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アンリ・ベルクソンコミュの第4回ベルグソン読書会(「哲学的直観」を読む)

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第4回

(第8段落)さて、ここからベルグソンは今までの自分の説を具体的な事例で検証していきます。すなわち、哲学研究の演習です。まずは、スピノザですが、これには僕も後ずさりしますね。(笑) スピノザについては、僕は以前に岩波文庫のエチカを読み流した程度です。従って、詳細に渡って理解をしているとはとてもいえません。まさしく、ベルグソンが言うとおり、巨大戦艦の前に立たされたような恐怖感を覚えます。ベルグソンが、スピノザは脇において置くといっているので、僕も深入りすることなく退散することにしましょう。ただ、僕の頭の中にも、エチカの思想のイメージが出来上がっています。人間がいろいろな刺激を受けて生じる情念に突き動かされて瞬間、瞬間を生きる有様は、現代の人間のあり方にも当てはまり、極めてリアリティがあるように思えました。スピノザの思想は少なくとも人間観についてはそれほど浮世ばなれしたものではないのではないか、極めて人間の有様を鋭く抉り出しているのではないか。そんなイメージを抱きました。このイメージは、大思想家の著作を読んだ場合に出来上がるものなのでしょう。いずれにせよ、ここでベルグソンが言いたいのは、スピノザが彼が生まれた時代と違う時代に生きたとしても、表面上の細部はともかくとして、核心としては、同じ思想を語っただろうということです。

 この段落の後半で語られていることについて、少しだけ触れておきます。スピノザでは、神から出た人間が神へ帰る時、初めは行きと帰りと相反する二つの運動に見えたものは、もはやただ一つの運動に見えるという部分ですが、こういうことは「時間」を廃止することによって、こうなると言っている。これはどういう意味なのでしょう?スピノザにおいては、人間は、「実体」である神から派生してくる「様態」ですね(行き)。それで、単なる「様態」である人間は理性の導きによって、神を認識しようとする(帰り)。ところがこういう前後関係は、時間の観念があって初めて成り立つが、この「時間」については、「我々の精神は、身体の現実的存在を含む限りにおいてのみ持続すると言われうるし、またその限りにおいてのみ我々の精神の存在は一定の時間によって規定されうるのである。そしてその限りにおいてのみ我々の精神は物の存在を時間によって決定する能力、物を持続のもとに把握する能力を有するのである。」(第5章定理23備考)と言っています。つまり、肉体がある限りにおいてのみ、時間を感じるのであって、これが無ければ時間など存在しない。だから、永遠の相のもとに眺めると、人間が神から出てきたり、神に帰ったりするなんてことは意味がなくって、はじめから、人間は、神である「自然」のなかの一部なわけです。

(第9段落)さて、次にジョージ・バークリです。日本ではなじみの薄い哲学者ですよね。僕もまったく読んだことがなかったので、この「哲学的直観」を読むにあたって、このバークリについてはすこしだけ予習をしました。幸いにも、家の本棚を探してみたら、岩波文庫の「人知原理論」があった。10年以上も前の学生時代に復刊されたのを買っていたようです。とりあえず、これを通読しました。従って、僕のバークリ理解はこの本1冊を読んだ限りです。バークリといえば、主観的観念論で有名ですが、僕は一種の「独我論」みたいなものなのかと思っていた。ところが、この人知原理論を読んで、そうそう単純ではないことがわかった。非常に検討すべき多くのことを含んでいます。ベルグソンは、「物質と記憶」を構想するにあたって、おそらくはバークリをかなり検討していると思います。

 ベルグソンに従って、バークリの学説をまとめてみると、以下のとおりであり、かつ、これらの要点は、彼以前あるいは同時代の思想にすべて見られる。
  (1)一種の観念論であること:「物質とは観念の総体である」
     →マルブランシュ
  (2)抽象観念、一般観念は言葉に還元できること:唯名論
     →中世のスコラ論争、ホッブスの哲学
  (3)唯心論、主意主義
     →ドゥンス・スコトゥス、デカルト
  (4)有神論
     →既存神学

 バークリは唯心論者ですから、物質の存在を認めない。物質とは、実体がなく、知覚されているのは「観念」だという。従って、「物質とは観念の総体である」« la matière est un ensemble d'idées »ということになる。この表現にぜひとも注意しておきましょう。人知原理論のどこにこの表現があるかちょっと確認できませんが、「物質と記憶」第7版序文の中の、「物質とはイマージュの総体である」(la matière, pour nous, est un ensemble d'<images>.) というテーゼと奇妙なほど瓜二つです。この点に注意しておきましょう。バークリは、知覚されている事象の背後にある「ものそのもの」をまるで手品のように消去してしまった(1)。ところで、実在を消去して始末にこまるものがある。即ち抽象観念です。通常は個々の物質的存在から帰納的に抽象観念が成立すると考えるが、こういう考え方はバークリにとっては都合が悪い。抽象観念なんてものがはたして本当に実在するのか?三角形一般などというものを表象できないだろう。実は一般観念が形成されるのは言葉による。即ち「言葉が一般的となるのは、ある一つの抽象一般観念の記号とさせられることによるのではなく、いくつかの特殊観念の記号とさせられ、それらの特殊観念のどれをも無差別に心に示唆することによる」(「人知原理論」序論11)わけです(2)。ところで、僕らは観念を知覚しているのであり、知覚を生み出しているのは、我々の精神だ(3)。これら知覚に生じる観念は観念間で秩序立った関係性をもっていて、それが自然法則になっている。だから物質の総体は観念だといっても日常生活は変わらないし、自然科学の基盤が崩れ去ることもない。まさにバークリの哲学装置は、巧妙なマジックです。そして、自然法則をひっくるめた観念を背後で支えているのはまさに「神」なわけです。従って僕らが生きている世界は神の恩寵によって支えられているというわけです(4)。


【次回予習範囲】
第5回(8月28日(日))まで、以下のとおり読んでおいてください。
  ?Quadrige版:
    始め:p126 17行目〜
    終り:p128 27行目 son nominalisme.まで。
  ?世界の名著版:
    始め:p120 上段 16行目〜
    終り:p122 上段 07行目「唯名論とひとつなのです。」まで

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