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廃村コミュの大阪府の廃村

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●私が確認した大阪府の「学校跡を有する廃村」(学校の所在は昭和34年,以下 廃村と略す)はゼロです。
 ※ '05年10月30日作成,'06年9月30日更新
 ※ へき地校の数 =11校

・大阪府は,人口は47都道府県中 東京都に次いで多く(約882万人,H.17),面積は47都道府県中 香川県に次いで小さく(1894k?,H.17),また,神奈川県とともに,過疎市町村がひとつもありません。このようなことから,大阪府は全国で最も廃村が生じにくい地域といえます。
・大阪府内には1校だけへき地2級校がありました(河内長野市滝畑小学校,児童数135名)。滝畑には昭和56年に滝畑ダム(貯水量 934万m3,水没戸数80戸)ができ,滝畑小学校は平成2年に閉校となりましたが,滝畑は過疎集落として健在です。
・大阪府内には著名な鉱山はありません。
・大阪府内最大規模のダムは茨木市の安威川ダム(貯水量 2290万m3,平成20年竣工予定,水没戸数 49戸)です。

コメント(2)

私は、生まれ育ちは大阪(堺)で、
大学、社会人(5年目まで)と、ずっと大阪に居たのですが、
なぜか大阪府の廃村については、何の情報もないままでした。

廃村といえば、山間やダム建設地に目が向くものですが、
発想を変えて、臨海部の工業地帯にないものかと調べたところ、
大阪市西淀川区の旧外島町、旧布屋町(S.47より中島2丁目の一部)、
旧矢倉町(S.47より西島2丁目の一部)は、
廃村に該当しそうなことがわかりました。

「角川地名大辞典」と「西淀川区史」を調べたところ、
矢倉新田は安永7年(1778年)、布屋新田は嘉永6年(1853年)に
開発された新田で、布屋新田の明治9年の人口は23名。
外島は、保養院(ハンセン病の療養所)の建設にあわせて
明治41年に布屋新田から分離し成立。
水田、畑(サツマイモ、ウリなど)が広がる農業地帯だったが、
大正期より工業地帯として様変わりし、
昭和10年の人口は、外島町4戸・13名、矢倉町18名・73名(布屋町は記述なし)。

しかし、工業用水に地下水を使用したため、昭和初期より地盤沈下が進行。
さらに、台風(高潮)の被害をたびたび受けて、
昭和9年の室戸台風の被害により、外島保養院は壊滅(その後施設は岡山県長島に移転)
昭和25年のジェーン台風の被害により、外島町、布屋町、矢倉町は水没。
その後防潮堤工事、かさ上げ工事を経て、
昭和45年より、工業地域として復興したとのこと。
現在は旧外島町、旧布屋町は中島工業団地となっており、
旧矢倉町の大阪湾岸には矢倉緑地という臨海公園ができているそうです。

「地図インフォ」で調べた平成21年の中島2丁目の人口は4戸・5名、
西島2丁目はゼロです。
明治9年には45戸235名、昭和10年には177戸・837名、
昭和55年には79戸・129名という旧西島町(西島1丁目)の
平成21年の人口は6戸・7名。
#ちなみに中島1丁目は、1634戸・3698名。
旧西島町もどんな様子なのか興味がつきません。

この9〜10月頃に訪ねてみたいと思います。
旧川北小学校(昭和44年に中島1丁目に移転)、西島住吉神社、
矢倉緑地、外島保養院跡地の碑を訪ねてみたいと思います。

調べるにあたっては、あおぞら財団HPに掲載されている
「公害の歴史と環境再生の足跡を訪ねて」という資料が
とても役立ちました。
  http://www.aozora.or.jp/history/kankyo_saisei.html

 画像1 2万5千分の1地形図「大阪西北部」(昭和4年)
     田んぼが広がる河口の三角洲に、
     中島、西島、外島、布屋という集落が記されています。
     #矢倉は、布屋から神崎川を挟んで反対側です。
 画像2 2万5千分の1地形図「大阪西北部」(昭和25年)
     外島、布屋の名前は消えて、陸と海の境界が
     曖昧になっています。
 画像3 2万5千分の1地形図「大阪西北部」(平成7年)
     いかにも工業地帯なのですが、海岸線の輪郭は
     昭和4年と比べても大きな違いはありません。
本日、Webの月例の更新で、
「廃村(5)」に、大阪府のデータをアップしました。
  http://heyaneko.web.fc2.com/ghl-28.html

大阪府は、「学校跡を有する廃村」はおろか、
ただの廃村もなかなか見つからず、たいへんでしたが、
大阪市西淀川区の西島(西島1丁目),矢倉(現 西島2丁目),
布屋,外島(ともに現 中島2丁目)は
江戸時代の新田開発にかかわる集落で、
現在は住民のいない工業地帯になっているので、
ここに焦点を当てました。

西島,布屋,外島には11/20(土)のお昼頃に、
矢倉には11/23(火・祝)の午前中に行ってきました。
矢倉(矢倉緑地)はWebに画像を掲載したので、
西島,布屋,外島の画像をひとつずつ紹介します。

 画像1:西島の住吉神社
  平成20年に建て替えられた白っぽい鳥居と、
  昔からの黒っぽい灯篭のコントラストが印象的です。
  建て替えられる前に、出かけておきたかったところです。
  住宅地図を調べたところ、住吉神社の近くには、
  平成10年代までわずかな戸数があったようです。

 画像2:布屋のお稲荷さん
  現在の中島工業団地には、布屋集落の名残りは微塵もありません。
  このお稲荷さんは鉄工所の隅にあり、居合わせた仕事の方によると
  社長が縁起をかついで建てたものとのこと。
  鉄工所は不況のため倒産し、その名前を残したまま
  中身を中古車置場へと変えていました。

 画像3:外島保養院記念碑
  外島は、明治42年の保養院(ハンセン病患者の隔離施設)の
  建設にあわせて、布屋から分離独立。
  昭和9年の室戸台風によって、多数の死者を出し、施設は壊滅。
  再建は、岡山の長島(邑久光明院)でなされたとのこと。
  ひそかに建っていた碑は、全面金網に囲まれていました。

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