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宗教論・宗教学コミュのホーキング博士、死後の世界を否定

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「天国も死後の世界もない」、英物理学者ホーキング氏が断言
http://mixi.at/a8lklDD

死後の世界に執着をもってしまう人間達に、
その死に執着を持たないことで、より現代人の心が楽になる発言と僕は捕らえたけど、

宗教は人がより善い行動をする為に死後の世界を仮定していたとか、
またその死後の世界をイメージをする事で、僕らの今を天国や地獄にしている。

死後の世界がこうだからこうしなければならないという因果を説いてる宗教が大半のようにも思えるが、
きっと今善行をして今を天国的な生き方を作り出し、精一杯やったら、死後の世界があろうとなかろうと、
『天を感じる今』を作ることが何より大切な気がします。

みなさまはこのホーキング博士の言葉どのように受け止めて、『よりよい信仰』とは何か?
聞いてみたいと想いトピ立てました。よろしくお願いします。

コメント(293)

すみません、訂正です。

>キリスト教福音派の述語だそうです。

×述語
  ↓
○術語
> 253 tonia_irさん

確かにキリスト教用語であって科学用語じゃない。
でも、福音派用語というわけでもない。
むしろ自由主義神学のほうに近いとされる
自然神学を説明する際の用語だと思う、
それがもっぱら非難であってもね。
>253:tonia_irさん、

個人的にはどちらでもお好きな様にと私は思いますが。要は、一般啓示と特別啓示が何であるかを理解して頂ければ事は済む訳ですので。

余談ですが、言葉の相似に気付きましたか?「一般相対性理論」(general relativity)と「特殊相対性理論」(special relativity)です。
>255 LucifeRさん

自然神学とはどういうものか、
どのような立場の人が自然神学を説明する際に使う用語なのか、
どういう非難をしているのか、不勉強ですみません、よく分かりません。
とりあえず、科学用語ではなくキリスト教用語だということだけ確認しておきます。
>256 川口 滋さん
>個人的にはどちらでもお好きな様にと私は思いますが。

では、一般啓示という日本語が科学用語だというのは川口さんの勘違いで、
これはキリスト教用語なのだということでよろしいでしょうか?
> 257 tonia_irさん

> 自然神学とはどういうものか、

「カミサマってどんなヒト(あれれ、まあいいやw)なんだかは、
カミサマが作ったこの大自然を見ればわかるじゃないか」
というのが「自然神学」のざっくりした説明。

> どのような立場の人が自然神学を説明する際に使う用語なのか、

自然神学をそれ以外と区別したい全員じゃないでしょうか。

> どういう非難をしているのか、

「自然なんか見たっておまいに都合のいい神を妄想するだけだよ、
それより聖書嫁、オレの預言を聞け」てな感じでしょうか。
だからほら、後ろのほうが特別啓示の説明になってるでしょう。
そういう文脈での対立概念なんですよ。
>258:tonia_irさん、

私の経験では殊に神学用語と云う印象は無いですが、科学関係の発表に使っても通用しましたし。基督教に限った用語では無いと思いますが、元々の発想は基督教神学の世界から生まれたものである事は確かでしょう。
> 260 川口 滋さん

>科学関係の発表に使っても通用しましたし。

もしよければ、その発表のタイトルとサマリ、教えていただけません?
科学史や科学哲学など、理学や工学など普通に思い浮かべられる
「科学」とはだいぶ毛色の違う分野じゃないのでしょうか。
>261:LucifeRさん、

Concentrating to the observation of general revelation... と一文入れて於いただけですが。別に何も特殊な事は無いですよ。
> 262 川口 滋さん

> Concentrating to the observation of general revelation... と一文入れて於いただけですが。別に何も特殊な事は無いですよ。

それじゃあ、ちょっぴり詩的な表現を査読官が見逃してくれただけで
科学用語でもなんでもないじゃありませんかw
>259 LucifeRさん
>そういう文脈での対立概念なんですよ。

うーん、分かったような分からないような・・・
対立というのは、自然神学と聖書主義とがですね。
一般啓示と特別啓示も対立するんですか?
外部の私から見ればどちらもキリスト教内部の教義であり、
自然科学とは関係ないじゃん、と思ってしまいます。

宗教的に全く中立の自然科学に、
キリスト教(の一部?)が変に高い感受性を持つ理由はそこにあるんでしょうか。
科学教もそういうところから発生するのでしょうか。
自然科学の定義は信仰する宗教や信仰の有無に関わりなく
世界中一律であるべきだと思います。

自然神学は進化論や処女懐胎についてはどういう考え方なんでしょうか?
> 264 tonia_irさん

> 一般啓示と特別啓示も対立するんですか?

対比はされますね。そのための命名ですもの。
でも対立するかどうかは取扱者次第。

> 外部の私から見ればどちらもキリスト教内部の教義であり、
> 自然科学とは関係ないじゃん、と思ってしまいます。

そうですね。神を想定しない科学は啓示という概念を排除します。

> 宗教的に全く中立の自然科学に、
> キリスト教(の一部?)が変に高い感受性を持つ理由はそこにあるんでしょうか。

違うと思います。単に問題を切りわける力とか
二種類以上の説明を並走させるキャパシティとかに
問題があるのでしょう。

> 科学教もそういうところから発生するのでしょうか。

「一部のキリスト教」のひとと同じ素養を持つ人が
「別の神」を選んだ結果、という意味で
両者に同じ要因が関わっているとおもいますが
私と貴方ではその要因として同じものを
思い浮かべているわけではなさそうですねw。

> 自然科学の定義は信仰する宗教や信仰の有無に関わりなく
> 世界中一律であるべきだと思います。

同意は出来ますが、同内容は別の言い方をした方がいいと思います。
科学の定義は科学サイドがするべきなんです、宗教でも哲学でもなくw。

> 自然神学は進化論や処女懐胎についてはどういう考え方なんでしょうか?

聖書をうさんくさがりたい人のハマり易いものですから、
多分進化論は肯定で処女懐胎は疑問視です。
「多分」がついてるのは、中にはいろんな人がいるからです。

ただ、自然神学を非難したいだけの人は
自然神学の現実なんかどうでもいいので
上記、私が傾向として述べた事柄を
キメツケてきます。
>264:tonia_irさん、

>宗教的に全く中立の自然科学に、

此れは「科学」(science)に関しては誤った認識だと思いますよ。「科学」は其の起源と基礎概念に聖書に基づく世界観があります。また、先にも述べました様に「科学」は一般啓示を調査研究する事により其れを創造された神の偉大さを称えようと云うのが起源の趣旨です。

例えば、ギリシャ神話の様に朝令暮改する神の世界観や八百万の神の祟りを怖れる様な世界観の中でempirical methodと云う証明が普遍的に通用すると云う発想が出来ますか。普遍な法則が自然界にある等と想像しますか。

「科学」は自然科学も社会科学も宗教的に中立な学問では無いと思いますよ。何故ならば「科学」は少なくとも二つの事を信仰せずには成立しないと私は考えるからです。
1:普遍な法則が存在する。
2:普遍な法則はempirical methodで確認する事が出来る。

如何でしょう。
> 266 川口 滋さん

>何故ならば「科学」は少なくとも二つの事を信仰せずには成立しないと私は考えるからです。
> 1:普遍な法則が存在する。
> 2:普遍な法則はempirical methodで確認する事が出来る。
> 如何でしょう。

棄却:

上記自体を永遠にempirical methodで確認しつづけており、誰も信仰などしていない。
>267:LucifeRさん、

>誰も信仰などしていない。

ならば、そもそも如何して法則の発見に価値を見出すのでしょう。動機の説明が難しくなりますよ。
> 268 川口 滋さん

> >誰も信仰などしていない。
> ならば、そもそも如何して法則の発見に価値を見出すのでしょう。動機の説明が難しくなりますよ。

基本、道楽ですよ?
>265 LucifeRさん
>違うと思います。単に問題を切りわける力とか
>二種類以上の説明を並走させるキャパシティとかに問題があるのでしょう。

私は今回、キリスト教の教派によっては、
科学をキリスト教的に定義する教義を持つ教派があるのかと思いましたが、
そういうことではないということでしょうか。

>私と貴方ではその要因として同じものを
>思い浮かべているわけではなさそうですねw。

私は今まで科学を「神」とするようなものだけを科学教と呼んでたわけですけど、
川口さんが「一般啓示」というキリスト教用語を科学の説明に使うのを見て、
これも一種の科学教だ、と思いました。

>科学の定義は科学サイドがするべきなんです、宗教でも哲学でもなくw。

その通りですね。
でも私は科学者ではないので、科学サイドからの言い方ができなくてすみません。

>多分進化論は肯定で処女懐胎は疑問視です。

分かりました。自然神学は自然科学に近い考え方なんですね。
>川口 滋さん

コメント245【可笑しいですね、物理も物をガチンコチンと打つけ合って
遊ぶのが本題なのに、時空間の創世を話題にします。
原子レベルでは面白く無いから素粒子へと詳細を追求する。進化論だって同じですよ】

コメント250【科学には其の原点に一般啓示を通して
真理(veritas)を探究するという目的があると私は理解しています】

どうすればこんなに矛盾した意見がひとりの人間から出てくるのか理解できません。
それとも川口さんの中では「真理」と「ガチンコチン」はイコールですか?

>266
>此れは「科学」(science)に関しては誤った認識だと思いますよ。

やっぱり川口さんのは科学教にしか見えません。
昔の科学は哲学や宗教から派生したかも知れませんけど、
現代ではそれらから独立しているということが理解できませんか。
>271:tonia_irさん、

>どうすればこんなに矛盾した意見がひとりの人間から出てくるのか理解できません。

貴方が「進化論」を種の派生の究明のみが課題だと主張するので、そうであれば物理もそう云う事に成るであろうと同様の例を提示して、更に現実は異なる事を以て其れを私は否定しただけですが。

>現代ではそれらから独立しているということが理解できませんか。

親の無い子供は存在しない、子供は親を否定すると自分自身も否定する事に成り自己矛盾を作り出してしまう。「私は嘘つきです。」と言う様なものでしょう。違いますか?

あらゆる信仰を否定した世界観に基づいた全く新しい体系を構築するしか無いでしょう。其れが存在し得るのか私には疑わしくみえますが。
>272 川口 滋さん
>貴方が「進化論」を種の派生の究明のみが課題だと主張するので、
>そうであれば物理もそう云う事に成るであろうと同様の例を提示して、
>更に現実は異なる事を以て其れを私は否定しただけですが。

それは大変失礼しました。

>親の無い子供は存在しない、

子供は親から自立するものです。

世界中のノンクリスチャン科学者に今さら
キリスト教の教義を植え付けようとするのは傲慢でしかないでしょう。
>273:tonia_irさん、

事実は事実でしょう。子が居れば親が存在すると云う事は否定出来ない訳だし、親の遺伝子を受け継いだ事も確かな訳だし。遺伝子の存在を否定するのは、即ち自己否定ですよ。違いますか?神によって創造されたのならば其処に「ことば/かしこいもの」が宿っている訳ですし。

親から本当に何もかも自立した人は一人も居ないでしょう。生みの親からは遺伝子を受け継ぎ、育ての親からは伝統を受け継いで育ち成長して生きて逝く訳で、其れを一生拭い去る事は出来ないでしょう。歴史の存在を否定する事は即ち現在を否定する事であり、未来も無い事に成りませんか?

何れにしろ、「科学」は266で示した二つの事を信じ続けている事は事実でしょう。それとも貴方は今の「科学」に此の二つの事項を此の二つに依存せずに証明する事が出来るとでも主張するのですか?
>274 川口 滋さん

>神によって創造されたのならば

そういうキリスト教の内部でしか通用しない言い方を
ノンクリスチャンに向かってしないでいただきたい。
ノンクリスチャンにキリスト教の教義を押し付けるのは傲慢だと思いますが。

科学はキリスト教社会の中でその土台が作られたという意味では
キリスト教を信仰する人々の思想信条や文化が親なのかも知れないですけど。

現代では大勢のノンクリスチャン科学者が
キリスト教信仰とは無関係に科学の研究をしてるわけですしね。
それでちゃんと研究ができてるんですから、信仰は必要ないでしょう。

>266で示した二つの事

ルシファさんがすでに答えてくださってますけど。
(私は(2)の英語の意味はよく分かりません、すみません)

少なくとも(1)は信仰ではなく科学的な定説でしょう。
定説も仮説ですから反証可能性があります。

私は物理学の人に「宇宙の果てまで普遍的な法則が通用するかどうかなんて
まだ誰にも分かってないよ」と言われたことがあります。
>275:toni a_irさん、

仮説や定説を受け入れる事と、何らかの信仰を抱く事との間に、本質的な違いがあると、貴方は思っていらっしゃるのでしょうか?

上に挙げた二つは「科学」の全てが乗っかる二本の柱ですよね。それとも貴方は異論を持っておられるのですか?

ナノやフェムトの世界からマクロの世界まで通用する統合された法則があるはずであると仮定して「科学」と云う学問が成り立っている訳でしょう。違いますか?この仮定を受け入れない限り「科学」の探求に価値が認められますか?LucifeRさんは誤魔化されましたが。

そして、empirical methodを通して理論の真偽を確かめると云うのが其の慣わしですね。empirical methodは正確ではないですが実験実証法とでも訳しましょうかね。

私は日本の中学生だったか小学生の時に「科学」の基礎として習った覚えがありますよ。大学でも事ある毎に復習し更に厳密に学びましたけれど。上の二項目は「科学」が不問の内に受け入れる欽定だと思いますよ。「科学」の抱く二本柱の信仰ですよ。

因みに、貴方は(1)を反証可能だと仰るけれど如何やって反証するのでしょう?多くの論理物理学者は統合理論だと言って一生を費やして普遍の法則の発見に務めているんですけれど。
>277:のむらさん、

私が問題にしている事は科学が二項目を不問に受け入れている事に関してです。

1:普遍の法則がある。
2:empirical methodは成立する。

議論の筋をもう一度確かめて頂くとご理解いただけるでしょう。
> 278 川口 滋さん
> >277:のむらさん、
> 私が問題にしている事は科学が二項目を不問に受け入れている事に関してです。

先にある結論が
学問の場で説得力をもつことはなく、
このコミュのガテゴリは学問ですよ?
>279:LucifeRさん、

学問に関わらず、有限な存在である人は何らかの基礎を不問の内に受け入れる事をせずに事を始める事も継続する事も出来ない、と云う根本的な認識が欠如していては有意義な議論には成らないでしょう。違いますか?

科学であろうと宗教であろうと其処に不問の内に受け入れる約束事の上に成り立っていると云う基本認識を持って頂きたいと云う事です。それとも、貴方は人間が無限の存在であると主張されるのですか?
> 280 川口 滋さん

> 学問に関わらず、有限な存在である人は何らかの基礎を不問の内に受け入れる事をせずに事を始める事も継続する事も出来ない、と云う根本的な認識が欠如していては有意義な議論には成らないでしょう。違いますか?

それを自分は理解しており相手はそうではない、という
ありもしない優越を妄想することで
自分の意見にのみ説得力があるように錯覚しているだけですよ、
貴方は。

科学者はね、貴方が「自分が不安になってしまうので踏み込めない」領域に
とっくに立っているんです。
>281:LucifeRさん、

貴方があらゆる「信じる」事を排した学問があると「信じる」のには矛盾があると思いますが。

私は
1:「科学」も「仏教」も「基督教」も不問の内に受け入れる何らかの設定を従うものに要求するものであり、(「科学」も或る意味で信仰である。)
2:「科学」は歴史上ユダヤ基督教世界観の下に生まれ派生して来たものであり其の影響を多大に受けた学問である、
3:「科学」の基本は
   イ:普遍な不変の法則がある、
   ロ:empirical methodは有効である、
  の二本柱である、
と発言して来た訳ですね。

貴方は3:イに対して異論がある様ですが、少なくとも、3:ロを信じている事を受け入れられて居られる訳ですね。1、2、3:ロは受け入れられると云う事ですよね。

>貴方が「自分が不安になってしまうので踏み込めない」領域
其れは貴方の方じゃないのですか?

私が強調したいのは1で、「科学」も不問の内に信じる事を求めるものが有ると云う事です。

tonia_irさんとの遣り取りに於いて私の主題は「仏教」が外部からの注入されるものを設定する事無くこの世に付いて断言出来る根拠の拠り所を何処に留めているのかと云う話しです。「一般啓示」と「特別啓示」の二つの言葉の事で大きく脱線して居りますが。
> 282 川口 滋さん

> 貴方があらゆる「信じる」事を排した学問があると「信じる」のには矛盾があると思いますが。

いいえ、自分は

あらゆる「信じる」事を排した学問があると「知っている」

のです。「信じる」必要がない、現にあるから。
ちなみに、学者の全員が一流でないことも知っています。

細かいことに取り合ってても埒あかないから、
貴方と私のどこが食い違っているのか端的に指摘します。
科学の仮定と宗教の信仰箇条では強度が違うんです。
ポストイットと建築用粘着剤ぐらい。

ですから私は
それを「信じる」などの用語で一緒くたに一般化する
精度の低い暴論に同意しません。

そして、(そもそもここはどこだw)
そんなのに付きまとわれたら、そりゃホーキングもキレるわww。
>283:LucifeRさん、

René Descartesが「cogito ergo sum」と有名な言葉を残しましたが「禅宗」は「お前は考えていると妄想を抱いているだけだ。」とDescartesが唯一辿り着いたと確信した自己存在の「知」さえも否定すると言う。そんな宗教論や宗教学の舞台で貴方は「知」を主張する。貴方の其の「知」はどういうものなのでしょう。

因みに、Hawking卿はもっと謙虚ですよ。
http://www.ralentz.com/old/astro/hawking-1.html
>276 川口 滋さん
>仮説や定説を受け入れる事と、何らかの信仰を抱く事との間に、
>本質的な違いがあると、貴方は思っていらっしゃるのでしょうか?

思っています。本質的に違いますよ。

>LucifeRさんは誤魔化されましたが。

ルシファさんの回答は的確だったと思います(笑)

>empirical methodは正確ではないですが実験実証法とでも訳しましょうかね。

私が「観察や実験による検証」と表現してることと同じ意味でしょうか。
科学的仮説は観察や実験で検証されるというのは、
科学の定義であって信仰ではありません。

>因みに、貴方は(1)を反証可能だと仰るけれど如何やって反証するのでしょう?

改めてそう問われると・・・うーん、できないのかなあ。
これこそが普遍の法則だ、という法則があっても、
新たな例外が見つかればそれは普遍の法則ではなかったという反証はできます。
でもだからといって普遍の法則は存在しないということにはならないですね、確かに。

とはいえ、これこそが普遍の法則だ
と提示した途端にその法則は反証可能性を持つでしょうから、
結局科学で普遍に到達することはできないんじゃないのかなあと思うんですけど。

要するに(1)も科学の定義だということでしょうか。
「普遍な法則があると仮定された世界を扱うのが自然科学である」

いずれにせよ、このような世界観を科学的世界観と呼ぶ(仮説もしくは定義)。
ということと、このような世界が実際に存在すると信じる(信仰)。
ということとは、全然違いますよね。

ちなみに仏教の世界観は「普遍なものは存在しない」という諸行無常ですから、
信仰的には、普遍の法則はあってもいいけど、なくても困りません。

>多くの論理物理学者は統合理論だと言って
>一生を費やして普遍の法則の発見に務めているんですけれど。

確かに。ホーキング氏もそのひとりですね・・・。
理論物理学の世界観がキリスト教の世界観を反映しているのだとしたら、
その世界観からホーキング氏が無神論を確信するに至った
という経緯は、なかなかに因果なことですね。

科学の世界観をキリスト教を原点に持つ信仰だとみなしていたら、
キリスト教の「神」が科学の「普遍の法則」に取って代わられた
「無神論という信仰」に変質していったとしても当然かなあと思います。
>284 川口 滋さん
>「禅宗」は「お前は考えていると妄想を抱いているだけだ。」と
>Descartesが唯一辿り着いたと確信した自己存在の「知」さえも否定する

禅宗で否定してるのは「知」ではなく「自己存在」のほうだと思います。

どちらにせよそれは禅宗という一宗教の信仰であって、学問ではありません。
学問の話をしているときに、何を混同してるんですか。
>282 川口 滋さん
>「仏教」が外部からの注入されるものを設定する事無く
>この世に付いて断言出来る根拠の拠り所を何処に留めているのか

瞑想修行による悟りという体感、涅槃寂静の境地です。
>285:tonia_irさん、

(1)も(2)も「科学」と云う学問の世界の約束事で不問の内に受け入れる事でのみ成立すると云う事です。科学者達は(1)を頑なに信じて、過去に受け入れられて来た法則に辻褄が合わなく成ると、血眼に成って辻褄の合う新法則を発見しようとします。「科学」と云う一つの学問(約束事の体系)を守る為に必死な訳ですよ。

私は「不問の内に受け入れる」事をして其れに人生を賭ける事を「信じる」事と呼んでいる訳ですが。貴方の信じると云う事の定義は異なるのでしょうか。

>286:tonia_irさん、

>禅宗で否定してるのは「知」ではなく「自己存在」のほうだと思います。
「存在」を否定する事により「存在」の属性である「知」も否定されていると解釈して一段飛ばしました。

しかし、禅問答でいとも簡単に崩れる様なやわな戯言を「学問」は営んでいると私は思いませんけれど。少なくとも、学者達は何れ克服出来ると信じていると思います。
>287:tonia_irさん、

>瞑想修行による悟りという体感、涅槃寂静の境地です。
此れ等は外部のモノ又は外部と繋がる事と云う教えなのでしょうか?内部のみでは根拠となるには不十分だと思いますので。

貴方の仰る仏教の「諸行無常」と云う教えなのですが此れが如何して自己矛盾に成らないのか昔から私は不思議に思っているのです。私にとっては此れが仏教と決別する決定打に成りました。
> 284 川口 滋さん

>そんな宗教論や宗教学の舞台で貴方は「知」を主張する。

貴方が科学の舞台での証拠の力を否定するために
詭弁を弄しているんですが、しかもこんな遠くで。

宗教論のコミュニティだからといって
その看板背負わせたまま恥を輸出するわけには
参りません。分野の信用に関わります。









>288 川口 滋さん

普遍の法則というのはあくまで仮定ですから、
それが事実であるかのように「信じる」というのはやはりまずいんじゃないですか。
「普遍の法則」を「神」とみなす科学教を布教するようなものでしょう。

>禅問答でいとも簡単に崩れる様なやわな戯言を
>「学問」は営んでいると私は思いませんけれど。
>少なくとも、学者達は何れ克服出来ると信じていると思います。

ほらまた宗教の教義と学問の定義を混同してます(苦笑)

>289
>此れ等は外部のモノ又は外部と繋がる事と云う教えなのでしょうか?

いえ、仏教では「外部」というものを想定していません。
仏教の悟りの境地は世界の外からやってくるのではなく、
世界そのものを感得することだと思います。

>貴方の仰る仏教の「諸行無常」と云う教えなのですが
>此れが如何して自己矛盾に成らないのか昔から私は不思議に思っているのです。

諸行無常の「行」は「成されたもの・作られたもの」という意味だと思います。
作られたモノや概念は永遠ではない、作られたものに執着せず、
真理(=世界のうわべの一部ではなく全体・世界そのもの)
の境地に達すれば苦しみは消えて幸福になれるというのが仏教だと思います。
もちろんここで言う幸福というのは、美味しいものを食べたり
恋人とデートするような幸福感ではなく、もっと形而上的なものだろうと思います。

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