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グループC耐久まにあっくす!コミュの思い出に残るレースは??

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■レースに関するトピックがないので立てて見ました。
 はじめて見たレース、印象深かったり衝撃的だったり、自分にとっての思い出のベストレース、このレースを知らないとモグリ(!!)だろというくらいの名勝負とか……

 カテゴリも問いません。
 有名どころのル・マンや鈴鹿1000km、世界選手権、国内選手権、IMSA、インターセリエ……なんでもこいです。

 ……ですが肝心の自分ですが、大量にありすぎて絞れません(笑)
 86年のWEC第2戦シルバーストンとか、90年のル・マンとか……

コメント(57)

まささん>
 ……やっぱり富士スピードウェイなんでしょうかね(汗)
 クラッシュしたマシンをドライバーが助けるとは、どうしても98年の太田哲也選手の爆発事故を思い出してしまいます……

 トラストポルシェの件はちょっと記憶ないのですが(申し訳ない!!)89年の富士500マイルでもひっくり返ったアルファ・ブルン962Cをデンソートヨタに乗ってた小河等選手が助けてたり、12番で962Cさんが言っている、伊太利亜ニッサンの離陸で、たしかマツダ787Bのデイビット・ケネディ選手が助けてた記憶がありますね。
 う〜ん、ここらへんはなぜか富士が多い……
>富士の離陸
91年だったか90年だったか、100RからBコーナーの間で、アドバン・ポルシェがガードレールのむこうまでぶっとびのレースは見に行ったなぁ。

>印象に残るレース
雨の菅生。最後の日石トラストポルシェの勝利に1票。
>雨の菅生
あ、なんか違うような気がしてきた(笑)
フォロー願います。
ふーみソさん>
 アドバンポルシェが〜っていうのは、91年の第2戦富士1000kmですね、高橋国光乗り込むタイサンKREPPER962Cがデンソートヨタに魚雷食らってきりもみ回転しながら崖下に消えた事故ですね(笑…えない?)
 実はそのレース自分も現場で見に行ってますね、当時小学3年ですが……あの日同じ場所に居たと思うと、なんだか変な気分です(笑)

 あの事故をきっかけにタイサンはJSPC撤退しちゃいましたね。 接触したトムス側は謝罪どころか「当たった」「当たってない」とかハッキリしない態度で、リッキー千葉が「スポーツマン精神に反する」と憤慨したとか。


雨の菅生>
 91年のJSPC菅生(最終戦じゃなかった方だったはず)ですね。
 優勝じゃなくて最後のポールポジションだったはず……あのレースニッサン勢がセットアップに苦しんだのか、どうも不調で下位に沈んでたレースでした。
 スタート直後のトラストポルシェとデンソートヨタの1コーナーでの先陣争いは結構印象残ってますね。


 そういえば、前記のネタ含めてやたらデンソートヨタのネタが多い気がしてきた(爆)
 91年の最終戦での菅生でも、デンソートヨタは序盤ジャガーXJR14をターボパワーでぶち抜いてしばらく押さえ込んでたし、なんかネタの多いマシンだ……
吹っ飛ばされた時に乗ってたのは確かスタンレイ・ディケンズでしたね<タイサンクレッパー。というか、確かそれまで2台(国さんがドライブする車両と、ディケンズ達の乗ってる車両)走らせてたのを両方引き揚げちゃって、そこから一気にJSPCの退潮が進んでしまったような。

んで89年の時はひっくり返ったポルシェをドライブしてたのがオスカル・ララウリで、助けに行ったのが日石トラストのジョージ・フーシェとデンソートヨタのパオロ・バリッラ(@現パスタのバリッラ社副社長)、91年の富士500マイルの伊太利屋日産離陸事故の時に助けに行ったのはハーバート、と記憶してるんですが…こうやって見てみると世界のビッグネーム揃いですね(^^;<当時のJSPC

余談ですがプレストン・ヘンってアメリカでチューニングショップ(「Thunderbird Swap Shop」って言うそうですが…ポルシェ屋?)を経営してる人で、「日本のレース100選」の82年富士WEC編を見返すと、この時は娘さん(結構可愛らしい)を2ndドライバーに据えて参戦されてます。956もあくまでルマン用に買ったものであるらしい(爪先規定を満たさないのでGTPには使えない)ので、日本に来たのも「レースと観光旅行と半々」だったのかも(笑)。

同じような例として、イタリアの大富豪が中古で買ったランチアLC2にフェラーリエンジンを搭載して91年のSWCとルマンに参戦した動機もそんなのだったらしい、というのがありますが(笑)<世界旅行ついでにレース
RKさん>
 うあ、記憶違いありまくり(死)
 資料もないウロ覚えの記憶だったのでご容赦を……、でもクニさんはアドバンカラーじゃなくて、バブリーな色のほうのマシンを91年はドライブしていたような??

 パオロ・バリッラって副社長になったんですね。
 自分の仕事場でバリラの青いパッケージのパスタ安売りしてますよ!(笑)

ベネットエクィップ・ランチアLC2>
 91年走ったモデルはシャシー番号009で確か新造シャシーのはず??
 でもダラーラじゃなくてムッサートで制作されたシャシーだったので、未使用の中古を買い取ったのかも??
 実際の所、GTCクラスにワークスのフェラーリF40をルマンに参戦させるための、LC2のフルエントリーだ??とか言われてましたが……
 しかしワークスの手を離れて5年、開発も89年を最後に終わってるので、世界旅行気分がないとやってられなかったのかも。

 マニアックですがこの頃のムッサートやドロップレーシングとかのランチアLC2は結構好きです。
 わざわざLC2で参戦する意義わかんないあたりとか(爆)
 デビュー当初は「速いが壊れる」ランチアがこの頃は「遅い上に壊れる」クルマに成り下がってて、「枯れ木も山の賑わい」を地で行ったマシン。
 いやー、いい時代があったものです
皆さん色々行かれてますねぇ。
結構あちこちのサーキットですれ違ってたのかも知れませんね。

今まで私が見に行ったCカーが出場したレースは

【1986年】
WEC IN JAPAN(10/5)
全日本富士500kmレース(11/23)

【1989年】
JAF GP 全日本富士1000kmレース(4/30)

【1990年】
全日本富士1000kmレース(10/7)

【1991年】
全日本富士1000kmレース(5/5)             
IRIS OHYAMA SUGO INTER 500km RACE(9/15)

【1992年】
全日本富士1000kmレース(5/4)
SWC 鈴鹿 500km(8/30)                      

【1993年】
インターナショナル鈴鹿1000kmレース(8/29)

【1994年】
Pokka INTERNATIONAL 1000km(8/28) 

の以上10レースでした。

ただ93,94年の鈴鹿1000kmは「Cカーも走った」だけのレースですから純粋にCカーメイン(またはそれのみ)のレースはそれ以前の8レースを観戦した事になります。
あの頃は若くてお金も無く暇も無かったのですが、今ならもっと見に行きまくりだったでしょうねぇ。 
プロトタイプカーのレース、懐かしいですね。

自分的に印象的なレースは、

・87年 富士500km(最終戦)
 → この年は、TOM’SチームがTTTになったり、
   KREMERチーム(#16 LEYTON車)が参戦
   したりと話題の多かった年だと思います。
   最終戦では、トヨタのG.リース選手がチャンピオンの
   可能性もあったですね。
   しかし、G.リース選手の乗るミノルタ車は序盤でリタイア
   余談ですが、このレースではM.バルディ選手が
   トヨタ87Cに乗ってました。
   このレースを選んだのは、終盤の和田孝夫選手の
   日産パーソンズ(R86V改)とE.エルグ選手の
   ロスマンズ962Cの鮮烈な4位争いですね。
   TVに釘付け状態でした。
冨士でクラッシュと言えば
クリス・ニッセンって人も 1コーナーで大クラッシュして選手生命が危ぶまれたけど 欧州に帰ってなんとか復活しましたよね、、確か!?
> Minagi さん
太田選手は 事故の直後に車の脇で真っ黒コゲ状態なのに、一瞬だけ立ち上がるんですよね。
こないだテレビの特番見ました。
「事故の後、自分がもう死にたくて死にたくてしょうがない時が続いた」しかし、事故当時のビデオを見て「一瞬立ち上がった自分の姿を見て 生きよう!生きなければ!って思った」、なんて話は涙ものでした。
ほんと復活できて良かったと思います。
富士でクラッシュというと、
89年最終戦、雨のインターチャレンジ富士1000kmを思い出しますね。
スタートの瞬間にスピンしてスタンドの壁に激突する星野のR89C!
「あーっっ!!星野だ!!」の実況(テレビの)は
今も鮮烈に思い出しますね。

よく考えると、このクラッシュから学べば
太田選手のクラッシュを防げたんじゃないかと思ってしまいます。
ビデオで見るとホントに同じ状況、タイミングのコースアウトですよ。(T-T)
そういえば同じ雨のFISCOで(マシンが日産R9xCKなので多分91年頃)フロムエーの中谷選手も同様に水に乗って壁に刺さってましたっけ。

他にも86年か87年くらいにジェフ・リースもやった気がするし…やっぱ雨の富士のローリングスタートには魔物が潜んでます。
富士で90年(500マイル)だったか?和田孝夫選手と長谷見昌弘選手が、ストレート後半で宙を舞うクラッシュをした時・・・親とニスモピットでモニター見てました。凄く怖かったのを覚えてます。
私も寮長さんと同じですねえ。
1991年7月の富士500マイルレース。
ミノルタトヨタ@関谷・小河組が優勝したレースでした。
確かこのレースって・・・・・。
伊太利屋ニッサンR91VPが和田さんドライブ中に。
YHPニッサンR91CPが長谷見さんドライブ中タイヤバーストで。
車が宙を舞って、ひっくり返ったんですよね(@@;
自宅のTVで中継録画で見たのですが、寒気がしました。
で、和田さんがクラッシュした時は・・・・
ジョニー・ハーバートが自身が乗っていたマツダ787Bを停め、和田さんを助けに行きましたよね?
91年富士500マイル>
 例のシーンって、コレですね。
 http://www.youtube.com/watch?v=2e-Zad4mFb0

 自分は当時JSPCは全レース見てたんですが、このレースだけはボーイスカウトのキャンプがカブって見れませんでした……
当時のFISCOは怖いですよね・・・オフィシャルがあんまり画面に出てこないですもの。たしか、5月の富士1000kmでいつ河すらましたが、ヘアピン手前の100Rで962Cが谷へ落っこちたというのもあった気がします。たしかあの時もドライバーが自力で上がってきた気がします。当時のFISCOはクラッシュしたら最悪!!という感じだった気がします。
FISCOか・・・
初めて見に行ったレースが91年のインターチャレンジ1000Kmでした
友人とバスツアーで観戦しに行きましたが、大雨ですごく寒かったです
スタートと同時に38番のデンソートヨタがスタンド側の側壁に
当たって大クラッシュしたのを鮮明に覚えています・・・
 国内戦の名場面と言えば、91年のJSPC鈴鹿1000kmなんてどうでしょう?

 特にレース終盤、猛烈に追い上げてきた2番手の36号車のミノルタトヨタ91CV。
 逃げる23号車カルソニックニッサンR91CP。
 半周以上あった(と思う)差はどんどん縮まり、残り15周の地点でスタンド前ストレート1本の差もなくり、ニッサンのバックミラーにはトヨタのヘッドライトが映っていたはず。
 しかし残り周回数からすると、ギリギリニッサンが逃げ切りそうな計算だ……
 当時ニッサン党だった自分はTVを祈るような気持ちで応援していました。

 がっ!
 171周の162周目!
 第一コーナーに進入した91CPの後方から激しく火花が!
 そのままズドーンとグラベルに突っ込むマシン。
 ラスト10周を切った地点でリアアップライトが壊れてコースアウト……

 暗くなったサーキットに火花を激しく散らしながらコースアウトしていくシーンが、印象に残っています。
Minagiさん。
91年の鈴鹿1000kmレース、テレビ東京が放映しましたね。
私がサードを応援するきっかけになったのがこの年の鈴鹿1000kmレースです。
色々ありました。
ミノルタトヨタはフロント右のアッパーアームが折れ、フロムAニッサンはピット作業中に出火。
PPのエッソトヨタは、A・ウォレスがドライブ中にコックピット内にガソリンが流れ込むトラブル。
そんな中、カルソニック号がトップ。
サードのDENSO号が追いかける展開でした。
ところが162周目に鈴木利男選手がブレーキング時に左リアのサスペンションが折れてコースアウト。
最後はガス欠覚悟で追い上げたDENSOトヨタ91C-Vが優勝。
ミノルタ号はトラブル後にかなりのハイペースで追い上げて4位入賞でした。
出過ぎた真似して申し訳ありませんm(_ _)m
そのデンソートヨタ
ラッツェンバーガーが乗ってましたね。

思い出すのが一日遅かったかも…。
はら狸>
 ありゃ、最後はSARDが追い上げたんでしたか(汗
 記憶違い申し訳ない。
 確かにミノルタはスプーンでグラベルで突っ込んでた覚えがありますな。

 それと130RでシュパンのTS01Cのポルシェとル・マンの91VPが接触していたのもあったような。

 あのレースのラストの緊張感は今でも生々しく覚えてます。

 
ラッツエン君懐かしいな〜彼が初めて日本に来たとき、ボストンバック1個でオートビューレックの福井さんを訪ねてきたんだな。よくドラサロで食事したな〜、彼がF1にあがったとき、俺はイタリアに住んでいたから、ピットによく遊びに行ったよ。ピットパスはアグリにもらっていたけどね^^
クラッシュして死んだけど、翌日セナが逝ったから、あまり話題にならなかったな〜{泣}
俺の思い出に残ってるレースは耐久レース全戦ですね〜
C2レーサーでしたから、毎回走りながらC1のバトル観戦でした^^
気に入らない走りのC1が俺をオーバーテークするときは、知らん振りしてブロックライン走りましたけど〜^^
 今更で恐縮なのですが、シュージさんは昔、静マツかどこかの757をドライブされてた方でしたよね?当時、コースサイドで見てたらC1とのスピード差って結構あったような気がしたのですが、オーバーテイクされる時ってドライブしてて怖くなかったですか?(^^;)
89年の富士500マイルですね。
ララウリのアルファブルンポルシェが15周目のBコーナーで大クラッシュ、そこへフーシェの日石トラストポルシェとバリラのデンソートヨタが駆け付けて救出してともにレースに復帰。
特にフーシェはシートベルトを締め直す予定外のピットインを強いられてもトップの岡田秀樹がドライブするレイトンハウスポルシェのすぐ後ろの2位。
フーシェとバリラのスポーツマン精神に驚いたのとフーシェの驚速ぶりに鳥肌が立ちました。

89年の鈴鹿1000km(国さんが魅せた奇跡の逆転劇)と90年富士500km&91年富士500マイル(日産とトヨタの死闘)も強い印象を受けました。

どれも「Cカーの時代」という本に載っています♪
シュージさん>

思い出しました!!!
いつでもシブいレースを魅せてもらいました♪
757に乗っていてC1に抜かれるとき、迫力ありましたよ〜^^470馬力くらいの俺のマシンを1000馬力のマシンが襲ってくるんだもんね〜^^
富士の最終コーナーなんてレーコードライン走りながら、C1寄ってこないで〜状態でしたね。
でもね鈴鹿の1コーナーでオーバーテークされてもダンロップまでは、余裕で後ろを追いかけたおしてましたわ^^
あの静マツの757ね本社から3万円でもらったマシンですよ^^
「○千万円」とかそーゆー桁なのかと思ったらそんなもんなんですね(^^;<3万円

まあ本社的にも相当な距離や期間を使い倒した末の放出でもあるし、「ディーラーチームだからレンタルみたいなもんだけど一応ケジメみたいな感じ」の値段なんでしょうか(笑)。
無償にできないからだね^^767もそんなもんだな^^でもね本社の3ローターより静マツのメカの作った3ロータリーの方がパワーあったらしいよ。本社から視察にきたよ^^
あの757は乗りやすいマシンだったな。
初期の767は乗りにくいマシンだったね。パワーはあるけど曲がらん止まらんだった^^
そーいえば確か従野さんがGCで乗ってた3ローター1号車(12A/10A/12Aで真ん中だけ排気量違うやつ)のレースオペレーションも確か静岡マツダだったって聞いた覚えがありますし…古くは紫電改マツダなんかもそうだったし、考えてみると静岡マツダってかなり凄いチームですね。

そういえば初期のJGTCで「3ローターユーノスコスモ」なんていう企画もあった記憶がありましたけど…それは実現しませんでしたね(^^;。同じように流れちゃったやつでSYMSのスバルSVXなんてのもありましたし。
僕が印象に残っているレースはほんと選べばキリがないですが、JSPCではミノルタトヨタが優勝した87年富士1000Kmレースですね。自分は当時日石トラストポルシェのファンでしたが、国産マシンの久しぶりの優勝で当時小学生でしたがなんだかすごく嬉しかったです。ドライでもウエットでもポルシェ優勝状態が続いていたのでこの優勝はインパクトが強かったです。
85年の鈴鹿500Kmとその年のWEC IN JAPANも国産車が勝ちましたが87富士1000Kmの印象は強いです。
まあ、追いかけるポルシェ勢がコケてしまったというのもありますけどね。

87年はトヨタがチャンピオンを取れたと思いますが、どうして最終戦の富士500Kmの時にトムスは富士(500Kmレース)とマカオ(マカオギアレース)に分散したのでしょうか?
チャンピオンを取るためには国内に集中するべきだったと思います(余談ですが)。

他には90年富士500マイルレースでしょうか。
それまではドライの500マイル・1000Kmレースでなかなか国産マシンが勝てなかったのですが(特にニッサンは)このレースでは最初から最後までハイペースで走って優勝したということで(タイヤバーストはありましたが)ようやくポルシェを上回ったんだなというか実力で勝ったんだなと強く印象を受けたレースとなりました。


WSPCでは86WEC IN JAPANです。
チャンピオン決定戦となったレースはワークスポルシェまさかの脱落で最後はジャガー対ブルンポルシェの一騎打ちでブルンポルシェがチャンピオンになったというレースでしたが「あの常勝を誇ってきたロスマンズポルシェが負けたんだ」と改めて思い知らされたレースでした。

あとは88年WEC IN JAPANも印象的です。
この年のルマンでも見られなかったジャガー・メルセデス・ワークスポルシェの対決が富士で実現したということ自体がすごかったです。
メルセデスは苦戦しましたがワークスポルシェはしっかり2位に入るあたりはさすがという感じでした。

海外のレースで印象的なレースもほんと沢山ありますが、92年のデイトナ24時間が自分の中では印象に強く残っています。

ルマン24時間レースは90年、91年が思い出に残っています。
公式なデータとして残ってはいないけどあの当時のワークス系Cカーは400km/h前後出てた、とは言われてましたからねぇ(^^;<スピードの出し過ぎ

やっぱりタイヤとか足回りとかは当時の技術水準まで含めて考えると凄く厳しい状態だったんだと思います。たとえば全盛期のチャンプカーだとマウリシオ・グージェルミンが413km/hだか出したっていう記録がありますけど(苦笑)、フォーミュラだから車重もCカーほど重くはないし、ダウンフォースの発生量とかも一応ウィングカーとはいえ当時は規制が厳しくなっていたからそれほど極端ではなかっただろうし。

一方でマツダスピードのGTPカーは最高速という話になるとそれほど伸びなかった(ターボカーより10〜20km/hぐらい遅かった?)とか言われてますが、車重の軽さとかパワーが過剰でなかったこととかも含めて、そういう意味で無理がなかったことが完走率の高さとか、さらにはルマンの優勝とかにもつながったかもしれませんね。91年のルマンで「カテ2勢の中でマツダだけ830kgだった」ってメリットはあったとはいえ基本的にどこも壊れなかったのは確かだし(1台だけドラシャの温度が警戒値を示したということで予防的に交換してますが)、逆に90年の状況を見ても、再度ターボカーが解禁になった93年以降を見ても、多くの国産Cカーが「速いのに壊れてる」って面もありますからね。
かなり古いレースですが85年の鈴鹿500キロです。

このレースは雨でアドバンポルシェはエンジンが調子悪くスタートからトムスの36号車が快調に逃げていたけどエンジンブローでリタイヤしたあとワコールドームがトップを快走し優勝したレースでドライバーはE・エルグとJ・リース
でした。
91富士1000kmは皆さんと同じく印象に残ります。
現地で見てましたが、最後のカルソVSYHPは接触もあって思わず見てて
鳥肌が立ったのを覚えてます。
本当のプロ同士の本気バトルでした。
今もVTRが残っているのでたまに見返してます。

あとは89年インターチャレンジ富士1000km。
2ヒートとなった(大雨で)2回目のレースでの夕焼けが綺麗で印象があります。
ゴール後のラファネルと小河選手の胴上げシーンもよかったです。

仙台の菅生のレースに、3.5リッターのジャガーワークスが来るよと言われて、東京から見に行きました。

パープルカラーの二台が予選から圧倒していましたが、スタートでラッツェンバーガーが豪快に二台を抜いてトップにたったのを覚えています。

あとGTの初期はポルシェ962か956が参戦していて、5月のGTレースに知り合いの方が、RX7で出ていて、トップのタイサンポルシェの前でスピンして、近藤真彦選手がもらい事故をおこした光景思い出しました。


一番印象に残っているのは85WEC in JAPAN 雨の中2位以下を周回遅れにした星野一義の激走ですね。
レース後のインタビューで勝った事を喜ぶ前に、主催者の不手際を怒り、声が震えていたのが今でも忘れられません。
思い出と言うか、このレース結果が違っていたらと思うレースが
2つあります。

1つは、89年の最終戦鈴鹿1000Kmです。
このレースで、最後尾から怒涛の追い上げで2位入ったTOYOTA91C-V。
もし優勝していたら、チャンピオンが変わっていたはずで一悶着あったと
思います。主催者はタイサンアドバンポルシェが優勝してホッとしたで
しょう。

2つ目は、91年の富士1000Km。
この時雨のレースで、レース成立の500Kmを超えたところでレース終了
となったのですが、この時何故か主催者は規定では1/2ポイントとすべき
ところをフルポイントを与えました。
もしこのレースのポイントが、ルールに沿ってハーフポイントであったら、
この年のチャンピオンはTOYOTAの36号車、小河と関谷になっていたはず
です。

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