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トーテムポール観察コミュのトーテムポール解説、質問のトピ

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 です。
 「とりあえずの書き込み、ご意見」トピの話の流れであっちで発言されても結構です。かたいことなしで、臨機応変にいきましょう。
 「はじめまして」は、「とりあえずの〜」でお願いできれば幸いです。

コメント(19)

■トーテムポールの上の、意味ありげな輪
【ポトラッチのリング】

 トーテムポールの一番上にあるリングの数は、ポールを所有する族長(chief)がこれまで開いたポトラッチの回数を表します。
 たいてい、ポールの一番上にあります。一番上の肖像が帽子をかぶった人間の場合、その帽子にリングを彫ってあることが多いです。
 その点、犬山のハウスフロンタルポールは、一番上の肖像の下にわざわざ場所を設けてリングを施されているので、ちょっと珍しいです。

 ハイダ族のトーテムポールの特徴は、一番上に3人の見張りが立っていますが、ポトラッチのリングは、その3人の帽子にほどこされます。
■ 破産するほどに客をもてなす「ポトラッチ」

 ようは「盛大な招待パーティー」で、族長になったことを祝うものや、結婚、何かの記念に、トーテムポールを立てた式典に、などなどの理由で開かれます。

 村じゅうの人間は当然のこと、ヨソの村からも大勢招待して、腹いっぱいの食べ物を振る舞い、手みやげにも持たせ、その上、出席者全員に贈り物をします。
 贈り物の中には、昔なら白人との交易でしか手に入らなかった貴重な銅板など高価なものも含まれました。自分がいかに裕福か、またそれをいかに惜しげもなく振舞える広い人間かを誇示するために行われるのがポトラッチです。
 とにかくものすごく散財するのです。

 ですから有力な族長でもない限り、そもそもポトラッチなどそうそう開けないもので、ポトラッチの開催回数は、その族長の力を示します。

 ポトラッチ後に本当に破産状態のチーフもいたそうで、一時期社会問題とされ、しばらくの間、カナダ政府の法律で禁止されていました。本当の理由は、先住民に白人社会への同化を促すため、先住民文化を排除するのが目的でした。
 禁止されていた期間は、19世紀中〜1970年代くらいまで。

 別の見方をするとポトラッチとは、富の再配分を果たす機能を持っていたと民俗学ではいわれています。

 じゃあ数あるトーテムポールの中で、一番リングが多いのはいくつあるんだろう?
 いちばん多いのは、8本か9本と聞きました。
こんばんわ。
トーテムポールについての質問なんですが、もし既にある質問だったり、どこかに解答のあるものでしたらすみません。

以前、「狩猟採集民」というコミュニティでトピックを掲げたことがあるのですが、しっかりと答えを見出せなかったので、こちらに頼らせてもらおうと思いました。

トーテムポールとは、北アメリカ大陸の北西沿岸部の民族で見られるポールを指していると認識していますが、ニュージーランドなどのポリネシア人の文化にも、同じように絵が施された柱を見たことがあります。この2つの異なった土地で見られる柱は同じものなのでしょうか?

ポリネシアとアメリカ北西部、こんな離れた地域に似たような文化があることはすごい驚くべきことですよね!
シオさん、こんにちは。

うっ・・・鋭い質問・・
いやしかし、こんな疑問が飛び交うなんて、このコミュを作った甲斐がありました!(自画自賛)

トーテムTotemという言葉が(文化人類学上?)地域は、たしかにポリネシアやNZの先住文化についても使われていますよね。

私もそもそも"totem"とは何のことなのだか、いろいろ読んで、現地で訊ねてわかろうとしましたが・・・ややこしくなってきて、正直、現在のところ頓挫中です。
カナダ、アラスカの先住民自身が、auroranekoさんが仰ったように、totemという言葉をあまり使ってないので、トーテムってなんだろ?という疑問に行き着きます。

http://en.wikipedia.org/wiki/Totem
↑ここを読むとなおさらこんがらかることができます・・・笑
古代中国、そしてジンバブエにもトーテミズムがあったうんぬん・・、トーテミズムは「宗教的信仰 religious belief」で・・とあるのですが、北米北西岸先住民のポールは、宗教ではなく、それでは、北米北西岸先住民のを「トーテム」と呼ぶこと自体おかしいのでは?という気さえしてきます。

ただ、トーテムの語源はカナダ東部の先住民言語のようです。


と、いきまいてさんざん書いておきながら、結局のところ私は力不足です・・。申し訳ないです。
TOSHIさん、B-Smithさん、Auroranekoさんあたりいかがでしょう?お力貸してください!お願いします。

私もまたできれば調べてみようと思います。

ちなみに、アイヌもクマを敬ったり、ワタリガラスの話がでてきたり、そしてそれを木彫に表すところなど、その背景や神話などはずいぶん北米北西岸先住民のそれと似ていますね。文化的にはNZやポリネシアよりずっと近いようですね。
私はただ単に現地に住んでいるだけで専門的なことは分からないのですが、Totemというのはカーストのように身分制度のことだと感じていました。

良く英語で使われるフレーズに"low man on the totem"というものがあります。下衆なとか、力や富が無いという意味で使われていますが、トーテム・ポールの下に居るものということですね。

ただ、ニスカの長老などの話には良く出てくるのですが、「このフレーズはカムシュア(主に白人、稀にニスカ以外の人々)が間違って使っている」と。

ポールを立てる際に富を持つ長老が、アーティストに制作を請うわけですが、そのためにはまず良い木を探さねばなりません。昔ならそのアーティストは半年から一年他の仕事が出来ないのでその一家を雇わねばなりません。

そしてその制作を頼んだ人のクラン(家系)の動物はポールの一番下に刻まれるのです。ですからポールの一番下にあるというのは名誉なことなんですね。

トーテムという言葉はそのくらいしか使われていないような機がしますので、良くは分かりません。

因みに今の相場でポール制作を頼むと、1フィート当たり$1,000といわれています。ですから30フィート(9m)だと$30,000、3百万円ですね。
トーテム(totem)について、過去にどこかで読んだ記憶を頼りますと…

語源はトーテミズム(totemism)という言葉が文化人類学(宗教学?)用語として19世紀にできたことからのようです。

トーテミズムとは、簡単に言えば先住民族の中で生まれたルールの事で、「同じ家系」に属するもの同士は、結婚しないとか、戦争をしないとか…“家族の戒め”みたいなものでしょうか?そのように僕は認識しています。実際に多くの先住民文化の中にこのようなルールがあると聞いています。(現代ではあたりまえとされている事ですが、本能的にそれをルールとしていた事は驚きです。)

そこから転じて、家族の象徴として「家系」示す動物(又はシンボル)を彫るポールのことを総称してトーテムポールと呼ばれるようになったのではないでしょうか?

更に言えば、どこかの先住民族がトーテムという言葉を使っていたからトーテミズムという言葉ができたのかも知れませんけどね(^^;

結局のところ、先住民本人達にとっては“自分達の作ったポール”であって“トーテムポール”では無いのでしょうね。

…と、ここまで書いて見ましたが、記憶と共に主観的な想像も踏まえていますので、正解ではないかも知れません。

ご参考までに。(^^
トーテムを検索すると様々な意味合いで使われているのですね。こうして改めてトーテムという意味を調べたことがなかったので勉強になりました。あまりにも多くの意味合いがあるようなのですが、多くは祖霊に関するものであり、この象徴体系には、過去・現在・未来の人間・社会・動植物・自然環境がすべて組み込まれている精神的なものだと思います。

シオさんの言われている、北西沿岸インディアン文化に見られるトーテムポールと、他の環太平洋沿岸の遺跡で見られる、柱状石や木柱の環状に並べられたモニュメントとの類似共通性は信仰に関わるもので、その世界観の解釈も祖先信仰や性にまつわるもの、太陽信仰など様々に言われていますが、憶測の範囲内です。

ハワイポリネシア文化の神様ティキやインドネシアの守り神ガルーダ、沖縄のシーサー、マヤ文明のワンダ、イースター島のモアイ像、マオリ族のトーテムポール、日本の三内丸山遺跡には巨大な柱の跡があり、トーテムポールではないかとも言われていますが、環太平洋文化圏の一帯にトーテムポールと同じ巨木・巨像信仰がありますね。

環太平洋一帯は、モンゴロイド文化もしくはポリネシア文化が広く広がっているので同じ民族系統にあったと思うんですよね。かつては人々はカヌーに乗り太平洋を横断していたと思います。実際に当時のカヌーで太平洋横断が可能なことを実証した実験があったような気がします。

もしくは伝説のムー大陸が太平洋にドカンと存在して、モアイはムー大陸の中心部に向かって立っているだとか、文明はすでに3回滅亡して今は第4次文明の終末にあるだとか、そういう話になってくると本当に訳がわからなくなっちゃう。

だからロマンなんですよね。
みなさん
みなさん、コメントありがとうございます。勝手に指名してお手数かけました。コメントも遅くなりすみません。

どうやら、実地からは少し離れた、学問研究分野での用語のようですね。

北米北西岸先住民とマオリやアイヌとの交流は結構活発にあるようです。

先月も、ケチカンのクリンキットのマスク彫り師、
Norman Jacksonさんが、3週間NZに行ってくると言ってました。時々招待されているようです。

ハイダグワイのマセットの町とアイヌの団体が毎年互いに中学生の団体を派遣して交流事業をしているようです。

話題はずれますが、おととしアイヌ側が訪問した際、宿泊所に使っていたバンドハウスで火事があり、ポールもろとも貴重なバンドハウスが見事に焼け落ちていました。ポールは修復できる分は修復するけれど、そのままの姿で残すそうです。
「これも歴史だからね」と。
大変遅くなりました!!ワタリガラスさん、自分の質問を盛り上げてもらってありがとうございます!
auroranekoさん、B-smithさん、TOSHIさん、興味深いコメントありがとうございました。

トーテムって言葉も欧米人が着けた名前なんですね。地域、文化の違うポリネシアのポールを何故同じトーテムポールと呼ぶようになったのか、それとも何か関連を意図してあえて同じ呼び名にしたのか。興味深いですね。ややこしいとも捉えられますが(笑)

TOSHIさんやワタリガラスさんが促がすように、環太平洋圏の民族はカヌーで太平洋を渡り、交流を持ち、繋がっていたというのはすごくおもしろいと思います!
北大西洋沿岸のトーテムポールを作る民族は、エスキモーともアメリカインディアンとも起源を異にしていると聞きました。
学会の定説などが今どのようなものかは知りませんが、(勉強不足です。。)自分はこの説が本当だったら、もっと新しい広がりを持てて、楽しいなと思いました。
あ!シオさんっ ひさしぶりっす。まったく・・・死んじゃったのかと思った。笑
---用語解説-----------------------------
◆トーキングスティック◆ Talking Stick
----------------------------------------

先ほど、雑談トピでご紹介した、Duncanにある
トーキングスティックを持った杉男のポールです。
Cedarman holding Talking Stick, 1988


トーキングスティックとは、文字をもたなかった先住民が、村の会議を開く時など、参加者全員を議題、決議事項等の証人とすることによって、「記録」していました。

チーフなど会議参加者は、このトーキングスティックを持っているときのみ、発言が許されました。現代風に解釈すれば、これを持って話している者の発言のみが、公式記録として残される、という役割です。
発言する権利とともに、自分の言葉に対する責任を意味したのです。
---用語解説-----------------------------
◆ニスカ族とその村々◆ Nisga'a Nation
----------------------------------------

ブリティッシュコロンビア州北部沿岸部、アラスカの南端に程近い、ナス川沿いに住むトーテムポールを彫る民族の1つ。学術書では言語系統の近い、ツィムシャンの一部とされることもありますが、現地の人々が自らをツィムシャンであるとの意識は皆無のようです。
1990年代に、カナダ連邦政府、BC州政府との間で、ナス川流域における資源開発の優先権を先住民ニスカに認めるなどの条約を結び、カナダで自治政府を樹立した初の先住民です。

現在は4つの村があり、自治政府のある
New Aiyansh * ニューアイアンチ のほか、ナス川下流に向かって
Gitwinksihlkw ギトウィンクシゥク (Canyoncity * キャニオンシティ)
Laxgalts'ap ラーフガルザップ (Greenville * グリーンビル)
Gingolx ギンゴルフ(Kincolith * キンコーラス)

* は英語名、残りの舌を噛みそうなのは(笑)現地語による現在の呼び名です

明治時代には、日本漁民も大勢この地に移住し、先住民を雇いサケ等の缶詰め業ビジネスをしていました。日本人墓地が、キンコーラス沖の島にあるそうです。

2010年にラーフガルザップに、ニスカ博物館が開館される予定で、その中に日本人がニスカと深く関わっていた事実も展示される準備が進んでいます。


写真は、
ラーフガルザップの小学校にある、トカゲのポール と、

auroranekoさんが、村へ道が通じてなかった頃に6年も住んでいらした
キンコーラスのフィヨルド海岸を目の前に立つワシのポールです。
◆写真◆

もう1枚、ニスカ自治政府の建物とポール です。

建物は先住民の伝統的な家屋の形を模しています。


 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 〜〜〜 〜〜〜
今後、できるだけ用語解説も充実させていきたいと思います。
どうぞ応援お願いします。
援護射撃も頂ければ、大変感謝致します。m_ _m
日本人墓地は一応大陸側です。

ギンゴーリックに道が通じていなかった頃は、仏さんを運ぶのにも船を使って墓地まで行ってました。
私はよくシー・カヤックで行ってましたね〜。ウッシッシ
http://www.blue-moon.ca/gingolx/graveyard.html
Gingolxはギンゴーリックなんですね、これだけあまり自信なかったんです、何度村人に聞いても・・。

日本人墓地の情報訂正ありがとうございます。
そういえばいつだったか、auroranekoさんのこのページ、見たことありました!

あの石碑に何が書かれているか、ニスカ自治政府のLes Claytonさんが、ほしがるかおしれませんよー。ニスカ博物館の日本人に関する展示をしたいと力説しておられました。

Gingolxからどのくらい離れているんですか?
最後のクは、クとフを併せたような発音です。
難しいですね。

Lesは私がいろいろな写真を持っていることを知ってます。
でももともと、ギンゴーリック一味なので、他の村人に頼むのは嫌がっているということも考えられます。
小さな村意識の人たちですからねぇ〜。ウッシッシ

気のあう人達とビジネス抜きで楽しむほうが良い場所です。

日本人墓地は、ギンゴーリックの墓地にあり、海路から入る際に一番手前左側にあります。
陸路から入ると一番離れた場所なので、草木が生い茂っていて確認は困難だと思います。

私が通っていた頃は、UBCの調査隊が入った後だったので簡単に確認できました。

ニスカ・ハイウェイ上、村の2.5kmくらい手前、左側です。

ハイウェイが出来る前は、村から5.5km離れたミル・ベイまでは酷い道路が出来ていたのでトレーニングで11km走ってました。ウインク
Gingolxのx、日本語の文字にはどうあがいてもないあの発音ですね・・。
ドイツ語の ich の発音。ロシア語にもありますよー。

他の村の人って、auroranekoさんですか?
でもauroranekoさんも、ギンゴーリック一味ですよね?笑

たしかに利益に絡むと、めんどくさいこと多々ありますね・・
ニスカの人々はハイダやギクサンなどと比べて接しやすかったですが、それでもやはり何度かは、こいつはオレたちの遺産を写真に撮って巨万の富を築くのか・・ってな目で見てそうな人がいました。


日本人墓地、ギンゴーリックの手前だったんですね。
ミルベイ、わかりますよ〜、あの急なガレ場道下っていくところですね。
あんなところだったんですね。いつか行きたいです。

それにしても、あんなクマが出るようなところ、ジョギングしてらっしゃったんですかっ!? しかもアップダウン激しいのに11キロも。

僕はあの辺で車止めて撮影に講じる時も、恐る恐るでした。
あ、Lesさんにもさんざん脅されました。あの辺、今年はでかいクマがうろうろしてるんだけど、おお、そうか、出会わなかったかい?って。
LesはNew Aiyansh出身で、私は勿論Kincolithの人間ということで誰も疑いません。(爆)

ミルベイに下りる道はあれでも10年前に比べれば綺麗になったんですよ〜。ミニバンでは怖くて下りる気がしなかったのを思い出しました。

お墓はちょうど村とミルベイの真ん中。なんの看板もないし、側道からもお墓自体は見えないので場所を知らない限り辿りつけないと思います。

あの辺りは家の前にもクマが常時出てくるような場所なので、クマを気にしていたら何も出来ません。9割以上はクマの方が先に人間に気が付いて逃げているので気の持ちようです。とりあえず左手にはベアスプレーをバトンのように持って走ってましたけどねぇ。ウッシッシ

あ、僕、去年バンで怖くて最後まで降りれませんでした。げっそり
将来またナス谷に行った時に墓へ案内してもらえるよう、知りあった人となんとかコンタクト取っておきます。

家の前までクマの行動範囲なんですね。
っていうか、クマの住んでるところに人間が住んだんですから、そう言われれば自然ですね。富山もツキノワグマが「出る」たびに毎年、そもそも人間が・・という記事出てます。

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