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廃村コミュの広島県の廃村

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●私が確認した広島県の「学校跡を有する廃村」(学校の所在は昭和34年,以下 廃村と略す)は10ヶ所です(集落跡6ヶ所,高度過疎集落4ヶ所)。
 ※ '06年6月10日作成,'06年9月30日更新
 ※ へき地校の数 =101校

・広島県は備後,安芸の2旧国に分かれますが,廃村はそれぞれの旧国に散在しています。
・広島県内には離島のへき地4級校がひとつありました(福山市宇治島,倉橋町横島)が,ともに集落跡となりました。その他,離島部の高度過疎集落として,呉市情島(へき地3級)があります。
・最大規模の廃村は本郷町用倉です(児童数35名)。用倉は広島空港(平成5年開港)の建設とともに廃村となりました。
・広島県には,かつてたたら製鉄の流れをくむ鉄山関連の集落がありましたが,鉱山関係の廃村は見当たりません。
・戦後の開拓集落の廃村として,福山市宇治島,倉橋町横島,本郷町用倉,川尻町野呂山があります(4集落)。
・ダム関係の廃村として甲山町八田原=八田原ダムがあります(1集落)。なお,学校があった芸北町樽床=樽床ダムは昭和34年以前の廃村のため,リストには含まれません。

コメント(31)

HEYANEKOさんにいただいた情報から、かつて分校があったという広島市安佐北区安佐町久地地内の高山地区を目指しました。

写真? 県道をそれて、「倒木のため通行止め」という看板の警告を横目に突き進んでみたものの、工事中のために道路が遮断されていました。次回を期して、あえなく撤退です。

五月晴れの土曜日、このまま帰るのも悔しいですね。そこで廃村ではないのですが、

写真? 棚田百選、旧筒賀村の「井仁の棚田」です。写真左手には井仁小学校跡が見えます。
写真? 門柱には英語書きのも残っていたりして、なかなかハイカラな印象です。

のどかで、とても美しい日本の農村風景です。いつまでも廃村巡りの対象とはならないよう祈るばかりです。
旧川尻町の野呂分校です。

野呂山は、海上から見ると周辺より突出して高く目立つ山です。瀬戸内沿海では六甲山に次いで高い山と書いてあるものもあります。(正確には野呂山という山はなく、膳棚山などの峰であって、野呂山はそれらを含む山塊全体を指します)

さざなみスカイラインと名付けられた県道248号野呂山公園線を、川尻の町から這い上がるようにして急勾配を上っていきます。峠を攻めるバイクの爆音がひっきりなしです。
ロータリーに着くとそこが十文字と呼ばれる場所です。開拓事務所や学校などがあって、野呂山開拓の中心地と呼べる場所だったようです。
山頂部は、東西南北にそれぞれ数?にわたって緩やかな地形が続くことから、古くは19世紀初、文化文政期に広島藩の後押しもあり山麓各村から開拓に入りますが、まもなく天保の大飢饉に重なってしまい、ほとんどが下山してしまいます。
明治期にも広島藩士の失業対策で開拓が試みられます。

戦後、引き揚げ者を中心に270余人が入植し、まもなく分校も開設されました。

写真? 学校跡は、古い地形図が示す位置付近、十文字ロータリー横にあります。閉校後は宿泊施設として使われてもいたようですが、現在は解体・整地され、杉の苗木が植えられています。
写真中央より左側の、白い整地跡に沿うあたりに、鉄筋コンクリート製の校舎が建っていたようです。

写真? ?の右奥木陰に捨てられてあった木製の机など。
写真? ロータリー近くにある開拓記念碑。

野呂山は、戦後開拓が始まってまもなく瀬戸内海国立公園になったため、十文字以東には国民宿舎を始め観光関連施設が整備されています。
今回は山頂部西側(膳棚山側)の一角を見てみましたが、まだ2〜3軒の方がお住まいのようでした。
川尻町の年表では、昭和40年代を最後に開拓関係の記事は見られなくなります。高度成長期とともに消えかけていったことを示唆するようです。
>おきのくにさま
 高山、野呂山の情報、ありがとうございます(^_^;)
 両廃村の定形の情報をアップします。

●野呂山(Norosan) 川尻小学校野呂分校
  豊田郡川尻町(呉市)
  へき地等級2級、児童数20名(S.34)、昭和45年閉校

●高山(Takayama) 高原小学校(宇賀小学校高山分校)
  広島市安佐北区
  へき地等級2級、児童数22名(S.34)、
  昭和50年休校(昭和51年閉校)

戦後の開拓農政は、昭和41年頃に「一定の役割を果たした」との
ことから、一般農政に組み入れられました。

昨年は、7月から12月にかけて、何度か溜池の
全国開拓振興協会に出向いて、関係図書を読みましたが、
戦後の開拓事業は、国策として進められたわりには
一般に知られていないことが多いように思えます。

いくぶん廃村とは趣が異なるのですが、
この辺りのことも、しっかり押さえたいところです。
神石高原町の情報です。

廃村となったのは、旧三和町の重入地区です。
重入地区に小学校はありませんが、近くに、すでに廃校になっ
た父木野(ちぢきの)小学校があります。

最盛期には30世帯ほどあったそうですが、数年前に金蔵寺と
いう寺の住職が引越しされて、ついに0になりました。

そのほか、神石高原町内は、学校の統廃合が進んで、近年続々
と廃校となる小学校が増えてます。

その中でも20年ほど前に廃校になった旧小野小学校が、近所の
方がきちんと手入れされているため、昔の面影を残していま
す。
サッシ、屋根瓦等は新しくなりましたが、木造平屋造りの美しい校舎
は当時を偲ばせます。
その反面、旧新坂小学校は、手入れをされる方があまりいらっ
しゃらないのか、かなり痛んだ状態です。

この2つの小学校の違いをみると、校舎の保存を地域住民だけ
でおこなっていくのは、限界を感じます。

町内にはそのほかにも、旧有木小学校(昭和43年廃校)など、
建物がそのまま保存されているものもあります。

すいません、とりとめもなく書いてしまいました。
>kitchenさん
 広島県の廃村情報、ありがとうございます。
 神石高原町というとピンときませんが、福山・府中の近くなのですね。
 寺も学校と同じく、残っていると印象深くのこる施設です。
 私は寺が印象的な廃村というと、滋賀県の多賀町が思い浮かびます。
>HEYANEKOさん

神石高原町は、おっしゃるとおり福山の北、岡山県境です。
滋賀県の多賀町ほど趣はなく、人のいる集落がすぐ隣にあった
りします。

最近廃校になった小学校については、ほとんど合併に伴って学校を旧町村に一つに集約するために廃校になったものがほとんどです。
廃校はそのままになっていたり、たいていの場合は、公民館、集会所、宿泊施設等に改築されて使われているものが多いです。

現在把握している廃校になった小中学校は以下のとおりです。
間違っているものがあるかもしれません。

旧油木町
小野小学校
新坂小学校
安田小学校
近田小学校
小野中学校(校舎現存せず)

旧神石町
相渡小学校
永野小学校
永野南小学校

旧三和町
父木野(ちぢきの)小学校
時安小学校(来見小学校へ再編)
井関小学校(来見小学校へ再編)
坂瀬川小学校(来見小学校へ再編)
阿下(あげ)小学校
高蓋中学校
小畠中学校(場所移転後三和中学校)

旧豊松村
有木小学校
笹尾小学校(校舎現存せず)
上豊松小学校
>kitchenさん
 神石高原町の廃校情報、ありがとうございます。
 広島県の「学校跡を有する廃村」は、その後の調べで7ヶ所に減りました。
 #全国1000ヶ所という数のしばりを入れているので、
 #グレーゾーンの集落は、リストから削除することがあるのです(^^.)

 神石高原町に「廃校かつ廃村」は見出せていないのですが、
 「廃校もしくは廃村」は、たくさんある様子ですね。
 改めて、過疎はすごい規模で進行していることを感じます。
 廃校が活用されている例が多いというのは、嬉しいことですね(^_^.)
神石高原町の旧小野小学校です。

写真の撮り方が悪く、全体が写っていませんが、地元の人が
大事に手入れされているため、非常に美しい木造校舎が残って
います。
窓枠は一部サッシに変わり、屋根瓦は新しいものになっていますが、
建造当時の美しさそのままです。

いつまでも残ってほしい建物のひとつです。
広島県の廃村、おきのくにさんからの情報で、北部の冬季分校があった集落(旧高野町俵原、旧比和町越原、旧西城町黒谷)は廃村とはいえないほどの戸数があることが判明しましたので、同じくおきのくにさんから情報をいただいた旧芸北町空城とともに取り下げすることになりました。
現在、広島県の「学校跡を有する廃村」は6ヶ所となりました。
#広島市安佐北区高山も集落跡に該当しそうなので、集落跡6ヶ所、高度過疎集落ゼロとなります。

最近、「廃村に高度過疎集落を含めるか」という根本的な扱いに再び疑問が生じつつあります。
今のところ「集落跡=狭義の廃村」、「集落跡+高度過疎集落=広義の廃村」というのがいちばんしっくりしているところですが、いかがでしょうか。 >みなさま
heyanekoさんに教えていただいた広島市の廃村・高山地区は、安佐北区の南西の隅っこにありました。
名前のように、まさに高い山あいの隙間のような谷間でした。

昨年の豪雨災害で宇賀ダムの奥から通行止めになっていましたが、再訪した12月1日には復旧工事もひととおり終わっていて、川に流れ込んだ土石、流木には手を付けていないところもありましたが、ところどころ真新しい護岸や舗装が目につきました。

集落に入ってすぐにきれいに手入れされた家があり、農作業をしているおじさんに話を伺えました。

定年して、2〜3日ごとに市内から通って畠の手入れなどしていらっしゃるそうで、こうしたお宅は高山に8軒あるそうです。みなさん2日〜1週間に1回ほどやってきては日中を過ごして、夜には市内に帰ってしまい、いま高山に住む人はいないそうです。

【写真1】
学校跡は、地区の真ん中やや下流、戦前の1/2.5万地形図の示すとおり橋のたもと近くにあり、門柱と、石碑が残されていました。
校門横の桜の老木も当時のものかもしれません。

【写真2】
集落内あちらこちらに結構大きくて手入れされた立派な家も残っています。
この2軒の家は、写真3の右下に写っています、屋根が当時と同じようですね。

【写真3】
国交省の国土画像情報(カラー空中写真)昭和49年からの切り抜きです(若干縮小しています)。
昭和46年3月に廃校となっていますが、撮影当時、校舎はまだ残っているようです。


しばらくするとまた工事が始まって通行止めになり、高山へ通うおじさん達は下から歩いてあがることになるそうです。
故郷への想いを感じさせる高山と、隣の廃村・丹原は、しばらくの間再び閉ざされた集落となるようです。
携帯からの写真投稿でして、上のに入りませんでした。

写真2です。
高山分校の廃止は、昭和45年3月でした。入力ミスでした。
出典は、広島県へき地教育三十年史(1978 広島県へき地教育研究連盟)です。
>おきのくにさん
 高山情報、どうもです(^_^.)
 高山は住宅地図では6戸ほど記されているので、廃村か否かの判定が難しかったのですが
 これで安心して廃村として取り扱うことができます(^_^;)

●高山(Takayama) 広島市安佐北区
    高原小学校(S.40より宇賀小学校高山分校)
    へき地等級2級、児童数22名(S.34)、
     昭和44年閉校(?)

高原は、高山と丹原の合成名なんでしょうね〜
なぜか分校の閉校年は、私の資料(全国学校総覧)と1年違いがあります。
またの機会にチェックしておきますね。
参考までに、前述の資料では、

昭和45年3月
安佐町立宇賀小学校高山分校廃校
安佐町立久地小学校魚切分校廃校

昭和45年4月
宇賀小学校が久地小学校と統合

と書いてあって、3校が一斉に久地小学校に統合されたような記述になっています。
初めまして。一昨日、広島市佐伯区湯来町黒谷地区に行ってきました。多少、人の生活する気配はあったので廃村では無いと思いますが〓
>たつさん
 コメント、どうもありがとうございます。
 黒谷、地図で見てみましたが、
 山は深そうですが旧湯来町の中心からは近いところですね。
 学校跡はない様子です。
 「へき地学校名簿」で調べた昭和34年現在のへき地級数では
 佐伯郡は1級校が8校あるだけで、
 廃村リストにも佐伯郡の廃村はありません。
 
 しかし、山が深く過疎が進行していそうな感じもしますね。
 町に近い中山間部は、廃村になりやすいという傾向もありますし。
 おきのくにさんが訪ねられた廃村 安佐北区高山の高山小学校は
 安佐郡唯一のへき地2級校で、割合見つけやすかったのですが、
 丹念に調べると、見落としがあるかもしれません。

 個人的には、旧佐伯町にある浅原小学校が
 どんなところなのか、少しだけ興味があります(^^;)
そうだったんですかexclamation先日、高山に行こうとしたら今月の27日までか途中の道が全面通行止めになってました冷や汗
旧佐伯町は時々バイクで走ってるんで今度訪ねてみます電球
浅原小学校はまだやってるのに、なぜ…助藤などでなくて…?
としばらく考え込んだぼくもにぶいですね〜(笑)
>たつさん
 高山に行く道は、以前おきのくにさんも全面通行止に出会ったとのことです。
 廃村ならではの話ですね〜(^_^)
 ちなみに、地域の方は別にアプローチができる道を使っている可能性があります。
 #長野県旧美麻村高地で、そんな経験がありました。
  http://www.din.or.jp/~heyaneko/gh01.html
 高山に行かれることがあったら、そんな様子だったか、お知らせいただければ
 ありがたいです。

>おきのくにさん
 浅原小学校は、1年ほど前、広島県の廃校廃村調査で初めて知りました。
 現役校ということで、それもまた嬉しいことで…(^_^)
 画像とか、検索しても出てこないので、近くを訪ねることがあれば
 ひとつ撮ってきてくださいまし(^^)
浅原小学校前はたしか鉄筋コンクリの建物で、古い体育館が国道横に目につきます。3月にも通過しましたが、人目があって写真は断念したところでした。
また近々佐伯中道の神社に行く予定ですので、撮ってきます。

ところで、吉和には冬季分校はあったのでしょうか、また山県郡はどうでしょう、広島県内は結構あるのでしょうか、もし僻地校名簿にあったら教えてやってください。
>おきのくにさん
 広島県の冬季分校は、比婆郡に集中しています。
 #といっても4校しかないのですが・・・(^^.)
 あと、双三郡に1校あります(計5校)。 
 山県郡、佐伯郡には、冬季分校は見当たりません。
ありがとうございます。
うち3つは以前教えていただいたものと思いますが、あと2つはどこにあったのでしょうか。
廃村とはずれてしまいますが、またで結構ですので、教えてやってください。
廃校でも廃村でもありませんが、以前話題にあがってました佐伯の浅原小学校です
>おきのくにさん
 広島県の冬季分校、残り2つは、
 比婆郡東城町 宮原小学校高野冬季分校(へき地1級、児童数8名(S.34))と
 双三郡君田村 君田上小学校茂田冬季分校(へき地1級、児童数18名(S.34))です。
 
 浅原小学校の画像、ありがとうございます(^_^)
 場所的にもっと小規模なのかなと思っていましたが、RC造三階建ての校舎があるんですね(^_^;)
冬季分校、ありがとうございました、参考にいたします。

浅原小は、国道の折れ点のためか休日は毎度交通量が多いのですが、周囲では子供が遊んでいたりして、のどかな風景の純農村地帯の只中でした。
安芸太田町(旧戸河内町)の打梨集落にある打梨小・中学校に行ってきました。

昭和40年代に廃校になって戸河内小・中学校と合併したみたいです。

写真の石碑の文字が読める方が小学校でグランドを挟んで向かい側に中学校がありました。

地元の古老の話しでは昔は屋根の辺りまで雪が積もっていたそうです〓
昨日(6/1(金))、Webの月例の更新で、
「全県制覇への道?(関西以西)」に、昨年5月に訪ねた
島根県旧本郷町用倉、旧甲山町八田原のレポートをアップしました。
  http://heyaneko.web.fc2.com/zsw16.html

>戦後の緊急開拓によって入植が行われた用倉は,
>広島空港の建設(平成5年開港)に伴い,昭和62年に無住化しました。
>また,かつてJR福塩線の駅があり,平家の落人伝説が残る農山村 八田原は,
>八田原ダムの建設(平成9年竣工)により,昭和57年に移転が行われました。
>空港建設に伴う廃村は,用倉と箕島(長崎県)の2ヶ所です。
>また,駅があった集落の廃村(北海道を除く)は,
>八田原と大荒沢(岩手県)の2ヶ所です。

 ということで、ともに特徴のある廃村ですが、
 ともに「村があった」ことを想像するのは難しいといえます。
 その後の調べで、用倉に離村記念碑があることがわかりましたが、
 この探索では、知るすべがありませんでした。

  画像1:広島空港すぐそばの用倉分校跡
      (エアポートホテルの敷地の中にあります)
  画像2:八田原ダムとJR福塩線跡
      (橋を渡った先のトンネルは、埋もれています)
   2011年5月27日(金)午前9時頃(用倉)
             午後2時頃(八田原)
>島根県旧本郷町用倉、旧甲山町八田原のレポートをアップしました。
 は、誤りで、正しくは
>広島県旧本郷町用倉、旧甲山町八田原のレポートをアップしました。
 です。
 すいませんです。
昨日、Webの5月2度目の更新で、「廃村と過疎の風景(9)」
No.15「行政村のなごりを訪ねて備後路へ」
〜 広島県福山市藤尾堂前をアップしました。
 http://heyaneko.web.fc2.com/fs15.html

月の半ばのアップ、定着するかどうか何ともなところですが、
なかなか更新が遅くなりました。
わりあいよいペースで旅に出ているので、
しばらく続けてみようと思います。

画像は、旧藤尾小学校の体育館と校舎です。
藤尾小学校は、へき地等級1級、児童数130名(S.34)、
明治11年開校、昭和53年休校、平成12年閉校。
山の中に忽然とあるのが、不思議に思える規模です。

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