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備後の歴史を歩くコミュの福山八幡宮

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福山八幡宮 福山市北吉津町


今日の午前中、高齢のため車の運転を止めた父親を福山駅裏付近まで送って行った。「30分したら迎えに来てくれ」と言い残し車を降りて行ったが、帰るに帰られない何とも中途半端な30分である。駅裏周辺で時間を潰したのであるが何処で潰したかというと・・・ジャン!福山八幡宮!!現在地に遷座してから昭和58年(1983年)で300年が経ち、これを記念し翌1984年に中央拝殿が建立されたと共に、東御宮本殿の檜皮葺屋根葺き替え等の事業が行われ、以後25年目を式年として大祭事業が行われることが決まった。福山八幡宮は中央拝殿を中心に東側に東御宮・延広八幡神社、西側に西御宮・野上八幡神社が綺麗にシンメトリで建てられている。それぞれの本殿屋根は檜皮葺で、この檜皮の耐久年数は概ね50年とされているため、1984年に東御宮本殿の檜皮葺屋根葺き替えが行われ、25年後には西御宮を葺き替えないと東西檜皮の耐久年数が間に合わなくなる。次の予定は2008年が式年となるのだが、一昨年の台風で西御宮本殿と隣接する聰敏神社本殿の檜皮葺きの屋根が共に大きな損傷受け、式年事業を早めて現在修復中であり、3億円を目標に募金活動もされている。これに、ある若手実業家がポンと5千万円を寄付された記事を何処かで見かけた。あるところにはあるもんだ・・・。5千円くらいなら私でも大丈夫かな・・・。今はまだ足場を組み上げている段階だが、檜皮の葺き替え工事は是非見学したい。八幡宮であるから祭神は神功皇后と息子の応神天皇。それに宗像三女神といわれる多紀理姫命(たぎりひめ)多岐都姫命(たぎつめひめ)市杵島姫命(いちきしまひめ)は海の守護神だ。この3姉妹はアマテラスとスサノオの賭により生まれた子達で、よくよく考えればアマテラスとスサノウは姉弟だから近親相姦となってしまうではないか・・・。

伊勢神宮では2005年から第62回式年遷宮の各行事が進行中で、2013年には正遷宮(神体の渡御)が予定されている。こちらは20年毎に行われ、内宮・外宮の御正殿を始め全ての建物・鳥居・宇治橋を建て替え、御装束・神宝も造り替えるという大がかりなもので、前回61回遷宮にかかった総費用は330億円だそうで、うち200億円は伊勢神宮が20年掛けて積み立て、残り130億円は一般からの寄付だ・・・。この行事が690年の持統天皇の御代に始まり、戦国時代に何回かとんだり、一時延期になったこともあったが現代にまで続いている。


時間が30分しかなかったので写真を数枚撮っただけで帰ったが、裏手の松林を抜ければ私が通っていた城北中学校がすぐだ。中学時代に、ここらでよく遊んだのを懐かしく思い出した。


写真

左:檜皮屋根修理中の西宮本殿
中:拝殿
右:東宮本殿 西宮とは左右対称に造られている。入母屋造り千鳥破風付き檜皮葺 

地図

http://link.maps.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.21.44.862N34.29.29.811&ZM=11

コメント(12)

http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200704250024.html

福山市北吉津町の福山八幡宮内にある聰敏(そうびん)神社で24日、屋根の改修を終えた本殿にご神体を戻す遷座祭が開かれた。同神社での遷座祭は、1966年の屋根のふき替え工事以来、約40年ぶり。赤い装束を身につけた吉川通泰宮司と白の装束をまとった宮司6人が、ご神体を本殿へと運んだ。同神社は、初代福山藩主の水野勝成公を祭り、明和4年(1767年)の建立とされる。

中国新聞より引用・・・


また一つ檜皮葺が無くなった。
銅板で葺き替えられた。

でも、真新しくなった勝成さんに会いに行ってみよう。
聰敏神社は福山八幡宮内に鎮座してます。
いまだ工事中の西御宮
屋根部分は綺麗に仕上がっているのが確認できた。
福山八幡宮

写真

左:拝殿
中:拝殿の裏側
右:東御宮本殿 檜皮葺屋根
福山八幡宮

左右対称に造られた西御宮と東御宮
西御宮はいまだに檜皮葺き替え工事中


本殿は天和三年(1683年)に再建されたもので、桁行三間、梁間三間の平入り入母屋造、千鳥破風が付く檜皮葺屋根で軒唐破風向拝がそのまま幣殿に接続される。拝殿、幣殿、本殿が一体となった権現造りとなる。縁起であるが、福山城の城地となった島山に二つの八幡宮があった。天文年中(1532〜55年)には杉原播磨守が社殿を新たに造営したとある。その後、毛利輝元や、あの福島正則も崇敬した。元和五年に水野勝成が入封し、福山城を築城する。その地に鎮座していた二社は野上と延広へ遷座させた。第四代水野勝慶により天和三年に現在地に遷座させ、延広を東御宮、野上を西御宮とし、東西に並べて造営した。東西の各社殿はまったくのシンメトリで建てられた。中央の拝殿は昭和五九年に新たに建てられたものだ。

参考
広島県神社建築
夏越の大祓の時の、ここの茅の輪は日本一と書かれてたホームページがありましたが、本当でしょうか?
昨日、7月30日、午後1時から福山八幡宮で行われた夏越大祓祭に出かけてきた。お目当ては「ここのは日本一」と歌われた「茅の輪」の直径を測ること。先日の中国新聞に広島三輪明神の直径4mの茅の輪が紹介されていましたが、果たして福山八幡宮のはどうだったか・・・?

写真にあるように見た瞬間「でかい!!」と感じた。参拝者が多く、邪魔にならないように途切れるのを待ってさっと測った結果、4m20cmと三輪明神を20cm上回っていた!!神職の方に訪ねてみたら「6m弱」とのことでしたが、写真でわかるように鳥居型をした取り付け枠の一番下の拡がっている部分が5mだったので6m弱はありえません。しかし、日本一にふさわしい茅の輪だった!!私もくぐらせて頂いた。真下を通過する瞬間に、ほわっと茅草の良い匂いが漂ってきて、心が安まる思いがした。

写真
左:檜皮の葺き替えは終了し、現在は漆塗り作業が続く西御宮
中:拝殿正面に設置された日本一の茅の輪
右:檜皮にコケが目立つ東御宮
檜皮葺き替え工事   (株)村上寺社工芸社(兵庫県)
塗り替え工事     (株)小西美術工芸社(栃木県)
欠落していた金具類  (株)森本錺金具(京都府)

工事指導 広島大学 三浦正幸教授

BJビジネス情報7月1日号に記載がありました。 
西御宮のすべての工事は終了していす。
11月10日、綺麗になった西御宮を見てきました。

写真

左:東御宮門
中:お屋根の檜皮は葺き替えられ、軒は鮮やかな朱色に、組物や蟇股、カゴ彫りの木鼻や手挟みはあでやかに彩色され、金物も新調されています。長押の釘隠は4隅の部分だけ取り付けられていないのは何か意味があるのでしょうか・・・?

右:入母屋の妻飾り部分。二重虹梁で下段は蟇股。上段は大瓶束。大瓶束は大根のように彩色されています。
方三間の入母屋造で正面に千鳥破風を飾る。頭貫の下に長押を打ち、木鼻はカゴ彫りを施す。柱上の組物は一手先。支輪を造り、中備には蟇股を置く。正面の窓は禅宗様の花頭窓。木鼻、手挟みはカゴ彫りで意匠はボタンの花か?向拝が前に伸ばされて石の間を造り、そのまま拝殿屋根に接続される権現造りである。

写真

左:向拝と本殿の正面
中:手挟
右:本殿の側面
福山八幡宮
東御宮

こちらのお屋根は1984年に葺き替えられた。
あと25年後には葺き替えられる予定である。
檜皮葺の寿命は約50年と言われている。

福山八幡宮

福山藩主水野家との繋がりが深い神社だけに水野家の家紋「抱沢瀉」が飾られている。

写真

左:御朱印
右:向拝縋破風に飾られた「抱沢瀉(だきおもだか)」

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