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科学は愛ですコミュのヴィーナスプロジェクトとは

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ヴィーナス・プロジェクト
(The Venus Project:2月18日英語版配信分)


『?ヴィーナスプロジェクトとは』
 
http://worldplanning.jimdo.com/%EF%BD%96%EF%BD%89%EF%BD%8E%EF%BD%95%EF%BD%93-%EF%BD%90%EF%BD%92%EF%BD%8F%EF%BD%8A%EF%BD%85%EF%BD%83%EF%BD%94/%E2%91%A0vinus-project%E3%81%A8%E3%81%AF/
   [WORLD PLANNING]

ヴィーナスプロジェクトは、実行可能な社会変革行動の計画を調査する組織である。それは平和的で持続可能な文明を目指すものである。それは人間の権利が紙上の宣言にとどまらず、生きる方法となる代替案を描き出そうとしている。私たちは、フロリダ州ヴィーナス郊外の21.5エーカーの研究所で活動している。

今日の社会が直面している挑戦の途方もない大きさを思うとき、私たちの社会が抱えている価値観を再検証し、背景にある問題や仮定(前提)を評価するために、私たちに残された時間はほとんど無いと断言できる。この自己分析は、人間であるということが意味する本質は何か、文明の一因であることの意味は何か、全世界の人々が繁栄を保証するために私たちが今日どんな選択ができるのか、といった疑問を呼び起こす。

今では、ほんのわずかな選択肢しか残されていない。昨日の答えは妥当ではなくなっている。私たちは時代遅れとなった社会についての思考の習慣や習癖を続けていくのか(そうすると私たちの未来は危険なものになる)、それとも、危機に瀕した社会により適切な価値の集合を適用することができるのか、そのいずれかなのだ。

経験は、建設的な、あるいは破壊的な行動に向けて、人の振る舞いを変えていくことができることを教えている。それこそが、ヴィーナスプロジェクトが目指していることだ。私たちの技術と資源を、人間と惑星の最大の利益のために振り向け。そして人間精神(spirit)の巨大な可能性を祝福し、そこに力点を置く新しい施行方法と生活様式を目指すのだ。私たちは、人間の可能性にふさわしい未来を設計し建設するツールを手にしている。ヴィーナスプロジェクトは、果敢で新しい方向を提示する。それは、少なくとも私たちの文化全体を再設計することを必要とするのだ。私たちが何をするかを予言する試みではなく、何をすることができるかが必要なのだ。私たちには将来に対する責任がある。そして、それは今日私たちが下す判断にかかっている。創意工夫こそが、今日の私たちが使える最大の資源なのだ。

社会改革家とシンクタンクは、基本的な社会作用に触れることなく表面的な兆候を扱うだけの戦略を定式化しているが、ヴィーナスプロジェクトは、いささか異なるアプローチを採っている。私たちは、現在の政治・金融制度の枠の中では、これらの問題を解決することはできないだろうと感じている。重要な変革を成し遂げるためには、あまりにも長い年月がかかってしまうだろう。薄められ骨抜きにされて、変革は弱体化されてしまうに違いない。

ヴィーナスプロジェクトは、これまでに存在したどんな社会システムとも異なる、持続可能な新しい世界文明のヴィジョンを提唱する。これは高度に圧縮した叙述だが、多くの科学分野に所属する実にたくさんの人々による長年に渡る研究と実験的なリサーチに基づいている。

私たちは、人間と環境への関心に捧げられた新鮮でホスティックなアプローチを進めている。それは実現可能な明るくよりよい未来のヴィジョンである。それは現代にとって適切であり、そして世界中の人々のポジティヴな未来を実現するために、実際的で実行可能なヴィジョンなのである。

ヴィーナスプロジェクトは、文化の再設計を直接に求めている。そこでは、古い時代の負の側面である戦争、貧困、飢餓、負債、環境的劣化、そして人々の不必要な苦しみは、避けられるべきであるだけでなく、全体として容認できないのだ。

ヴィーナスプロジェクトの基本的な前提の一つは、地球のあらゆる資源を全人類の共通の財産として扱うことを目指して活動することである。ずっと続いてきた現在のシステムに固有の問題の中で、これ以上単純な結論はないだろう。

歴史を通じて、変化は緩慢だった。成功した(継続した?)集団は、彼らを導くリーダーが無能であれば交替させてきたが、基本的な価値観の体系が不変であったために、根底にある社会的、経済的問題は残されたままだった。今日私たちが直面している問題は、高度に技術的な性質を持っているために、政治的、または財政的な手法で解決することはできない。必要とされて変化のためには、十分な資金がないし、それ以上に資源が足りないのである。これが、ヴィーナスプロジェクトがマネーベースの社会から資源ベースの世界経済の究極的な実現へと変換することを提唱する理由である。

政治的に無能で、欠乏に立脚し、時代奥手になっている現在の文化を、この新しい、より人間的な社会に転換させるには、思考と行動の両面で断絶した跳躍が求められることを、私たちは承知している。


時代遅れの金融システム

マネーベースのシステムは数世紀前から進化してきた。世界中のあらゆる経済システム、社会主義、共産主義、ファシズム、賞賛されている自由企業制度、永続的な社会階層制度(封建制のこと?)、エリート主義、国家主義、そして人種主義は、本質的には経済的な不平等に基づいてきた。社会システムが通貨や物々交換を使い続ける限り、人々も国家も極限まで競争を求め、そして、もし通商によることができないとなると、軍事的侵略に及ぶことだろう。私たちは、いまだにこれらの時代遅れとなった手段を使っているのである。

現在のマネーシステムは、主要な関心が利益であることから、全員に高い水準の生活を提供することはできないし、環境保護を確かなものとすることもできない。ダウンザイジングや毒物の廃棄といった戦略は利益のマージンを増加させる。自動化の登場、自動制御、人工知能、そしてアウトソーシングによって、人々が機械に置き換えられてきた。その結果、製造能力はありあまるほど豊富であるにもかかわらず、商品やサービスを購入できる人々は減っているのだ。

現在の時代遅れの政治経済システムは、最良の製品をあらゆる人々に行き渡らせるという今日の革新的な技術が達成した本当の利益を、使いこなすことができないし、多くの人々に強いられている不平等を克服することもできない。社会システムが比較的静的であるにもかかわらず、技術は走り続けている。言い換えれば、文化的な変化は、技術の変化のペースについて行けないのだ。私たちは、いまや、誰に対しても十分な製品とサービスを提供できる手段を持っているのだ。

不幸にも、今日、科学と技術は、自己利益のために、最良の製品を達成する目的から外れてしまっている。そして、しばしば効率性の意識的な回収と呼ばれる計画的な老朽化(obsolescence)を通じて、通貨が増えていく。『ここ、よく解りません』 たとえば、アメリカ農務省は、1エーカーあたりの収穫をより高める研究が仕事であると思われているが、実際には、休耕地をかかえる農民に補助金を払っている。マネーシステムは、私たちが人間と環境にとって最良であると信じている手段の適用を妨げる傾向があるのだ。

マネーシステムの中では、購買力は、製品やサービスを精算する能力とは関係がない。たとえば、不景気のあいだ、店舗の棚にはコンピューターやDVDが並び、車の在庫はあったが、ほとんどの人にはそれらを購入するだけの購買力がなかった。地球はちっとも変わっていない。陳腐化したゲームのルールが闘争と剥奪、そして苦しみを創り出しているのだ。

マネーシステムは、限られた資源の環境の中で人間の行動をコントロールする道具として発達してきた。今日では、マネーは一般の人々の利益のためではなく、国家の財政的な富をコントロールする人々の経済を制御するために使われているのだ。


資源ベース経済

あらゆる社会−経済システムは、政治哲学、宗教的信条、または社会習慣にかかわりなく、究極的には天然資源に依存している。すなわち、清浄な空気と水、耕作できる土地、そして高い生活水準を維持するために必要不可欠な技術と労働者(personnel)だ。

簡単に言えば、資源ベース経済とは、マネーよりも存在する資源を活用し、それらの資源を、全ての人々にもっとも効果的な方法で分配する方法を提供するのだ。それは、マネー、クレジット、物々交換、その他どんな形の債務や隷属を用いることなく、あらゆる製品とサービスが利用できるというシステムなのだ。

地球は多くの豊富な資源に恵まれている。私たちが今日使っている、マネーを介在させた資源の分配は、不適切で、私たちの生存にとっては反生産的である。現代社会は、高度に進歩した技術が利用可能であり、十分な食料、衣料、住宅、医療、適切な教育システムを創り出すことができる。そして、地熱、太陽光、風力、潮汐などの再利用可能で汚染のないエネルギーを無限に供給できるのだ。いまや、繁栄した文明が提供できる、とても快適で高い生活水準が、誰にでも楽しめることが可能になっているのだ。これは、知性と、人道的な見地からの科学と技術の活用によって実現できるのだ。

資源ベース経済の意味をよりよく理解するために、このことを考えていただきたい。もし、全世界のマネーが破壊されたとしても、表土、工場、その他の資源がそのまま残っていれば、私たちはどんなものでも作れるし、人間のどんなニーズでも満たせるのだ。人々が必要とするのは、マネーではない。むしろ、生活のために必要なものへの自由なアクセスなのだ。資源ベース経済では、マネーは不要だ。必要なのは、資源と生産手段と製品の分配手段なのだ。

全ての人々に教育と資源が無償で提供されるならば、人間の可能性は限りがなくなるだろう。これはイメージしにくいかもしれないが、ヴィーナスプロジェクトが提唱する資源ベースの社会では、今日のもっとも裕福な人でさえ、幸福を感じることだろう。今日の中産階級は昔の王たちよりもいい暮らしをしている。資源ベース経済では、誰もが、今日の大富豪よりもいい暮らしをするようになるのだ。

資源ベース社会では、成功の尺度は、富や繁栄や権力の獲得よりも、個人の自己達成(individual pursuits)に置かれることだろう。


私たち自身の判断にかかっている

人間の行動は、その他の自然現象と同じ法則性の対象になっている。私たちの習慣、行動、価値観は、私たちの文化の副産物である。生まれつき強欲、偏見、頑迷、愛国心、憎悪を抱えている人間などいない。これらは、全て学習された行動パターンにすぎないのだ。環境が変わらなければ、同じような行動が再現されるだろう。

今日、グローバルな資源ベース経済を実現するために必要な技術のほとんどは、すでに存在しているのだ。もしも、私たちが現在のマネーベース経済の限界に従う選択をするのならば、私たちはその避けられない結果と共に生き続けることになるだろう。戦争、貧困、空腹、剥奪、犯罪、無視、ストレス、恐怖、そして不平等だ。一方、もしも私たちがグローバルな資源ベース経済のコンセプトを受け入れ、もっと学び、そしてその理解を友人たちと共有すれば、それは人類を現在の状態を超えて進化させることになるだろう。

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