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Shady RecordsコミュのD12について

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D12(ディートゥウェルブまたはダーティーダズン)

アメリカ合衆国・デトロイトを中心に活動する6人組ヒップホップユニット。
エミネム以外のメンバーは、ビザール、プルーフ、コン・アーティス、クナイヴァ、さらに凶弾に倒れたバグズに代わって加入したスウィフト。5人の黒人MC。
D12のメンバーは全員、無名時代にフリースタイルバトルで知り合った間柄。

「誰かがラップゲームで成功したら、そいつが他のメンバーをメジャーに連れて行く」という結成時の約束があり、エミネムの「Lose yourself」がスマッシュヒットしたことにより、晴れてD12もデビューとなった

D12の「D」は彼らの本拠地であるデトロイト(Detroit)と「Dirty」(ここではイカシてる、などの意味で使われており、否定的なニュアンスは無い)の頭文字である
特徴的なクルー名(エゴ)の由来は、6人のメンバーがそれぞれ別人格を持つ(6人×2=ダーティーな12人)というコンセプトによるもの。これはProofによって考案されたものである。




★Eminem エミネム
(本名:Marshall Bruce Mathers ?-1972年10/17)
Alter Ego:Slim Shady
彼は1999年にShady Recordsを始動しました、そして、D12はサインされた最初のグループでした
 
★Proof プルーフ
(本名:DeShaun Holton-1975年10/2)
Alter Ego:Derty Harry
D12の中心人物
2006年4月11日午前4時30分ミシガン州デトロイト市の8マイル・ロード沿いにあるCCCクラブで頭部に致命的な銃撃を受け、死亡。



★Kon Artis コン・アーティス
(本名:Denaun Porter-1978年12/7)
Alter Ego:Mr.Denaun Porter
プロデューサーとしても才能を開花しつつある

 
★Bizarre ビザール
(本名:Rufus Johnson-1976年7/5)
Alter Ego:Peter S. Bizarre
シャワー・キャップがトレード・マークの巨漢ラッパー。
7才でラッパーとしての道を歩み、Eminemよりも早くデトロイトのヒップ・ホップ・シーンで活躍していた。
 
★Swifty スウィフト
(本名:Ondre Moore-1976年3/17)
Alter Ego:Swifty McVay
メンバーBugzの死後に加入。
Proof葬儀日、飲酒運転の聴聞会のため裁判所に出廷する予定でしたが、葬儀を優先して欠席したため、後に逮捕される
 
★Kuniva クナイヴァ
(本名:Von Carlisle-1976年7/5)
Alter Ego:Rondell Been
BizarreやProofほどのネームはないもののデトロイトのヒップホップシーンでは名の通った実力者である

★Bugz バグズ
(本名: Karnail Paul Pitts-1977年1/5) 5/21, 1999
Alter Ego: Robert Beck
Bugzは1999年に撃たれて、殺されました。 彼は22歳でした。






 デトロイトの地元の人間がたむろするヒップホップ・ショップで出会う。そこでのイベントSaturday Open Mic Sessionsで6人はバトルをし、マイクを回し始めた。その中のひとりProofは“病的な白人のヤツがぶっ飛んだライムをする。”というウワサを聞きつけてそのイベントに参加するようになった。

“病的な白人”とはもちろんMashall Mathaers=Eminemのことである。
そのスキルを通し互いをリスペクトし、絶対的な運命の出会いを感じた6人は息投合した。引き続きソロ活動を行いながらもグループを組む。

そして彼らは“ラップ・ゲーム”という厳しい世界で誰かが先に成功したら、必ず他のメンバーを呼び寄せ、6人共にメインストリームに殴り込みを掛けようと固く誓い合った。

 そして1999年、病的な白人(=Eminem)は西の大御所Dr.Dreの全面バック・アップのもと『The Slim Shady LP』でデビュー。
彼は瞬く間にラップ界に不動の地位を築くと、早速、約束を果たすため動いた。Eminemは自分のアルバム『The Mashall Mathaers LP』の「Under The Influece」でメンバーをフィーチャーした。また同アルバムからのファースト・シングル「The Real Slim Shady」のプロモーション・ビデオにもD-12のTシャツを着てキャメオ参加させるなど、プロモーションを開始した。『The Mashall Mathaers LP』リリース後、Dr.Dre、Snoop Dogg、Ice Cube等と行ったヒップ・ホップ有史以来最高最大のツアーと称されたUp In Smoke Tourでは、D-12のメンバーと共にステージに上がった。

 2001年6月、Eminemは自らInterscope Recordsの傘下に興したShady RecordsからD-12のデビュー・アルバム『Devils Night』をリリースした。『Devils Night』はEminemの有言実行の結果であり、6人の絆の結晶でもある。『Devils Night』は初登場でBillbord誌のHot 100を制し、瞬く間に100万枚のセールスを記録した。しかし、そんな彼等にも大きな問題があった。それは、ビッグ・スターになり過ぎてしまったEminemの存在であった。

 D-12はEminemのバンド。Eminemと一番仲のいいProof、大きな体が印象的なBizarreは比較的知られているが、残りの3人は名前すら知られていない。そんな世の反応をEminemは見逃さなかった。2004年4月、3年ぶりとなるセカンド・アルバム『D12 World』をリリース。この作品からのファースト・シングル「My Band」はEminemばかりが注目されることに不満を抱くメンバーの姿をコミカルに描き、D-12をEminemのバンドとしか見ない者に対して先制パンチを浴びせた。

 お披露目的な意味合いを濃くしていたデビュー作『Devils Night』に対して、グループとしての持ち味が明確に打ち出されていた『D12 World』。このことを考えると、D-12の本領発揮はまだ始まったばかりかもしれない。



6人全員が同時に参加する楽曲は意外に少なく、「40 Oz.」「How Come」「Git Up」などは代表的な人気楽曲でありながら、ラップで参加しているのはそれぞれ3,4人程度にとどまっている。
またエミネムはソロでの活動も多いため、彼を除いた5人で活動することも。



また2006年4月11日未明にはデトロイト市内のナイトクラブにおいて、クルーの中心的メンバーであったプルーフが口論の末、銃撃によって死亡する事件が発生。現在は5人で活動している。


銃撃により他界したD12のプルーフの葬儀が、4月19日にデトロイト北西部のFellowship Chapelで行なわれました。約2時間15分の葬儀には約2000人が参列。

この中にはエミネムをはじめ、D12のスウィフトとビザール、50セント、G-ユニットのロイド・バンクスとヤング・バック、オービー・トライス、Naughty By Natureのメンバー、Xzibit、Trick Trick、ドクター・ドレーなどの姿がありました。

残されたプルーフの奥様のSharondaさんと5人の子供達には、デトロイト市長のKwame Kilpatrick氏からもお悔やみのメッセージが寄せられたそうです。
 黒いプルーフのTシャツを着て葬儀に参列したエミネムは、涙で目を真っ赤にしながら、「プルーフは人々を愛していたし、人々もプルーフを愛していた…。プルーフがいなかったら、エミネムも、スリム・シェイディも、D12も存在しなかっただろう」と参列者にコメント。また、オービーは、「俺達はお互いに殺し合ってる。それは、何も生み出さないよ…」と語っています。
 

プルーフの親友であったエミネムは彼の腕のタトゥーと同じものを腕に彫っている


 

コメント(1)

エミネムの事何にも知らなかった。
なんか感動的だし、寂しいですね。
これから聞くエミネムは違うイメージにもとらえられるようになるかな♪
D12も気になる!今度聴いてみます♪

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