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宗教論・宗教学コミュの宗教論と宗教学と

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それぞれの信仰から「私はこう信じます。」という主張は、ほうなるほどへえ、と思いますが、それと、アカデミーのアプローチとは切り口が違うのかな?と感じたものであえて書き込みました。是非、心ある宗教学徒がいらしたら、御参加頂きたいと思います。
できれば、岸本、折口、デリアーデ、スミス、など、読んできた経歴を教えてくれたらありがたいと思います。

コメント(32)

ちなみにけそは、岸本、スミス、ティリッヒ、松本滋、を軸に本を読みました。
トピの「デリアーデ」は、「エリアーデ」の間違いです。読み返して気がつきました。
誰だよデリアーデって。
すみません♪
>>[1]

おはようございます。

柱書に記述されたご質問に対して回答しましたので、ご参考に供されれば幸いです。


Q1:それぞれの信仰から「私はこう信じます。」という主張は、ほうなるほどへえ、と思いますが、それと、アカデミーのアプローチとは切り口が違うのかな?と感じたものであえて書き込みました。

A1:切り口が相違しますよ。

信仰は信じている宗教・宗派の教えに従って、信仰生活をしていることを言います。

それに対して、宗教論と宗教学とのアカデミーのアプローチは信仰生活をしているしていないに関わらず、宗教の本質(真理)を探究(研究)する学問ですよ。

一つの宗教・宗派を信仰している人の世界観は、視野が余りにも狭く、なかなか宗教の本質に辿りつけないで、他界していますね。

信仰していない人の方が、幅広い思考法で、調査・観察・分析・解析・精査・考察が出来ますよ。


Q2:是非、心ある宗教学徒がいらしたら、御参加頂きたいと思います。

A2:現在、私は宗教学徒ではありませんが、半世紀(50年)余り、宗教論・宗教学を趣味として楽しんで参りましたよ。


Q3:できれば、岸本、折口、エリアーデ、スミス、など、読んできた経歴を教えてくれたらありがたいと思います。

A3:高校生1年生(1963年)時にはじまり、現在に至ります。

高校1年生(1963年)時に「日蓮上人の生涯」を、2・3年生時に「法華経」を必須科目で学習しました。

同時期に、近所のチャペルのKKS(高校生のために聖書研究会)に参加し、旧約・新訳聖書を学習しましたね。

大学生時代には、「西洋哲学史」(バートランド・ラッセル)をはじめ、担当教授が記述された「古代ギリシャの哲学史」(鈴木幹也)を筆頭に、仏陀の言葉・スッタニパータ、コーラン等々を読みました。

世界の様々な哲学書・宗教書を国立国会図書館で閲覧させて戴き、世界の宗教の教え(主張・アピール)の共通点をマトリックス図表に纏め上げましたよ。

パテントマップ&ポートフォリオ等々の思考法で、宗教論・宗教学の真意を探りました。

最後は、宗教論・宗教学の延長線上で神秘主義を学習し、宗教の本質(真理)が理解できたのです。

「真理は同一である」ことを。

貴殿もまだまだ若いので、頭が柔らかいうちに、全方位的な観方、多面的な観方、多角的な観方を駆使されて、宗教論・宗教学に取り組んでくださいね!!

詳細は、私のプロフィールをご閲覧くださいね。

感謝
モリオバッハさん。お返事ありがとうございます。わからないところがあります。
「A1、信仰していない人の方が、幅広い思考法で、調査・観察・分析・解析・精査・考察が出来ますよ。」
まず、ここがわかりません。
良いたとえかわかりませんが、お金を使ったことがない人には経済学はわからないのではないか、と思います。
「うちの宗派がいちばん良い」とかいうような独善的で偏狭な考え方では議論になりませんが、「信仰していない人」がはたして宗教の宗教らしさについて言葉を使えるのでしょうか?
引き続き議論を重ねましょう。
>>[8]

おはようございます。


ご無沙汰しております。


貴重なコメントを頂戴し有難うございました。


ご質問された件、下記に回答しましたので、ご参考に供されれば幸いです。


Q1:わからないところがあります。

A1:誰でもわからないところは多くありますよね。

何でも全てわかっている人はいませんから。



Q2:信仰していない人の方が、幅広い思考法で、調査・観察・分析・解析・精査・考察が出来ますよ。

A2:ある特定な宗教・宗派を信仰している人は、信仰している宗教・宗派が一番正しい教えと信じており、その他の宗教・宗派は、見向きもせず、取り込む姿勢も診られませんでした。

所謂、垂直思考は出来ても、水平思考が出来ない状況観でしたね。

他と比較する水平思考観を持ち合わせていないと、一番正しいとか、いいとかジャッジ(判断)できないからです。

わからないところをわかるようにするために、種々の診方、捉え方が出来るように幅広い思考法を勉強し身につけることが肝心です。

色々な現場観察(現場検証)を行い、体験学習を積み重ね、調査した情報を分析・解析し、精査能力を磨きあげ、考察の繰り返しで、事実把握、事実認証をしていくことができるようになるわけです。

特に理系人はこの思考法で、「なぜ」の問題解決に取り組んでいくことを必要とします。




Q3:良いたとえかわかりませんが、お金を使ったことがない人には経済学はわからないのではないか、と思います。

A3:その通りですね!!

何か行う、実践、実行をしなければ、結果が得られませんから。

実践を行い続け、色々な問題点を解決するために、検証実験、研鑽を繰り返し、正解を見極めていく力量が必要なのです。



Q4:「うちの宗派がいちばん良い」とかいうような独善的で偏狭な考え方では議論になりませんが、

A4:ここはご存知で、認識されているので、ホットしましたよ!!




Q5:「信仰していない人」がはたして宗教の宗教らしさについて言葉を使えるのでしょうか?

A5:信仰していない人、している人に関わらず、宗教の宗教らしさは、イメージ的に認識されていても、聖職者(神父、司祭、牧師、伝道師、宣教師)のプロ達や信者さんに至るまで、宗教の位置づけを把握している人にお会いしたことがありませんでした。

キリスト教の日曜礼拝や聖書研究会、仏教の法会、朝起き会(倫理研究会)の説教(メッセージ)や講習でのお話の大半は、哲学的な生き方の問題を取り上げていたことが検証できました。

宗教や倫理は生かされ方の問題なのですから。

要するに、聖職者のプロや信者さん達は、宗教の範囲(領域)を哲学的に、倫理的に分析して、意識して、説教している姿を診たことがありませんでしたね。

宗教は、哲学と倫理との相違観を認識されている人がいませんでしたから。

従って、理系人よりも文系人の方が、なんとなく考察は出来ても、分析法、解析法、その他の方法を活用して、判明していく裁量観が乏しいようにみられるので、宗教らしさの「らしさ」につながるのだろうと想います。



Q6:引き続き議論を重ねましょう。

A6:ディスカッションを重ねることは同感の思いです。

しかし、あるコメントに対して、理由を付していない場合は、そこで、論議は終わりです。

mixiでの種々のコミュに参加しておりますが、理由を付していないコメンターが多くいて、誹謗中傷合戦大会をしている状況を、10年余り診てきました。

これでは、お互いに成長出来ず、相手を貶すだけの行為になりますので、私はこのような事案の場合、一蹴してきました。

世の中は、知らないことばかりであり、お互いに情報を交換し合って、情報の共有化、共通化に寄与する見込みがある場合に限って、ディスカッションを続けて参りました。

お互いに、「歓喜の人生」を謳歌するために、精進していけたら嬉しい限りです。


感謝

私は無宗教で無神論の考えの者です。

上記で疑問を感じたこと:

イスラム教では、一旦は信徒となれば、棄教は厳禁で、処刑される畏れもある国があるらしい。

また、イスラム教徒の大半はスンニ派で、
スンニ派では僧職者はいないと言われています。
>>[10]


おはようございます。


本論:


私も貴殿と同様に理系人であり、就職後、10年余り、軽金属(アルミニウム)材料の新技術・製品開発研究やリサイクル技術、28年間、知的所有権管理(特許侵害訴訟事件処理)に従事して参りました。


私も貴殿と同様に無宗教・無神論の思考法で、半世紀余り、宗教の本質(真理)について取り組んで参りました。


理系人は、特定の宗教・宗派に属し、信仰をしている人は極少です。


理系人で、ある宗教の信者に数人、お会いして、思想観、思考法を話し合っていたら、理系人の思考法を持ち合わせていないことが判明しました。


疑問に感じられた「イスラム教では、一旦は信徒となれば、棄教は厳禁で、処刑される畏れもある国があるらしい。また、イスラム教徒の大半はスンニ派で、スンニ派では僧職者はいないと言われています。」と記述されておりますが、何が疑問なのでしょうか。


私は、貴殿が記述された内容で特に違和感はありませんが。






補足:


イスラム教に限らず、世界の全ての宗教・宗派の聖職者のプロ達をはじめ、宗教に関わっている知識人たちは、宗教の本質(真理)に気づけないために、昔々から延々と宗教戦争を繰り返してきましたよね!!


いつまで経っても、永遠に延々と宗教戦争をはじめ、人間同士の葛藤が続いていくでしょうね!!


なぜ、戦争や葛藤をしてしまうのかの根本原因を追究されたことがありましたか。



世界の全宗教の中身を精査すると、歴史と宗教について、誤認混同(勘違い)、錯綜状態が延々と続いてきております。




私は高校1年生(1963年)時、世界史で学習した「隣人を愛すよ!!」と言っていて、なぜ、クリスチャン同士が喧嘩してしまうのか、を聖職者のプロ達(100人)にインタビューしても、誰も回答できた人がいないことに吃驚仰天したのです。


こんなこともわからないで、よく聖職者のプロをやっているな!!と想ったものですよ!!


私も音楽が大好きで、5歳時からクラシック音楽を聞き出しましたよ!!


クラシック音楽の本質(真理)を発見したく、クラシック音楽の源泉はキリスト教の本質(真理)に通じると想い、近所のキリスト教の教会に通いはじめ、KKS(高校生のために聖書研究会)で、旧約・新約聖書を学習し始めました。


また、高校は、立正大学付属高校であったので、必須科目として、1年生時、日蓮上人の生涯を、2・3年生時、法華経を学習し、校長(日蓮宗の高僧)が宗教科目の専任だったので、放課後、校長室を訪れ、校長と1対1で、禅問答のようにディスカションして、教えを授かりましたよ。


詳細は、プロフィールに開示してありますので、ご興味がありましたら、ご参照してくださいね!!


理系人の思考法で、宗教の本質(真理)を探究し、宗教の本質とクラシック音楽の本質をリンクさせたり、また、宗教の本質と病気の本質をもリンクさせ、実践と研鑽の繰り返しで、経験則に基づいて、纏めてあります。



世界の人類の健全化に向けて、同じ理系人として、意気投合できれば、嬉しい会切りです。




感謝

>>[11]

無宗教で無神論の考えを表明している方を、私はこれまでmixi内で見かけなかったので、大変心強い思いをしています。どうぞ宜しくお願いします。

私の一神教に関する意見は、これまで下の2つのトピで書いていたので、
僭越ですがトピ名を紹介させてもらいます。

1) 哲学関係のコミュでの、
「宗教についての検討、特に一神教に着目」トピ
http://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=6249752&id=79976381

2) 「mixi 政治討論会」コミュニティ(非公開のコミュ)での
「ムスリムとの共存」トピ
http://mixi.jp/view_community.pl?id=404106

***********

イスラム教での棄教は難しく生命の危険さえ伴うことは、
無宗教の者や異教徒が、イスラムの信徒を体験するのが難しい、という点で挙げました。

また、イスラム教では、聖職者がいない特徴があり、それがイスラム教徒と、西欧型社会の共存を難しくしている面があると考えて、書き込みしました。

***********

私は、普段はガラケーでアクセスしているので、詳しいコメントはあまり書けません。
>>[12]


おはようございます。


貴重なコメントを頂戴し有難うございました。


私もmixiで10年余りコメント書きをして参りましたが、貴殿が仰るように、無宗教で無神論の考えを表明している方は少なかったですね!!


少なかった理由は、mixiで、哲学、宗教、倫理に関したコミュニティーでのコメントで、理系人はほとんどいませんでしたから。


理系人は、元々、哲学、宗教、倫理に興味を抱き続けている人はいませんよね!!


千葉工業大学時代、哲学の合同授業で、最初300人いた受講者が、半年後、私1人になってしまいましたから。


哲学の教授は、東京大学で哲学の授業を担当され、派遣されてきた先生でした。


東京大学の哲学科と同じレベルの講義をしていると言っていましたね。


先生は30年近く哲学を講義してきて、君程、私に対して質問攻めをしてきた生徒はいなっかったと証言していましたね。


私は、この世はわからないことばかり、少しでもわからないことをわかるようにすることが勉学(勉強)であり、今までわからなことがわかったときの喜びが感謝感激に通じるのですから。


東京大学での哲学科の講義は、大半の生徒が居眠りをしていて、何も疑問に感じない生徒が如何に多かったことかを喋っていました。


要は、東京大学出身の博を付けたかっただけのように推察できますから。


理系人は、矛盾点、理不尽点に気づいて、なぜ、そうなのか。どうしてそう言えるのか。そのエビデンス(科学的根拠)は何か。証拠物件(甲第1号証)はあるのか否かを常に問っていますよね!!


文系人と理系人の思考法の大きな相違点ですよね。


後半の哲学の授業は、教授と1対1で、禅問答のようなスタイルで、質問と回答の連続でした。


添付して戴いたコミュも閲覧させて戴きましたが、大半のコメンターは他のコミュと同様に誤認混同・錯綜状態であることが判明出来ましたよ。


無理ないですよ。


宗教の本質(真理)を認識されていない人がどんなにディスカッションをしても、お互いに、深め合うことが出来ないからです。


貴殿が記述された「イスラム教での棄教は難しく生命の危険さえ伴うことは、無宗教の者や異教徒が、イスラムの信徒を体験するのが難しい、という点で挙げました。」とありますが、小田急の代々木上原駅近辺のジャーミー(イスラム寺院)は、誰でも体験(見学)できる環境になっていますよ。


礼拝の邪魔をしなければ、礼拝の様相を見学できますから。


更に、「また、イスラム教では、聖職者がいない特徴があり、それがイスラム教徒と、西欧型社会の共存を難しくしている面があると考えて、書き込みしました。」とは同感の思いです。


イスラム教のジハード(聖戦)事件、ヒンズー教(シヴァシンを崇めるオーム真理教)のサリン事件、精神次元界内で実践・研鑽すべき範囲(領域)を超越して、物質次元界で実践してしまったことに原因があるのです。


我々、理系人の思考法は、宗教と倫理と哲学の相違観を判別できるように現場検証、事実把握、事実認定の積み重ねて精査していけば、認識出来る世界観です。


実践・研鑽或いは修行活動の範囲(領域)を特定し、その範囲(領域)を超越すれば、悲劇・不幸な事件が発生することが予測できるものです。


想定外は、逃げ口上ですから、真の理系人はどの範囲(領域)が特定でき、工学系は費用対効果の経済性をも勘案するので、どこまでが経済的なベースで実施できるかを考察していますよね。


文系人はこのような発想法が身に着けていないため、いつまで経っても、宗教の本質(真理)に気づけないのです。


経験則に基づいて、判断基準が定まれば、容易に、見極めることが出来るのです。


特許侵害訴訟事件を28年間従事してきて、種々の方法による分析・解析法が、宗教の本質(真理)を見極めることが出来るいいツールとなりましたから。


歴史学の曖昧さ、嘘を嘘で固めた嘘の大人社会の世界観、公文章が書き換えられる事件は今に始まったことではなく、古代から存在し続けてきているのですよ。


宗教の様々な聖典・経典に描かれている神話は、この世で起きた事件として、歴史学で取り扱っている有様です。


ここに、大きな誤りがあるわけですよ。


神話表現は、我々凡人には難し過ぎるので、わかりやすくするために、恰もこの世で起きた事件として、物語風の構成で出来上がっていることに気づくべきです。


精神次元界のお話を物質次元界のお話に置換されて描かれているわけです。


要するに、ここに絡繰りがあることに、大半の人は気づけないのですよ!!


神話の中身と歴史学の中身の関係の矛盾さ、理不尽さに気づくことが先決です。


感謝
私は【不可知論】の立場から…人類の文化と、個人の、信仰や思考…思想や信条などに就いて考えながら生きて来ました。

宗教や信仰のベースにある、認知・認識への信頼が、病んだり・歪んだり・毀損したりすると、個人の思考は、不具合を起こしてしまい、いわゆる【狂気】【妄想・幻想・幻覚】などを引き起こす事実から、人間の個人の精神・心理現象への信頼には、一定の限界があると云う点と、個人の脳生理や肉体生理の物理的な限界、生存時間の限界による、情報認識処理能力⇒キャパシティーの限界…と、現象世界( 神の領域 )の情報量とを、想定した場合のギャップの膨大さを考えた時に、仮に【 神的な世界 】観を、脳内に幻視・妄想的に仮説して観たとしても、その総体・総態に対して、正しく、精緻・詳細に、或いは概観的にでさえ、俯瞰想定・仮説幻視する事さえ…叶わないほどに、現象界の総態は広大無遍のように想われます。

つまり、あの御釈迦様だか観音様の掌の上をぐるぐる飛び回った挙げ句に、世界の果てまで辿り着いたと思い込んでしまう孫悟空のような認知・認識…の勘違い。

そうしたものが…あらゆる【確信論・確定論】【真理・正解論】の限界を示しているように思われます。

そうした観点から、私は、先ず大前提として、【不可知論】⇒解らない・解り得ない立場。…に、立って、学術の方法のように【仮説論証】に依って現象の細部・部分確認の積み重ねの上に、その全体像や構造などを、幻視・想定・仮説…して主観的な理解を深めたり検証・立証して行きたいと考える立場を取っています。

詳しい事は、解らないけれど、こうした指向・思考は、哲学や社会学・文化人類学的なアプローチかとも思えます。

そうした認識前提に因って…

私の認識概念の中では、【 宗教論 】は【 思想信条論 】の範疇に入り…【 認知・認識…心的現象( 妄想 )論 】の中に、包括されるものになるように、想われます。
.
【心的現象論】の近隣にある、【生理・感情的…現象】と、心理・精神・妄想…的現象との関連などと、宗教的思考や活動・実践の歴史分析・検証などの話を、誰かとしてみたいと思ったりしています。
.
.
■■■■■■■■
>>[14]


おはようございます。


貴重なコメント有難うございました。

興味深く読ませて戴きましたよ。

【不可知論】、【狂気】、【妄想・幻想・幻覚】、【確信論・確定論】、【真理・正解論】、【不可知論】、【 宗教論 】、【 思想信条論 】、【 認知・認識…心的現象( 妄想 )論 】、
【心的現象論】、【生理・感情的…現象】と多くのキーワードのご使用が印象的でしたね。

「つまり、あの御釈迦様だか観音様の掌の上をぐるぐる飛び回った挙げ句に、世界の果てまで辿り着いたと思い込んでしまう孫悟空のような認知・認識…の勘違い。」は孫悟空の物語の醍醐味ですよね!!

三蔵法師の物語も神話の世界観です。

自然(神仏)界は、広大無遍なんですよ!!と物語風の例え噺で描かれているのです。

昔々の人は、自然界という概念がなく、神仏界として診ているわけです。

理系人は、神仏界を自然界に置換した世界観で診ております。



理系人の思考法は、物質次元界を主体とした世界観で、物事の本質を種々の分析・解析法を活用して、本質を見極める、追究する考え方を採用しています。

精神次元界(魂・心・気持ち)の世界観には、理系人は余り関心を示していないことを前記しました。

精神次元界と物質次元界を区別して診れば、夫々、精査、考察の繰り返しで、本質が診得てくるのです。

集合論的な診方で、精神&物質次元界の和(融合)した範囲(領域)をどう裁いていくかが問題なのです。



理系人の思考法で、検証できない問題は、仮定や推定をして、仮説に基づいて、矛盾点、理不尽点がなければ、仮定や推定は正しいものと見做すと言った思考法を採用してきましたよ。

真の理系人は、特に狂気、妄想、幻想、幻覚と言った症状は起こしません。

理路が明確になっていれば、精神的な病に落ち込まないからです。



私も貴殿と同様に宗教的思考や活動・実践の歴史分析・検証などの話に興味を持っていますよ。

我々が学生時代に学習した歴史学(日本史、世界史)の内容(中身)は、事実・真実でないことをご認識されていれば幸いですが!

宗教学は、多くの参考文献がありますが、最後に辿りついた究極は神秘主義の思想観でしたね。

神秘主義の解釈を間違わなければ、理系人の思考法で、様々な聖典・経典の内容(中身)が納得できますから。



宗教や倫理の本質(真理)に気づかれれば、精神的な病にならないのですよ。

多くの人々が何事にも疑問を持たずに、ぼっけっと生きていますよね。

自分自身の思うままにならないような状況に陥ったときに、精神的な病に陥ってしまうものですね。



「生きている」世界観は、自分自身が主体で、自分勝手に生きている状況下を示し、哲学観なのですよ。

「生かされている」世界観は、自分自身は従体で、皆様の働きのお蔭で、生かされている、何と有難いことかを検証することが、倫理観なのです。

自然(神仏)の恵みのお蔭で、生かされている、何と有難いことかを検証することが、宗教観なのです。

倫理観、宗教観、自分自身は主体でなく、従体である位置づけにお気づきですよね!!

「生きている」と「生かされている」の相違観に、お気づきですよね!!

このような相違観を意識して、皆様に説教(メッセージ)すれば、哲学のお話なのか、宗教のお話なのか、倫理のお話なのか、見極めることが出来るのです。



高校1年生(1963年)時から、多数の宗教施設を訪れて、聖職者(神父、司祭、牧師、伝道師、宣教師)のプロ達の説教(メッセージ)を聴いて参りました。


また、1983年頃から、朝起き会(倫理研究会)の多数の会場を訪れて、派遣講師の講演を聴いて参りました。

どちらも、例えば、1時間のメッセージの中身を精査すると、60分間全てが、哲学観のお話でした。

時々、60分中、1分とか2分間、宗教観や倫理観のお話をされた人がいれば、いい方でしたね。

宗教法人とか倫理法人と看板を掲げていても、中身は哲学観を呈していたのですよ。



私は、これらの先生達に対して、釈迦に説法をしてきたのです。

プライドが高過ぎる聖職者のプロ達は、聴く耳を持ち合わせていないため、伝わりませんでしたが、プライドの高くない数人の先生には伝わりましたよ。

そのような相違観を意識して、今後の講習会で、皆様にお話していきますと宣言して戴けましたね。

ここに、宗教人としての基本的なスタンス(姿勢、生き方、生かされ方)が備わっているか否かが判明してしまうのです。


他人をどう診るかの一助に!!なれば幸いですが!!



どうぞ、宗教の本質(真理)に気づかれるように、お互いに、精進していけたら嬉しい限りです。



感謝





[9]モリオバッハさん
モリオバッハさんは、日本人の中では少し珍しいほうにはいる方かなという印象を受けています。
日本人、に限らないかもしれません。
何か特定の宗教に信仰を向けている場合、「他の宗教も同等に比較」するという行為は、あんまり発生しないのではないかと思うのです。
「よそと比較した結果、あっちのほうがより正しそうだから、明日からあっちに宗旨がえをする。」ということは、あんまり馴染みの無い事かな、と思っています。なんなら、「あっちのほうがありがたい感じがするけど、あえてこっちの信心を続ける」なんて事は起こり得ないわけでして…
きっと、わざわざ「独善的」にと思わなくても、信仰とはある程度、「自己中心的」にならざるを得ないのではないか、と考えています。
ところで、ワタクシは、仏教にはあまり詳しくありませんが、大乗仏教思想に「般若の智」という言葉があるのだそうです。
「分析せずに理解する」ということらしいです。
「わかる」とは「わける」からきている言葉だそうですが、そこをあえて「わけずにわかる」ということなのだそうです。
現在、「すべての宗教的伝統(=「教団」くらいの意味で理解しておいてください。)が『宗教の本質』を獲得したから立教した」、というわけではありません。でも、実際に宗教と呼ばれる現象は、まあ、ボチボチあります。
そこで、「宗教の本質を分析します!」と意気込んでも、空振りに終わるのではないか、と思っています。
私たちが「宗教」と呼んでいる現象一般は、「ひも」か、もしかしたら「綿」のような、「わけていくと中心も軸もなく、なにも残らないもの」かもしれません。
「あの宗教を信仰してるんですよね?あの教義はこういう意味ですよね?この儀礼はその事を表しているんですよね?」と信者に聞いても、実際の信者さん達は、そういう動機で信心している訳じゃないことがザラにあります。
でも、それも「宗教」です。
「宗教の本質」などというものは、きっと存在しないのです。宗教現象を分析していくと、なにもなくなってしまうのです。「分析した結果、これこそが宗教の本質だ!」と言ってみたところで、実際の信者さん達は、「そういうのを信心してるわけじゃない。」と感じるんじゃないかと思います。
しかし、モリオバッハさんがすでになにかをつかんでいて、「これこそが大切なもの」と感じているものがあれば、それは、モリオバッハさんにとっては、「かけがえの無いもの」だと思います。
優れた宗教学の研究結果と評価されるものとは、宗教学の手続きをふまえつつ、信仰者が納得するような言葉ではないか、と思いながら、ワタクシ自身、精進を志しております。
だいぶ、おこがましい言葉遣いになりモリオバッハさんには機嫌を損ねてしまったかもしれませんが、ワタクシの宗教学への思い込みから出た、暴言と思って是非寛大な気持ちでお納めいただきたいと思います。
モリオバッハさんとは今後も議論を重ねて参りたいと願っております。
>>[16]

おはようございます。


懇切丁寧なコメントを頂戴し有難うございました。


貴殿のプロフィールを閲覧させて戴きましたが、書誌的事項のご記述が余りにも少な過ぎるため、人物像が診得て参りませんでした。


私は理系人の思想観で、この70年間、「歓喜の人生」を仲間と共に、謳歌して参りました。


理系人なので、どこの宗教も信仰はしていませんが、親交はして参りました。


信仰よりもスタンス(姿勢観、生き方、生かされ方)とライフスタイル(生活の仕方、生活習慣)を重要視しています。


高校生時代、立正大学付属高校で学習したお釈迦様のスタンス(慈悲心)、近所の基督教の東駒形教会(賀川豊彦牧師が立ち上げたプロテスタント教会)のKKS(高校生のための聖書研究会)で学習したイエス様のスタンス(慈愛心と正義感)、両者のスタンスを抱き続け、人生の荒波を乗り越えて参りました。


理系人としての宗教の診方、捉え方、実践・研鑽を積み重ねてきました。


世の中、わからないことだらけですので、先生、教授、聖職者、学者等々にインタビュー(ヒアリング)して、その道のプロ、ベテランが回答できない、判明できない問題は自分自身で、国立国会図書館をはじめ、都内の図書館で、参考文献調査をし、そこでも判明できなければ、夫々の施設の現場を訪れて現場観察・検証を繰り返し積み上げ、精査するために、分析・解析を行ったり、なぜ、起こるのかの発生原因を特定するために、比較実証実験を繰り返し積み上げ、考察をして参りました。


わからない事象が判明したときの快感が人生の生き甲斐の一つとなっており、判明したことを一人占めにせず、情報の共有化、共通化を目的に、様々なボランティア(奉仕)活動に活かし、皆様に伝達してきたのです。


様々なボランティア活動では、互恵関係にある分かち合いを多く体験してきたので、歓喜の人生を皆様と一緒に謳歌していきたい意向を伝授しているのです。


世界の健全化に向けて、参考情報(知識、知恵)の一助に寄与すれば有難いとの気持ちで取り組んで参りました。


詳細や具体的な事は、私のプロフィールや日記(バックナンバー930件余り)に開示(全体公開)してありますので、ご閲覧くださいね!!


宗教・倫理・哲学の本質(真理)を基にして、クラシック音楽やオーディオ、健康と病気についての本質を導くために、リンクさせ、纏めとして、開示しています。


私のプロフィールは、私の自分史、回想録、回顧録としてのメモ(記録)です。



感謝


>>[17]モリオバッハさん
「書誌的事項」とは「読んできた本」というほどの意味かと思い、ついでに書き込みます。
岸本英夫、ルドルフオットー、キャントウェルスミス、ポールティリッヒ、井筒俊彦、藤田富雄、松本滋、宗教学の書籍としてはこの辺を読んで参りました。
キリスト教やイスラム教は専門外なので、一般的な知識しかありません。
英語がほとんどできないので、ほとんど、日本の研究者が日本語で書いたものか、訳本を読んでます。
「時間があったら読みたいなあ」と思っているものは姉崎正治、井上順孝、ヨワヒムワッハ、鎌田東二、エリアーデあたりです。
学生の頃は、当時ホットな話題だった「宗教多元主義」などを友人と考えておりました。
「宗教に本質はない」と今も考えていますが、オットーのいう「ヌミノーゼ」や、エリアーデの「ヒエロファニー」はどうなんだ?と自問しておりました。
誰もが認める顕著な宗教現象であれば、上記のものをもって「宗教の本質」と言えると思います。
しかし実際には、「なんだ、まあ、難しいことはわからんがとりあえず拝んでおこうか。」という程度のことの方が一般的なのではないか、と思います。こうなってくるとそこに「宗教の本質」と呼べるものはどこまであるのかな?と思います。しかし、私たちはこういうたいして激しくない「ふんわりした信仰」も「宗教」と読んでいます。
それを「なまぐさ」と否定することも一応できますが、偽りのない、ありのままの信仰ということもできるのではないか、と思っています。(そういうのは、信仰の程度としては、未熟で、自己中心的で、もちろん、それをそのままでいいぞいいぞとは言えませんが。)
それから、話は変わるのですが、モリオバッハさんは「モリオバッハ教」で良いんじゃないかと思います。
>>[18]


おはようございます。


貴重なコメントを頂戴し有難うございました。


「書誌的事項」とは、中学時代、英語の授業で習った5W1Hを示しています。


貴殿のプロフィールのご記述内容に、5W1H情報が表示されていなかったので、今までに、どのような学習をされて、貴殿ご自身のスタンス(姿勢、生き方、生かされ方)やライフスタイル(生活の仕方、生活習慣)に、どのように活用されたのか、「歓喜の人生」を謳歌するために、どのような活動をされてきたのかが、把握できませんでしたから。


私は、知的所有権管理業務(特許出願から侵害訴訟事件処理に至るまで)を28年間従事してきましたので、特許出願時の書誌的事項(発明者、出願人、出願日、出願内容から技術思想、先行技術の有無、発明の作用・効果に至るまで)に注力してきた次第です。


参考文献図書の奥付に記述された事項も書誌的事項に相当しますよ!!


mixiの大半のコメンターのプロフィールを閲覧させて戴くと、書誌的事項が満たされている内容にお目に掛かったことがありません。


また、夫々のコメンターのコメント内容を精査すると、「つぶやき」程度のコメントだったり、反論に対する理由付けも、ほとんどなく、これでは、お互いに、誹謗中傷の合戦大会を呈し、お互いに、ディスカッションを繰り返し、成長していける機会がほとんど診られませんでしたね。


mixiでのディスカッションにも限界がありますよね!!


熱心な若人のマイミクさんは、往復深夜バスを利用して、態々、神戸から東京まで来てくださり、東京国際フォーラムで、8時間余りにわたり、ディスカッションしたこともありました。



大変有意義なディスカッションが出来て、喜んで戴けましたよ!!




学習された参考文献図書の著作者の開示、有難うございました。



学生時代に友人と語り合った「宗教多元主義」を基に、更に、幅広く、宗教学、宗教論を深く探求され、ご精進していってくださいね!!



mixiの種々のコミュの課題について、10年余りコメント書きをして参りましたが、 mixiは、知り合う切っ掛けづくり、仲間の人脈形成に寄与してきましたよ!!



しかし、昨年、古希(70歳)を迎え、同期の団塊世代をはじめ、先輩諸氏がどんどん他界してしまい、それにつれて、人脈もだんだん減少化傾向にあります。


mixiを介して、更に、マイミクさんと近接できるように精進している今日この頃です。



感謝
>>[19]


おはようございます。


貴殿がご記述された内容にたいして、所感を記述しましたので、ご参考に供すれば幸いです。

Q1:「宗教に本質はない」と今も考えていますが。

A1:大半の人が貴殿と同様な感想を述べていますよ!!

益してや宗教に携わっている宗教人、関係者達でさえも、本質(真理)が見極め出来ず、本質はないと発信している有様です。

上記にも記述しましたが、長年、知的所有権業務を遂行してきて、特許・実用新案・意匠・商標に対する侵害訴訟事件処理にあたって、事実認定するために、現場観察(現場検証)を繰り返し、精査するために、分析・解析を行い、考察をしてきたのです。

夫々の事項の実践と研鑽を積み重ねた結果、事実矢印(右)真実矢印(右)真理(本質)が診得てくることに気づきました。

サラリーマン時代に培った情報知識を知恵に変換し、スタンスやライフスタイルに活用してきたおかげで、「歓喜の人生」が謳歌できたわけです。



Q2:実際には、「なんだ、まあ、難しいことはわからんがとりあえず拝んでおこうか。」という程度のことの方が一般的なのではないか、と思います。

A2:大半の人はご記述された程度のことしか考えていないですよね!!

誰でもが拝んで、自分の利益になるように、願望している状況です。

神社、仏閣、寺院に行って、お賽銭箱に、ご縁があるようにとの思いで、中心に丸い穴が開いた「5円玉」、「50円玉」を納めていますよね!!

今までの自身の汚れた(穢れた)スタンスを払いのけるために、消罪する目的でお賽銭箱にいれている姿を眺めるたびに、一寸違和感を感ずるに、私だけではないと想います。

5円玉、50円玉で、罪が消えて、大金持ちになれるよyに、家族の健康が維持されますようにと拝んでいる光景をお正月に見かけますよね!!



Q3:それを「なまぐさ」と否定することも一応できますが、偽りのない、ありのままの信仰ということもできるのではないか、と思っています。(そういうのは、信仰の程度としては、未熟で、自己中心的で、もちろん、それをそのままでいいぞいいぞとは言えませんが。)

A3:仰る通りで、日本古来から伝承されてきたお祭り的な信仰が大半を占めているのでしょうね!!

信仰する概念が、宗教に携わっている人や関係者が充分に認識されていないために、宗教と歴史において、甚だ誤認混同(勘違い)していて、錯綜状態が延々と続いてきたので、親交は出来ていても信仰は出来ていない状況下を検証して参りました。

宗教に携わっている人や関係者が「利己主義者」では、お話になりませんよね!!

益してや、一般人はなおさらです。

信仰する概念の真意は、利己主義者から利他主義者に生まれかわることにあるのですから。

mixiの色々な宗教関係のトピで、何らかの宗教に関わってるコメンターの意見を精査すると、大半は利己主義の意見ばかりです。

特に、カトリック系のクリスチャンに、気に食わないコメントは、勝手に消去されてしまう有様を多く体験してきました。

これでは、教会に行って、日曜礼拝でのお説教(メッセージ)を聴いても、なにも把握していないし、理解していないし、説教の内容を自身のスタンスやライフスタイルに活用されていない状況では、教会の礼拝に行っても無意味ですよね!!



Q4:モリオバッハさんは「モリオバッハ教」で良いんじゃないかと思います。

A4:私は教祖でもなく、世界の人類の健全化に向けて、様々なボランティア(奉仕)活動をしてきました。

私の教理を発信しているのではなく、高校生時代から、宗教・哲学の探求をはじめ、35歳頃から実践・研鑽しはじめた倫理活動を通して、最終的にたどりついた宗教の神秘主義を通して、情報の共有化、共通化になれば幸いとの思いて発信してきたのです。

モリオバッハ教では、自己満足(マスターベーション)の世界観で終わってしまい、世界に人類に通じる知的な共有財産になり得ません。

若人時代、頭脳が柔らかいうちに、多面的な多角的な診方が出来るように、種々の体験を積み重ね、経験則に基づいた判断が出来るように、お互いに、精進していきましょうよ!!と発信してきた次第です。



歴史を鑑みると、人類は人間同士の戦争の連続です。

このような状況下では、世界平和はいつまで経っても訪れませんので、まずは世界の健全化に向けて、どのような活動をしていけばいいのかを考え、1964年から様々なボランティア活動をし続け、仲間の形成に尽力してきました。

一人では、何も出来ないので、仲間を増やし、共通認識に立った観念、思想で、活動をしてきたわけです。

人類共通の信仰、日の出の太陽に合掌、日没に感謝を唱えていますよ!!



感謝





ちょっと話が変わるのですが、上田紀行という研究者が書いていたことが面白く思いました。
上田さんが1年の講義の始めに「この中で宗教を信仰している人は手をあげてください。」と言うと、200人中2〜3人くらいは手が上がるそうです。続けて、「宗教を信仰していない人は手をあげてください。」と言うと、残りのほとんどの人が手を上げるそうです。
そこで、「今、手をあげた人のなかで、お正月に初詣で神社に行ったことのある人は手をあげてください。」と言うと、わりと手を上げるそうです。続けて、「それでは今、手をあげた人の中で、お守りを持っている、あるいは持ってた人は手をあげてください。」と言うと、まあ、そこそこ手を上げるそうです。
そこで続けて上田さんが、「今、手をあげた皆さん。ここにハサミがありますので、そのお守りをビリビリに切り裂いてください。」と言うと、受講生は困惑し、発言を求めると「そんなことできるわけないじゃないですか!」と言いうので、上田さんが「どうして?信仰していないんだからできるでしょ?」というやり取りを、講義の始めにするそうです。
なんだか、このへんが日本人の「ゆるい信仰感覚」を現していそうで、大変興味深く読みました。
モリオバッハさんに質問です。
一言で言って「モリオバッハにとっての宗教の本質」とはどのようなものですか?
>>[23]

おはようございます。

宗教の本質に関して、ご興味がありましたら、10年前から、私のプロフィールに開示(全体公開)してありますので、ご参照くださいね!!

宗教の本質やクラシック音楽&オーディオの本質、健康&病気の本質について、凄く興味を抱いている、多くのmixiのコメンターさんが訪問してくれています。

10年前から今までに、多くのmixiのコメンターさんが、カルチャーショックを受けたとの応答を多く戴きました。

感謝
>>[24]モリオバッハさん
お返事ありがとうございます。
重ねてお願いします。
ひとことで言って「モリオバッハさんにとっての宗教の本質」とはどのようなものですか?
「全部読めばわかる」では、「わかってません」と言っているのと同じですよね。
「モリオバッハさんにとっての」と限定しているのですから、何をどう説明されても構いません。お願いします。
>>[24]モリオバッハさん
ついでにお願いします。
ここは「宗教論、宗教学」のコミュですので、「クラシック音楽&オーディオの本質」「健康&病気の本質」は不要です。
「モリオバッハさんにとっての宗教の本質」だけ、お願いします。
>>[26]


おはようございます。


下記に、私のプロフィールの一部として、真理への探究:哲学&宗教&倫理を添付しましたので、ご参照ください。



(3)真理への探究:哲学&宗教&倫理編
   http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1885278399&owner_id=19347649



感謝
>>[27]モリオバッハさん
おはようございます。
ワタクシにとっては、自分も含めて、プロフィールはあまり関心がありません。
よほど変わった主張をする人がいた場合に、「この人はどういう人だろう?」と感じる程度です。
ここは、議論の場なので、対話が成立していれば良いのだと思います。
「わからないことがあったら、私の言葉が書いてあるものを読め。そこから悟れ。」というのでは、まるで、「きょうそさま」のようではありませんか。
モリオバッハさんにとっての宗教の本質について、ひとことで言って頂きたく、お願いいたします。
>>[28]


おはようございます。


◎真理を一言で表現すれば、「我儘(わがまま)をするな!!」に尽きます。


詳細(理由)は、上記に添付した私の日記ファイルに開示してあります。


感謝
>>[29]モリオバッハさん
すごいですね…
>>[9]
モリオバッハさん、しばらくぶりです。
コメント番号の[9]を何度か読んでみて、ふと感じたので質問します。
「特定の宗教への信仰」について、どうも実際と違うのではないか、と感じました。熱心な信仰者、例えばほかからの収入無しで信仰生活を送る人、つまり「プロ」のことですが、「宗教信仰もプロになると周りが見えなくなって、ものわかりが悪くなる。」というふうに、わたしには読めたのですが、こういう理解で良いですか?
その前提で質問します。
「熱心に信仰するから真実をつかめないんだ。もっとゆるく信仰したほうがつかめるのだ。」というふうに読めてしまいます。ゆるい信仰もまた信仰だと私は理解しますが、熱心な信仰ももちろん信仰だと思います。
しかしモリオバッハさんは、熱心な信仰は真実をつかむ上では支障になるとお考えのように読みました。
多くの場合、信仰生活を送る人はあまりほかの宗教的伝統と比較することなく、信仰生活を送っています。こういう、人の息づかいがかよったものを、私たちは宗教と読んでいるはずです。
ところが、モリオバッハさんが想定するものだと、「誰も熱心に信仰していないものこそ真実に近い」、となりはしませんか?
もう誰も熱心に信仰していないかつての宗教、例えば、ギリシャ神話なんかは、現在、これに基づいて儀礼をおこなっている信仰者は寡聞にして聞いたことがありません。
モリオバッハさんの説によると、ギリシャ神話への信仰、しかもゆるい信仰、ギリシャ神話に基づいた儀礼をおこなう事が真実をつかめる、ということになります。
これで良いですか?
>>[31]

おはようございます。

此方こそ、ご無沙汰しております。

私の拙いコメントを深読みして戴きありがとうございました。

ご質問に対しての回答を下記に開示しましたので、ご検討戴ければ幸いです。

Q1:「特定の宗教への信仰」について、どうも実際と違うのではないか、と感じました。熱心な信仰者、例えばほかからの収入無しで信仰生活を送る人、つまり「プロ」のことですが、「宗教信仰もプロになると周りが見えなくなって、ものわかりが悪くなる。」というふうに、わたしには読めたのですが、こういう理解で良いですか?

A1:仰る通りでありますが、今まで長年月掛けて面会・面談出来た聖職者のプロ達、信者達の言行を精査すると、実際、宗教をされてる様相観は、一部を除いて、大半は、哲学的な行動をしていることが判明出来ました。

哲学と宗教と倫理の相違観を判別出来ている聖職者のプロや信者達はほとんどいませんでしたから。

Q2:「熱心に信仰するから真実をつかめないんだ。もっとゆるく信仰したほうがつかめるのだ。」というふうに読めてしまいます。ゆるい信仰もまた信仰だと私は理解しますが、熱心な信仰ももちろん信仰だと思います。

A2:信仰の仕方も、人生色々と同様な様相観で、いろいろありますよね!!熱心に宗教を信仰することも吝かではありませんが、信じている宗教だけに特化され、周辺の宗教の様相観を診る聖職者のプロや信者さん達はほとんどいませんでした。

Q3:しかしモリオバッハさんは、熱心な信仰は真実をつかむ上では支障になるとお考えのように読みました。

A3:仰る通りですが、理系人の様な診方が出来る人はほとんどおらず、自身が実行されている信仰だけを診ており、事実確認は出来ても、真実確認、真理確認は出来ていないことも検証済です。

Q4:多くの場合、信仰生活を送る人はあまりほかの宗教的伝統と比較することなく、信仰生活を送っています。こういう、人の息づかいがかよったものを、私たちは宗教と読んでいるはずです。

A4:仰る通りですが、信仰生活を送ってる聖職者のプロや信者さん達は、日々の心身の安定維持のために、他界後は、黄泉の国に行けるために、願っているだけで、ごく普通の人々は、宗教は、貴殿が仰っているように想っていることも検証済です。

Q5:ところが、モリオバッハさんが想定するものだと、「誰も熱心に信仰していないものこそ真実に近い」、となりはしませんか?

A5:仰り通りですが、熱心に信仰をしていたり、熱心に信仰していなくても、真実を容易に判明出来る聖職者のプロや信者さん達はほとんどいませんでした。

Q6:もう誰も熱心に信仰していないかつての宗教、例えば、ギリシャ神話なんかは、現在、これに基づいて儀礼をおこなっている信仰者は寡聞にして聞いたことがありません。モリオバッハさんの説によると、ギリシャ神話への信仰、しかもゆるい信仰、ギリシャ神話に基づいた儀礼をおこなう事が真実をつかめる、ということになります。これで良いですか?

A6:これで良くありません。真実をつかむことは、現場検証を重ねて、事実認定が出来、実践・研鑽・精査・考察の繰り返しを積み上げて、真実認定、真理認定が出来るのです。

大半の聖職者のプロや信者さん達は、修練・修行を積み重ねても、真実・真理に辿り着いた人は、極わずかです。

哲学と宗教と倫理を集合論的な診方で、精査出来た人も極わずかです。

大半の人々は、区別・判別出来ず仕舞いで、誤認混同・錯綜状態ですから、真実・真理認定は、無理難題なのです。

宗教論・宗教学で、最後に辿り着いたところは、真の神秘主義な診方でした。

歴史を鑑みれば、神秘主義の考え方は、どこか、オカルト的な思想観が包含されているように想われるでしょうが、精査出来れば、宗教の奥儀を見極めることが出来るのです。

貴殿は、まだまだ、お若いので、今からでも遅くはありませんので、一つの宗教に特化させず、包括的な診方、全方位的(多角的・多面的)な診方が出来る様に、ご尽力されていって欲しいです。

如何でしょうか?

一生涯掛けて、真理の探究(探求)に、ご精進されて欲しいです。

感謝。





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