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伝承文化研究所コミュの萬葉集〜日本人の心の原点〜 その1

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私が、少しく研究しております『萬葉集』に關しての論文です。時間があったら讀んでみてください。




 『まんやうのこゝろ』
  (萬葉集 日本人の心の原点)
     大和には  群山あれど 
     とりよろふ 天の香具山
     登り立ち 國見をすれば
     國原は 煙立つ
     海原は 鴎立ちたつ
     美し國ぞ 蜻蛉島 大和の國は 



萬葉集のこゝろとは
 『萬葉集』を書いてみやうなどと、無謀なことを考えたのには私なりに理由があってのことです。

 学識も才能も無きに斉しい私にとって、一般の人は勿論のこと、研究されてゐる方々にとっても歯牙にもかけられぬ事を敢て挑戦しやうとしてゐるのは、単純に『感動』といふ心から湧き上がってくる言葉を押さえきれなかったといふだけのことなのです。

 当然の如く、内容的にも大したものが書けるとは思ってはゐませんし、どの様にまとまるかも想像が出來ません。ただ、自分の魂の奥底から湧き上がってくる聲をできるだけ文章にしてゆくことが出來ればと書き始めてゐます。

 たゞ、文才に乏しい私のことですから、様々な文献の引用に頼らざるを得ませんし、私なりの拙文で書き連ねてゆきます。この本によって私たちの心が萬葉人と繋がってゐることを実感していただければ幸いと考えております。



 皆さんもご存じのように『萬葉集』は今から千六百年前の歌から千二百年前までの歌を網羅し、編纂された日本の書物であります。その中身は、雄略天皇の「籠もよ み籠持ち 堀串もよ ・・・」といふ長歌から初まってゐる和歌の本であります。

 当たり前のことでありますが、和歌の和は、日本のことであり、日本の歌といふ事になります。

 さしずめ、今で言えば演歌や民謡という歌謡曲の事にあたるのかもしれません。

 この萬葉集の作られてゐた時代はどんな頃かといひますと、その頃のヨーロッパではフランスといふ國も存在せず東西ローマ帝国も凋落しはじめ戦乱が各地で起きてゐた頃であり、中国は唐の時代でした。

 そんな時代に私達の祖先は美しい言葉を縦横に使いこなし、素晴らしい文学作品を作ってゐたのです。



 江戸時代の国学者・賀茂真淵は「古の人の歌は、天地の成しのまにまに成る海山の如し。然か有りて新玉の月日の共に移り行く雲風花紅葉に附けて云ひ出づれば、今に在りても其時を見るが如く」と言ひます。

 賀茂真淵といふ人は、江戸時代になって國學が衰兆してゐた時に、新たにその價値を見出し日本の國の素晴らしさを蘇らせた國學者です。

 歴史の流れを考えた時、常に大きなうねりが繰り返してゐるといえます。流行廃りは世の常でありますが、賀茂真淵は國學、特に歌学によって日本人の心を蘇らせた江戸時代の巨人といえる人と私は思っております。

 その學問は本居宣長に受け継がれました。その賀茂真淵の言葉は、まさに『萬葉集』の大きな價値を表してゐると思ひます。

 「今に在りても其時を見るが如し」という一節は、今もそのまま受け止められることと思ひます。

 萬葉集は、日本の歴史に於ても欠く得べからざる古典書なのであります。

 今の世では流行歌のやうに、またたく間に一世を風靡してしまふものもありますが、しかし、それは又浮き雲のやうにたちまち消え去ってしまふものでもあるといえます。

 勿論、五十年以上に亘って歌い繼がれてゐる名曲といふものもありますが、はたして百年、二百年という事になったならばどうでしょうか?

 そう考えた時、千年以上に亘って愛されてきてゐる古人達によって作られた萬葉集の和歌は、世界を見回しても比較するものがありません。と言ふよりは、和歌の文化そのものが世界にはないのですから。



 和歌から派生された文化は様々あります。

 代表的なものとしては俳句が一番にあげられませう。俳句は和歌の上の句の部分だけで情景を、心を表現するものであります。

 その他に於ても、日本の言葉文化は、この和歌が淵源であるといっても過言ではありません。

 日本文化の象徴として世界に誇る、紫式部の『源氏物語』は、七百九十五首にものぼる和歌が散りばめられてゐます。

 また、『伊勢物語』は、在原業平の作った和歌によって物語が展開してゆくのです。



 一昔前の日本の偉人達は、皆和歌を作ることが当たり前のやうにできました。

 そして、死ぬ寸前に殆どの人が辞世の和歌を詠んで死んでゆきました。

 このやうに和歌とは、日本人が偉い人間になる爲の必須の条件の一つであったのです。

 いや、偉い人だけではなくとも和歌をたしなむといふことはその人が立派な人間であるかどうかを判断する一つでありました。

 また、能楽に於てもその淵源は和歌に求められたと考えてよいと思ひます。



 本居宣長は、『古事記』を三十五年間かけて今のように読めるように漢文から日本語に訳した国学者でありますが、その彼も

「すべての人は、かならず歌をよむべきものなる内にも学問する者は、なほさら歌をよまではかなはぬわざ也。歌をよまでは、古の世のくはしき意、風雅のおもむきはしりがたし」

と言っております。


 日本人としてこの世に生をうけてきたならば、自分たち身体を駆け巡っている血の中に、このやうな遺伝子は連綿と受け継がれ流れてゐると私は信じます。




 萬葉人の心は、私達に何を語りかけてくるのか。

 日本人の心の原風景を彼らの言葉によって語りかけてゐるのです。

 本居宣長は次のやうに言ひます。

 「萬葉集これは歌の集なれども道を知るに甚だ緊要の書なり。特によく学ぶべし」(『宇比山踏』より)と。


 彼らの語りかけてくる言葉は、純粋、素直かつありの儘であるが故に私達の心に響いてくるのです。

 それが賀茂真淵を以てして「今に在りても其時を見るが如く」と言はしめてゐるのです。

 それは、萬葉人の歌には素直で純粋さが溢れてゐるといふことなのです。

 つまり、私達の心の原風景を知りたければ萬葉人を辿って彼等の心を知ることだと思ふのです。

 そうすれば萬葉人がまるで此処にゐるかの如く鮮やかに蘇ってくることになります。

 なぜならば、私達は遠い昔の人々の生命の連なりの中でこの世に生きてゐます。

 それはかふも言へるのではないでせうか。

 私の生命は父母の生命の連なりであります。
 父母の生命は祖父母の生命の連なりです。

 私達が日本人として生まれてきたことは、萬葉人の生命の連なりであるといふことは間違いのないことなのです。

 従って日本人の考え方や精神の原点を知りたければ、この『萬葉集』を必ず学ばなければならないと思ふのです。

 本居宣長は、これについて

「古事記は古伝説のままに記されてはあれども、なほ漢文なれば、正しく古意を知るべきことは萬葉には及ばず。書紀は特に漢文の飾り多ければさら也」

といってゐます。

 この『萬葉集』は、上は天皇様から下は詠み人知らずの庶民まで網羅されてゐます。
 萬葉の時代を知るにこれほど素晴らしいものはないといえるのです。(續く)




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