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黒澤 明コミュの「乱」

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先日久々に乱を借りて観ました
戦闘シーンが、すごいですね、どうやって撮ったんだろうかと関心するばかりでした。メイクも良かったです
観ていて疑問に思ったことがあるのですが、なぜ大殿は気が狂っちゃうのでしょうか?というよりも、なぜ黒澤明監督が大殿を気の狂った役に脚本したのかがいまいちピント来ませんでした
気の狂った大殿は何か意味があるのでしょうか?
知っている方いたら教えてくださいm(_|_)m

コメント(68)

テアトル新宿「黒澤明の軌跡」で見てきました。
DVDで見るのと違う発見が多々ありました。

特に楓が黒鉄に斬られた血吹雪の激しさ、
最後の鶴丸が立ち尽くす様とその背景の夕暮れの美しさ。

初めて見たときの様に、人間界の果かなさに打ちのめされました。
フィルムをリマスターして年に一度くらい上映して欲しいモノです。
これは、「影武者」のあとに観まして、やはり軍勢を色で表すのが凄いと思いましたね。

初めて観た時はストーリーを理解するのに必死でしたね。

三郎が追放されて、少しづつ国が乱れていく様・・・・
息子達は勿論、周囲の者が或いは裏切り、或いは討たれて孤独になっていく秀虎・・・・
秀虎の心情を思うと(>_<)

そんな中、国境の川を越えて三郎が帰ってきた。。
そのシーンで思わずガッツポーズをしてしまいました(笑)

これで秀虎は悪夢から醒めれるのか〜とホッとした次の瞬間・・・・一発の銃声が

映画で泣くことは余りないですが、思わず泣いてしまいましたね。。

丹後が「神や仏は人間の業に泣いているのだ」という台詞が心に染み渡りました。

説得力が有りすぎです。
>.サン(な、名前が見つけ辛い…)
その絵は初めて見ました。
ほとんど映画のまんまですね。素晴らしい。


>ヌメノール人さん
>軍勢を色で表すのが凄いと思いましたね

あれは衣装のワダエミさんがそのアイデアを
チャン・イーモウ監督の作品で使ったんでしたっけ。

あとあの作品では次郎と三郎の合戦の様子を
それぞれを必ず左右で描いてましたよね。
だから色でも位置・向きでも分かるから
全然混乱しないで観れました。

>「神や仏は人間の業に泣いているのだ」

あれはその前の狂阿弥のセリフと合わせて聞くと
より一層考えさせられますね〜。
妹尾河童さんの本読んでいたら「乱」の城の俯瞰図が。
この翌日に炎上シーンが撮影されたそうです。
キャベタロウさんのコメント凄すぎです。。。
植木等さんのくだり、なるほどぉ!です!
黒澤監督は「まぁだだよ」の所さんの起用にしても面白い事をしている人が好きなんでしょうね。
私も現在ひと月「乱」ばっかり観て楽しんでます。

植木さんが亡くなって立川談志師匠のラジオで植木等さんがどういう人だったか毒ずきながら分かりやすく説明してました。

乱についてですが
私が敬愛する淀川長治先生はこう語っています。
「狂阿弥の悲しき陽性と鶴丸の陰性。狂阿弥は真夏の太陽。鶴丸は秋の日が落ちた夕空の三日月。」

この映画を楽しむにはこの2人と楓、末の存在は大きい。
能がかりの様式美で彩った「乱」にはこの4名の感情を秀虎の狂乱ぶりに乗せて男の哀れを余すことなく搾り出していると思います。
根本的に、すごーく暗いテーマだよね
自殺を考えた黒澤監督の遺言みたいな
「影武者」にはまだあった「平凡な人々の人生」
みたいな空気も意識的に遠ざけて・・・
「何一つ救いの無い場所にたどり着いた」
って感じ
これをエンターテイメントにするのが
ホント凄いっすw
乱を白黒でやられたら陰惨で見られないよね?
すごーく暗いテーマを
美しい画面や、様式の美しい演技や台詞で
より多くの人に伝えた、という映画だと思うな。
 少々ご無沙汰です。実はとあるトラブルでインターネットなし環境になり、その2ヶ月間に「乱」のDVDを繰り返し繰り返し鑑賞しました。実は私は高校生の頃劇場で本作を鑑賞したのですが、正直な話イマイチピンときませんでした。ところが、今回の再鑑賞では大いに感動させられ自分ながら驚かされています。

本作における黒澤明の映像美は以前の作品に比べ極めて、あるいは過剰と言える程の「極彩色」且つ「油彩的」で例えばゴッホあるいはクリムトなどを私に想起させます。且つ、私にとって特筆すべきは武満徹の音楽(以前は気にもとめなかったのですがあせあせ)の素晴らしさ。唯、マーラーの「大地の歌/第二楽章、最終章」や「第一交響曲/第三楽章」のイメージはあまりにも露骨で驚かされ且つ「でも、こりゃあ怒るよな武満さんは」などと改めて思わされたりもしました。いくら天皇黒澤明でもここまでイメージを押しつけて良いの?なんて素直に考えた私は、どちらかと言えば武満徹の味方ですねわーい(嬉しい顔)

しかしながら「骨太」と「透明感」という一種相反する様な感覚を発散しながら諸処で流される武満徹の「絶望的」音楽の出来には脱帽!の一言です。

皆様が寄せられたコメントにもあります様に「三の城炎上」のシーンは確かに特筆すべきで、この迫力と臨終感はCG等の映像技術が発達した現在でも創ることは不可能でしょう。そのバックで、「太郎狙撃」のシーンまで延々と流される武満徹の絶望的BGM・・・いやあ、これほど感動させられるなんて自分でも思ってなかっただけに驚かされました。
 テステス様の御質問「なぜ大殿は気が狂っちゃうのでしょうか?というよりも、なぜ黒澤明監督が大殿を気の狂った役に脚本したのか」に対し私なりの意見ですが、先ずはストーリーを進行させる上で「狂わせるしかなかった」というのがその一番の原因だと私は考えます。だって、あの状況で「正気」であるのならば切腹せざるを得ないし、あるい敵将により「首」を取られていたでしょうから要するに「乱」のストーリー上不可欠な要素が「大殿狂乱」だったと私は推測しますが如何でしょうか?

 ちなみに原作というか元本になった「リア王」でもやはり主人公が狂乱するのでしょうか?お詳しい方、どうぞ御教授下さい。
この写真は、「乱」の最後の戦闘シーン撮影中の九重ロケの宿舎でくつろいでいらっしゃった黒澤さんと本多さん(乱監督補・ゴジラの監督)です。
思い出の写真です。黒さんの斜め後ろに、若かりし頃の私が立っています。

鶴丸・・・・若かりし頃の、あの野村萬斎さんですね(^_-)
>ふたつのくにさん
シェイクスピアの「リア王」でも、娘たちの非情な裏切りにあい、
王は気が狂ってしまいます。
そんな王を、バカにしながらも支え続けるのが、道化です。

細かい部分はともかく、大筋は「リア王」を比較的素直に映画化
しているのではないでしょうか。(事実誤認があったらご容赦を)
 ※へんにーさん、御返答コメントをどうもありがとう御座います。なるほど、と言うことは娘と息子の違いこそあれ「大殿狂乱」そして「狂阿弥」も元本にあるのですか・・・。しかし「蜘蛛の巣城」と言い本作と言い「シェイクスピア」をよくぞここまで和風に仕上げましたね。黒澤明の偉大さに更に更に感服です。

 ちなみに・・・37拙文中「この迫力と臨終感」はこの迫力と「臨場感」の間違いで、それなりに格好悪いミスですねあせあせ
「乱」を観て感動した外国の映画会社から「乱」をリメイクしたいとオファーがあって、『もともと「乱」も「蜘蛛の巣城」シェイクスピアのリメイクなんだよ!っていったら相手が驚いていたよ!」という黒澤さんの話を聴いた事があるよ!
 みなさん、「乱」のオープニングの猪狩りのシーンで、一文字秀虎(仲代)の三人の息子の着物の服の色に気づきませんでしたか?
長男は黄色で次男が赤で、三男が青でしたね!
これ「交通信号器」の色ですよね!
長男は注意(言いなりなっているようで父を裏切る)で、次男は赤で危険(兄を殺している)で、三男は最後まで父を面倒をみようとした親孝行の思いをもっているから青なんですよ!
この演出にに感動して自分の映画でマネをしたのだと思うのが「ラストエンペラー」のベルナルト・ベルトリッチ監督です。
彼は、「ラストエンペラー」の最後のシーンで、釈放されたもと皇帝の溥儀が平民になり、博物館となっていた紫禁城に見学に行くシーンの北京の街が映った時のシーンで・・・、交通信号器が画面一杯にアップで映り、信号が変わると中国の民衆が一斉に横断するシーンをよく見直してみてください。
黄色い信号が点滅し(黄色の服は皇帝しか着れない色だった=皇帝の国)、赤になって、民衆がどっと渡りはじめるんです。赤で歩行者が渡っているんですよ。
この「赤信号で渡る」ということは、中国が赤旗(社会主義の国)に変わったということを映像でしめしているんです。
 映画は、小説のように文で語るのではなく、映像で語るんですよ!
「乱」をただカラー映画にしたのではなく、カラーそのものにも必然性があったんです。
「乱を」公開当初に映画館で初めて見た時、黒澤さんの三人の息子の服の色を交通信号の色にみたてる「この心憎い演出」があるの気づき、ビビビと来ましたよ!
「乱」のファンのみなさん気づいていましたか?
先日
小林正樹監督「怪談」64年・DVD見ました。
「乱」のラスト・・杖突く竹丸と同じポーズで、杖突く、
「怪談」の中の、耳なし芳一。
狂っていく仲代殿のように、狂っていく三国連太郎。
など・・・を、発見。
壮大なる失敗作・・と、当時、批評されてた「怪談」
ですが、
巨匠に与えた影響は、大きかったのだ・・と、思いました。。

>りゅうぞうサン
あの三兄弟の服装の色についてはこのコミュに参加してる方は
大抵分かってるんじゃないでしょうか。
あれは数ある「黒澤的演出術」の中でも
かなり分かりやすい部類ですもんね(笑)。

黒澤サンの演出の特徴は「脚本の内容をより具現的にする」
ってことだと私的には思ってるんですが、
その大半は一見しただけじゃ分からないですよね。
でも分からなくても脚本の内容はシッカリ伝わるっていう
ホントに素晴らしいものだと思います。

そういう意味ではあの服装の色は
見れば分かるって感じなんで、
比較的多くの方が気付いたんじゃなかろうか
と思います。

あれが、貧しい一家の兄弟とか盗賊の一味だったら
服装が統一されてないこともありうるから
色の他に形や素材でも個性を出すこともあると思いますが
(『用心棒』の卯之助の服装みたく)、
でもあれは一文字家っていう、
戦国武将の家の兄弟なわけだから必然的に服装は統一されますよね。

で、統一された服装でどうやって兄弟それぞれの特徴を出すか
っていったら、やっぱりまずは色が思い浮かびますよね。

父親や妻に言われたらそれに影響されて考え方を変える長男は
ぼんやりした橙色、
野心家で情熱家でもある次男は熱血の赤、
周りに流されず常に冷静な三男は聡明な青。

そういうのは、例えば自分でマンガとか小説を書く場合でも
同様のことを考えるような気がします
(やっぱ外見でキャラを作るってのは重要ですもんね。
真面目で神経質な男は髪が短くピシっと分けてて眼鏡をかけてて
服装もピシっとしている、
いい加減な男は髪型もネクタイもだらしなく、
無精ひげを生やしている、とか)。

で、服装でその人物の性格・性質を表すって意味では私的には
(以前もどっかのトピックでコメントした気がするんですが(笑))
私的には原田美枝子サン演じる楓の方の着物の
三角の柄が素晴らしいと思います。
あの三角の柄っていうのは お能では蛇を表すんだそうですね。
そういう意味では楓の方にピッタリの柄だと言えると思います。

『乱』はシェークスピアの書いたお話を
お能の様式を用いて描いてるんだそうですが、
そういう、着物の柄も お能の様式をちゃんと踏まえてる
ってことですよね。

でもだからといってそれが偉いとは私は思わなくて(笑)、
何が偉いかというと、大昔のお能の様式を踏まえつつ、
脚本に描かれてる楓の方の性格・性質を、
三角という尖った柄を使うことによって
楓の方の性格・性質をビジュアル的に表してるってことです。

だから黒澤サンは昔のお能の様式で描いて
全体のトーンを統一し、なおかつ、脚本の内容を具現化してる
ってことですよね。

こういうのは他には『蜘蛛巣城』における
ダダダン!っていう激しい足音で人物の心情の乱れ、動揺を表す
ってのと同様で、
現代人には一見小難しい感じのするお能の様式を
非常に上手く映画に取り入れ、
脚本の内容をより分かりやすくしてるわけですよね。

私的にはそういう部分に
黒澤サンの映画人としての素晴らしさを感じます。
キヤベタロさん
→黒澤サンの演出の特徴は「脚本の内容をより具現的にする」
ってことだと私的には思ってるんですが、
その大半は一見しただけじゃ分からないですよね。
なんですが、オイラが馬鹿なのか無知なのか、今までScenarioのある作品で「脚本の内容をより具現的にする」って事をしない、監督さんを知りません(爆笑)
恥ずかしい事なので、具体的に作品名や監督の名前等、お教え願えれば助かります(クスッ)
黒澤監督の特徴って事だから、大勢の監督はしていないって事ですよね(笑っ)
オイラは鈍いのか馬鹿なのかその大半は一見しただけで分かってしまう冷や汗

キヤベタロさん、人の意見や感想にコメントを言う場合、言葉尻に(笑)は失礼だと思うよ(馬鹿笑い)
皆様は程度の差はあれども、黒澤好きでコミュに参加してるだろうからね

トピずれ発言、失礼しました
>ブルさん
私的に思うに、「脚本の内容を具現的にする」のは当然だと思いますが、
黒澤サンのように「より具現的にする」監督サンは
他では見ないんですよね。

で、「脚本の内容を具現的にする」ってことですが、
例えば『サマータイムマシンブルース』って作品がありますが、
あれは一見、黒澤作品や他の映画に比べても
スゴくカメラが動いてるように見えるんですが、
でも、「どうしてこの場面でカメラをこう動かしてるのか」
ってことが分からないんですよね。
つまり意図が分からない。
黒澤映画だと「なるほど、ここをこうやってるから
より脚本の内容がちゃんと伝わるんだな」ってことが分かるんですが。

もちろん、そういうのは『サマー〜』だけではなく、
たくさんの映画でそうだと思えます。
驚いたときにアップの映像を出すっていう、
スゴく基本的で分かりやすい演出ってのは誰でもやってると思いますが、
そういう、スゴく分かりやすくて誰でも考え付きそうな部分を除くと、
「なんでこの場面をこうやってるんだろう?」
って思う作品は多いんですよね。

で、私は以前、ある撮影現場に見学に行かしてもらって
そのときに「なんでここをこうやってるんだろう?」
って思った部分があったんで、
「ここはどういう考えでもって撮ってるんでしょうか?」
って訊いたらその監督サンはハッキリ答えませんでした。
そんで、その人が得意とするアクションシーンになると
「ここはこうやってこうした方がカッコイイでしょ」
と説明してくれました。
ってことは、大した意図があるわけじゃなくて撮ってる場合と
明確な意図があって撮ってる場合もあるってことか、
とそんときは思いました。
で、そんな感じでいろんな作品を見ると、
演出意図が分かるとこと「なんとなくカメラを動かしてればいいや」
って感じの場面があるな、って感じがするんですよね。

ってことで、ブルさんが「脚本の内容をより具現的にしてる」
と思える作品がありましたら
(たくさんあるんでしょうが)適当にどれが教えてください。
それをジックリと見させていただきたいと思います。
あ、でもそういうことをしてない作品はないってことは
どの作品を見てもちゃんとやってることだから、
今度どれか観て、メッセージで感想を述べさせていただきますね〜。

>人の意見や感想にコメントを言う場合、
>言葉尻に(笑)は失礼だと思うよ(馬鹿笑い)

その通りですよね。

私的には説明がしやすい好例だと思って
「あれは分かりやすいっスよね〜!」って気持ちで
「(笑)」をつけたんですが
確かに誤解されやすいかも。
そう思われてしまったとしたら申し訳ないです。
りゅうぞうサン、どうもすいません。
先程、くだらない書き込みをしたお詫びに乱の御殿場ロケの感動的なエピソードを
三ノ城攻略のリハーサル前にフランスから来た出資者の相手をさせられ、監督はうんざりしてらっしゃいました      大掛かりな撮影のために準備にも時間がかかり、監督は少しくたびれた様子でディレクターチェアーに        その時、エキストラに参加していた自衛隊の小隊から「気合いを入れるぞー」の声が挙がり、えいえいおー!ときの声が挙がりました
すかさず、「こっちも負けるな、えいえいおー!」 現場中からときの声の連呼
まるで七人の侍のような様相に
監督のすぐ後ろに立ってたのですが、監督の肩が小刻みに震えるのがわかりました
スタッフの中にも涙ぐむ人が、当然ですが私もです
結果は皆さんのご覧になった通り
あの時、あの場に立ち合えたのは本当に幸せでした
そして思うのは、どのような映画でも、良い作品にしようと願う気持ちは全ての映画人共通です
それを理解したうえで、黒澤監督以外の作品を批判して欲しいと願います
>ブルさん
みなさんもそうだと思うし、
私もそれは理解しております
(私も学生の頃は自主制作映画作ってたし)。

で、それを踏まえた上で良くないと思うのは
良くないと批判したい気持ちはあります。

が、ここは黒澤コミュなんで
出来れば黒澤作品の素晴らしさについて
語りたいですね。
「服装の色によって登場人物を表す」
ってことで考えたら、日本では
『ゴレンジャー』等の「戦隊もの」シリーズがありましたね。

赤は熱血漢のアカレンジャー、
青は冷静でキザなアオレンジャー、
黄はおっとり系(でカレー好き(笑))のキレンジャー。

他に、色っていう「彩度」ではなく明るさの「明度」
で表すってことでは
『スターウォーズ』のルーク・スカイウォーカーがそうですよね。
彼の衣装は最初は白く、次は灰色、最後は黒。
でこの場合、物語が進むにつれ
彼はダークサイドに強く惹かれていく…。

これはアナキンもそうで、お話が進むにつれ、
黒に近づいてますよね。

おそらくそのへんに影響を受けたと思いますけど、
『女王の教室』の主人公や周りの教師も
お話の展開によって明度が変わってました
(他のキャラは色でも分けられてた)。

んで、黒澤サンの場合は
非常に重厚な感じの戦国絵巻的作品において
とっても鮮やかな色をドン!と出して
それぞれのキャラを上手く描いてるってあたりが
さすがだと思いますね〜
(衣装のワダエミさんはその手法を
チャン・イーモウ監督の『HERO』でも使ったそうですね)。
りゆうぞうさん、キヤベタロウさんどうも
色わけの件ですが、乱の場合は太郎の黄色は設定上、当たり前の話しで、最上級の色は古今東西、黄金に決まってますよね
あとは、画面映えする色を選べば良いわけですから
性格描写で次郎、三郎を決めるならば熱血の赤を三郎、優柔不断の次郎は中間色になりませんか?
単純にロケーション現場の背景に映える色を選んでますよ
深読みするのは楽しいでしょうが
キャラクターで色分けする黒澤監督は凄いとなると、乱以前から存在したゴレンジャー等の戦隊物のクリエーターは恐ろしい才能の持ち主
ベルドリッチが黒澤監督の影響ってのは無謀と思います
ビスコンティ、パゾリーニの流れですよ
コッポラなんかはもろ影響(カメラマンを同じビットリオさんに)を受けてます
黒澤監督もカラー映像にシフトする際に参考にしてると思いますよ

黒澤監督と他の作家と比較する際にはバックボーンを知らないで発言すると本当に失礼だと思います
オイラが椿のコミュでも、それとなくは書き込みしてるのですが
黒澤監督が他の作家に与えた影響を語る上で、エイゼンシュタインやジョン・フォード、オーソン・ウエールズ、ネオ・リアリズム(ビットリオ・デシーカやビスコンティ等)等々の作品をある程度認識しないとまずいと思います
このコミュにはなにがなんでも、黒澤監督の影響みたいな風潮がままあるので、映画を発明したのは黒澤監督なんだと錯覚しそうになりました
少し大袈裟ですが
まあ結論は、カラーで人物を分けるのは、映画に色が付いた頃からあるので、上手い監督と下手な監督がいる
世界中に個性を持った作家達が存在して、影響しあってる
それだけです
話がかみあっていないようなので私論を横入りさせていただきます。
衣装の色については秀虎(白銀)、太郎(山吹色)、次郎(赤)、三郎(青)、綾部(黒)、藤巻(白)としたのは村木与四郎さんが語っているように合戦シーンを外人にも分かるようにしたのでしょう。

映画も小説と同様「作品」「監督」「観客」の面があります。作品を客観的に検証することは必要です。いっぽう観客それぞれが作品を持っています。印象、感動、思いはそれぞれ異なりますがそれが新たな「作品」を作る面もあると思います。「全てのヒマワリはゴッホの影響を受けている」「サント・ヴィクトワール山はセザンヌの影響を受けている」と言われます。
黒澤の観客にとっては「すべての映画はクロサワの影響を受けている」「真の映画はクロサワによってつくられた」とも言えます。
監督の思いが観客に伝わらず消えていった作品がいかに多いことか!
「名作」とは観客の思いががつくりだすものなのでしょう。
>パンチョさん
>話がかみあっていない

ハハ(笑)。どうもすいません。
で、綾部とか藤巻のことを言われて初めて気づきましたけど、
確かにそうやって全体的に分けられてたんですね(遅っ(笑)!)。

「観客に分かりやすくするため」っていうのは
最後の合戦シーンの両軍の位置とその動きもそうですよね。
常に一定の側からしか攻めたり引いたりしてないから
仮に白黒作品であってもスゴく分かりやすい。

ちなみに大河ドラマの『風林火山』の
最後の川中島の合戦でも全く同じことをやってましたけど、
途中の、軍が対峙する静かな場面も
『乱』と同じカットが出てきて ちょっと面白かったです。
キャベタロウさん

私は『風林火山』のオープニングが『乱』のテイストだなあと感じていました(笑)

ブルさんんが言われるように何でもクロサワ作品を通して観る癖がついているのかもしれません。『ALWAYS 続・三丁目の夕日』を観ても都電は『生き物の記録』の影響と感じてしまいます(爆)。一方、確かに黒澤さんは過去の名作の研究にも熱心でガンスの『ナポレオン』やマイルストンの『西部戦線異常なし』も何度も観ていたようです。その他の作品も含め『乱』に活かされていたはずです。
>パンチョさん
>私は『風林火山』のオープニングが
>『乱』のテイストだなあと感じていました(笑)

「コッペパーン!♪」ですか(笑)。
確かに『乱』的な感じはしますね。
あと「風林火山」を表すって意味で『影武者』的な感じも。
でもこないだの回の合戦シーンはかなり『乱』的でした。
「何でもクロサワ作品を通して観る癖がついている」
ってのは私もそうですけど(笑)、でも
こないだの回はかなり意識してやってるなって思いましたね。

まぁでも誰のどういう影響を受けようが、
効果的に使われ、作品が面白くなればなによりです。
こないだの回の合戦シーンはスゴく見やすくて良かったし。
バンチョさん、キャベタロウさんどうも
まず、あんな書き込みをしたのは、黒澤監督以外の作品を侮辱した書き込みが目に付いたもので
特に椿三十郎トピ
おっしゃる通り、映画の楽しみ方は様々ありますが、他の監督や俳優を馬鹿にしてまで持ち上げる意味があるのか?
コミュに参加してる皆さんは黒澤だけを好んでいる方ばかりではない
非常に不愉快な気分になります
人としての品位さえ疑います
そんな展開にしなくても、黒澤作品は評価できます
そこんとこよろしく

ちなみに、小学生の時にアンケートがありまして、尊敬する人の欄に
淀川長治と書きました

トピずれ御免
さいなら
ブルさん


一般論として、おっしゃるように「率直な感想や意見」が内容によっては「他の感想や意見」を持つ人を不愉快にすることもあるのでしょうね。比較や評価はしょうがないと思いますが、品位は可能な限り大事にしたいと思っています。
先日、『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦』
って作品を観ました。

ら、(Wikipediaにも記されるけど)これは『乱』的な部分がけっこうあるな
と思いました。
お話的にも映像的にも(主要人物が青い旗を掲げてるってとこも)。

〔こっから『アッパレ〜』のネタバレあり!〕


で私的に思ったのは物語の結末について。

『アッパレ〜』の最後の方は『乱』と同じような展開になるわけですが、
個人的に、『乱』の方は「戦争の悲惨さ・無情さ」が端的に表れてて
スゴくいいと思いました。
が、『アッパレ〜』の方に関しては「なんでこうしたんだろう?」
って感じで、ちょっとシックリきませんでした(最後が爽やかなだけに)。

でも、それでもあぁいう感じにしたかったほど
『アッパレ〜』の作者は『乱』が好きだったのかなぁ と思ったりしました。

あとこれは良い悪いに関係ない話ですが、
『乱』での三郎は最後に何も言葉を残さなかったけど
『アッパレ〜』の方はちゃんと語った。

作品の良し悪しに関係なく、単に「切なさ」「悲劇性」を踏まえた場合、
個人的には『乱』の方が遥かにそれを感じました。
これは『生きる』の主人公『七人の侍』の侍たち、
『赤ひげ』の六助にも同様なことが言える気がします。
こんなスレがあったんですね。

wikiでもリンクされているので有名なのかもしれませんが、
映画「乱」制作秘話という資料がネット上にあります。

以前とアドレスが変わっていて削除されたのかと焦りましたが
wikiのリンクが生きていました。
制作の裏側の話が当事者から語られているので
「乱」が好きな方には一読の価値があると思います。

http://norisugi.com/documentary/hiwa.html
なんと大阪の新世界のミナミの飛田で「乱」を上映していたのでオールナイトで観てきました映画

久しぶりにスクリーンで見る黒澤作品はやはりいいですカチンコ
はじめまして、ハートブレイクと申します。(影武者に参加し〜乱は撮影延期のため家業に専念涙

公開直後にキネマ旬報で“乱”についての様々な批評が特集された中で…

「あんな運動会みたいな合戦があるものか」といった評が気になっていたところ…

後に“ペルーの大使館:人質解放”のニュースを見て吃驚り!!

大使館という小城に立てこもる数人を相手に…
各小隊が展開する様…
その画像レンズサイズ…

乱のそれそのもの!
なるほど“部隊を動かす”とはそういうことであったか…
(そして個でなく…部隊の間合いと駆け引き)

黒澤演出には、後々やられちまうことが溢れている…


また、色の話があったようですが…

色の組み合わせに見られる深層として…
黒と黄は…父性喪失色
黒と赤は…母性喪失色
赤と青は…競争色
赤と緑は…セックス色
青と黄は…憂鬱色
RGB三原色は…女性的生命力
などなど・・・
(他、単色に深層あり)

危険領域を示す:黒と黄
ゴジラとキングギドラの:黒と黄
そして:太郎のそれ
次郎の黒と赤に潜んだ:城滅亡の女の影
・・・

ダンサーインザダークの色味の使い分け
ビューティフルライフの男女が結ばれ経過して子供が現れるシーンや
額田王の歌に現れる三原色
ゴッホの黄青黒の色味
最近のXmasの赤と緑
バットマンの黒黄〜
キャットウーマンの赤黒
…父性母性喪失者に殺される同病ペンギンの惨
(AIのセックスロボット〜モノトーン黒地のライオンも同)
(後にバットマンの黄色は修正)

さらに、米英仏の国旗の赤青は、資本主義競争色
〜戦後早速に…赤いリンゴに青い空と歌って右へ倣へした日本・・・

そうそう“野良犬”では、犯人に強姦され殺された若妻の夫の嘆きが、トマト畑の赤と緑に投げかけられる…

様々な表現の深層を色味が語ってくれます。
大きな本屋に一冊はある“色彩語事典”…興味深いですよ。
只今BS朝日にて放送されている『乱』を鑑賞中。

自宅のTVがフルHDに対応になったので素晴らしい画質で観ています。

やっぱりイイなぁ〜〜。
はじめまして。

あらゆる映画の中で、『乱』ほど惹かれる映画は未だありません。

この世の絶望的な無常観と、不正義と残酷、神や仏の救いの無い生きる地獄世界を、これほど美しい絵巻のように、ある意味客観的ともいえる描き方ができる人が他にいるでしょうか?おそらく、戦争には出兵していないとはいえ、監督の世代だからこそ、そして苦悩し、妙齢に達したからこそ描けるのではないでしょうか。

世界では、この作品をシェークスピアに繋げて批評する人達が多いですが、僕は「能」には全く詳しくないですが、日本の古典や能楽の形式美、幽玄の世界をこの映画に感じます。それは森の中で「蜘蛛の巣城」の亡霊が次々と表れるシーンにも言えることですが、能楽や日本の古典に多様される、ある言葉一つを合言葉に、さらに古い古典のあるシーンを観客に思い描かせ、哀しみをより深く表す、といったような、深い無常観は日本人以外ではほとんど理解されていないのではないか、と思います。

蜘蛛巣城も、乱も、シェークスピアが下敷きです。乱は三人の息子ですが、シェークスピアのリア王では、三人の娘になっています。シェークスピアの時代では悲劇と喜劇がはっきり別れていましたから、救いようのない、絶望感もそう捉えると一種の美と云うことになると思います。当然、日本的な美を融合させているのは云うまでもないです!
なんて偉そうなことを言ってますが、リア王はまだ、読んだことないや(汗)
実は何年も前ですが、黒澤監督のインタビューで、「乱」はシェークスピアを意識しないで、毛利元就の「三本の矢」の逸話について何年も温めていた内容が、草稿を進めていくうちに「リア王」に良く似ている事になった、というような内容を読んだ事があります。このインタビューは雑誌に掲載されていたのですが、どの雑誌だったか全く覚えていないので、残念ながら確認はできません。どなたかお読みになった方いませんか?

日本の古典にも親と兄弟の確執と裏切りに関する話はたくさん存在します、例えば、最も有名なのは日本書紀のヤマトタケル等もリア王の話と少し似ていますね。親に疎まれた末っ子が実は一番の功労者であった、という点、兄弟間の確執と悲劇という点です。
最近、ネットで『乱』のメイキング映像を見ました。

これ見ると、いかに黒澤サンが
適切な演出を施してるか&演者に求めてるかってことが分かります。
さすがですね〜…!


閑話休題複数本

#映画のタイトルと同じ店を見つけたらアップせよ

「乱」
@埼玉県狭山市

#乱 #黒澤明

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