バークリは唯心論者ですから、物質の存在を認めない。物質とは、実体がなく、知覚されているのは「観念」だという。従って、「物質とは観念の総体である」« la matière est un ensemble d'idées »ということになる。この表現にぜひとも注意しておきましょう。人知原理論のどこにこの表現があるかちょっと確認できませんが、「物質と記憶」第7版序文の中の、「物質とはイマージュの総体である」(la matière, pour nous, est un ensemble d'<images>.) というテーゼと奇妙なほど瓜二つです。この点に注意しておきましょう。バークリは、知覚されている事象の背後にある「ものそのもの」をまるで手品のように消去してしまった(1)。ところで、実在を消去して始末にこまるものがある。即ち抽象観念です。通常は個々の物質的存在から帰納的に抽象観念が成立すると考えるが、こういう考え方はバークリにとっては都合が悪い。抽象観念なんてものがはたして本当に実在するのか?三角形一般などというものを表象できないだろう。実は一般観念が形成されるのは言葉による。即ち「言葉が一般的となるのは、ある一つの抽象一般観念の記号とさせられることによるのではなく、いくつかの特殊観念の記号とさせられ、それらの特殊観念のどれをも無差別に心に示唆することによる」(「人知原理論」序論11)わけです(2)。ところで、僕らは観念を知覚しているのであり、知覚を生み出しているのは、我々の精神だ(3)。これら知覚に生じる観念は観念間で秩序立った関係性をもっていて、それが自然法則になっている。だから物質の総体は観念だといっても日常生活は変わらないし、自然科学の基盤が崩れ去ることもない。まさにバークリの哲学装置は、巧妙なマジックです。そして、自然法則をひっくるめた観念を背後で支えているのはまさに「神」なわけです。従って僕らが生きている世界は神の恩寵によって支えられているというわけです(4)。