・。

※難しい判断ですね。辻堂にしか見えないんだけど地図では神社マークがついてるものは、服部本郷に1宇と蔵王に1宇、地図にないけど加茂に1宇ありました。この社殿は手前の板敷きが後付けのようなので( 板の張りの方向が違う)やはり社殿として造られたのではないでしょうか。棟札が残っていればいいのですがね〜〜。
福山志料

沼隈郡外常石村

憩亭一
濱ニアリ ムカシハ海潮山長福寺ト云真言寺ナリト云


以下2009年6月3日中国新聞記事を引用

不審火か沼隈で連続火災 

 3日午前6時50分ごろ、福山市沼隈町下山南の空き家=箱田明さん(60)所有=から出火、木造2階建て延べ約70平方メートルのうち、約50平方メートルを焼いた。 さらに約20分後、空き家から南へ約2キロ離れた同市沼隈町常石の長福寺からも出火し、木造平屋のお堂約30平方メートル全焼した。


福山志料では四ッ堂や辻堂は「憩亭」と記されているようだ。上記記事はその憩亭「長福寺」と記された建物に違いないと思う・・・。

先日は常石「艮神社」も不審火で焼失した。
長福寺に行ってみましたが場所がわからず、近所の人に尋ねるとすでに整地されたとのことでした・・・。

長福寺
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=34.38950957447496&lon=133.29427314108892&z=19&mode=map&pointer=off&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=34.389330288536506&hlon=133.29425168341677&layout=&ei=utf-8&p=

艮神社
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&lat=34.398788757541425&lon=133.3049027354147&z=18&mode=map&pointer=off&datum=wgs&fa=ks&home=on&hlat=34.39846784888594&hlon=133.30487993663806&layout=&ei=utf-8&p=





17の 6つ並んだ地蔵は 六地蔵と呼ばれいます。
地蔵菩薩の像を6体並べて祀った地蔵様で 仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものである。六地蔵の個々の名称については一定していない。地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道である

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