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野村昭嘉/化石化された時間コミュの制作ノートより

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野村さんは作品以外に制作ノートを数冊遺していました。
その中から抜粋したものをここで紹介していきます。

コメント(4)

「絵などというものは、所詮好き嫌いの世界だ。たとえどんなに
自分が息巻いてみても、人は好き嫌いでしか動かないものだから、
理屈や論法で絵が描けるものじゃない、 そんなこともわからずに、
やれ芸術破壊だ、なんだと頭を使うなら、さんざん描いた
あとにしてもらいたい。 ろくに絵も描かないうちから、
考えてばかりで、また別の方法で 描き出すというのはまったく
ばかげている。 1枚だけの制作ならだれだってできるだろう。
絵に対してあまりにも無責任な奴ばかりで、
まったくやになる。 絵が物を言ってくるまで描きつづけなければ、
自分自身がその絵を超えられないということに、
まったく気付かずにいる奴らがおおすぎる。」
(1987年10月)
「私の絵の主題となるものは、いわゆる事物そのものではなく、
その作品をとりまく空気である。描きこまれているものは画面
よりも奥の方にあり、その中には一貫した空気の層をなしている。
その空気も流れはなく、いたって無風であり、よどみ、腐食して
いるかのようにたまっている。私の描く事物は、現存してはなら
ない。それは画面内の世界の出来事であり、我々が生活している
空間を拒絶しなくてはならない。よって、絵の表情はおぼろげで
あり、幻影のようにはかない。描きこまれたという形を残さず、
画面に写りこんだような、また、焼きついたような自然さにおい
て初めて、私の伝えんとするところが感じられるような絵、それ
が私の絵である。」
(1987年6月18日)
桃山時代に作られた能面などは、現在見た感じで、古めかしく時代がたっているように見える。それは、桃山時代につくられたのだから、それだけの古くなる時間も実際たってはいるのだが、実は、その当時から現在見るような古めかしさをしていた、ということが近頃わかってきたらしい。新しくつくったものに、古めかしい時代を感じさせる、わざわざ箔をつけるような作業をするのは日本人特有のものなのだろうか。そういう日本人の精神が私は好きだ。
(1998年)
ゆったりと、風に乗り流れてゆく巻雲、金色に縁取られた飾り模様
球体のフォルムに、穿たれたパイプや穴、そういう様々なオブジェ
が、淡い陽光に照らし出され、四角い空のフレームの中に、おっと
りと収まっている。という具合に私の絵はある。
 二年ほど前に、ヴェルヌや、ドイルなどの、一連の古い空想科学
小説に、熱中した時期があった。その中に出てくる潜水艦や宇宙船
などの、奇妙な魅力に満ちたその未来世界は、古代の遺跡の興味深
い形状や、土偶などの宇宙的にさえ感じるフォルムの完成度の高さ
など、太古に対しての憧憬とオーバーラップして、現在においても
私の心に、郷愁とロマンをかきたててやまない。
 そのような気持ちの高揚の後、私の表現が始まるわけであるが、
その表現の根底には、未来を過去のものとして捉えることができれ
ば、古代を表現し得るのではないか? という、すなわち太古と、
未来とを、同一の次元に引き出して、それらのモノを共存させるこ
とによって得られる奇妙な懐かしさに、ねらいを置いた主調が流れ
ているといえる。
 しかし、それは飽くまでも、自分の気持ちの中で作り上げた作品
に対する意気込みというか、理想であって、自分ですら一体何を描
いているのか、時々解らなくなることが多い。
 人から、「これは、何の絵なの」と素朴な疑問をされると、未だ
に答えようがなくて戸惑ってしまというのが本当のところである。
(1989年、JACA日本イラストレーション展銅賞受賞によせて中央公論1989年2月号に掲載された文章)

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