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檸檬屋コミュの閉店

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本日、いつもの様にふらっと来店したら、
「えっ、閉店する」というハナシをチカちゃんに聞いて、しばしぼう然。
オヤジからの直接の説明を聞いて、まあ仕方ないのかなあ、などと思ってしまったわけだ。

まあ、オヤジの説明を解説すれば、
立て直しのために生活保護を受けるんだそうだ。

で、まあいいって感じかな。

コメント(32)

店はおいといて、住枝さんの生活や健康状態などが何とか立て直しできればいいですね。
えっ?閉店…
マジですか!?
立て直しのために生活保護って…

ああ、なんかショック…、そして心配です。

なんか落ち込みました(;_;)
生活保護を受けるために店はやっちゃいけないそうで、それって収入の道を絶つってことだから、どうも理屈に合わない気がするんだけどね。
まあ料金を取らず、食事やお酒を出して「カンパ」を取るっていう形でしばらくはやるそうですが、それってどうよ、とは思うわけだ。
>まあ料金を取らず、食事やお酒を出して「カンパ」を取るっていう形でしばらく
>はやるそうですが、それってどうよ、とは思うわけだ。

これは単なる店主の希望だった様で、やはり即刻完全閉店だそうです。
>生活保護を受けるために店はやっちゃいけないそうで、それって収入の道を絶つってこ>とだから、どうも理屈に合わない気がするんだけどね。

この春から週4日は客がゼロという状況で、収入の道どころではなかったですね。バイト嬢もほぼボランティアだったようだし、家賃の不払いは積み重なってゆく。残念だけど、店として存続していけたとは思えません。

生活保護については篤志の方がスキームを作り、最後に残った常連3、4人で入れ替わり立ち替わり薦めてきました。困窮の度合いは激しく、それなしには(店がという意味でなく)冬は越せなかったと思います。今は住処を定めて心身を休めることが先決でしょう。

ご承知の通りこのご時世、生活保護といって易々と取れるものではありません。受給に当たって、相当尽力した方々がおられたことは、付言しておきたいと思います。
なるほど、即閉店ですか。
そうでしょうね。
あああ、本当だったのね。長いこと、お疲れ様でした。大変お世話になりました。
どうぞお体大切に!
本当だったんですよ。
新宿区が区内の都営住宅を世話してくれるそうなんで、谷中ともお別れですね。
>どうぞお体大切に!

有難い言葉ですね。

ご本人に噛み締めて頂きたいが、一定以上は無理というのは檸檬屋の客なら誰でも知っている(笑)。

でも、無頼とか風来坊であり続けるというのは、そういうことなんだという気もする。格好良くもないし、理にかなってもいない。けれどそれに是非を言っても仕方がない。ご本人が選んだ生き方なんだから。

俺に是非を説くな 激しき雪が好き

関係ないが、むかしそんな短歌を詠んだ方がいました。ずっとむかし今より小僧だった時分にゴールデン街で一二度すれ違ったことがある。出会いとも呼べない淡いすれ違いだったが、飲んでるとなぜかときどき思い出す。考えてみれば、酒場の付き合いというのはそんなものかもしれない。一瞬の縁。

でも酒場での出会いは鮮烈な残像を植え付けたりもする。

閉店と聞くと檸檬屋に足を運ばなくなった方でも、ひととき心が波打ったかもしれない。店主の人徳とか言いたくはないが、たぶんそこに一瞬の出会いがあったからなんでしょう。

きょう夕方電話に出た店主は、三度目(だったか?)の心臓カテーテルを終えたところでした。「前と同じところが詰まってるって言われちゃったよ。でもまあうまくいったみたいで、明後日には退院できるみたいだよ」。声に張りはなかったが、元気そうでした。新宿にいい都営住宅が見つかるといいんですがね。宿無し状態が早く解消することを祈っています。
お店、明日撤去ですか?
オヤジは病院なら、妙なことを言いだす心配はないですね。
何時からですか?
谷中のソファは寝心地?が良かったが、新宿はカウンター以外は、あまり座りたい席ってなかったな。特にあのカウンターに背を向ける位置にある椅子が、見下ろされているような感じで、硬かったし座り心地が悪かった。

スイマセン、今日です。
午前中にほとんど撤去完了しました。
が、まだ机の台や、ガス台等大物が残っています。

ただいま小休止中です。
冷蔵庫などは近所の上海料理やのオーナーらしき人が目ざとくやってきて、引き取ってもらえることになりました。

なんにせよ、ほぼもぬけの殻です。

寂しさを通り越し、妙な清々しさを感じます。

住枝さんは、スーツケース2個からの再出発となります…

以上、途中経過報告でした。
お疲れ様です。お手伝いもせず…。

もぬけの殻かあ…芭蕉風なら「夢の痕」、秀吉風なら「夢のまた夢」ってやつですね。
店のドアに、しばらくは「閉店しました」って紙ぐらい貼っても許されるんでしょうか?可能なら貼っておいてくださいね。何も知らずに来るお客もいるでしょうし、お願いします。
看板に灯が灯ったら来ちゃうよね。
Rさん、紙、貼っておいてね。
撤収作業、本当にお疲れさまでした。そういえば谷中の撤収では、じゅうたんの下から白骨化した鼠が出てきた記憶が。人は移り時代は変わる。再見。
吉永小百合さまに文化勲章!って関係ないか。
まあ、オヤジもファンだけど。
もぬけの殻状態の店内写真もあっぷしてね。
只今帰宅しました。

前日に、Fさんらが段ボール箱などにまとめておいてくれた「残骸」たちを、朝10時からお昼にかけて運び出し、午後は午後で、テーブルの台やら長いすやら、冷蔵庫などを搬出し、ガス栓を止め、シンク等も取り外しました。
冷蔵庫が、なかなかデカくて搬出に手間取りましたが、何とか無事に20時前でひとまず作業終了。
まだ、シンクやらお好み焼きを焼く鉄板ガスコンロ、長いすの下に埋蔵されていた食器類などが多少残っていますが、それもじきに撤去されるでしょう。

とりあえず『誠に勝手ながら、閉店させていただきます 檸檬屋店主』と張り紙しておきました。

もぬけの殻の店内と、取り外された檸檬屋のモチーフ、貼っておきます。

お疲れさまでした。
ホントにお疲れさまでした!

貼り紙もありがとうございました。
終わったんですね、ていうと一部に怒る人もいるだろうけど…。店のことにしておきましょう。
閉店張り紙、もうちょっと気の利いた詩的なことを書けば良かったですかね?
でも、そんなの思いつかないし、それより冷蔵庫が運び出せたことの喜びの方が大きく、また檸檬屋の「檸檬」の字すら書けない自分に不甲斐なさを感じておりました故…(苦笑)

ともあれ、檸檬屋新宿は、「食う」から「空」へ、「飲む」から「NO・無」へと移行いたしました。

僕は一日しか働かなかったけれど、ここまでご尽力の皆様方、本当にお疲れ様でした。
僕も、谷中に通うようになって「檸檬」って書けるようになりました。
物書きの端くれだったのに。安寧の寧と、蒙古の蒙にそれぞれ木偏を付けるんですよね。
あの頃は、きれいな奥さん(何番目だったか?うれしい顔)が店にちゃんと居たし、オヤジも今のようなだらしない酔っ払いじゃなかたし、何より若かったしね。当時は東京でも1番居心地のいい店だと思ってたので、何人も連れて行ったし、待ち合わせもよくしたから手帳にメモ(自分で書かなくちゃならん)する必要に駆られてね。
官僚とか永田町の住人も多く、新聞や週刊誌の記者も集まってた。その1人である僕も、オヤジのお陰で人脈広がったのは事実だ。
記者じゃなくなったし、そういう意味では、僕の中でも一つの時代が終わったんだなと感慨が深い。
今朝7:30頃病院に行ってきました。
明日10/28には退院できるとのことでした。
>今朝7:30頃病院に行ってきました。

本当にお疲れさまでした。

きょう仕事で新聞記事検索をする際、思い立って「檸檬屋」と入れてみたら、こんな記事が。

************

常連客が主役のイベント酒場−−荒川「檸檬屋」 /東京
1996.11.30 地方版/東京 (全373字) 


 荒川区西日暮里3の飲み屋さん「檸檬(れもん)屋」が12月1日から、常連客の芸術家や作家によるイベントを始める。コーラスグループが1963年ごろのオールディーズを歌ったり、作家が新作をさかなに語る内容で、12月は4回、1月以降は2回ほど開いていく予定だ。
 予定されるイベントは12月1日午後6時半、Hot Dogs Party「大人のためのコンサート」▽同4日午後7時半、「高級シャンパンをのむ会」▽同14日午後6時半、「岡本文弥を偲(しの)ぶ会」▽同17日午後7時半、森まゆみ「一葉の世界を語る」▽1月16日午後7時半、佐野真一「民族学者・宮本常一を語る」▽同23日午後7時半、川又千秋「幻想の変態」。
 男性6000円、女性5000円(12月17日と1月16日は本代込みで男女とも6000円)。予約、問い合わせは午後4時以降に同店電話3828・2028。

************

この毎日新聞の筆者はひょっとして…。

さらに…。

************

[食・物語り]焼き飯 思い出スパイスで「極上」に
2003.04.01 東京朝刊 17頁 家庭 写図有 (全1,478字) 


 ◇在日コリアンに勇気をくれた−−早稲田の街「檸檬屋」の主人
 新入生があふれ、初々しさで学生街が浮き立つ季節が、またやってきた−−76年春も東京・新宿にある早稲田の街は、そうした新入生たちを迎えていた。だが、その新入生は一人浮かない表情だった。
 黄色に黒で「檸檬屋(れもんや)」と書かれた看板が、たまたま目に入り、彼はその店のドアを開けた。ミルクを注文した彼の、元気のなさが気になった店のあるじ、住枝(すみえだ)清高さんは、それとなく話を聞き始めた。住枝さんの面倒見の良さから、詩人や作家志望の学生やOBが集まってくる店だった。
 彼の名は姜誠(かんそん)さん。その春、山口県立山口高校を卒業し、早稲田大学に合格したばかり。そこで下宿を探しに上京したのだ。ところが、その日は朝から16軒の不動産屋に次々に断られ、疲れて、たどり着いたのが檸檬屋の前だった。
 姜さんは在日コリアン3世。高校卒業の直前、それまでの日本の通称名を、本名に変える決心をした。卒業式の壇上で初めて本名を呼ばれた時、式場がざわついたのを背中で感じた。だが大学入学という門出に、それまでつき通した「ウソ」は、もうつきたくなかった。
 しかし現実は、そんな決意を砕きそうになる。不動産屋で探した下宿の大家さんたちは、ことごとく「朝鮮籍」を拒否の理由にした。
 話を聞いていた住枝さんは、怖い顔で黙ったまま調理場に引っ込んだ。数分後、ドンっと姜さんの前に皿を置き、「待っとけ」と言って店を飛び出していった。皿に乗っていたのは焼き飯。1人残された店で、黙々とスプーンを口に運んだ。
 30分後、戻ってきた住枝さんは、ぶっきらぼうに言った。「おまえの下宿、決まったぞ」。近くの3畳1間、しかも消防法違反というボロ下宿。早稲田の先輩でもあった住枝さんは言う。「おれは恥ずかしかっただけだ」。知り合いの不動産屋に行き、一緒に大家を説得したのだ。
 姜さんは「ああ、この社会で生きていける」と思ったと言う。その時の焼き飯は「極上の一品」になった。ただし「味は覚えてないんですよ。心の中でどんどん思い出のスパイスで味付けされていってね」と笑う。住枝さんも、どう作ったのか覚えてない。
 それから27年。56歳になった住枝さんの檸檬屋は新宿に移った。「焼き飯」はメニューにないが、今も店に集まる芸術家の卵や学生に“おせっかい”を焼き続けている。
 一方45歳の姜さんは、フリーのジャーナリストだ。夢だった教師や新聞記者にはなれなかったが、週刊誌を中心にさまざまな問題を書き、本も3冊出した。朝鮮統一をにらみベルリンの壁崩壊に立ち会い、在日コリアンが多いパチンコ業界のプリペイドカード導入では、「天下り先の確保にすぎない」と警察官僚を批判するなど、硬派の姿勢を貫いてきた。
 北朝鮮との緊張が続く今、在日への風当たりも強いが、変化も感じると言う。「朝鮮高校に行ってる息子に聞くと、嫌がらせより励ましが多い。それが昔と違う」と笑顔になる。「昨年の日韓ワールドカップの影響が大きい」と姜さんは考えている。
 アジアや南米からのニューカマー(新参の在日外国人や日系人)は増え続けるが、一方で、減ったとはいえ、在日や外国人への差別は残ったままだ。そんな日本で暮らすニューカマーたちが、あの時、勇気をくれた「焼き飯」とできるだけ多く出合ってほしい−−それが姜さんの願いだ。=「食・物語り」は毎月第1火曜日に掲載します。ただし次回は5月13日です。<長倉正知>
■写真説明 久しぶりの再会に照れる住枝さん(左)と姜さん=新宿3丁目の檸檬屋で
毎日新聞社
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これは署名入り(笑)でしたね。

援護射撃してたんですね〜。

今となってはまさに夢の跡。

…さあ、仕事しよ(笑)。

ははあ、懐かしい記事を読ませてもらいました。
署名があるのはしらを切れませんね。
あれは1年後ぐらいに、某築地のA新聞にもほぼ同じ内容が載ったんですよ。内容があまりにも同じだからオヤジに尋ねると、取材を受けてうるさがったオヤジが、僕の記事を渡して「この通りだから」と言ったそうです。そういうのって盗作と言うんだと怒ると「あんまり彼女を責めるなよ、俺が悪いんだから」って、オヤジを取材したのは女性記者だったんです。バカバカしくて怒りも失せました。
その前の記事は書く立場じゃなかったので後輩に頼みました。だからあっさりしてて愛情が感じられないでしょ?
若かったねえ、オヤジも僕も。
>あれは1年後ぐらいに、某築地のA新聞にもほぼ同じ内容が載ったんですよ。

確かに。某築地新聞の人脈記、これを読むと完全にパクリですね。焼き飯とか待ってろ!とか、書きぶりそのまんま。大丈夫なんだろうかと他人事ながら思ってしまいました。

しかし、96年の記事。森まゆみ、佐野真一講演やら高級シャンパンを飲む会とか、ブンカの薫りが漂ってたんですね。それと営業努力というか、まだ大家に家賃を払おうという気が多少はあったのでしょう(笑)。

私が谷中に足を踏み入れたのはこの2年くらい後で、そのころはすでに混沌の気配が漂っていた気がします。(家賃はとっくに…) ま、その混沌がフシギに居心地良かったりもしたのですがね。あのソファでダニに刺されながら眠るとか。あのお化け屋敷のような店にそういう人がたくさんいたような気もする。

そう言えば2000年参議院選の際、出馬した宮崎さんのドキュメンタリーを作ったことがありました。その一場面、谷中でトークライブをやったとき、ENGカメラを入れて谷中檸檬屋をこってり撮影しています。満杯の客の姿とともに、店の様子を捉えた映像がどこかに眠っているはず。

在りし日の檸檬屋(笑)ですね。店主逝去のみぎりには上映会でもしますか!
檸檬屋新宿閉店という事実が、思いのほか心に影を落としています。
僕は茨城県在住ですが、バンドの練習でよく新宿には行っていて、結構目と鼻の先に檸檬屋はあったのですが、営業時間中がリハだったので、なかなか足を運ぶことができず…。
それ以外は新宿にわざわざ寄る機会もなかったので、行けずじまいでした。

店主に会わずとも、もっと女性陣に会いに行けば良かった(笑)

そんな思い残しってどうなんでしょう。あはは。
講演会とかの文化?事業は、客を呼び込もうと詩人の荒川さんらの発案で始めたと記憶しています。知り合いを総動員すれば講師は何とかなる、ってね。
奥さんが逃げて客も減り、それが原因で今回のようにだらしない酔っ払いになってまた客が減る、という悪循環になってましたから。確か家賃どころか、出入りの酒屋からも現金取引を要求されて…繰り返しなんですよね、オヤジは。
思い出したけど、シャンパンの会って行きました。「おまえの安月給じゃ口に入らん酒を飲ましちゃる」と、あのだみ声で誘われて。辛スゴさんとか、宮崎さんとも、あの店で初めて会いました。落語とか津軽三味線もあったな。まだオヤジも若くて、やる気(再起?)はありましたね。

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