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MONKS - I'ts Black Monk Timeコミュのブラック・モンク・タイム解説

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2003年末にモンクスの独レパトア版CDを、国内仕様にした際に俺が書いたアルバムの解説文です。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000729S/sr=8-3/qid=1152306222/ref=sr_1_3/249-3207232-8799552?%5Fencoding=UTF8&s=gateway
権利関係とかの契約など全くないですんでw、そのまま全文掲載してみます(問題発生したら即削除します)。
なお未発表音源集「FIVE UPSTART AMERICANS(廃盤)」(→1stアルバム用に録音されながら、没となってしまった生々しい別テイク集)に関してはコレを書いた時点では未聴でしたので、実際のアルバム音源との比較や没→再録の経緯などについて全く触れていませんが、どなたか補足できる方いらっしゃったらどんどん付け加えてください!
また、解説の内容に関して答えのはっきりしている誤りがありましたらどんどんご指摘ください!俺自身、かなり手探りで調べて仕上げた原稿ですんでまだまだ知りたいことがたくさんあります。
では、以下です。長いですが、よかったら読んでみてくださいませ。



The Monks / Black Monk Time

オーライ!わたしの名前はゲイリー。
さあ参りましょう ! 時はまさに、ビート・タイム ! ホップ・タイム ! モンク・タイム !
御存知の通り、われわれは軍隊が嫌いです。
軍隊って何ですか ? 誰がそんなもの、好きなんですか ?
なぜ、あなた方はベトナムの子供たちを皆殺しにするのですか ?
ベトコンは狂ってます。
わたしの兄弟はベトナムで死にました。
ジェームス・ボンドって誰 ?
やめてください。やめてください。それは好きじゃないです。
それはわたしにはうるさすぎます。
プッシー・ガロアが降臨します。それは好きです。
原子爆弾は好きじゃないです。
やめてください。やめてください。それは好きじゃないです。
ラリー、あなたの教えは何を指し示すのですか ?
あなたはわたしと同じように考えているのですね。
あなたは僧侶です。わたしは僧侶です。 わたしたちは、みな僧侶なのです。
デイヴ、ラリー、エディー、ロジャー !
さあ参りましょう ! 時はまさに、ビート・タイム ! ホップ・タイム ! モンク・タイム !
( MONK TIME より )

世界中にビートルズ旋風が巻き起こっていた1964年、多くのビートル・スタイルのガレージ・バンドがドイツのパブを夜な夜な沸かせていた。
アメリカに帰りそびれた5人の元米軍のG.I.たちが、生活費稼ぎのため結成したサーフ・ロック〜マージー・ビート・バンドTORQUAYSもそんなたくさんのバンドの一つだった。ジョニー・キッド・アンド・ザ・パイレーツ 「 シェイキン・オール・オーヴァー 」, リトル・リチャード 「 ロング・トール・サリー 」, ヤードバーズ 「 フォー・ユア・ラヴ 」 などがカヴァー・レパートリーだったらしい。そこそこ人気を集めた彼らは、64年末に完全自主制作で7インチ・シングル 「 ゼア・シー・ウォークス 」 b/w 「 ボーイズ・アー・ボーイズ 」 をリリースした。その7インチは500枚プレスされ、ライヴにて手売り販売し、1カ月で完売したらしい。

マージー・ビートにも次第に飽き、色々と思いつくままに変わったことを試し始めたバンドの前に、ある日突然背広を着た2人の大酒飲みが現れた。
彼らは 「 気づいてないかもしれないが、お前らは未来のサウンドを表現してる。俺達がお前らをビッグにしてやる ! 」と豪語し、マネージャーとなる。その2人組、カールとヴァルターはまず手始めに、バンド名をモンクスに変更することを提案。その際2人は、「 実際に僧侶に見える髪型にしたほうがインパクトあるよ 」 とメンバーをそそのかし、全員をモンク・カットに・・・。明らかに奇妙なビジュアル・コンセプトでインパクトを与えようとするやり方は、例えば74年デビューのキッスにもずっと先んじていた。この点でも先駆的な存在だったと言える。
 
こうしてTORQUAYSのメンバーは皆、そのままモンクスとなった。改めてバンドのメンバーを紹介しよう。

ゲイリー・バーガー ( ギター ) : ミネソタ出身。エルヴィス・プレスリー, チャック・ベリー, ボ・ディドリーの大ファン。ギターはグレッチ・ブラック・ウィドウ使用。アンプはフェンダー・バンドマスター。

ロジャー・ジョンストン ( ドラムス ) : テキサス出身。ジンジャー・ベイカー, チャーリー・ワッツから影響を受けた。

ラリー・クラーク ( オルガン ) : シカゴ出身。本名はLARRY SPANGLER。聖職者を父親に持つ。ラリーのルーツはブッカーT.アンド・ジ・MGズ, ジミー・スミス, レイ・チャールズなど。無類のオートバイ・マニアで、アメリカから船でドイツにハーレーを運び込んだ。制限速度のないアウトバーンを走ることが大好きだったらしい。なんと110ものオートバイを持っているとか・・・。

デイヴ・デイ ( バンジョー ) : ワシントン出身。本名はDAVE HAVLICEK。エルヴィスの大ファン。デイヴのルーツはデュアン・エディ, チャック・ベリー, リンク・レイ, ベンチャーズ, シャンテイズ, チェット・アトキンスなどのR'n'Rギタリスト達であるが、更に、ノース・ウェストのウェイラーズ、ソニックスらのフラット・ロック勢からの影響も認めている。

エディ・ショー ( ベース ) : カリフォルニア出身。ベースはギブソンのEBO 5, VOXアンプを使用。モンクスは先人からの影響は認めるが決して模倣はしない主義だ、と言っている。

この5人と2人のマネージャーは、まず、ドイツのルートウィックスブルクのスタジオに入り、オリジナルを10曲デモ録音した。カールとヴァルターはフィリップス、アリオラなど様々なレコード会社にこのデモ・テープを送った。現在、これらデモ音源は 「 ファイヴ・アップスタート・アメリカンズ ( 品番 : OMPLATTEN ( 米 ) FJORD005 ) 」 でTORQUAYSの音源とともに聴くことができる。

当時はビートルズ他、多くのグループが録音技術の進歩とともに音を重ね加えていくことにより、その音楽をどんどん複雑化させていった時代だった。一方、当初から 「 アンチ・ビートル 」 を掲げていたモンクスは、いわゆるブリティッシュ・ビート・グループに対して、とにかくうんざりしていた。
何がグループをそうさせたのかは不明だが、こんなエピソードがある。
モンクスも最初期はキンクスの 「 オール・デイ・アンド・オール・オブ・ザ・ナイト 」 をカヴァーしたりしたそうだが、デイヴ・デイヴィスとデイヴ・デイ、KINKSとMONKSという何か因縁めいた類似のせいか、いつしか対立関係になってしまっていたそうだ。実際、デイヴ・デイヴィスの自伝 「 KINK 」 の中にモンクスを 「 愚かな奴らだ 」 と中傷する記述もあり、デイヴ・デイもそれに対して 「 非常に気分を害している 」 と発言している。

さておき、モンクスは時代の流れとは真逆のアプローチ、従来のロックのフォーマットとの差別化のため様々な試みを行った。ドイツ人向けでもあったのだろうか、まず歌詞を極端に単純化させていった。そこには擬似的な政治メッセージを織り込み、複雑な意味合いを持たせた。但し、モンクスはベトナム戦争には異議を唱えたものの、厳密には政治的な思想を持つバンドではなかった。メンバー達は、ベトナム戦争に対する嫌悪はあったものの、実際なぜそう思うのか、きちんと説明はできなかった。ただ一つ確かだったことは、軍隊がとにかく嫌いだったということだ。

オルガンとギターとベースは可能な限りメロディーを削ぎ落とし、歪みとフィードバックにより、いかにデカい音を出せるか、それだけを徹底追求した。特にゲイリーは自身が偶然に発見したフィードバック効果を独自に研究した。
また、人々が耐えられない緊迫感、居心地の悪さを意図的に表現、例えば12小節構成の代わりに15小節や17小節を採用したり、意表をつくキーの移調を思いもよらぬ場所に挿入したりした。
そして歌に関しては、誰がリードというわけではなく、全員が持ち回りでヴォーカルを取った。技術的な上手さの代わりに毒をたっぷり含んだダミ声による掛け合いと、それらが合体したハーモニーは、もはやとんでもないブラック・ジョークとなった。
 
しかし、それ以上に特筆すべき点は、一体感のあるグルーヴへの偏執的ともいえるこだわりだ。激しく、重く、それでいてある種コミカルとも言える独自のリズム。
バンドがモンクスとなった時点で、デイヴはリズム・ギターからバンジョー弾きにコンバートした。デイヴのバンジョーは、いわゆるエレクトリック・バンジョーではなく、通常のバンジョー内部に2個のマイクロフォンを仕込んだものだった。それをギター用のVOXアンプに接続した。彼はバンジョーの基本的な奏法を一切学ばず、まるでリズム・ギターを弾くのと同じやり方でバンジョーを演奏した。モンクスは、5人全員がリズムセクションと言えるほどに、一体感と自由度のあるビートを生み出しているが、中でもバンジョーはいわゆるカウンター・リズムで演奏し、ドラムの倍以上のリズムを刻み、ダンゴ状のリズムの間を自由に行き来して、ビートをシンコペイトさせる役割を果たした。
ゲイリーの短く、突き刺さるようなカッテイングは細かいリズムを更に粉微塵にした。
ロジャーはシンバルをあまり使わず、リズム・アクセントのほとんどをタム・タムで行った。擬音語や造語を織り交ぜた、シンプル極まりない歌詞もリズム形成の一翼を担っている。
以上、すべての要素をミックスしたものが、これでもかとばかり執拗に繰り返される。この独自に生み出したリズムこそが、モンクス・サウンドの大きな特徴だ。

これらミニマリズムの極致とも言えるアプローチは、皮肉にもビートルズの 「 トゥモロウ・ネバー・ノウズ 」 をより生々しく先取りしていたとも言えるが、 「 ドラッグ体験と我々の音楽創作とは全く関係がない。曲作りや演奏の際にドラッグを使用したことはない 」 とメンバーは一様に言っている。要は、シラフで作りあげた音楽であるらしい ( 実際は、TORQUAYS〜モンクスの活動を通じて連日の過剰な飲酒、メンバー間ですぐに兄弟になってしまうような、たちの悪い女遊び、スナック菓子を買うように気軽に手に入った、日常的なスピードやハシシ、アンフェタミンなどのドラッグ摂取など、どうしょうもない悦楽の日々を送っていたそうだが・・・)。

眠たそうなマリア、呑むな ! 酔っぱらいマリア、寝るな !
( DRUNKEN MARIAより )
                              
マネージャーの必死の売り込みにより、ポリドールとの契約を行うに至り、モンクスはアルバムのレコーディングを開始する。その際、プロデューサーにジミー・ボーウェンを迎えることとなった。
「 ブラック・モンク・タイム 」は 65年11月にケルンにて録音された。
リリース時の規格番号はPOLYDOR ( 独 ) : #24900 。デビュー・アルバムが全曲オリジナル作品で構成されていることは66年当時としては全く異例なことだった。やはりミニマリズムの象徴と言える無地のジャケットは、偶然にもビートルズの 「 ホワイト・アルバム 」 を2年早く予見。もしかしてジミ・ヘンドリックス ( 彼との交流に関しては後述 ) → ジミのファンでもあった、リンダ・イーストマン → ポール・マッカートニーって流れがあって、実はビートルズに対してサブリミナルな影響が・・・、まさかね・・・ってことを考えてみたりもする。

「 ブラック・モンク・タイム 」 アルバムは、以下のようなグループのサウンドのルーツとして引き合いに出される。ストゥージス, ラモーンズ, セックス・ピストルズ, B-52's, ディーヴォ, カーズなどなど・・・。また、モンクスの精神はドイツのいわゆる 「 クラウト ・ ロック ・ バンド 」 であるアモン・デュール、クラフトワーク、ファウストなどに潜在的に影響を与えることとなる。
 
その後、66年3月、ファースト・シングルとして、 「 コンプリケイション b/w オー・ハウ・トゥ・ドゥ・ナウ 」 をリリースした。品番はPOLYDOR(独)#52951

やっかいだ !
ひとびとは叫ぶ。ひとびとはあなたのために死ぬ。
ひとびとは殺す。ひとびとはあなたのためにそうする。
ひとびとは走る。あなたにとってそれは楽しいですか ?
ひとびとは行く。死に向かって。あなたのために。
パーパパパーパパパーパパパーパパパーパパパーパパパーパパパーパパ・・・
やっかいだ !
( 「 COMPLICATION 」 より )

66年末、セカンド・シングル 「 クックー 」 b/w 「 アイ・キャント・ゲット・オーヴァー・ユー 」 をリリース。 品番はPOLYDOR(独)#52957。 順調にリリースを重ねていく。 

カッコウ、カッコウ、誰がわたしのカッコウ鳥を盗んだの ?
誰かがわたしのカッコウ鳥を盗んだの。誰 ? 誰 ? あなたが盗んだの ? わたしの・・・
誰かがわたしをばかにしたわ。 誰が持ってるの ? 誰 ? 誰 ?
あなたが持ってるの ? わたしの・・・
わたしのカッコウ鳥をあなたが持ってなければ
あなたは誰なの ? 誰 ? 誰 ?
あなたはわたしのカッコウ鳥 !
カッコウ、カッコウ、誰がわたしのカッコウ鳥を盗んだの ?
カッコウ、カッコウ・・・・・
( 「CUCKOO 」より )

この 「 コンプリケイション 」 や 「 クックー 」 などで聴ける、さながら黒装束の裏ビーチ・ボーイズとも言える、聖歌隊を皮肉ったようなコーラス・ワークの仰々しさと言ったらもう・・・。

レコードで聴ける以上に、モンクスのライヴは凄まじい轟音だったらしい。
ドイツを訪れた英国のビート・バンドたちは皆モンクスの演奏にぶっ飛んだ。アメリカ生まれで渡英し、ロンドンを拠点に活動していたジミ・ヘンドリックスもドイツでの巡業中、モンクスに出会う。モンクスのライヴに幾度も足を運び、ゲイリーのフィード・バックやワウ・ペダルの使い方に対して色々と質問していたらしい ( 実際のところ、ゲイリーはワウではなくフット・ペダルをワウのように使用していただけだったのだが ) 。 エディによると、ジミはモンクスの演奏に対して 「 これまで全く聴いたことがない音楽だ ! 」 と言っていたらしい。デイヴがジミと同じワシントン州レントンの出身ということで、当時、両者はかなり親しい間柄になっていた。そして67年初頭、キールのスター・プラストにて両者は共演。モンクスはジミの想像を絶するプレイに圧倒されることとなる。エディはジミを見て、 「 ハードな音楽 」 に対する捉え方のモンクスとの違いを感じた。ジミと同じくR & Bをルーツとして表現してきたモンクスだったが、「 同じハードなR & Bの表現でもジミと我々とではやり方が全く違う。ジミに較べると、我々にはブルースの要素があまりに薄い。彼はきっと成功するだろうが、我々の音楽は無理だな・・・」 と考えさせられてしまう。

エディの悪い予感は不幸にも的中し、アルバム 「 ブラック・モンク・タイム 」 はとにかく売れなかった。メンバーに入った最初のギャラは一人10ドルだったとか・・・。ドイツでのセールスが芳しくないことから、この作品は当時のリスナーには理解されないとポリドールに判断されたため、彼らの母国であるアメリカやイギリスでは遂にリリースされなかった。そのためオリジナル盤は、米国中古レコード市場で1,000ドルもの価格が付く激レア盤となっている。
 
その失敗の経緯から、オリジナリティに対して頑なだったバンドの姿勢も次第に変わっていく。ポリドールからはラヴィン・スプーンフルみたいになれ、と、イメージ・チェンジを命令される。そして最後のシングル 「 ラヴ・キャン・テイム・ザ・ワイルド 」 b/w 「 ヒー・ウェント・ダウン・トゥ・ザ・シー 」 ( Polydor [ 独 ] #52958 ) がリリースされた。ブライアン・ウィルソンやアーサー・リーがこの曲を書いていればもっと深読みされて、伝説となっていたかもしれない、これまでのモンクスのコンセプトとは全く違うソフト・サイケ・ナンバーだった。そしてB面曲では、なんとエディーが間奏部でトランペットを吹き、オーバー・ダビングで録音している。

やがて、ロジャーは髪を伸ばし、他のメンバーも黒以外のカラフルな衣装を着るようになった。最後までモンク・スタイルに固執したラリーは他のメンバーの背教を叱ったが、既に彼の意見には誰も耳を傾けなかった。さらに67年に予定されていたベトナム・ツアーに対し、ベトコンや当時の治安情勢に危機感を覚えたロジャーは脱退し、アメリカに帰ってしまう。また、メンバーそれぞれの妻たちにも大反対され、結局ツアーは中止となる。
モンクスはオリジナル・メンバー5人の相互作用があってこそのモンクスであった。誰一人欠けてもそのサウンドは成立せず、必然的に活動を続けることができなくなり、グループは自然消滅した。デイヴ以外のメンバーは解散後、全員帰米。バンド活動から足を洗い、それぞれの生活を始めた。
その後、時折、メンバーの友達にモンクスのレコードを聴かせても、無関心に挨拶程度の感想を言われるか、無視されるか侮辱されるかだったと言う。70年代末のある日、エディーはゲイリーと久しぶりにモンクスのレコードを聴いたが、2人とも気分が悪くなってすぐに止めてしまったらしい。モンクスはいつしか、メンバー自身の記憶からも消えていった・・・。
 
しかし、物語はまだ終わらない。

「 永遠に66年を生きる人物 」 マイク・スタックス ( 現在最も権威のあるガレージ・ファンジンのひとつ、アグリー・シングス・マガジンの編集長。80年代にはクロウダディーズ, テル・テイル・ハーツなどのバンド活動でネオ・ガレージ・シーンを牽引、現在はまさにプリティ・シングスの精神を継承しているとも言えるバンド、ルーンズを率いて活動中 ) が、92年にアグリー・シングス誌上でモンクスの徹底特集記事を掲載。さらに同じ頃、英国マンチェスター出身のバンド、フォールにより、「 アイ・ヘイト・ユー 」, 「 シャット・アップ !」, 「 オー・ハウ・トゥ・ドゥ・ナウ」の3曲がカヴァーされる。この頃から急激にモンクス再評価の動きが活発になる。それはメンバー自身の耳にも届き、エディは自主出版でその名もずばり 「 ブラック・モンク・タイム 」 という、バンドと自身の自叙伝を書いた。そして遂に99年、ニューヨークのCAVERSTOMP FESTIVALにて32年振りの再結成、復活ライヴを行った。オリジナル・メンバー全員が集結したが、誰一人として体重が増えすぎて体型が大きく変わったメンバーはおらず、60歳前後の年齢とは思えないほどのハイ・テンションな演奏を繰り広げた。ゲイリー・バーガーは長年の喫煙により気管支炎を患っていたため、トレード・マークであったフォー・フレッシュメンばりのハイ・トーン・コーラスを披露出来ない状態だったが、モンクスの熱狂的ファンであるMIKE FORNATALEをファルセット要員として舞台に引っ張り上げ、6人目のモンクスとし、コーラス・パートを補った。
 
この日は、モンクス同様に目玉クラスの再結成であるスタンデルズとチョコレート・ウォッチ・バンドも出演したが、メンバーがすっかり代わったチョコレート・ウォッチ・バンドとバンド自体が変わり果てたスタンデルズとは違い、オリジナル・メンバーで当時のサウンドを完全再現したモンクスの評判はダントツで、ニューヨーク・タイムス紙にも絶賛のレヴューが掲載された。
ジョン・スペンサーやスロッビング・グリッスル〜サイキックTVのジェネシス・P・オリッジ, ジム・フィータスらもそのライヴに客として足を運んだが、唖然として見つめることしかできず、ライヴ後はキッズのように興奮した状態でインタビュアーに対してモンクスへの賛辞の言葉をまくし立てていた。
当日は他にもフレッシュ・トーンズ, ヴァイパーズ, デッドムーン, ルーンズ, グレイヴディガー・ファイヴなどの大御所たちやムーニー・スズキ, ヘイトボムズ, グリーンホーンズなどが共演した。そして日本からも黒の革ツナギでドレス・アップした我らが5,6,7,8's も出演した。彼女達によるカヴァー曲をたっぷり織り交ぜた、魅惑的かつアグレッシヴな演奏も会場を沸かせ、ゲイリーも彼女達を絶賛した。このライヴの音源は 「 レッツ・スタート・ア・ビート 品番 : MUNSTER ( スペイン ) MRCD207 」 で聴くことができる。このCDはエンハンスト・トラックとしてライヴの模様が3曲丸々収録されているので必見だ。また、モンクスのドキュメンタリー映画 「 トランスアトランティック・フィードバック 」 が現在制作進行中であるそうだ。

一つことわっておかなければならないことがある。
実は現在 「 ブラック・モンク・タイム 」 のオフィシャル再発音源は手に入らない状況である、という意見もある。じゃあ、手元にあるこのCDは何?ってことになるけど・・・。
このCDはドイツのRepertoire社がユニバーサルミュージック・ドイツ社から認可を得てリイシューされたものだが、ユニバーサル側は認可した覚えがない、と言ってるのだそうだ。考えられるケースとして、ユニバーサルのスタッフがマスターを一時持ち出した際に何者かにコピーされて、それをRepertoire社が買い取ったのでは ? ということが挙げられるらしいが、真相は謎に包まれている。
97年のインフィニティ・ゼロ ( 初の米国リリース ) 盤は既に廃盤となっており、モンクス・オフィシャル・ウェブ・サイトには現在入手可能な音源として、このRepertoire盤のCDが紹介されている。しかし、実際はメンバーには一切ギャラが入っていないとの話らしい。とは言え、このCDが唯一現在手に入れることができるモンクスの 「 オフィシャル 」 アルバムであることには間違いない。メンバーのことを思えば、非常に複雑な気分になるが・・・。

(※注2006/7/5:その後更に米リイシューもあったようだが、オフィシャル・サイトの情報が一向に更新されてないことからも、状況はあまり変わらないようである)

今はただ、この誕生から20年以上経って再評価され、30年経った今も充分に未来のサウンドを表現しているといえる、時の試練に耐えた、勇気溢れる作品を心行くまで楽しみたい。そして真にクリエイティヴであるということはどういうことであるのか ? ということなどを、自らに問い掛けてみたいと、私は思う。オリジナル・ライナー・ノーツにも掲載されている以下の一文がバンドのあり方を雄弁に語っている。最後にご覧いただきたい。

The monks believe in nothing.
The monks believe that everything is possible.
The monks give everything.

(2003年10月)




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