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ふるさとの名水めぐり岐阜県コミュの可児才蔵と才蔵寺延壽泉

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岐阜県・愛知県に多い「可児」という姓が気になったのでコメントさせていただきます。

才蔵寺(広島市東区東山町1-11)に、
才蔵寺延壽泉(えんじゅせん)という水場の跡があります。
「ながいき水」とも言われています。

才蔵寺の由来に可児才蔵が出て来ます。
可児才蔵藤原吉長(かにさいぞうふじわらよしなが)は、1553年(天文22年)尾張国葉栗郡楽典郷に生れ、宝蔵院流十字槍の達人で前田利家や森長一(ちょういち)に仕えた後、広島藩主福島正則の家臣となりました。関ケ原の戦いの時、討ち取った敵の首に笹の葉を付け目印としたので、徳川家康から「笹の才蔵」と褒められたことがよく知られています。その他「福島氏が改易の折の戦に備えて食料の味噌を集めた」「民衆の食生活を向上させるために、栄養の多い味噌造りを勧めた」「城下の貧しい人々には味噌を配って生活を助けた」「晩年は仏門に入り、人々の脳の病を治療した」「自分の墓に生えた竹葉に願をかければ頭の病が治るであろうと言って亡くなった」など数々のエピソードを残しています。
才蔵の残した脳と味噌に関する伝説に因み、この寺にあるミソ地蔵の頭に味噌を供え受験合格祈願をする人が後を絶ちません。昔は石仏に味噌を直接塗っていましたが、1972年頃からは、ビニール袋に入った味噌を供えるようになりました。なお、祈願が終わった味噌は、故事に因んで福祉施設に寄贈されています。
才蔵峠は戦国時代に参勤交代の大名が往来した西国道にあたります。西坂道参道の下の祠の付近は当時広島城下へ行き来をした東の玄関口、東の松山関所跡でした。寄観を呈する女松林があり、一帯は林間に石仏が点在する霊域でした。才蔵峠を往来した人の喉を潤し親しまれてきたのが才蔵住居跡(偕楽軒)の湧き水「延壽泉(えんじゅせん)」でした。才蔵廟の献茶用(煎抹茶用)として使われ、割烹料理にも最適の水といわれていました。1955年頃(昭和30年)には山から豊富な湧き水が出ていましたが裏山の開発などにより何時の頃からか水が涸れています。
(C)錦川鯉の名水賛歌VOL.2より

また、地元郷土史会の資料では、
可児才蔵藤原吉長は、1553年(天文22年)尾張国葉栗郡楽典郷に生れる。福島正則に使え、槍術に優れ晩年才入と号し、仏門に入り済生を脳病平癒の医方に専念した。死後3日内に墓背に竹が生じるであろう。首より上を病むものは、その竹の葉に利益を願えば必ず治療を得さしめん。往来の人、心ある武士は墓前にて馬を下り水を供え花を手向けたという。
という記述があります。

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